種明かし
やっぱり潜んでいたのか、と衿香は安堵のため息をついた。
とんでもなく損な役割だったが、結果オーライというところか。
ホッと息をつく衿香の頬に冷たいタオルが当てられた。
「ごめんね。えりりん。まさか雅先輩が手を上げるとは思わなかった」
夏目がしょんぼりと上目遣いで衿香を見上げる。
一瞬、その頭に垂れた耳が見えたようで衿香は苦笑した。
「いいわよ。私も油断してたし」
「ほら、衿香ちゃん。ちょっと黙って」
今度は睦月が衿香の喉元に手を当てる。
大きな手の感触に衿香がピクリと肩を震わせた。
睦月がほんの少し力を入れたら、ぽっきり折れてしまいそうな白い細い首に、五本の指の跡がはっきりとついている。
「苦しかったよね」
睦月が当の衿香よりも苦しそうな顔でくっきりついた指の跡をなぞる。
柔らかい、その熱が心地よくて、衿香はじっと睦月の手を受け入れた。
喉元を彷徨っていた手が、頬に移動する。
できる事なら、もっと確実に癒してやりたいと睦月は切実に思った。
だが、それは叶わぬ事。
手の平に体中の気を集め、衿香に注ぎ込みながら睦月はやるせないため息をつくのだった。
「ちょっと、待って。どういう事?睦月?」
成り行きに目を丸くしていた信也が、睦月と衿香の顔を交互に見た。
「衿香ちゃんの発案でね。雅ちゃんを揺さぶって本音を言わせる事が目的。協力者は僕と敦志と夏目。でもこんな事になるなら、やっぱり僕が揺さぶりをかけるべきだった」
「……雅先輩は私に強い劣等感を抱いていたんですから、私が適役だったんです。睦月先輩では上手くいったか疑問です」
喉を絞められた上、大声で叫んだりしたものだから、衿香の声はかなり掠れてしまった。
それに顔をしかめながら、睦月が続ける。
「信也に知らせなかったのは悪かったよ。でもリアリティを出すには事情を知らない人物を混ぜた方がいいって事で」
「なんで……」
「兄に頼まれたんです」
「お兄さん?」
「僕が話すよ。衿香ちゃんはまだしゃべらない方がいい」
『気』は傷を治すには有効だが、打ち身や痛みは軽減させることしかできない。
睦月は衿香の頬から手を離し、信也に向き直った。
「衿香ちゃんのお兄さんは神田綾人さんといって、大学のサークルでベンチャー企業を経営している。晴可もその経営に参加しているんだけど、近頃の晴可の様子を心配した綾人さんが衿香ちゃんにどうにかするよう依頼したんだ」
「どうにかするって」
「あの二人はお互いを想う気持ちが強いくせに、それを言葉にする事がなかなかできない。特に朝霧ちゃんは自分の中に籠もる傾向が強い。だから、衿香ちゃんが悪役を引き受ける事によって、朝霧ちゃんを煽って本音を聞き出そうということになったんだ」
「~~~」
「信也は朝霧ちゃんの事になるとヒートアップするから、衿香ちゃんを追い詰める役にぴったりかなと思って。祐真は言わずもがなだし」
睦月の告白に信也はうめき声と共に頭を抱えるしかなかった。
「何が起こるか分からないから、祐真には僕が、信也には敦志と夏目がつくようにしたんだけど、朝霧ちゃんはノーマークだったなぁ」
「仕方ありませんよ。あれだけ煽って無関心なら、それまででしたから」
軽く髪をかき上げた衿香は、固く抱き合ったままの二人を冷めた目で眺めて言った。
「君がそこまであの二人の事を思っていたとは知らなかったよ……」
信也の絞り出すような声に衿香はにっこり微笑む。
「あら、私が思っているのは雅先輩の事だけですよ?さっき言った事は嘘ではありません。私は雅先輩が幸せになるなら、貴島さんと一緒になろうが別れようが構わないんです」
「晴可先輩も知ってた?」
「いいえ。貴島さんには何も知らせませんでした」
「え?でも、もし晴可先輩がここに来ていなかったら……」
「そうですね。これは賭けでもあったんです。雅先輩が本音を言ったとしても、そこに貴島さんがいなければ何の意味もない。簡単に雅先輩から離れていくような人だったら、今壊れなくてもいつか壊れてしまう。だからそれでもいいと思ったんです」
「……なんでそこまでするの?」
「私は女の子の味方ですから」
何でもない事のように口にする衿香に、信也は再び肩を落とした。
「ごめん。酷い事言った」
「気にしないでください。私こそ、信也先輩を煽るためとはいえ失礼な態度をとりました」
「……女優並みの演技力だった」
「ふふ。おかげで信也先輩の新たな一面を見せてもらいました」
「……埋まってもいい?」
「本当に雅先輩の事が大事なんですね」
「……預かりものだから」
「え?」
衿香は膝についた両手の中に深く頭をうずめる信也を見た。
「彼女を守ると、約束したんだ」
「大事な約束なんですね」
「うん」
「信也先輩に大事に思ってもらえて、その方も幸せですね」
「うん。……えっ!?」
はっと顔を上げた信也は、満面の笑みを浮かべる衿香に、再度深く頭を抱えるのであった。




