ごっ!
「っ……あーはいはい。分かりました魔王様。貴方の仰る通りにしますとも。その件についてもちょっと調べてみますよっ」
ようやく魔王の意思を理解したらしい側近だったが、どうせ納得はしていないだろう。するとそれを暗示するかのように、側近は負けじと鋭い視線を魔王に向けて続けた。
「ただし、コレだけは言わせてもらう。勇者は人間で、お前は魔族の頂点を極める魔王だ。人間と魔族が一体どれだけの争いを引き起こし、どれだけの数の犠牲を出してきた? 歴史を掘り返しても人間と魔族が和解した時代なんて見当たらない。相反する存在であることは忘れるな」
「……分かっているよ」
「それと、だな」
「まだ何かあるの?」
「ある。黙って聞け」
側近の有無を言わせない発言に、魔王は素直に黙った。
「……謁見の間に放置されているアレ。どうすんだ?」
突然沸いたような疑問を受け、魔王は思わず間抜けな表情を浮かべながら聞き返す。
「アレ?」
「聖剣」
「ああ、聖剣……どうするかな?」
ようやく側近の発言の意図を理解した魔王が、同じく悩むと、側近は腰に手を当てながら視線を泳がせた。
「俺らには触れられねぇぞ? 弱い奴なんて一瞬に光の泡になって消えちまう……あ、だからってお前が動かすなよ? お前も下手すりゃ火傷どころじゃ済まなくなるからな。アレはお前を倒す為の剣なんだから」
と言いつつも解決策を持ち出せない側近は、煮え切らない態度でため息をもらした。側近が言いたいことは魔王にもよく理解できた。ゆうちゃが聖剣を手放したまでは良かったが、彼の言うとおり聖剣は魔族が安易に触れられるものではない。あのまま謁見の間に置き去りにされた聖剣は、魔王の差し出したお菓子の存在に負けてしまったのだ。
人間界の救世主が聖剣忘れるなよ。
あの剣の存在はゆうちゃと等しい扱いとなり、触れようと思えば無傷では済まないだろう。だからこそ側近も魔王も悩む材料となってしまったのだが。
「……ゆうちゃが起きたら片付けさせるよ」
「勇者にアレを持たせるのか!? そんな危ない組み合わせ、誰が許すかっ!」
「ゆうちゃはアレを扱いきれていない。それほど怯えなければならない存在でもないよ」
「でも扱えるのは勇者だけだ」
「その通りだね」
「あーそうだよ畜生! 墓穴掘った俺!」
やっぱり基本は馬鹿だ。ウルフ族にはよく見られる傾向なのだが、直感でしか物事を話さない。裏を返せば素直だという褒め言葉にもなるが、野生的で馬鹿だという言葉にしか結び付けないのは魔王の悪いところだ。
「ゆうちゃはまだアレの扱い方を知らないんだと思う。運ばせて封印の間に封じればいい」
「そんなにうまくいくのかよっ!?」
「大丈夫だろう。ゆうちゃはまだ子供だし」
「その子供だという部分に油断して、無防備に握手して火傷を負ったのはどこの馬鹿だ?」
さすがにこの指摘には魔王も言葉を返すことができなかった。側近ばかりを馬鹿にできないのは魔王も一緒である。
「その根拠のない自信、どうにかしろよ」
「……問題ない」
「だーかーらっ! ……もー、だからお前と話すのヤなんだよ……疲れる……」
「あんまりピリピリするなよ。みっともない」
「ピリピリさせる要因を持ち込んだご本人がそうおっしゃる!? わーもう自覚ないのが一番手に負えねぇ!」
「気に入らなければ僕が直々に手をくだす。お前らは何もせずに僕の言うことを聞いていればいいんだよ」
「かーっ! こんのワガママ魔王めっ!」
「最近、人間界では"王子"をつけるのが流行しているらしい」
「だからなんだ!」
「"ワガママ王子"と呼んでみてはくれないかい?」
「おめー魔王だろうがっ! なに人間に触発されてんだよ!」
無表情でからかい続ける魔王に対し、とうとう白旗をあげた側近は言葉が続かない様子で深く落胆しながら、声を震わせて訴えた。
「……話戻していいですか、魔王様」
「ちっ……仕方がない。戻せ」
どうやら話をそらしたかったらしいのだが、そこは側近――言いたいことは忘れない。意外と優秀な側近に魔王は舌打ちをしながら答えるものの、それなりに満足した様子で見据えていた。
「とにかく、あまり面倒事を持ち込まないでください。特に貴方は俺以外に腹心の部下を持とうとしない。そりゃあ魔族は魔王様に絶対服従ですが、この城内には徹底して指導者が足りないんですよ」
それは真実だった。
魔王は稀にみる気分屋で、自分が気に入る魔族しか傍に置かない。それが例え魔族として有能であろうと、ずば抜けた統括力を所持していようと、まったく関係がないのだ。以前、気に食わなかったというだけで、城に仕えていた薬剤師を切り捨てたことがあった。ただ廊下ですれ違っただけ――相手はしっかりと魔王に挨拶をしたはずなのに突然魔王に手打ちにされた。
理不尽極まりないことかもしれないが魔界では魔王が全てだ。誰も逆らえる立場にはおらず、そのやりたい放題、ワガママ放題の魔王を咎めることなどできない。たった今そばにいる側近さえ、慣れ親しんだ口調で会話することができるものの、それはあくまで魔王のお気に入りだから許されることであって、彼もまた気に入らなくなれば斬り捨てられるだけの運命だ。
これほど長く魔王に仕えていられるのは奇跡に等しい。だからこそ城内には身分の高い魔族がほとんど存在しなかった。身分の高い低いなど関係なく斬り捨てていく魔王が存在する以上、多くの魔族を統括するのは非常に難しい。その分の負担が側近に回り、日々忙しく城内を駆け回っているのは彼自身なのだ。
魔王も仕事をしないわけではないが、魔界は基本的に無法地帯であるため、何を勘違いしたのか魔王を狙う魔族も当然出てくる。そんな危険な場所に位置する城内を、うろうろしてもらっては困るのだ。
まったく、守る身にもなってほしいものだと思う。
だが結局は魔王の意思で全てが決まり逆らうことが許されないのだから、ゆうちゃのことも魔王が下した判断ならば、誰も咎めることはできない。
案外、苦労屋なのだ――側近というものは。
「警備を増やすか、側近を増やすかしてくれよ、頼むから」
「断る」
「断るなっ!」
どこまでも我が道を行く魔王の言動に側近はまた叫び声をあげた。すると魔王はその反応を楽しむようにククッと笑ってみせる。
ああ、またからかわられた。ガックリと肩を落とした側近を見て、魔王はとうとう耐えられないと言ったように声を張り上げて笑った。かわかわれるのは慣れている。慣れているが、平気ではない。
ふと、魔王の笑い声が途絶えた。
側近が顔を上げると、すでに別の方向を見つめていた魔王が、まるで独り言のように呟いてみせる。
「……別に、たいした理由なんてないんだ。……ただの暇つぶしさ」
その表情を見つめていた側近は、冗談すら言えなくなってしまった。
魔王は唯一無二の存在であるがゆえに、常に敬われて孤独だった。魔族は皆、彼に頭を垂れて跪き、人間達は怯えた表情を見せる。そんな中で永遠に近い時を過ごしてきた魔王に、ようやく同等の立場の人間が現れたのだ。たとえそれが最大の宿敵であったとしても、魔王にとっては喜びの対象なのかもしれない。
暇つぶし――側近は、魔王にとってゆうちゃという存在が、それだけではないような気がしていた。
だからと言って、ゆうちゃが傍にいることを許してはいけない。結局は魔王の意思の赴くままに従わなければならない。それが魔族の掟であり側近の忠誠だ。
「……その規模のデカイ暇つぶしに、付き合わされる身にもなってくださいよ、魔王様」
「知らないよ。下がれ」
「へいへい、わかりましたー……ったく」
この程度のワガママは今に始まったことではない。側近は自分にそういい聞かせながら、言われるまま執務室を後にした。
ひとりきりになった執務室で、魔王は思いふけっていた。側近が言わんとしていることは理解できるし、実際に自分が何をしたいのか分からないでいる。ただゆうちゃという存在に興味があった。幼い人間を見るのは初めてではなかったのに、ゆうちゃを見た瞬間、自分の中に不明確な感情が生まれたのだ。
この感情の正体を知りたい。
もやもやとした不完全な感情の正体を知るために、ゆうちゃを生かしたと言ってもいいだろう。
ふと、魔王はイスから立ち上がるとマントを取り払い身軽になった。イスの背に邪魔になったマントを掛け、静かに古い書籍の並ぶ書棚に足を運ぶ。確か、この辺にあったはずだと思いながらようやく目当ての書籍を見つけた魔王は、少しだけ満足したように微笑み、ソレを手に取ると再びイスに深く腰かけてそのページをめくり始めた。
人間辞典――今まで興味を持ったことがなかったから、この書籍を手に取る必要性などなかった。いつかは役に立つときがあるのかもしれないと、漠然とした理由で書棚の端に放置してあったものだ。
主に人間を食す魔族が好む辞典であり、人間の体のどの部分が美味しいかどの部分をどのように調理するかという料理本に近いものだ。それだけではなく人間の性質や生活習慣など事細かく記されているから辞典と呼べるのだが。
魔王は人間を食さない。
人間を食す魔族の大半は下品で、こんな書籍を必要としないのに。
魔界の言葉で記された目次から目当てのページにたどり着くと、魔王は静かにその文字の羅列に視線を走らせた。
【勇者】―ゆうしゃ:人間界の救世主。
善を尽くす人間。他の人間の為に戦い、魔王陛下と対峙する宿敵。聖剣を操り、人間達の先頭に立って魔界へ挑む哀れな人間の代表者。
幼い頃からどの国にも属さない協会に所属し、剣術・魔術・武道などの鍛錬を行い魔王陛下討伐をもくろむ愚かな存在。
「愚か……ねぇ?」
一通り読み終えた魔王は、ポツリと呟きながら口元に笑みを浮かべた。静かに辞典を閉じながら、自分に挑んできたあの美しい瞳を持ったゆうちゃを脳裏に思い浮かべる。少なくとも魔王は、ゆうちゃを愚かだとは思わなかった。まるでその名の通り、勇敢な者だと感心した。幼いながらも勇者としての素質を身につけ、自分に真っ向から挑んだゆうちゃをとても愛らしいと思ったのだ。
「……さて……これが僕の勘違いなのか、それとも真実なのか……」
ククッと笑いながら、魔王は静かに息を吐いた――。




