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返り討ち

 生徒会室に入ると、睦月が一人で机に向かっていた。

 彼は衿香に気がつくとにっこり極上の笑みを浮かべる。

 ここでうかうかしていると睦月に出迎えの抱擁を受けてしまうという事をしっかり学習した衿香は、早足で彼の机に近づいた。


「こんにちは。今日はお一人ですか?」

「うん。そうみたいだね。交流会の報告書も済んだし、あとしばらく行事はないから今が生徒会も休み時かな」

「そうなんですか」


 衿香は言いながら睦月の机に散らばった書類を整理する。

 中学まで生徒会の中心にいた衿香は、ある程度の生徒会運営の知識がある。

 だから取材と称して生徒会室に出入りする傍ら、いつの間にかその手伝いをするのが習慣になっていた。あくまで簡単な書類整理くらいだが。


 睦月の傍らで書類を整理しながら、衿香は彼がどうしてそこまで自分を気に入っているかについて考えていた。

 出会ったその日に手にキスをした睦月を、衿香は誰にでもそんな事をする女たらしだと思っていた。

 だがちょくちょく校内で見かける睦月は、衿香以外の女の子に話しかける事すらしない。

 話しかけられれば笑顔で答えるが、それは非常に嘘くさい物のように見えた。

 手にキスどころか触れる事すらしないし、触れさせる事も許さない。


 なぜ私なんだろう。


 ぼんやり書類に手を伸ばした衿香の手に、偶然睦月の手が触れる。


「ふあっ!?すみません!!」


 慌てて手を引く衿香に睦月は優しく微笑んだ。


 あっ!!!!!

 これ!!!!?


 突然、衿香の頭に稲妻のように舞い降りた答え。

 

『逃げれば追いかけたくなる。これを恋の狩人現象と呼びます』


 そう演説したのは自分だ。

 恋愛経験値ゼロの衿香の恋愛論は、所詮本の受け売りである。


 つまり睦月先輩は、私が逃げるから追いかけてる?

 という事は……。

 こちらが追いかける立場になれば、睦月先輩は逃げていく?


 そうか、そうだったのかと衿香は目を輝かせた。

 逃げたから、興味を持たれたんだ。


「?どうかした?衿香ちゃん」


 その思いつきに一人興奮していると、不思議そうな睦月が衿香の顔を覗きこんでいた。


「ああ、いえ。何でもありません!!」


 慌てて現実に戻る衿香に睦月は苦笑を浮かべる。

 

「そろそろお終いにしようか」


 睦月が手元の書類をまとめながら言った。

 トントンと書類を揃える睦月の袖のボタンがとれかけているのに、はっと衿香は気付いた。

 早速チャンス到来!!!


「あの、睦月先輩。袖のボタンがとれかけてますよ。よかったら私付け直しましょうか?」


 睦月を見てうっとりしている女子生徒の熱い眼差しを真似て、衿香は睦月の顔を見た。

 そういう目で見られると、大抵睦月は冷たい仮面のような笑顔を浮かべ実に自然に距離をとっていたはずだ。


「あ、ホントだ。衿香ちゃんが付けてくれるの?らっき」

「……」


 おかしい。

 そんな事を言われたら速攻断られると思っていたのに……。


 衿香の心中も知らず嬉々として上着を脱ぐ睦月。

 仕方なく衿香はポケットからソーイングセットをとり出す。

 睦月から上着を受け取り、ソファーに座る。

 膝に広げた上着からふわりと睦月の香りがした。

 

 よし、まずは針に糸を通して……。

 慎重に針を手にして難なく糸を通す。

 問題は、ここからだ。

 衿香は真剣な顔でとれかけたボタンを上着から切り取る。

 まずはひと針……。


「あっ!衿香ちゃん!?」

「いたっ!!」


 上着に刺すはずの針が、なぜか衿香の人差し指をぷすりと刺していた。

 反射的に咥えようとした指が、なぜか睦月に浚われる。


「へ?」


 ぱくり。

 ぱくり?

 衿香は目の前の光景を凝視していた。

 至近距離にある睦月の端正な顔。

 伏せられた長いまつげが妙に色っぽい。

 その口には指が咥えられている。

 衿香は大きく瞬きをして、その指に繋がる手に視線を移した。

 手の次は腕、腕の次は肩、ゆるゆると視線は移動する。

 そしてそれが自分の体に繋がっている事を目視した時、唐突に何も感じなかった指先に強烈な熱を感じた。


「ふふふふぎゃ~~~!?」


 奇妙な悲鳴を上げる衿香に、睦月が伏せていた視線を上げた。

 至近距離でぶつかる視線。

 その瞳に宿る色に、一瞬衿香は気を失いかけた。

 そんな衿香にふっと微笑を浮かべると、睦月は一際強くきゅっと衿香の指先を吸った。

 ちゅっと可愛いリップ音をたて、衿香の指が解放される。


「消毒完了。もう痛くないでしょ?衿香ちゃんは針を持つのは禁止だよ」


 そう言いながら睦月が衿香の手から針と自身の上着を取り上げる。

 ふんふんと鼻歌交じりに睦月が手際よくボタンを付け直すのを茫然と見つめる衿香。

 

 ……負けた。


 真っ白な頭で、衿香は一言つぶやいた。


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