家族の団らん
「どうかしたのか?衿香」
信号で停まった車の中、バックミラー越しに綾人が声をかけた。
ミラーの中、ぼんやりと窓の外を眺めていた衿香が視線を前方に戻した。
「いいえ。何でもありませんわ」
信号が青に変わり、車がゆっくりと発進する。
「学園は、楽しいか?」
綾人の質問に衿香の眉に皺が寄る。
「どういう意味ですか?」
質問をはぐらかすには質問で答える。
そうやって綾人を黙らせた衿香はゆっくりと目を閉じた。
車に揺られながら、衿香はぼんやりと思考の海を漂う。
もし、あの時、兄からの着信がなければ、私は睦月先輩の想いを受け入れてしまっていたんだろうか。
肩に回されたしなやかな腕の感触、くちびるを掠めた熱い吐息。
まるで未だ睦月の腕の中に捕われているような感覚でありながら、夢の中の出来事だったような気もする。
別れ際、睦月は困ったような笑みを浮かべ衿香の額にくちびるを落とした。
「また来週」
と言われた言葉に頷いたものの、衿香はどんな顔をしていいのか分からなかった。
「おかえりなさいませ。綾人さま、衿香さま」
家に着くといつものように佐和が出迎えた。
「母は?」
綾人の問いかけに佐和は顔を曇らせる。
「お眠りになっています。先日の発作からほとんど眠っておいでで」
「そう。少しだけ顔を見に行こうかな」
綾人に続き衿香も母の居室である離れに向かう。
体が弱く寝たり起きたりの暮らしをしていた母だったが、この夏の終わりに大きな発作を起こして以来、ほとんど寝たきりの生活が続いていた。
週末には予定がない限り帰るように、という父の言葉から、母の状態があまり良くないことが窺われる。
部屋には明るい光が満ち溢れていた。
その中で母は幼い子供のような顔で眠っていた。
眩しくないのだろうか。
衿香は母の顔をじっと見つめた。
母の命はもう長くはない。
そう言われても、衿香には何の感情も湧いてこない。
母は、いるというだけの存在で、その存在が衿香に何か影響を及ぼすことはなかったのだから。
ふ、と衿香の目が異質なものを捉えた。
母の眠る寝台の横に置かれたチェストの上に、黒い無骨なカメラが置いてあった。
「久しぶりの家族だんらんは楽しいねえ」
夕食の席に呼ばれてみたら、満足気に微笑む父の姿があった。
衿香が父の顔を見るのは、今年の三月に学園に入るよう言い渡された時以来だ。
「元気だったかな~?衿香ちゃん。充実した学園ライフ楽しんでる?」
「はい」
「そうだ、出雲には会った?」
父の言葉に一瞬衿香は固まった。
どこまで父は知っているのだろう。
「はい。少しですがお話をしました」
衿香の答えに満足気に頷く父。
いつもそうなのだが、この父だけは何を考えているのか全く読めない。
その後は当たり障りのない会話が続いた。
この前の衿香の対応に御前が大層満足していたとか、どこのパーティーに行っても衿香は来ないのかと尋ねられるとか、主に父が一人で話していたのだが。
食後のお茶が出てきたところで衿香は席を立った。
とにかく疲れていたのだ。
美味しいはずの家の料理もあまり味が分からなかったし、今は一人になりたかった。
「親父、話がある。衿香も、もう少しいいか」
それまでほとんど会話に入らなかった綾人が、そう言った。
兄綾人のいつになく真剣な眼差しに、衿香は黙ってもう一度席に着く。
「なあにかな~。綾人くんの話って、珍しいよね~」
わざとくん付けで呼ぶ父に、綾人は一切の感情を抑えた顔を向けた。
「来年の春、大学を卒業したら、俺は神田に入る」
綾人が神田に入る。
それは、綾人が神田コーポレーションの次期社長になる、という事だ。
衿香は息を呑み、大きく目を見開いた。
前回、睦月は寸止めされました。
ごめんよ、邪魔して。




