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パーティーの夜

 ゴールデンウィークの最終日。

 衿香は父の名代としてとある総合病院の創立百周年パーティーに出席する事になった。

 海外出張中の父の乗るはずだった帰国便が飛行機トラブルを起こし、パーティーに間に合わなくなってしまったのである。

 会社の重役が代理で出席するが、それだけではと急きょ衿香も出席する事になったのだ。

 会場である病院長の別邸は和洋折衷の重厚な造りの建物で、市の重要文化財でもある。

 出席者は名だたる政財界の重鎮を始めとし、芸能界からも華やかな顔ぶれが会場に花を添える。

 そんなある種物々しい雰囲気の中で、黒服の案内係の後を一人軽やかな足取りで歩く可憐な少女の姿は人目を引いた。


「おお、衿香ちゃんじゃないか」


 前年、政界を引退した大物政治家が孫娘を見るような目で衿香に声をかける。


「藤堂のおじさま。ご無沙汰しております」

「衿香?神田の衿香ちゃんかい」

「あら。篠村のおじさまもお久しぶりです」

「まあまあ。衿香ちゃん。大きくなって」

「園江のおばさまもお元気そうで」


 パーティー嫌いの母や兄の代わりに父のお伴をこなしていた衿香の事を、政財界の重鎮たちは幼い頃から知っていて、その目は久しぶりに見る親戚の子供に向けるような優しげな物ばかりだ。

 下手をしたらお菓子でも持たされそうな雰囲気である。

 衿香は彼らに愛想良く答えながら、今夜の主催者の元に優雅に歩いていく。

 会場中の視線が自分に集まったとしても動じない、揺るぎない自信が衿香の体から溢れていた。


「主人はこちらです」


 黒服の案内係が優雅な手つきで衿香を一人の紳士の元に案内した。


「神田コーポレーションの社長令嬢、神田衿香さまです」


 主人に衿香を引き合わせた黒服は、流れるような動作で一礼し受付へと戻って行った。


「これはこれは、花のように可愛らしいお客様だね」


 衿香を迎えたのはすらりと背の高い、非常に整った顔立ちの壮年の紳士だった。

 若い頃は絶世のイケメンだったろう彼が微笑むと目尻の皺が良い具合に深くなり、今でも充分若い女の子を骨抜きにできそうな雰囲気を醸し出している。

 あの息子は父親似ということね。

 心の中でつぶやき、衿香はとっておきの笑顔を顔に張り付ける。


「貴島総合病院百周年おめでとうございます。本来なら父がお祝いに来るべきところ申し訳ありません。神田コーポレーションの神田光一郎の娘、衿香でございます。後日、父もご挨拶に伺うかと存じますが、まずはお祝いをお伝えするよう言いつかって参りました」

「これはこれは、こんな立派な娘さんがいるとは、お父上はさぞや鼻高々だろうね」

「お褒めいただきとてもうれしいです」

「こんな素敵なお嬢さんと一晩中でも語り合っていたいところだが、今夜はそうもいかない。祥子」


 貴島院長は近くにいた赤いスリットドレスを着た妙齢の美女を呼び寄せた。


「なんでしょう。お父様」

「こちらは神田衿香嬢だ。お父上の代理でお祝いにいらしたのだが、こんな老人ばかりの中ではつまらないだろう。上に案内してくれないか」

「はい、わかりました」


 美女は衿香に向き直り、にっこり微笑んだ。


「はじめまして。私は貴島祥子。貴島医院で精神科の医師をしているの。若い方々は上にいらっしゃるからこちらにどうぞ」

「はい。お手数をおかけします」


 正直、若い連中より老人と話している方がよっぽど気が楽なのだが、先方の好意を受けない訳にはいかない。

 衿香は笑顔の仮面を張り付けたまま、祥子の後について階段を上がって行った。

 大広間の中央から階上に上がる大階段は優美なアールを描いている。

 華やかなドレス姿の貴婦人が下りてきたら、さぞ絵になる事だろう。

 先を行く真っ赤な祥子のハイヒールを見ながら衿香はそんな事を考えていた。

  

「祥子?」


 ようやく階段を上がりきった所で、背の高いこれまた野性味あふれるイケメンが祥子に話しかけた。


「あら。来てらしたの」

「ちょっといいか?」

「私、お客様をご案内しないと」


「あの、私なら一人で大丈夫です。あちらのお部屋ですよね?」


 二人の間に流れる空気を察して衿香は廊下の先を示した。

 少し離れた所にある扉は開け放たれ、わいわいと賑やかな声が漏れ聞こえていた。


「ええ、そうだけど」

「ならここで結構です。失礼しますね」


 何か言いかける祥子にぺこりと頭を下げ、衿香はすたすたと歩き出した。

 

 両開きの扉の向こうから聞こえる賑やかな声は、圧倒的に男の野太いものが多い。

 室内からは死角になる場所で一旦立ち止まり、衿香は呼吸を整えた。

 できれば、イケメンは少なめでお願いします。

 一歩、足を進め室内の様子を窺う。

 室内には三十名余りの男女が歓談をしていた。

 男たちは主にソファーを占拠してワイワイと談笑し、煌びやかに着飾った女たちは立食コーナーでドリンク片手に彼らを観察していた。

 中を覗いたのは一瞬の事だったが、ソファーに座る男たちの中に晴可と睦月、信也の姿も確認できた。

 ここが貴島晴可の実家だと聞いていたから、そんな事もあろうかと覚悟はしていたが、休日にまで会長に会うのは正直気が重い。

 学園ではないこの場所で、睦月がいつものような態度に出たらと思うとぞっとする。

 

 社交界で最も好まれる他人の醜聞。

 衿香はその餌食になるつもりは全くない。

 ぐっと拳に力を入れて、衿香は覚悟を決めた。

 睦月がいつものような不埒な真似をするようならば、この鉄拳を喰らわせるのみ。

 すうっと息を吸い込み、笑顔の仮面を張り付け、衿香が一歩踏み出そうとした時。


「……やっ……なに……」


 衿香の耳が微かな声を捕える。

 今の声、聞き覚えがある。


 すうっと目を細めた衿香は踏み出す足の角度を九十度変えて、廊下の先のベランダに急いだ。




 

  

 

  

 

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