17.5:『にこ祭』へ行こう!(3)
「り、六原さん!?」
ちょっと焦ったような永遠子ちゃんの声。ちっちゃくて華奢な永遠子ちゃんは俺の腕にすっぽりおさまってしまう。やわらかいというよりもふわふわした感じで、うっかり力加減を間違えると壊してしまいそうで、優しく、だけどしっかりと閉じ込める。
幸せだな……
そんな俺の幸福感をぶちやぶるかのように、無情にも非情にも俺のポケットに入っていた携帯が音を奏でた。この着メロは……。
俺は名残惜しさを感じつつも、しぶしぶと永遠子ちゃんを離すとポケットから携帯を取り出した。
「……はい」
思いっきり不機嫌な声で応対した俺の耳に聞こえてきたのは、それ以上に不機嫌そうな姉さんの声だった。
『あたしの着メロを”ジョーズのテーマ”にするとはどうゆう了見よ』
あぁ……ついにバレたか。ていうか、それに気づいたということは姉さんは俺の着メロが聞こえる位置にいるということになる。
さっと視線を巡らせると、3mほど離れたところに携帯を左手に、右手を腰にあてて俺を睨み付けている女がいた。
……相変わらず、家の外で見る姉さんはオーラがない。
素材は悪くないのだから、着飾ればそれなりに見れる人なはずなんだけど、外で見かける姉さんは徹底して地味で無個性だ。
地味で目立たない、というのは、簡単そうで意図してやろうと思うと結構難しいんじゃないかと思う。いい意味で目立ってもいけないし、悪い意味で目立ってもいけないんだから。似合いすぎる格好をすると目を引いてしまうし、逆に似合わなすぎる格好をしたら、それはそれで悪目立ちしてしまう。
でも、姉さんは長年の経験と知恵でその辺のさじ加減は完璧だった。おそらく姉さんは、何かしらの犯罪をおかしたところで、てんでバラバラの目撃証言しか集められず、警察を悩ませるんじゃないかと思う。それくらい、外での姉さんは印象が薄い。
『ちょっと、なんとか言いなさいよ。この公衆の面前セクハラ男』
「人聞き悪いこと言うなよ」
『あんたはよその学校で何をしようが自分の勝手とか思ってるんでしょうが、あたしの立場も考えなさいよね。あたしの平穏な地味ライフを脅かす気?』
「別に姉さんに迷惑はかけてないだろ」
『悪目立ちしてんのよ!まわり見渡してみなさいよ。どんだけの人間があんたたちに注目してると思ってんの?そんなあんたとあたしが姉弟だってバレてみなさいよ。うっとうしいこと限りないわ』
「あぁ、はいはい。分かったよ。じゃぁ、別行動ってことで。それなら俺らのつながりはバレないし、俺は永遠子ちゃんと2人でデートを楽しめるし一石二鳥、万々歳。じゃぁ、そういうことで」
『待ちなさい!』
うっとうしくなって、さっさと話しを切り上げようとした俺の言葉に、姉さんは鋭い声を上げた。
『誰のおかげで今日、彼女のお兄さんの監視から逃れられたと思ってるの?』
うっ……。
『とにかく、ここじゃ目立つから場所かえるわよ。ついてきなさい』
姉さんはそう宣言すると、通話をぶつっと切るとあごをくいっと動かすと颯爽と踵を返した。俺は小さく溜息をつくと、横でじっと俺らのやりとりを見守っていた永遠子ちゃんを見て、思わず苦笑いがもれた。
*
姉さんは、1階の体育館へ向かう渡り廊下のあたりに来ると、急に立ち止まって振り返った。
「まったく、恥ずかしい男ね。あんたは万年発情期のうさぎかってのよ。場所くらい弁えなさいよね」
心底呆れたような口調だった。
「うるさいな。別にいいじゃん。ただ抱きしめただけだろ。キスでもしてたってんならともなく」
「あんたならしかねないわ」
「さすがにしねぇよ、こんなに大勢人がいるところでは!」
「”大勢”じゃなかったら気にしない、って聞こえるけど?」
……まぁ、たしかに数人くらいになら見られても気にしないけど。てか、牽制のためにわざとしてやりたいって思わなくもない。
「こんな彼氏じゃ、彼女が可哀想ね」
はぁ、とわざとらしく溜息をつく姉さんに俺はちょっとカチンと来る。余計なお世話だ。
「あ、あの……」
そのとき、俺の背中に半分隠れるように控えめに立っていた永遠子ちゃんが、一歩前へ出て姉さんの目の前に立った。
「初めまして。わたし、佐倉永遠子と申します。六原さん……いえ、み、稔、くんとお付き合いしてます」
稔くん!!?
永遠子ちゃんが、「稔くん」って呼んだ!
うわ……ちょ、感動だ!ヤバイ顔がにやける!
自分でも分かるくらい、口角が上がってしかたがない。ここって自律神経だったっけ?と思うくらい、自分で自分の筋肉をコントロールできない。こんな顔してたら絶対姉さんにバカにされる!
そう思って、口元を左手でおさえて姉さんの方をうかがうと、姉さんはぽかんとした口をあけ、目を大きく見開いて永遠子ちゃんを凝視していた。
えっと……なんだ?この反応……
そう思っていると、姉さんは突然両手を大きく広げると、勢いをつけて永遠子ちゃんに飛びついた。
「可愛い!!」
突然のことに、俺も永遠子ちゃんもしばらくフリーズしてしまった。
「何これ!何これ!どこのお人形?!可愛い!!」
姉さんはそんな俺たちなどお構いなしに、ぎゅうっと力いっぱい永遠子ちゃんを抱きしめると、さっと離して今度は永遠子ちゃんの顔を両手で包み込んだ。
「顔ちっちゃ!肌白っ!すべすべのつやつや!目は大きいし、睫毛は長いし、口はちっちゃくて真っ赤だし……やだ、髪の毛はすっごいさらさら!!」
姉さんは調子に乗ってするすると体のラインをなぞるように手をおろしていく。
「腰細っ!何これ!……しかも着痩せしてるけど、さっきの感触からすると胸は結構大きい?」
姉さんの視線が永遠子ちゃんの胸もとに注がれているのを見て、俺ははっと我に返った。
「ちょ、姉さん!何やってんだよ!離れろ!」
俺は2人の間に割って入った。
永遠子ちゃんが華奢に見えて実は結構胸があることは、ちゃんと触ったことはまだないけど、何度も抱きしめてるから気づいてはいた。
……俺だけ知ってればいいことだったのに、たとえ女であろうと他の人に知られてしまったのは、すっげぇ悔しい。(いや、多分永さんと久さんは具体的なバストサイズをミリ単位で把握してそうだけど……それは不可抗力ということで)
俺は恨めしそうに姉さんを睨み付けた。姉さんは、そんな俺に向かって、気持ちが悪いくらい上機嫌で笑いかけてきた。
「でかした稔!よく捕まえたわ、こんな可愛い子!
永遠子ちゃん、初めまして。稔の姉の好です。いつもうちの愚弟がお世話になってます」
「あ、いえ、わたしの方こそ……」
「いやーーん!声まで可愛い!!」
姉さんは満面の笑みを浮かべて永遠子ちゃんの両手を掴む。
「だから、離せってば!」
俺が無理矢理ひきはがして永遠子ちゃんを抱きしめると、姉さんは思いっきり顔をしかめる。
「なによー。いいじゃない、ちょっとくらい。言っておくけど、あたしは男に興味がないけど、女にはもっと興味ないから変な心配はご無用よ?」
「当たり前だ!」
永遠子ちゃんを女に、しかもよりによって実の姉なんかに盗られてたまるか!
「稔が可愛い可愛い言ってるから、なんぼのもんじゃいと思ってたけど……いやぁ、これは想像以上だわ。本当に可愛いのね、モテるでしょ?」
「……いえ、そんな、全然!これっぽっちもモテません!」
「そうなの?」
姉さんは俺にちらっと視線をよこす。ここではっきり肯定するのは気が引けるけど、あえて否定もしないでおく。実際、無駄にやり手な自称情報屋をもってしても、永遠子ちゃんに横恋慕しているヤツは現時点では一人も見当たらないらしい。
「……見る目ないのね。あんたの高校の男って」
同感だけど、俺としてはこのまま一生見る目なんか養わないでほしい。ライバルはあの強烈兄弟だけで十分だ。
「でも、気づいてないだけで、どこかでこっそり永遠子ちゃんのことを想ってる人がいるかもしれないよ?もっと紳士で大人で一途に激しく愛しちゃってくれてるいい男が」
ちょ!一体何言い出すんだ、この女!!
「ねぇ、永遠子ちゃん。うちの弟なんかで手打っちゃっていいの?こいつ、顔はいいけど中身はいたって普通のバカでスケベな年頃の高校生よ?」
「姉さん!!」
俺の絶叫に、姉さんは小憎らしい笑みを浮かべる。これは完全に俺をおもちゃに楽しんでいる顔だ!くっそ、この本性を学校中のヤツらにバラしてやりてぇ。
「それでも……」
胸に抱え込んだ永遠子ちゃんが、はっきりした声で言った。
「わたしは全部含めて六原さんが好きなので。六原さん”で”いいんじゃなくて、六原さん”が”いいです」
ずきゅん
今、自分の胸が打ち抜かれた音を聞いた。
永遠子ちゃんは無意識で殺し文句を言いすぎだ。これじゃ、俺の心臓はいくつあっても足りない。どうしてくれようか、この可愛い子を。
―― お前は、永遠子と結婚するつもりが?
この前久さんに聞かれた質問が蘇った。
今同じ質問をされたら、俺は迷うことなく「YES」と答える。若さの暴走とか、恋は盲目とか、そんな問題じゃない。もう絶対これから先、永遠子ちゃん以上に可愛いと思える子、好きだと思える子には出会えないだろうし、一生そばにいても今以上に好きになることはあってもその反対はありえないと確信した。
「俺も好き!」
俺は正面から抱きしめ直すとこめかみに唇を落とした。
ばこん
痛っ!
頭に走った軽い衝撃に目だけ向けると、姉さんが呆れた顔でどこに隠し持っていたのか『にこ祭』とプリントされた団扇を手に腕組みしていた。
「気持ちは分かるけど暴走するなっての。あんたたちカップルの今後が心底心配だわ。
永遠子ちゃん、嫌なときは嫌ってちゃんと拒んだ方がいいわよ。調子に乗るから」
余計なお世話な忠告に、永遠子ちゃんは首を回して小さくこくんと頷く。
「あ、はい。大丈夫です。嫌なときはちゃんと嫌と言ってます」
永遠子ちゃんの答えに、姉さんは一瞬沈黙すると、俺の方を意味ありげに見つめると、溜息をついて小さく首を横に振った。
「違う。訂正するわ。嫌じゃなくても拒んだ方がいいわよ」
「何言ってんだよ!」
「だってあんた手が早そうなんだもの。おまけに口だけは達者だからいいように言いくるめて『合意だ』ってことにして何をしでかすか分かったもんじゃないわ。
お母さんもさすが母親よね。息子の性格をよく分かってるわ。あたしもお母さんを見習って、目を光らせることにしたわ」
「な!どういうことだよ!」
「こんなお人形さんみたいに可愛らしくて純粋無垢な子をあんたの毒牙にかけるわけにはいかないわ」
「姉さんには関係ないだろ!」
「あら、あるわよ。将来妹になるかもしれないんだから」
「将来、手を出してもいいなら、今出したっていいだろ!」
「可愛い子には、出来るだけ長いあいだ清らかなままでいてほしいものじゃない」
「知るか!!」
自分を挟んで言い争う俺たちを、永遠子ちゃんは意味が分かっているのかいないのか、大人しく耳を傾けていた。そして、俺らの応酬に一息ついたところで、ぼそっと一言もらした。
「お2人とも、仲がいいのですね」
その言葉に、2人仲良く声をそろえて「どこが!?」と叫んだことは言うまでもない。
*
今日のデートで、永遠子ちゃんへの想いを再認識できたことはよかったけれど、そのせいでさらに障壁を高く積み上げてしまったような気がしないでもない。両思いなはずなのに、どうしてこんなに障害が多いんだ!!




