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 雨が降っている。

 しとしとと、体に絡みつくように柔らかく降る雨の中。

 一人ぼんやりと佇む男の姿があった。

 傘も差さないその体はしっとりと濡れているが、彼は気にする様子もなくポケットに両手を突っ込んで立っていた。


「風邪、引きますよ。貴島さん」


 ふ、と晴可の頭上に影が落ちる。

 視線を移すとカメラを首にかけた美少女が彼に傘を差しかけているのが目に入った。


「衿香ちゃん」

「屋根のある所へ行きませんか?」


 衿香の柔らかい声に誘われるように、晴可はふらふらと歩きだした。




「……で、結局のところ、雅先輩に振られちゃったって事ですか?」


 密談ならここだろうと、二人は誰もまだ来ていない生徒会室に勝手に入り込んでいた。

 タオルを渡し、勝手にコーヒーを淹れ、衿香は晴可の話を聞いた。


「そうや。雅ちゃんは何言うても婚約解消の一点張りやし。挙句の果てには電話もメールも着拒や。会うてもくれへん」

「だから、雅先輩がいるらしい図書館の外で雨に打たれてたんですか」


 少々呆れた口調で衿香が言う。


「雅ちゃんにも考える時間が必要や。無理に会ってもますます頑なになってくだけやから。けど心が離れとると思たら、遠くにおる事なんかできんし」


 噂に聞く以上の溺愛ぶりに、衿香は密かに肩をすくめる。


「雅先輩、そんなにショックだったんですか?男に襲われそうになった事、今までにはなかったんですか?」


 重い空気を吹き飛ばすように、あえてあっけらかんと衿香は尋ねた。

 衿香の育った世界ではそんな事は珍しい事ではない。

 だから衿香の知っている女の子たちは、大抵自衛のため最低限の護身術を身につけているのだ。

  

「……いや。何度か危ない目には、遭ってる」

「ふうん。貴島さん、何か今回の事で雅先輩を責めるような事を言いませんでした?」

「そんなん!言う訳ないやろ!?どっちか言うたら雅ちゃんを守れへんだ俺が悪いんやから」


 ふーん、と衿香は頬に指先を当てて考える。

 交際中の男にこれほど愛されていて、雅は何が不満だったのか、衿香には分からない。


「他に何か言ってませんでした?」

「……そういえば。俺にはもっと相応しい人がいるって言ってたな。衿香ちゃんみたいな人と一緒になるべきやって言ってたけど」


 ああ、そうかと衿香は納得する。

 

「今回の百周年パーティーは貴島さんの婚約披露の場でもあったんですよね」

「ああ、そうや」

「雅先輩はそれを喜んでました?」

「……」

「貴島さん側の事情を酌んで、渋々承諾したんですか?」

「……まあそういう感じや」

「だったら話は早いです」

「?」


 きょとんと首をかしげる晴可に、衿香はきっぱりと言い切った。


「婚約解消を受け入れるべきです」


 婚約解消を受け入れるべきだと断言する衿香に晴可の顔がさーっと青褪めていく。


「ななななんで!?俺は嫌や!!そんなん絶対できやん!!」


 そんな晴可を冷めた目で眺めていた衿香は、コーヒーを一口飲んだ。


「じゃあ、貴島さん。ご自分の犯した間違い、わかります?」

「えっ……」

「わからないでしょ?」

「う……」

「だから、貴島さんには雅先輩は任せられません。雅先輩の言うように、お二人は住む世界がちがうんです。淡水で生きる魚を海水に移したらどうなります?」

「死ぬ」

「貴島さんは雅先輩に死ねと言うんですか?」

「……そやけど、婚約披露はどうしても必要やった。貴島の看板に群がる奴らを排除するためにも、貴島が雅ちゃんの後ろ盾になったという事を知らしめるためにも」

「どうしてもですか?」


 衿香の言わんとする事が理解できず、晴可は低く唸る。


「俺にどうせいっちゅうねん。大学に行くようになったら、俺の所には山のような縁談が舞い込むようになった。婚約してるって言うてもお構いなしや。そんな名も知らんような娘、若い者の気の迷いやって一蹴されて。挙句の果てには雅ちゃんを浚おうとする輩まで現れた。一刻も早く、雅ちゃんの後ろには貴島がおるんやって、世間に公表する必要があったんや」

「それは貴島さん側の問題でしょ?」

「は?」

「正式な婚約発表。それが一番手っ取り早く、確実に雅先輩を守れる手段だった。それはこちら側で育った私にはよくわかります」

「……」

「でも、雅先輩は一般家庭で育った人です。理由を説明されれば承諾するしかなかったでしょう。けれどこちら側のやり方に心がついていかないのは仕方のない事ではないですか?」


 両膝に肘をつき、口元に固く組み合わせた拳をつけ、晴可は黙りこんだ。

 

「婚約披露がどれほど最善の一手であったとしても、雅先輩の心を曲げてまでとる策ではなかったのではないですか?どんな面倒が起きようと、雅先輩のために一つ一つ対処していくべきだったのでは?慣れない世界に無理に雅先輩を引きこんだのは貴島さんです。雅先輩を変えるのではなく、貴島さんの世界を雅先輩に合わせて変えていく責任があると思います。それを面倒だからと、最善だからと、雅先輩の意に染まない事をさせた貴島さんは婚約を解消されても仕方ありません」

「……なんも言いかえせやんな」


 ぽつんと晴可がつぶやいた。


 しとしとと、窓の外には雨が降り続く。

 静寂が、生徒会室を包んでいた。







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