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魔法使いの孫【連載版】  作者: たまさ。
魔法使いの嫁
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その1

 玉音放送が戦争の終結を知らしめた夏の暑い日は遠く――けれど、戦後の混乱は未だ山深い農村の中で小さな、ほんの小さなくすぶりを見せていた。


「タエちゃ、東京さ行くだか?」

 列車で仕事を求めて幾人もの若者が東京へと流れていった。その流れに、タエも乗るのかと友人に言われた時、「おらぁ、しんね」タエは言葉を濁らせた。

 幸いタエの家族は先の戦争によって誰かを失うことは無かった。

生存が絶望しされていた次兄も二年程前には帰宅したし、長男であるという理由で赤紙を放免できるようにと駆使していた長兄は、跡取りという自分の立場を無視して最近東京に出稼ぎに出てしまってはいたが、時節の手紙によれば元気にしているという。


 タエ自身、できれば田舎から抜け出して華やかな――といったところで、未だ混乱の続いているといわれている東京に行くのが決して安全というものではないことくらい、承知しているが――都会にも憧れる。

 ただ、せっかく戻った次兄にばかり負担を強いるようで言いにくいのだ。

軽く流せばいいものを、タエは生来の生真面目さでその場を誤魔化し、溜息をつきながら山へと分け入った。


 裏手にある山一帯はタエの祖父のもので、タエの家は地主ということになる。

だが、所詮田舎の地主。山があろうととくに富深いわけでもない。

だがもたもたとしていれば、きっとタエは父なり兄なりによって夫を定められ、嫁すこととなるのだろう。

 

 暗い時代は終わりを告げた。

ならば少しくらい明るく、楽しい思いを夢見てもいいではないか。恋愛結婚ができるとは思っていないが、それでも一度くらい素敵な恋とやらに触れてみたい。

 最近この辺りでも流れてくるようになった少女雑誌に影響されてか、タエはそんな夢想に頬を染めていた。


 雑草の間を分け入り、自分の木綿のもんぺに張り付くひっつき虫に辟易としながら、タエは三日前に仕掛けたウサギ罠のある目印の木の元へと近づくと、そこにウサギではなく――厄介な獲物が引っかかっていることに顔をしかめた。


「……生きとるんか?」

 おそるおそるの問いかけに、はじめに返ったのは聞き馴染みの無い音だった。聞き返すタエに、相手は幾度か音を出し、最終的に日本語をこぼす。

「はぁ、かろうじて」

 がっつりとウサギの足をはめ込む噛み歯が足を捉えている。

人間の足だ。

今まで色々な獲物が引っかかっていたことが何度もあるが、さすがに人間が捕まっていたことは一度もない。

 タエは深々と嘆息し、身をかがめた。

相手は足をものの見事にウサギ罠にはめられ、気力を失った様子でぺたりと地面に座っている始末。

「こだらもん、なして取らなかったね」

 文句が出たのは、こんな罠――人の手であれば容易く外れてしまう為だ。


「いや、もし厄介な魔法が発動したら困るなーと思って」

 とらわれている男は「ははは」と乾いた笑いでおかしなことを言う。タエは眉を潜ませたが、さっさと罠から相手の足を引き出し、傷ついた足に更に溜息を吐き出した。

 ぎざぎざの歯が食い込んだ場所が傷つき、血を流してはいるものの――すでに乾いている様子から言えば、罠にはまって一日はたっているのだろう。

 しゃがんだまま相手の顔を覗き込み、タエは更に自分が厄介ごとを背負い込んでしまったことに気づいた。


 髪の色は濃いブラウン――日本人として無いとは言い切れないが、相手の瞳は鮮やかな青だった。

 山の逆斜面にある小さな湖畔の色。それも朝一番の太陽を反射して輝く湖畔の色だ。

 ぶわりと浮かんだのは恐怖よりも、綺麗という単語。けれど、異人の恐ろしい話は幾つもタエの中に沈み込んでいる。

 異人は――鬼とかわりない。


「異人がこげなとこで何しとるね? まさか、山荒らしじゃなかと?」

「ヤマアラシ? えっと、俺は人間だけど」

 よくよく見ると、あまり見た事もないような立派な装束の異国の男は、じっとタエを見返してくる。

 あんまり不躾に見られ、タエは思わず視線を逸らした。

「せつねしたぁ、ここはうちとこの山さ。怪我したんはおめさが勝手に入ったからじゃなかとね」

 早口に言ったのは、このことで何か問題がおこっては困ると思った為だ。

この田舎には戦争の影響はほとんどといっていいほど無い。戦争中には食料を奪われ、鉄を奪われ、人すら奪われはしたけれど、戦前、戦中、戦後の今であっても異人が暴れまわることも無い。だが、それでも自らの国はこの異人に敗れたのだ。

 そう思うと、ぞっとしたものが身のうちに湧き上がった。

 慌てて立ち上がろうとするタエの手を、相手の手がすばやく捉えた。


「あのっ、ごめんなさい。行かないで」

「おめさが怪我ばしたんは、おめさが人の山に勝手に入り込んだからじゃ。うちとこが悪いんじゃなか。おめさもさっさと出てきっ」

「あのっ、何かご飯下さい」


 ぎゅるるるぅっとなさけない腹の音に、タエはぎゅっと拳を握り締めた。

早く、一刻も早くこの異人を追い出す為にはまずは食料。

 これから自らに降りかかる災難を回避すべくとる行動が、全て裏目に出てしまうとは、年若きタエは気づいてはいなかった。


「この先、ちっくといってとこに、掘っ立て小屋があっから。そこでちーっと待っときぃ。握り飯くらいなら用意してやっからな」


 白米はいまだたいへん貴重だが、異人に難癖をつけられてはたまらない。次兄から聞いた話には、とても信じられないことに「捕虜とした異人に情けをかけて、滋養がつくように牛蒡を与えた者が、木の根っこを無理矢理食わされたという捕虜の訴えにより、処罰された」というのだ。

 

タエは身震いしながら、どうにか穏便にこの異人に帰ってもらえるようにと願っていた。




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