その2
ドーンは冷ややかに風香を睨みつけた。
「ヴィストはいったいどういう教育をしていたんだ」
忌々しそうに言うが、さすがにそこはカチンときて、風香は眉を潜めた。
「言っておきますけど、祖父ちゃんに教育された覚えは無いです。うちにはパパもママもいたんです」
まぁ、世の中には反面教師っていうありがたい言葉もありますが。
祖父ちゃんに教育されるって――変態でも育成するつもりか。
祖父ちゃんに教育されていたら、今頃はこんなまっとうになんて育成されているものか。
自分でまっとうなどと言うのは大変おこがましいが、祖父ちゃんをベルツノガエルだとすれば風香などニホンアマガエル程に無害でまっとうだ。
「そんなことを威張るな。ならばおまえの父と母の教育がなっていないということだろう」
ドーンは更に冷ややかに淡々とした口調で言う。
祖父ちゃんの悪口はともかく、両親の悪口は許しません。
母は祖父ちゃんの被害者という点では風香の同志とも言える存在だ。
「叔祖父さんだって、女の子の部屋に断りも無く入るなんてどうかしてます」
叔祖父さんなどとなまぬるい。
果てにはオッサンと呼ぶぞ。
確かにドーンは美男子と呼ばれた祖父と同じ色彩を持っているが、画廊に掛けられている彼等の父親に似たのだろう。ちょっと無骨な感じがまさにオッサンだ。
眉間の皺までドーンにお似合いだ。
カエルで言えばハモンドスキアマガエル。
「私は、おまえの様子がおかしいからと頼まれて急いで来たんだ」
怒鳴りあいをする二人に、曾祖母ちゃんヘレンはおろおろと肩を揺らし「まあまあ、二人とも」ととりなそうと必死に声を掛けるが、ドーンによる「母さんは黙ってなさい」の一言に沈黙した。
「私は何度も、まず服装を改めろといった」
「話が通じてなかったんだから仕方ないでしょう」
「おまえはどうして、そう、ああ言えばこう言うんだ」
「叔祖父さんも大概ですよ」
風香は負けじとふんっと顎を突き出した。
「いちいち叔祖父さんと言うな」
「じゃあ祖父ちゃん弟! 自分の部屋でどんな格好をしていようと勝手でしょう」
「そもそも、ここは私の家だっ」
更に風香が畳み掛けると、ドーンは血管が切れそうな程顔を赤らめ、ふんっと横を向いたかと思えば「もう知るかっ」とそのまま食堂室を出ていってしまった。
勝った!
いや、負けたのか?
風香は顔をしかめた。
確かに、極当然のようにこの屋敷の一室に住まわせてもらっているが、もしかしたらドーンにもヘレンにも迷惑なことなのかもしれない。というか、迷惑だろう。
突然失踪した息子――兄――の孫娘ですといわれて、その特殊な能力故にその事実は受け入れたとしても、その身柄まで受け入れられるかどうかというのは別問題だ。
風香の胸に勝利感と同時に微妙な気持ちが飛来したが、曾祖母ちゃんが困ったようにおろおろと風香の二の腕を叩いた。
「風香、あの子はあんなふうに怒る子ではないのよ……あの、許してあげてね。それに、確かにここはあの子の家だろうけれど、風香にあんな風に言うのは間違いよ。風香、あなたは遠慮せずにここにいていい人間なのよ?」
まるで風香の心を読むように、優しく諭すように言うが、風香はどう応えるべきか判らずに「あの、ちょっと――ごめんなさい」とドーンと同じように食堂室を後にしてしまった。
祖父ちゃんの馬鹿、祖父ちゃんの馬鹿、祖父ちゃんの馬鹿野郎。
何もかも、祖父ちゃんが悪い。
今日の天気が微妙に曇っているのも。
さっき歩いている時に蹴躓いたことも。
ハモンドスキアマガエルが口喧しいことも椎茸が生木に生えないことも!
足音も高く廊下を歩き、その途中でおかれている大きな姿身に――風香は自分の姿を映し出した。
祖父ちゃんにそっくりといわれ続けた自分の姿までが憎い。
濃いブラウンの髪――湖畔色の瞳。
「そりゃ、確かに日本人としてありえないって……言われてたけどさ」
鏡にうつりこむ瞳に触れて、風香は顔をしかめた。
日本人は外国の血が混ざったとしても、青い瞳になる確率は限りなく低い。持っている遺伝子配列だかの問題だそうで、風香はそれでも自分の瞳は気に入っていた。
――まさか宇宙人(決め付け)だとは思ってなかったけどね。
鏡の中の風香は、男性用のシャツにズボンをはいている。
ヘレン曾祖母ちゃんが「ドレスを作りましょう」と何度も言っていたけれど、タンスをあければ祖父ちゃんの着ていた服が山とあるのに、そんな無駄なことは必要が無い。
日本に居るときだって、ここに来た時だって、風香は基本ジーパンにTシャツだった。最近はキャミソールだとか、ちょっとガーリーだとかチュニックだとかに手は出していたけれど、それだって友人に誘われて出かける時用で、普段着はまるきり男と大差はない。
さすがに男性用のズボンをはく――しかも祖父ちゃんのお古のズボンをはく羽目になるとは思っていなかったけれど。
祖父ちゃんのお古……そう思うとちょっとイヤだ。
想像して欲しい。変人の衣類を着たい人間がいるだろうか?
世の中にはそんな趣味の人もいるかもしれないが、風香は出来る限り避けたいタイプだ。
だからといって中世風のドレスっぽいものを着る趣味もないし、お世話になった挙句に更に散財する程恥知らずなつもりはない。
自分の姿をしげしげと見つめながら、更にふつふつと今朝方のことを思い出してしまった。
「寝るときにTシャツ一枚だって当たり前なんだよ」
思わず気恥ずかしさを誤魔化すように憎々しい口調でぼそりと呟き、風香はふいっと顔を背けた。
「風香さん、お出かけですか?」
玄関から出て行こうとした途端、使用人の一人に声を掛けられる。
そう、使用人――この屋敷には恐ろしいことに使用人がいるのだ。メイドさんに庭仕事をしているという下男、料理を作るのだって専用のクック!
実はお坊ちゃんだった訳ですね、祖父ちゃんシネ。
「ちょっと散歩」
「ドーン様にお許しを頂きました?」
困ったような言葉に、風香はまたしてもカチンときた。
何故、なーぜ、叔祖父の許しなど必要なのだろうか。
まったく全然そんなものは必要が無い。
風香は苛々しつつ、生来の底意地悪さでにっこりと笑みを浮かべてみせた。
「もちろん」
もらってないよ、そんなもん。