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庭園散歩

 震えの治まった衿香は木田と並んで庭園の中を歩いていた。

 大きな噴水を中心に、背の高さほどの生け垣が迷路のように縦横無尽に走る庭園は迷路のようだ。

 普段ならゆったりと散歩する生徒も多いのだが、文化祭を明日に控えた今、ここでのんびりしている生徒はいない。

 静かな中を衿香は足元に視線を落として歩いた。


「元気そうだな。安心した」

「……木田先輩から、そんな言葉が出るとは思いませんでした」

「なんだそりゃ」


 木田の皮肉の混じらない声に、ぽつんと衿香が言葉を返す。

 なんだと言うがいつもの木田らしくない。

 黙って学園を去った衿香にいつもの木田が言うとしたら。


「薄情者とか、無責任とか。そう言われると思ってましたから」

「自覚のある奴に言っても、無駄だろ?」


 はは、と笑って木田は衿香の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「おまえんちの事情は晴可から聞いてる。親父の命令にお前が逆らわないだろうことも分かっている」


 木田の言葉に衿香の肩が揺れた。


「木田先輩。私……」

「ん?」

「どうしていいか分からなくて」

「ああ」

「私は父の会社のために生きていくものだと、それ以外の道は考えたことがなくて。もし兄が会社を継ぐことになっても、私の生き方が変わるなんて思いもしなかった」

「そうだな」

「でも、兄は私に自由になれと言いました。母も、自由に生きろと。そう言われて、怖くなりました。今まで何も考えず、ひたすら父の望む娘でいれば良かった。そして分かったんです。私は自分という人間を自分自身の意思で作りあげる努力をしてこなかった。だから神田の後継者という肩書を外してしまえば私には何も残らない」

「そうかな」


 血を吐くような衿香の悲痛な言葉に、木田はあっさりと答えた。


「お前の積み重ねてきた努力は無にはならねえと思うけどな」

「でも、父は兄を選んだんです」


 衿香にとってはそれが全てだった。

 衿香は父の目に叶わなかった。

 自分が父の理想になろうと、どれだけ努力を重ねたのかは自分自身がよく知っている。

 だが父は兄を選んだのだ。

 父の意向に沿う事を嫌い自由に生きてきた兄に、自分は負けたのだ。


「そうだな。親父さんはお前を選ばなかった。だがそれがお前の何を損ねたんだ?」

「……」

「朝からお前の働きを見てたよ。うんざりするくらい、お前はよくやってた。それは今までの積み重ねの結果じゃないのか?会社のためにしてきたことが、会社のために役立たなければ何の価値もない訳じゃないだろう?お前の努力はお前の中で生きている。お前がどんな道を進もうと、お前にどんな肩書があろうとなかろうと、お前の中にあるものは決してお前を裏切らないんじゃないのか?」


 木田の言葉が衿香の胸に沁み渡る。

 父に評価されなければ何にもならないと思い込んでいた。

 どれだけ努力しても評価されなければ意味を成さないと。

 だが、そうではなかったのだ。

 父でなくても衿香のことを見てくれている人はいる。

 

「急に好きに生きろと言われれば、誰だって戸惑うさ。だけどお前は大丈夫だ。今はどっちを向いていいのか分からないんだろうが、すぐに道は見えてくるはずだ。それまで気楽にやればいいんじゃねえか?」


 木田の大きな手が元気づけるように衿香の頭を軽く叩いた。

 大丈夫、ただそう言われただけなのに、なぜこんなに心が軽くなるんだろう。

 衿香は泣き笑いのような顔で木田を見上げた。


「睦月はお前が神田の娘だから、お前を好きになった訳じゃない。それは分かっているだろう?それとも何か?睦月は神田の社長の座が欲しくてお前を手に入れようとしたとでも思っているのか?」


 木田の言葉に衿香は慌てて首を振る。


「なら、ちゃんと睦月と向かい合ってやってくれないか?好きでも嫌いでも何とも思ってないでもいい。今のお前の気持ちをお前の口からあいつに伝えてやってほしい。でねえとあいつ使いもんにならねえから」

「……使い物にならないって?」

「睦月と何かあったんだろ?それは睦月の様子を見てたら分かる。睦月だけじゃねえ。夏目もそうだし、敦志に至っては生徒会室に寄りつきもしねえ。真田は真田で使いもんにならねえし。生徒会は見事にバラバラで今年の文化祭は学院も参加するっていうのに、その話し合いすらまともに行われていない状態だ。おかげで委員長どもが俺に何とかしてくれとうるさくて仕方ねえ」


 衿香は言葉を失った。

 生徒会がバラバラになっている。

 それは生徒会補佐として文化祭の準備に携わった衿香にとって、重い言葉だった。


「睦月はな、失恋したからって仕事を放り出しちまうような無責任な男じゃねえ。それがあんな落ち込みまくって仕事も出来ないような状態になってるのは、はっきりした言葉をもらってねえからじゃないのか?真実を知らされない者はそれを想像するしかない。それも最悪の想像ばかりだ」


 そうだ。

 何の反論もできない。

 突然姿を消される悲しみと苦しみを、充分私は知っていたはずなのに。

 言葉を失い、項垂れる衿香の頭を木田が軽く叩く。


「責めてるんじゃねえぞ?他人の恋愛事情に首を突っ込むつもりもねえ。嫌いなら嫌いでいい。奴に気持ちの整理をさせてやってほしい」


 じゃねえと俺がめんどくさい事になっちまうからな。

 木田は心の中でそっと呟いた。



 

  

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