情報網
「どういうことですの?睦月さまの動向を知りたいなんて」
新聞部の部室。
衿香はありさと二人だけになると、話を切り出した。
ありさの持つ親衛隊の情報網を貸してほしい、という言葉に案の定ありさは眉を吊り上げた。
当然の反応だ。
だが、今の衿香にはどうしてもそれが必要なのだ。
「どんな面の皮の厚さなのかしら。信じられないわ。私たち親衛隊の情報網を、個人的な目的で使おうとするなんて。私が引き受けると本気で思っているの?」
険しい顔で睨みつけるありさに、衿香は静かに言葉を返す。
「確かに個人的な目的だけど、あなたの思っているような使い方ではないわ。私は、睦月先輩を避けたいの」
衿香の言葉にありさは目を見開いた。
「信じられないわ。そんな事を言って、睦月さまとの接触の機会を増やして、自分の地位を盤石にしようとしているんじゃなくて?」
「そう思われるのも、仕方ないと思う。でも信じてほしいの。私がこの学園に来たのはあなたと同じ、実家のためよ。だから睦月先輩とこれ以上親しくはなれない」
「……それをどう信じろと?私、神田さんの言う事を丸ごと信じられるほど、あなたの事信用していませんわよ」
仕方ないか、と衿香はため息をつく。
ありさには睦月の過剰なスキンシップを間近で見られたこともあるし……。
「こう言ったら、信じてもらえる?私、新聞部を辞めるわ」
「新聞部を、辞める!?」
ありさは衿香の顔をまじまじと見つめた。
この二週間。
衿香と行動を共にしたありさは、衿香の新聞部にかける情熱を目の当たりにしてきた。
衿香にとって新聞部とは生徒会に近付くための手段だと思い込んでいたありさにとって、それは驚き以外の何ものでもなかった。
球技大会前日、偶然遭遇した睦月が衿香を抱き寄せるのを間近で目撃して、衝撃と共に怒りを覚えたありさだったが、大会当日の衿香は睦月の事など気に留めることなく、カメラ片手に女子の試合会場を駆け回っていた。
その生き生きした様子に、少なくとも衿香の新聞部に対する思いに嘘はないとありさは確信していたのだ。
「どうして新聞部まで?」
「新聞部にいたら所在がすぐばれちゃうでしょ?それに生徒会との接触も避けられない」
衿香の真剣な瞳に、ありさは覚悟の深さを見たような気がした。
「それに、私が辞めたら、生徒会取材のチャンスがあなたに回ってくるかも知れないわ」
衿香の言葉にありさの心が大きく動いた。
確かに、衿香が辞めれば新聞部の女子は自分だけ。
そうなれば、生徒会との接触も増えるだろう。
とにかく今は生徒会の方たちの目に留まることが、ありさの一番の目標なのだ。
「わかったわ。一年の親衛隊の情報網を流してあげる。だけど、もし、あなたが裏切るような事があったら、親衛隊はあなたを許さないわよ」
ありさの返事に衿香がほっと肩の力を抜いた。
「ありがとう」
そう言って立ち上がる。
ぐるりと衿香は部室を見渡した。
その目が壁に飾られた写真のパネルの上に注がれた。
衿香が初めて部室に来た時に目にしたパネルの横、新たに掛けられていたのは衿香が写した部室棟のステンドグラスの写真だった。
あの時の、シャッターを切る感覚が、体に甦ってくる。
執着を断ち切るように衿香はまぶたを閉じた。
終わりだ。
現実に戻る日がほんの少し早く来ただけ。
写真も、恋も、本来私には無縁のものだったのだから。
「じゃ、私行くわ」
「最後に聞かせて。あなた、睦月さまの事、どう思っているの?」
ありさの投げかけた言葉に、立ち去りかけた衿香の背中が固まる。
しばらくの沈黙のあと、衿香はゆっくりとありさを振り返った。
「私にとって、睦月先輩は攻略対象外の存在。それだけよ」
「それだけ?」
「そう。それだけ」
可憐な微笑みを残し、衿香は部室を出て行った。
机の上には主を失くしたカメラが一つ。
その隣に綺麗な文字で書かれた退部届けが置かれていた。




