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仕返し

「あ~~~~!なに女の子同士で羨ましい事してんの~!?」


 騒々しい声に、衿香はびくりと肩を震わせる。


「いつまでも帰ってこやへんと思ったら、こんなんいかんやん~~」

「……貴島さん。ここはプライベートルームですよ?」


 いつからここにいて、どこから聞いていたんだろう。

 衿香はぎりりと歯を噛みしめる。

 癒しの時間を邪魔されたこと。

 完全に第三者の気配に油断していたこと。

 全てに苛立ち、衿香は背後の侵入者を睨みつけた。


「そんなん、俺の婚約者といちゃついてた子が言える~?」


 少しも悪びれる様子もなく、晴可はするりと雅の隣に移動してその肩を抱く。


「それと、雅ちゃん?ペナルティが二つ追加されたのに、気ぃ付いてた?」

「え?ええ!?」


 ニコニコ上機嫌の晴可は、呆然とする雅の頭にくちびるを落とす。


「え~と、これでペナルティは十になったんとちがう?」

「いやいやいや。言ってませんよ!?」

「え~~?ずるは、なしやで~。衿香ちゃん、聞いてたやろ?雅ちゃんが俺の事晴可先輩って言うてたの」


 両腕を組んで冷めた目でいちゃつく二人を眺めていた衿香は、急に話を振られて目を瞬かせた。


「は?晴可先輩?」


 衿香は眉間にしわを寄せ、先程の雅との会話を反芻する。

 

「そういえば……」

「ほらほら~~」


 うれしそうに破顔する晴可は、それだけを見れば何とも破壊的な魅力を持っている。

 なのに、なぜこんなにこの人は残念なんだろう。

 衿香はそっと溜息をついた。


「晴可先輩と呼ぶのがペナルティなんですか?」


 呆れた様子で衿香が言うのに、晴可は満面の笑顔で答える。


「そうそう。ほんまは晴可って言うてほしいんやけど、まあそれは追々って事で。とりあえず先輩を外すようにしたんやけど、なかなか言うてくれへんから、ペナルティ制にしたんや。ペナルティには雅ちゃんも慣れてる事やし」


 慣れているとはどういう事だろう。

 そう思ったが、衿香は敢えて突っ込む事はしなかった。

 恋人同士なのだから、好きにすればいい。

 それよりなにより、気になるのはそのスキンシップである。

 衿香が目の前にいるというのに、お構いなしで雅の体を抱き寄せ、唇を寄せるのはどうだろう。

 雅は困った顔でなんとか避けようとはしているが、晴可は構わずキスの雨を降らせている。

 自分の部屋で繰り広げられる恋人同士の親密なやり取りに、衿香は段々嫌気が差してきた。

 

「いい加減にしませんか?場所をわきまえてください」

「んん?」


 晴可がちらりと衿香を見た。

 眼鏡の奥の瞳が挑戦的に光っている。

 どうだ、とでも言わんばかりの表情に、衿香は顔を強張らせた。


 喧嘩を売られている。


 衿香は確信した。

 そちらがその気なら。

 売られた喧嘩は買うのが衿香の信条だ。

 こほん、と衿香はわざとらしく咳払いした。


「そうだ!雅先輩。先輩がいらしたら、ぜひお見せしたいものがありましたのよ」


 にっこり微笑んだ衿香は、書棚から一冊の本を取り出した。


「これは?」


 晴可の腕の中から顔だけをやっと出した雅が本のタイトルを目で追う。


「ええ!?これは幻の処女作と言われる!?」

「そうです。確か雅先輩、この作家のファンでいらしたんですよね」


 にこにこと邪気のない笑顔で、衿香は古ぼけた本を雅に手渡す。


「無名時代の作者が、自費出版に近い形で出した処女作。出版後すぐに出版会社も倒産して、世に出たのは百冊にも満たない幻の名作。次回作で作者が大きな賞を受賞したために、残っていたものはすぐにコレクターの手に渡り、流通するものは皆無と言われています」

「……読んでもいいの?」

「ごゆっくり、どうぞ」


 ふらふらと、魔法にかかったように雅は晴可の腕からすり抜けて椅子に腰かけ、本を読みだした。


「ちょっ……。みやび……」

「本当に雅先輩は本が大好きなんですね~」


 あっという間に本の世界に旅立っていった雅を呆然と見つめていた晴可に、衿香はわざとらしく微笑みかけた。


「そんな……。久しぶりに雅ちゃんとゆっくりできると思ってたのに」


 見事、衿香の返り討ちにあった晴可は、ガックリと肩を落とした。



 デスクスタンドの灯りに照らされた雅の横顔を、未練たっぷりの顔で見つめる晴可。

 ちょっとやりすぎたかしら。

 本当はこの本は雅にプレゼントするつもりだった。

 珍しい本だが、衿香は何度も読み返してほぼ暗記してしまったし、雅ならきっと大事にしてくれるだろうと思っていたのだ。

 だが、あまりに挑発的な晴可の態度に、ついここでどうぞと言ってしまった。

 そう思いながら、雅と恐らくここを離れないであろう晴可のために、飲み物と軽い食事を用意してもらおうと、衿香は内線電話をとった。


「はい。何かご用でしょうか」


 ワンコールで電話をとったのは佐和だ。


「私の部屋に軽い食事を二人分用意してもらえるかしら」

「分かりました。それからたった今、旦那さまから電話が入りましたが、いかが致しますか?来客中だとお伝えしましょうか?」

「いいわ。繋いで」

「……はい」


 歯切れ悪く佐和が答え、ぷつりと小さな音が受話器から聞こえる。

 タイミングよく衿香が内線を使わなければ、佐和はあれこれ理由をつけて電話を繋がなかったのではないだろうか。

 父は衿香に連絡をとるのに携帯は使わない。

 それは、父が一時期あまりに衿香を社交に多用したために、佐和が強制的に決めた神田家の決まりである。

 

「あ、衿香~?今来客中なんだって?」

「そうですが、何かご用ですか?」

「あ~。じゃあどうしよっかなあ。今、『御前』のパーティーに来てるんだけどね~」

「御前の」


 ピクリと衿香の眉が動く。

 『御前』とは今現在の経済界のトップに君臨する絶対王者の敬称である。


「それがさ~、島村の娘が来ててさ~、衿香を散々こきおろしてるんだけど~、どうする~?パパが黙らしてもいいんだけど、それだと御前の印象、悪くなっちゃうよね~」

「行きます」


 神田のライバル会社、島村の名前に衿香は即答した。

 衿香は御前のお気に入りである。

 故に衿香は御前の考えはある程度分かる。

 父に庇われて、安穏としているような娘に、御前は何の価値も認めない。

 

「そう~?じゃあ、車回すから」

「はい」


 受話器を戻す。

 と同時に、衿香はこの部屋が無人でなかった事に気がついた。



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