決められた未来
「どうせなら男子の練習を撮りたいわ」
体育館の外のベンチに腰掛け写真のデータを確認している衿香の隣で、ありさが唇を尖らせ不満げにつぶやいた。
その視線は男子の練習が行われているメイン体育館に向けられている。
特に見学を規制している訳ではないので、女子の黄色い悲鳴が時折ここまで聞こえてくる。
あの様子では生徒会役員の誰かが来ているのかも知れない。
衿香がありさに写真の撮り方を教え始めて十日余りたった。
時折、反抗的な態度をとるものの、基本的にありさは教えることに対しては素直だった。
選手たちの激しい動きに最初はピントを合わす事すらできなかったありさだが、この頃ようやくまともな写真が撮れるようになってきた。
これなら球技大会の写真も安心して任せることができそうだ、と衿香は胸を撫で下ろした。
「私たちが担当するのは女子の試合なのよ?女子の練習を見ておく方がいいでしょう?」
「……あなたって、本当に真剣に新聞部員なのね」
「え?」
衿香はカメラからありさに視線を移す。
「いや。あなたが新聞部にいるのは生徒会目当てなんだと思っていたから。女子の試合なんて、適当に写真を撮って終わりだと……」
「期待に答えられなくて悪かったわね」
「なにがそんなに好きなの?」
「人に話を聞くのも面白いと思うけれど、やっぱり写真かしら。同じものを見ていても、目で見るのとカメラを通して見るのと、全然ちがうのって、面白くない?普通に見過ごしているものが、一瞬だけ切り取ると全く見た事のないものに変わるのって、写真だけだと思う」
「……写真家になりたいって、思った事ある?」
ありさの質問に衿香はぱちぱちと目を瞬いた。
「写真家?写真を職業にするっていうこと?」
「うん。そう」
ありさは衿香の手元のカメラに視線を落としたまま頷いた。
「考えた事ないわね」
衿香は即答した。
自分が自分のやりたい事を職業にする。
そんな事、考えた事も想像した事もない。
衿香は神田の娘なのだ。
兄はいるが、神田より自分が優先な人だ。
今も自分の会社を経営しているし、恐らく神田の跡を継ぐ意思はないだろう。
父も常々、兄には期待していないというような発言をしている。
つまりは衿香に神田の未来は預けられているという事なのだ。
もちろん、自分が経営者になると決めている訳ではない。
だが、自分が社長になろうが、社長夫人になろうが、どちらにしても副業を持つほど暇な人生にはならないのは確実だ。
「写真を撮るのは趣味の範囲よ。それも学園にいる間だけの。ここを出たら社交に忙しくなるだろうし」
「趣味……」
「そう。趣味よ。豪徳寺さんはどうなの?何かやりたい事があるの?」
衿香の質問にありさが虚を突かれたように顔を上げた。
「いや、私は、別に、趣味なんて言っている場合じゃないし……!あ、いや、別に私は……」
言わなくていい事を言ってしまった事に途中で気付いたありさは、頬を赤く染め唇を噛んだ。
「恥ずべき事ではないんじゃないかしら。この学園にいる女子生徒はほぼ全員がそういう目的を持っているんですもの」
「……うちの事情をご存じなのね?」
ありさが声を震わせた。
「噂は聞いているけど、あくまで噂だから。知っているとは言えないわ」
「……守りたいものがあるから」
衿香はカメラをいじる手を止め、ありさを見た。
ありさは膝の上で強く組んだ両手を見つめながら絞り出すように言った。
「私には守りたいものがあるから、どう思おうと勝手にしたらいいわ。なりふりなんて構っていられない。だから、欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる。それが例え他人のものであっても。そのために私の持っているものを捨てなければならないとしても、構わない」
ありさは顔を上げ、まっすぐに衿香を睨みつけた。
「だから。例えあなたがどんなに私に優しくしても、親切にしても、私は睦月さまを諦めることは絶対なくてよ」
衿香は炎のように燃えるありさの目をじっと見つめていた。
その瞳の奥に悲しみと怒りが揺れている。
何を言えばいいのか、衿香には分からなかった。
事情の違いはあれ、衿香もありさと同じだ。
誰かの意思により進む方向を決められる手駒。
どれだけ大事に育てられようと、その事実は変わることがない。
恐らく従姉妹の失敗により急きょ表舞台に引っ張り出される事になったありさにとって、その事実は衿香以上に重いものなのだろう。
何を言っても綺麗事にしかならない。
理不尽な事だと自分自身よく分かっていながら、それに対抗することなど出来ないことも、またよく分かっているのだから。
「……そろそろ戻りましょうか」
ありさもまた、同じ思いなのだろうか。
衿香の提案に抗うことなく、ありさは黙って立ち上がった。




