はちっ!
「本当でございますよ。幼少の頃の魔王様は、それはそれは何度言ってもおねしょをしてしまう御子で。けれど魔王様は勇者様のようにお泣きになることはありませんでしたよ? 魔王様ですからね。泣くのを我慢して「ごめんなさい」と謝っておいででした」
この場を収めるように丸投げしたのは自分だったが、いささかその評価はいかがなものか。魔王が何とも言えない表情を浮かべていると、ゆうちゃは何かを考え込むようにメイド長と魔王を交互に見つめる。
多くの魔族が見守っているはずが、誰も次の言葉を紡ぎ出そうとしない微妙な雰囲気に包まれる中、魔王はその大きな体を少しだけかがめてゆうちゃに告げた。
「ゆうちゃ。こういうときは泣いてはダメなんだよ? ゆうちゃは自分で悪いことをしたと思っているなら、どうするべきか分かるよね? だってゆうちゃなんだもの」
ひとつひとつの言葉が丁寧で優しかった。自分が仕える主がこれほどまでに穏やかに語りかける姿を見たことがない。己の眼が可笑しくなったのかと目をこする者さえいる。
しばらく無言を貫いていたゆうちゃがずびっと鼻を鳴らしながらも小さくコクンと頷いた事で、ようやく部屋の中に安堵の空気が充満した。
「さ、ゆうちゃ。出ておいで」
魔王に促されるまま、ゆうちゃは再び頷きながらもぞもぞと布団の中から出てくる。そのまま魔王のところへ行くかと思えば、自分を必死になだめていたメイド達の元へ向かうと、メイド達はゆうちゃから距離を置きながらもその小さく潤んだ瞳が自分達を見据えているのに対峙した。
「めいどしゃん……ごめんなさい……」
服の袖をモジモジといじりながらようやく聞けた言葉に、メイド達は歓喜した。
「よくできましたね勇者様。さぁ、謝罪が済んだ後はお召し物を着替えましょう?」
にっこりとほほ笑んでゆうちゃを許したメイドの姿に魔王は少しならずか喜んだ。ここで叱ることは魔王の行動を無にするものであったし、ゆうちゃの謝罪を受け入れずになかったことにしてしまえば、このままずるずるとゆうちゃが悩む事になっただろう。
謝罪の言葉に対し褒めの言葉を告げたメイドを魔王は評価したのだ。
「……まおーもごめんなさい……」
いつの間にか自分の方に向き直って謝罪をしたゆうちゃに対し、魔王はふっと柔らかく笑んだ。
「大丈夫だよ。さ、着替えて。一緒にご飯を食べよう」
「……あぃ」
力なく答えたものの、自分が許された事に喜びを覚えたゆうちゃがそのぷくぷくとした頬を紅潮させながら魔王を横目で見ながら、周囲のメイド達に指示されるがままに差し出された衣類に着替えるために支度を始める。
それに直接関わりのない兵士達は「よかったよかった」と口々に部屋を退室し、手の空いたメイドの一人が魔王に振り返り深々と頭を下げた。
「魔王様。わざわざご足労頂き感謝申し上げます。勇者様がお召し物をお着替えになるので、先に食の間にてお待ちいただけますでしょうか?」
「なぜ先に行かなければならん? ここまで来たのだ。ゆうちゃと共に行く」
前半の感謝の意は納得できたが、後半の意味が分からず魔王は思わず眉間にシワを寄せた。
「あ、えっと……でも、お召し物をお着替えしてからですので……時間がかかるかと……」
「構わん。それくらいの時間が待てないほど、忍耐がないわけではない」
まさかここまでゆうちゃに執着しているとは思ってもいなかったメイドがオロオロと視線を漂わせながら、何と告げれば不敬にあたらないかと考えあぐねながら言葉を紡ぎ出す。
「そ、そうですか……それでは……お部屋を出てお待ちいただけますか?」
「なぜだ?」
「えっ……なぜって……その……勇者様はお召し物を……」
「そんなことは分かっている。僕がいると何か不都合でもあるのか?」
「……不都合というか……不都合と言えば不都合なのですが……」
いつまでたっても根拠のない理不尽な要求をしてくるメイドに怒りを覚えた魔王は、これで自分の納得できる理由を聞き出せなければ始末しようとまっすぐにメイドを見下ろし睨んだ。
「はっきり言え。グダグダ言うのは嫌いだ」
「……でははっきりと申し上げます。勇者様は貴方様と異性の立場にあります。ご退室くださいませ」
「なんだ。そんなくだらない理由……異性?」
すでに目前に控えているメイドを始末することが頭にあった魔王にとって、青天の霹靂とも呼ぶべき事実が発覚したのだ。
「……ゆうちゃだぞ?」
「勇者様ですね」
「僕を倒しに来た奴だぞ?」
「そうでいらっしゃいますね」
「……ゆうちゃが、雌だと?」
信じられないと言った様子で何度も確認する魔王の言葉に、メイドは自分の言った言葉に偽りはないと胸を張って言えるらしく、最後の言葉にも大きく頷きを持って返答する。
未だ現実味を帯びることがない事実に対し、魔王は呆然としたままメイドに囲まれながら着替えようとしていたゆうちゃに声をかけた。
「……ゆうちゃ」
「う?」
「ゆうちゃは雌か?」
「めす?」
未だウサギのように目を真っ赤にしたまま振り返ったゆうちゃがキョトンと聞き返せば、魔王は思考を張り巡らせながら自分の前に据えるメイドに視線を向けないまま尋ねる。
「……おい、メイド」
「はい」
「人間界では雌のことをなんと言う?」
「女性、または女という表現をいたします」
答えを得た魔王が、視線をそらさぬ先のゆうちゃにもう一度問いかけた。
「ゆうちゃ。お前は女か?」
「うん、おんなのこ。ゆうちゃおんなのこらの」
「……」
にこっと微笑むゆうちゃから肯定する言葉がもれた。
呆然としたままの魔王を不憫に思いながらも、メイドは再度口を開く。
「……ご退室を」
「……うむ」
ふらふらとした足取りで部屋を後にしようとした魔王が、動揺のあまりゴンッと鈍い音をさせながらドアに頭をぶつけた。
『あ』
と声をそろえたのはメイド達だ。
無言のまま退室していった魔王を視線で見送ったゆうちゃが、パジャマとして与えられた服のボタンに視線を送り、小さな指でちまちまと外しながら顔を上げずに隣に控えていたメイドに尋ねる。
「……まおーだいじょうぶだった? あたまゴンッした」
「大丈夫でございますよ。魔王様はドアに負けるほど弱いお方ではありません」
「ゆうちゃはドアより強い?」
「そうですね、ドアよりはお強いかと」
「まおーとはどっちがつよい?」
「それは……今のところ魔王様が優勢ではないでしょうか?」
「ゆーせー?」
話の方向がだんだんとずれてきた事にもめげず、ようやく手間取っていたボタンをはずし終えて脱ぎ捨てたゆうちゃのパジャマを拾いながら会話を続けると、ゆうちゃはズボンと下着を一緒に脱いで片足に引っかかったソレをぺぺっと足蹴りした。
「魔王様の方がお強いということです」
「うー……ゆうちゃ、まおーたおすの」
ようやく自分の足に絡んでいた衣類を取り除くことに成功したゆうちゃがぷくっと膨れながら、メイドの評価に不服を申し立てる。
「それはお力強いお言葉――勇者様、お召し物を」
触れずに用意された衣類を手のひらで差したメイドのひょうひょうとした態度が気に食わなかったのか、ゆうちゃはたんたんを踏んでもう一度繰り返した。
「うー……ゆうちゃ、まおーたおすのっ!」
「はいはい。わかりました。お召し物をお着替えくださいませ」
「むぅっ」
メイド達もようやくゆうちゃの扱い方を掴んできたらしい。