誤解
「とりあえず、会長さんには生徒会室に同行してもらおう」
睦月がそう言い、生徒会役員たちが出雲の周りを固める。
こんな状況でも出雲はまるでこの場の主であるかのように悠然と歩きだした。
その視線が、呆然と草の上に座り込む衿香に向けられる。
「衿香。またゆっくり会おう」
出雲が極上の微笑みを端正な顔に浮かべた。
「睦月?」
腕組みをしたままその場を動かない睦月に、信也が声をかける。
「ああ、悪いけど先に行っててくれる?すぐ行くから」
睦月は信也にそう言うと衿香の元に歩き出した。
ぽかんとした顔で出雲の後姿を見送っていた衿香は、草を踏みしめ近付く足音に誘われるように睦月の方を見た。
その顔を間近で見た睦月は顔を強張らせた。
そう、衿香自身は目の前で繰り広げられる出来事に驚いてすっかり忘れていたが、彼女のくちびるは真っ赤に腫れていたのだ。
「なんてことだ」
衿香の目の前で睦月がへなへなと膝をつく。
また、間に合わなかったのか。
睦月は自分の無能ぶりに打ちのめされた。
守りたいと心の底から思うのに、いつも守れない自分が不甲斐ない。
こんなに真っ赤に腫れるまでくちびるを蹂躙されて、衿香はどんなに傷ついただろう。
「睦月先輩?どうしたんですか?」
「ん?あれ?」
特に傷ついた様子もなく、ごく普通の衿香の声に睦月は違和感を覚えて顔を上げる。
そこには心配そうに自分を覗きこむ衿香の顔があった。
「衿香ちゃん?なんか普通?」
「は?何言ってるんですか?私は普通ですよ?」
普通じゃないのはそっちじゃないの、と言いたい所を衿香は我慢する。
彼らの身体能力が普通でないのは軽々しく口にできる問題ではないのだと、本能が告げていた。
眉をひそめる衿香の顔を見て、睦月はショックを受けたようだった。
「そんなに良かったの?あいつのキス」
睦月の言葉に衿香は完全に固まった。
キス?
キス?????????????????
「はああああああああああああああああああ!?なに言ってるんですか!?睦月先輩。誰が誰とキスしたって言うんですか!?」
衿香の勢いに睦月の目は限界値まで見開かれた。
それでも何とか疑問を口にする。
「だって、衿香ちゃん。このくちびる、どう見ても濃厚なキスの後にしか見えないけど」
「濃……!!」
衿香の顔が瞬時に真っ赤に染まった。
睦月が衿香のたらこくちびるを見て、何を想像したのかはっきりと理解できたのだ。
「ち、ちがいます!!!これはキキキキスじゃなくて!!!」
衿香はいきなり睦月のくちびるをむぎゅうっと掴んだ。
「こうされたんです!!変な誤解はやめてください!!」
「……」
「……」
しばらくくちびるをつまんだ衿香とつままれた睦月は黙って見つめあった。
「んんっん(よかった)」
安堵の呟きを洩らして、睦月は衿香の肩に頭を落とした。
「ひゃっ!?」
頬と首筋に感じるさらさらした髪の感触に衿香が悲鳴を上げたが、睦月は構わず衿香の背に手を回して彼女を抱き寄せた。
「せせせせんぱい!?」
「良かった。ほんとに、良かった」
えーと、どうしよう。
これはきっと私の身を案じてくれたからの行為であって、セ、セクハラとかではないのよね?
睦月の腕の中で固まったまま、衿香は激しく頭を巡らせた。
でも、ちょっと、髪と息が、首に当たってくすぐったいし、なんかとっても居たたまれないんだけど。
「……聞きたい事、いっぱいあるよね?」
衿香の肩に頭をつけたまま、睦月が静かに尋ねた。
「けど、今は説明している時間がない。落ち着いたら、衿香ちゃんの家まで説明に行くから、今は大人しく夏目に家まで送らせてくれるかな」
そう言って睦月が腕を緩め、衿香の顔を覗きこむ。
穏やかな微笑みを浮かべているが、その目は真剣だ。
衿香は黙って頷いた。
衿香が睦月に連れられ寮に戻ってくると、ちょうどこちらに向かって歩いてくる晴可に会った。
ぞくり、と衿香の背筋が寒くなる。
その顔はいつも通り緩い笑みが浮かんでいるというのに、なぜ?
「一人?朝霧ちゃんは?」
晴可の様子に動じることなく、睦月が問いかける。
「ん~?先に帰した」
「じゃあ晴可も参加するの?」
「そりゃまあねえ。こんな時くらいしか会われへんやろし?きっちり話つけとかな、安心して雅ちゃんを学園に置いとけへんしな」
ああ、目がちがう。
衿香は納得した。
いつもとほぼ変わりない晴可の、その目だけがギラギラと嫌な光を帯びているのだ。
「じゃあなあ。先行っとるで」
ひらひらと手を振りながら、晴可は歩いて行った。
「そういえば、あいつ、衿香ちゃんの名前知ってたみたいだけど、知り合いじゃないよね?」
ぼんやりと晴可を見送っていた衿香に、ふと気がついたように睦月が問う。
「そうですね。なぜ私の名前を知っていたんでしょう」
赤ん坊の頃から知っていた、と出雲は言っていた。
だが衿香に心当たりはない。
ただ胸がもやもやするだけだ。
困った様子で胸のあたりを押さえる衿香の頭を、睦月がポンポンと叩く。
「じゃ、大人しく待っててね。約束」
にっこり笑って差しだされる小指に、またかと思いながら衿香は小指を絡ませた。
出雲は無事、学園を出られるのだろうか。
一抹の不安を覚えながら、夏目に促され衿香は車に乗り込んだ。
車窓から見る夏の空は青く輝いていた。




