その2
「まぁっ、ヴィストっ!」
その女性は祖父ちゃんにそっくりの湖畔のような青い瞳を大きく見開き、手に持っていたティポットを思い切り床に落とし――椅子に座っていた祖父ちゃんと同じ濃いブラウンの髪の青年は、がたりと音をさせて席を立った。
そう、席。
さっきまで風香は祖父の四十九日の為にお墓でしんみりと「祖母ちゃんに迷惑かけないでよ」と墓石にこんこんと告げていたというのに、何故か室内。
眼前に広がるのは都心の一角に無理矢理のように詰め込まれた、整然と並べられた墓石ではない。
そして、こんな墓残されたら絶対に成仏できないだろうという恥ずかしい墓の前でもない。
墓石にピンクがあるなんて誰が思うだろう。
いや、思う人はいるかもしれないけれど。墓とピンクという二つをイコールで結び付けられるのは、墓石屋かちょっと斜めな思考の持ち主に違いない。
「絶対に母さんが怒るし、本当にもういい加減諦めて」
と、母さんが幾度も繰り返して説得しようとしたというのに、結局祖父ちゃんが強行した祖父ちゃんご自慢の墓石。
――ヴィストとタエ、永遠の愛の果て、ここに二度と離れぬ眠りにつく。
最近では墓石に書かれる文字もうんたら家とかではなく、色々と凝っていたりするのだが、こんなお恥ずかしくて近所の墓石にまで「景観が悪い」と言われても文句も言えずに、ただひたすら頭を下げたくなるような文言を連ねている墓はどこを探しても無いだろう。
何が永遠の愛だ。
こっぱずかしくておちおち永眠もいられない。
挙句の果てに、文言の最後にはハートまで削られている始末。
四十九日が過ぎたら削り取ると母は身を震わせて言っていたが、果たしてどうなるのだろうか。
削り取ったところで墓石は変わらずピンクだが。
「帰って来てくれたのねっ、ヴィスト」
悲鳴のような声をあげながら、その女性は両手を伸ばして、現実逃避で忽然と消えた、「赤っ恥」な墓を想っていた風香を抱きしめた。
「まっ、えっと待ってっ」
その強い力に、途端に現実へと引き戻された風香は、慌てて頭の中でこういった場面の適当な言葉を捜した。
ぼうっとしている場合ではない。
突然外国の人に抱きしめられた。
ハグ――そう、これは所謂ハグだ。日本人は滅多にこんな風に誰かに抱きついたりしない。あと言わせてもらえば、あの糞ったれ祖父ちゃんでさえ誰彼かまわずこんなことはしなかった。注*祖母ちゃんは例外。
確かに風香の外見は祖父ちゃんそっくりの湖畔のように青い瞳に、濃いブラウンで特徴としては日本人とは言いがたい。
だからと言って、英語がぺらぺら喋れると思ったら大間違いだ。
突然の外人からのハグと言葉に、風香は自分の中にある英単語を求めた。
じゃ、じゃすともーめんと?
どんすとーっぷ?
ふりーず?
やばい、英語の授業もっと真面目にやれば良かった!
むしろ外見を裏切るように英語を嫌っていてごめんなさい。
思い切りクォーターの癖して「こういうのがギャップ萌を生み出す」とか開き直っていてゴメンなさい。
本当は本心から言っていた訳ではありません。
英語が嫌いなんだよ。海外より国内温泉派なの。
萌って何だよ、ちきしょーめっ。
「ああ、あなたが居なくなってしまってもう一年よ? ほらほら、顔を良く見せて? なんてことでしょう。きちんと食べていないのではなくて? 背が縮んでいるじゃないの。それに、突然家出なんてっ。どうしてそん……」
女性は涙ながらに訴えていたが、ふいにそろりそろりと体を引き剥がし、風香の混乱した顔を覗き込み、それからおそるおそる――
手の平を風香の胸に重ねた。
むに。
「……」
むに。
「……ヴィスト? あなた、いつの間に女の子に?」
困惑にまみれたその言葉を耳にいれ、どうやら言葉はまったく支障のないことに気づいた風香は、女性に胸をもまれるという驚愕の事態を受けながらゆっくりと冷静さを取り戻し、問いかけた。
「ここ、M69星雲?」
――やばい、祖父ちゃん、祖父ちゃんっ、なにごとですか、これっ。
ってか言っていい?
死んでからも迷惑掛けるつもりか、糞ジジィ。