発覚
逃げられている。
球技大会が無事終わり、溜まっていた仕事も一段落ついた。
ふと気が付けば、衿香の顔を長い間見ていない。
長い間と言っても一週間ほどだが。
不審を抱いたのは数日前だ。
忙しさに紛れて、新聞部の取材許可を出していなかったから、衿香が生徒会室に現れないのは当然の事だ。
だが、朝の食堂、昼の食堂、或いは移動教室の途中、一日のうち必ずどこかで見かけていた衿香の姿がどこにも見当たらなかった。
衿香が故意に姿を隠している事を確信したのは今日。
たまたま遠くに衿香の後姿を見かけ、後を追おうとした時、どこからか湧いてきた親衛隊の女子生徒たちが睦月の行く手を阻んだ。
特にしつこくされた訳ではないが、気が付いた時には衿香の姿は完全に見えなくなっていた。
「僕の親衛隊を味方につけるとは、衿香ちゃんもやるな」
だが、理由が分からない。
夏休みでは二人の距離を埋められたという実感もある。
始業式の日までは、特に変わった様子はなかった。
あるとすれば球技大会前後の期間。
夏目の報告では、球技大会の日、出雲が衿香に接触した形跡があったらしい。
出雲と何かあったのか。
だが、球技大会前に会った時も、衿香の様子はなんとなくおかしかった。
「親衛隊を動かしているとなると、あの子が事情を知ってるのかな」
睦月の視線の先。
廊下を一人で歩くありさの姿があった。
「君、僕の親衛隊の子だったよね」
睦月の目が自分をまっすぐ捉えている。
ありさの心が天高く舞い上がった。
入学して以来、幾度となく接近を試みたのに、自分の存在すら認めてくれたことのない睦月が、自分に話しかけている。
やっと、やっと、この日が来たわ!!
「はいい!!!一年の豪徳寺ありさと申します!!」
「少し時間をもらえるかな」
頬を染めて答えるありさに睦月は満足げに微笑む。
ありさの頬が真っ赤に染まった。
睦月は手近にあった空き教室にありさを連れ込んだ。
ぴったりと扉を閉ざせば、校内の喧騒がうそのように遠のいた。
ありさに椅子を勧め、自分は机に寄りかかる。
自分を見上げるありさが、ごくりと唾を呑むのが分かった。
睦月は柔らかく話を切り出す。
「豪徳寺ありささん。最近新聞部に入ったんだね」
「はい!私、活動には真面目に取り組んでいます!球技大会では部長もとてもよくやったと褒めてくださって」
「そうなんだ。球技大会では神田さんと組んでたんだよね?」
衿香の名前を出すと、途端にありさの顔が強張った。
「ええ。でも彼女、新聞部を辞めてしまって」
「辞めた?」
「はい。突然、理由も言わないで。なので私を生徒会取材の担当にしていただけないでしょうか?」
「……それは、僕の一存じゃ決められないな。神田さんは生徒会全員に気に入られてたから。でも突然どうしたんだろうね。こちらには一言の断りもないし、正直戸惑っているんだ。豪徳寺さんは球技大会まで神田さんと行動を共にしていたんだよね?その時、神田さんに何か変わった所とかなかった?」
あっさり要望を退けられたありさは一瞬肩を落としたが、これで引きさがる訳にはいかない。
会話を続けるためにも睦月の質問の答えを必死で探す。
「神田さんに変わった所ですか?」
「うん。誰か知らない人と接触したとか、急に行動が不自然になったりとか」
「知らない人……あっ!」
「何か心当たりあるの?」
睦月のキラキラパワー全開の笑顔がありさに向けられた。
遠くでそれを見たことはあっても、自分一人に向けられるのとは威力がちがう。
信じられない勢いでありさの心臓が脈打った。
「あ、あの。お聞きしてもよろしいでしょうか。球技大会前に何度かお見かけしたのですが、ご一緒に歩いていらした女子生徒の方は、どなたなのですか?」
「え?」
睦月は目を瞬いた。
一緒に歩いていた女の子。
そういや、姫ちゃんって女の子だったよね。
「悔しいけれどとっても睦月さまとお似合いでした。まさかつきあってらっしゃるんじゃ……」
「彼女は三年の転校生だよ。二年の途中まで在籍していた事もあって、生徒会ぐるみで仲がいいんだ。そうか。つきあっているように見えたの?」
「……はい」
「そんなんじゃないから。彼女には頼みごとがあって、一緒に行動していただけで……」
それが理由か?
ハッと睦月は閃いた。
しつこく言い寄っていた自分が、いきなり知らない女子生徒と歩いていた。
意識はしていなかったが、姫ちゃんとは同志のような間柄だ。
それが親しげな印象を与えていたとしたら。
いい加減な男だと思われたかも知れない……。
「そうなんですか?良かった~」
誤解なら解かなければならない。
「睦月さま?もう行かれるのですか?」
無言で教室を出て行こうとする睦月にありさが戸惑った様子で声をかける。
その存在をようやく思い出したように睦月はありさを振り返った。
「あの、睦月さま、またこうやってお話していただけますか?」
可愛らしく頬を染めるありさに、睦月は微笑み返す。
「豪徳寺家には未来はない。何をやっても無駄だ。君のお兄さんが朝霧ちゃんに手を出した時から、晴可は君の家を許すつもりはない」
「……っ!?」
思いがけない睦月の言葉にありさは息を呑んだ。
兄が、朝霧雅に?
意味が分からない。
けれどありさはそれ以上考えることはできなかった。
目の前で微笑む睦月はさっきと同じ笑顔だ。
なのに、なぜ、こんなに冷たいんだろう。
「君も、学園にいても何の役にも立たないよ?晴可は卒業しても僕たちのトップであり続ける存在だ。つまり学園には晴可の意向を無視して豪徳寺に手を貸そうという者などいない」
「そんな……」
「僕の親衛隊にいるのは構わないけど、僕が君にしてあげられることは何もない。何もね」
「……」
「あ、そうそう。それから気をつけた方がいいよ。僕の情報を横流ししている事が親衛隊長に知れたら、確実に制裁の上除名処分だよ」
甘い笑みを崩すことなく、睦月は教室を出て行った。
残されたありさはただ一人、絶望の中に深く深く沈んでいくのだった。




