拉致
生徒会はリコールの危機に瀕している。
衿香には言わなかったが、それほど生徒会は酷い状態だった。
生徒会の仕事が滞っている。
その事実以上に生徒会の評判を落としたのは衿香の突然の転校だった。
衿香が誰にも転校を告げずに学園を去ったせいで、学園には憶測だけが飛び交った。
中でも多かったのは睦月の暴走説だった。
睦月が衿香を気に入っていたのは周知の事実である。
そして球技大会後、衿香が睦月を避けていた事を知っている者は意外に多い。
球技大会前後に二人に何かがあり、暴走した睦月によって衿香は傷つき学園を去った、という考えは男子生徒を中心に広まっていった。
女子生徒に圧倒的人気を誇る衿香だったが、密かに想いを寄せる男子生徒も多い。
学園最強の睦月によってマーキングされている衿香に彼らが出来るのは、そっとその姿を見守ることだけだった。
衿香の転校が睦月の暴挙によるものだとすれば、睦月は彼らのささやかな喜びを奪った事になる。
彼らの怒りが睦月と、それを止めることのできなかった生徒会役員に向かうのは当然の流れだった。
私用でしばらく学園を留守にしていた木田はその空気に驚いた。
やましいことがなければ弁明しろと詰め寄ったが、睦月は無言を貫いた。
信頼を失った生徒会ほど悲惨なものはない。
文化祭の準備も滞りがちで、噂ではリコールの準備も始まっていると聞く。
そんな事になったら。
以前、生徒会に所属した経験のある木田はぞっとした。
こんな状態でリコールが行われてそれが受理されたら、自分に面倒事が押し付けられる可能性はかなり高い。
冗談じゃねえ。
そんな面倒事はごめんだ。
木田は自分に振りかかる面倒を全力で振り払うべく、衿香に会いに来たのだ。
「話は変わるけど、さっきの奴ら知り合いか?」
しばらく無言で歩いていた木田が不意に衿香に尋ねた。
「いいえ」
「なんか物騒なもん持ってたけど、何が目的だったんだ?」
物騒なもの。
注射針の鈍い光を思い出し、衿香はぶるりと震える。
「あ、助けていただいたお礼を言っていませんでした。先程は危ないところをありがとうございました」
ふと気が付いて、衿香は木田に向き直りぺこりと頭を下げた。
「よく分からないのですが、私の血が欲しいと言っていました」
「血?」
立ち止まった木田は顎に手を当てて考え込んだ。
「あの方たちは、学院の人、ですよね?」
衿香は言外に人外という意味を込めて尋ねる。
「だろうな。けど、血って……。お前、学園に戻る気はねえのか?」
顎から手を離した木田が衿香の目を覗きこむようにして尋ねた。
「え?それは……」
「お前の一存で決められることじゃねえっていうのは分かってる。けど、お前ここにいると危ねえぞ?不法侵入している俺の言う事じゃねえが、ここのセキュリティは俺たちにとってはないも同然だ。お前の存在が奴らに知られている以上、誰の庇護もない状況でここにいるのは危険だ」
「……」
「睦月に頼りたくないなら、俺がお前を守ってやってもいい」
低く耳元に囁かれるような木田の声に、衿香は思わず一歩退いた。
「その必要はない」
突然の事だった。
ここにいるはずのない人の声が背後から聞こえたと思ったら、目の前の木田の体が勢いよく吹っ飛んだ。と同時に衿香の体がふわりと宙に浮く。
「学園の腑抜けに衿香を任せておくつもりはない。衿香は出雲がもらい受ける。文句がある奴はいつでも屋敷に来い」
声も出ない衿香を軽々と抱き上げ、出雲はそう高らかに宣言した。
「くそっ。勝手な事をいいやがる。そうですかと頷くとでも思ってるのか?」
木田が腹を押さえながら立ち上がった。
燃え上がるような視線が出雲を睨みつける。
空気がびりびりと振動した。
「おおっと。キミの相手は俺やで?」
その空気をものともせず、木田と出雲の間を遮るように立ちはだかったのは綺羅だ。
木田が地の底から響くような声で威嚇した。
「退け」
「わああこわい。でも簡単に通す訳にはいかんわあ。出雲に叱られたないし」
木田が問答無用で繰り出す攻撃をのらりくらりとかわしながら綺羅は嬉しそうに笑う。
「久々の手応えのある相手やなぁ。そうそう。お姫さんを守ってもろてありがとな」
「アレもお前らの手の者だろう!?」
「いやいや。それはちがうで。アレは俺らの中の強硬派って言われてる奴らで、俺らの言う事聞かんと突っ走ってしもたんや。俺らが直接手を下すとややこしなるからキミが止めてくれてありがたかったわ」
「くそっ!能書きはいいから退け!」
綺羅は木田の攻撃をかわすだけで、自分から手を出そうとはしない。
時間稼ぎか。
木田が気付いた時には出雲に抱きかかえられた衿香の姿はどこにもなかった。
「ほな、俺もこの辺で失礼するわ。出雲の言葉、ちゃんと幸田会長さんに伝えてや」
木田の攻撃を驚異的な跳躍力でかわした綺羅はそのままくるりと身を翻した。
いいように翻弄された木田は奥歯を噛みしめて逸る心を抑えつけた。
綺羅を追いかけてあの忌々しい顔をぶちのめしたい。
だが今、奴を追っても無駄だ。
出雲を逃がすための時間稼ぎをされるだけ。
ならば一刻も早く衿香を取り戻すためには。
木田はぎりぎりと歯噛みしながら、ポケットから携帯を取り出した。
いつか綺羅の顔に拳を叩きつけることを心に誓いながら。




