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蝋人形と王子様  作者: 太陽
第2部
34/44

17:女帝、降臨 (1)

「なんだ、好。今帰りか?」


 六原好が家のドアの前で鍵を探して鞄をかき回している後ろから声がかけられた。

 振り返ると、すぐ後ろに身長170cmばかり、スーツをおしゃれに着こなした知的な雰囲気漂う40代の男前――な女性が立っていた。


「お母さん。お疲れ」


 好は長身の母、六原都を見上げながら手探りで鞄をかき回し続ける。


「ずいぶん帰りが遅いじゃないか。もう8時半だぞ」


 夏とは言え、あたりはもう真っ暗になっている。好は鍵をようやく探り当て、鍵穴をそれを差し込みながら「もう~」と不満げな声を上げる。


「今日は学祭の前夜祭。前から言ってるじゃない」

「……あぁ、そうか。もうそんな時期か」

「はいはい。どうせお母さんにとってはそんな認識ですよね~。いいですよ、別に。高3にもなって親に来て欲しいとか思ってないし」

「……悪いな。明日も明後日も部活の引率があってな」

「だから別にいいってば。むしろわざわざ親に来てもらってる方が恥ずかしいし」


 中学教師をしている母は昔から多忙で、好や弟の稔も学校行事に来て貰った覚えはほとんどない。

 しかし、女手一つで子ども2人を育てるのは並大抵の苦労ではないことは重々分かっているし、母の代わりにピンチヒッターで駆けつけてくれる気のいい親戚のおじさんがいたことで、好も稔もそれに不満を零すことはなかった。


「ただいま~」

「帰ったぞ」


 ドアを開けた好と、それに続く都の帰宅の挨拶に、返ってくるはずの返事がなかった。母と娘は顔をいぶかしげに見合わせる。玄関には自分たちのものより一回り大きい靴が所定の位置にしっかり鎮座している。


「稔~?」


 好の声に、やはり返事はない。

 好は玄関の電気をつけるとまっすぐリビングにむかう。


 ドアの向こうは真っ暗だった。


「稔、いないの?」


 リビングの電気をつけると部屋の真ん中から「え?」という間の抜けた声が聞こえた。そこに目をやると、ソファに座った稔があたりをきょろきょろと見渡していた。


「なにしてんの、あんた。電気もつけないで」

 問い詰める好に、稔はまだぼーとした様子で首をかしげた。

「おかえり。……今、何時?……え、嘘!8時半!?」


 稔は時計を見上げると慌てて立ち上がった。


「今日の夕飯当番、俺だっけ!ごめん、うっかりしてた!!すぐ準備するから……」


 焦った様子でキッチンへ駆け込もうとする稔の肩を、いつの間に近寄っていたのか都がぐいっと掴んで無理矢理ソファに座らせた。


「いい。私がやる」

「え……。や、でも、今日は俺の当番だし、母さんは疲れてるだろうし……」

「うるさい!お前のためではない、私のためだ!そんなぼけっとした蒼白面の人間を火の元に近寄らせられるか!火事でも起こされたらたまったもんじゃない!私の体調を気遣うなら、そこで好を相手に思春期特有の青少年の悩みをぶちまけて、その辛気くさい顔をどうにかしろ!見ているだけで気が滅入る」

「はぁ?わたしぃ!?」


 素っ頓狂な声を上げた娘に、母はぎろりと鋭い視線を突き刺す。好はすぐさま視線をそらすと、「はぁあ」と大きなため息をつくと稔のとなりにどかっと腰を下ろした。


「おら、さっさと吐きなさいよ、悩みでも愚痴でもなんでもいいから」


 面倒くさそうに吐き捨てた姉の言葉に、稔は少しむっとするとそっぽを向いた。


「別に姉さんに相談するようなことなんてないし」


 好は真顔で稔の顔をじっと見つめると、にこっと笑って稔の頬を両手で包んだ。そしてそのまま手加減なしに自分の方へ無理矢理首を回させた。ぐきっという鈍い音が聞こえた。


「なにかしらねぇ、その態度は。わたしだって別に聞きたくて聞いてるわけじゃないの、分かってると思うけど」

「姉さん……痛い!」

「稔、我が家の家訓その1は?」


 にこやかに微笑みながらも、好みの額にはうっすら血管が浮かんでいるように見える。稔は口の中で小さく答えた。


「”お母様が法律です”」


 好はなおも変わらず微笑みながら手に力がこもる。


「そう。家訓その2は?」

「……”お母様は絶対です”」

「そう。そのお母さんがあたしに相談しろとあんたに言ったの。あんたが今していいことは、あんたがなんで電気もつけずに夕飯も作らずこんな時間までリビングのソファでバカみたいに思春期を満喫していたかその理由を述べることだけなの。お分かりかしら?」

「……はい」


 力ない稔の返事に、好は満足げにうなずくと乱暴に手を放した。

「で、何を考え込んでたわけ?」

 稔は観念してしぶしぶ語り出した。


 *


「もしもの話なんだけどさ……」

「うん」

「もし……もし……」

「もしもし、もしもし、うるさいわね!あんたは亀か!?さっさと言え!」


 稔は横目で姉を見やると小さくため息をついた。


「……もし、俺と姉さんの血が繋がってなかったとしたら、どうする?」


 予想外の質問に、好は思わず眉をしかめた。


「……別にどうもしないけど?」

「んじゃ、もし俺が小さい頃からずっと姉さんのことを女として好きだった、って言ったらどうする?」

「そうね、とりあえず身の危険を感じるから、この家からあんたを追い出すわね」


 一刀両断。姉の性格を考えれば当然の答えだった。


「……だよな、普通は。別に心配することないんだよな……普通は」


 ぼそぼそと独り言のつぶやくはっきりしない弟に、好はキレた。


「なんなのよ一体!ちょっと、おかーさーん!稔が変なこと言ってる!あたしと稔って血繋がってないわけ~?」

「はぁ~~~?」


 キッチンで夕飯の支度をいていた母は怪訝そうな顔をしてリビングへやってきた。


「何をバカなことをぬかしているんだお前は。好も稔も正真正銘、私が腹を痛めて産んだ子だぞ。一体どこの誰にそんな下らないことを吹き込まれたんだ?なんなら母子手帳でもへその緒でも見せてやるぞ?」

「や、違う!別にそんなこと疑ってるわけじゃないから!”もしも”の話だよ」

「なんで突然そんな仮定の話が出てくるのよ。……あ」


 好が何をひらめき、にやっと興味津々といった様子で稔に詰め寄った。


「分かった、あんたの彼女の、えーと……名前なんだっけ?と……と……と、が付いたのは覚えてるんだけど……」

「”永遠子”」

「そう!永遠子ちゃん!その永遠子ちゃんのことでしょ?なに、なに、永遠子ちゃんてば血の繋がらない弟がいるわけ?」

「そうなのか?好の話によると随分可愛い子らしいじゃないか。かなりの惚れ込みようだとか。そうそう、分かっていると思うが、ちゃんと節度あるつきあいをするんだぞ。私はまだ祖母にはなりたくないからな」

「祖母って……分かってるよ、その時にはちゃんと避妊くらいするってば。それはともかく……」


「避妊くらい!!?」


 話を進めようとした稔の声を遮るように、都が絶叫した。見ると般若のような形相で稔を睨み付けている。


「その発言は”避妊さえすればいいんだろ”と聞こえるぞ!言っただろ、”節度あるつきあいをしろ”と!」


 母の言葉に稔は目を丸くした。


「はぁ?じゃ、何、母さんは俺にずっとプラトニックでいろって言ってるわけ?」

「その通りだ」

「やだよ!」

「やだ?親のすねかじりの分際で何を生意気なことを言っている!高校生にはまだ早い!」

「いつの時代だよ!今の時代、早いヤツは中学くらいでやってるぞ!」

「その認識自体がお前が甘い証拠だ!大体、避妊すると言っているが、お前はどうやって避妊するつもりだ?」

「どうって……別に普通に……」

「言っておくが、コンドームの避妊率は100%ではないからな」

「……っ」

「100%ではない、ということは妊娠する可能性もあるということだぞ?お前、もし彼女が妊娠したらどうするつもりだ?責任がとれるのか?そもそもどうやって責任をとるつもりだ?お前はまだ未成年であるだけでなく結婚可能年齢にすら達していないんだぞ?産むにしたって堕ろすにしたって金がかかるぞ?言っておくが、私はお前に一銭だって貸さないからな。親に甘えようと思ったって無駄だぞ」


 稔は俯いて黙り込んだ。

 都はそんな息子の姿をしばらくまじまじと観察していたが、言い返せずに唇を噛んでいる様子がおかしくて「ふっ」と口の端に笑みを浮かべた。


「……と言ったからといって、年頃で彼女もちの男子高校生が大人しく言うことを聞くとは私も思っていない」


 稔は驚いて顔をすばやく上げて母を見上げた。


「そういう可能性があること、いざとなれば責任をとる覚悟を持つこと。それを肝に銘じておくというのなら、私の目の届かないところで息子が何をしてようが私の知るところではない」

「母さん……」


 ほっと安堵した顔で見上げる息子に、都は「はぁ」とため息をつくと頭を軽く叩いた。


「何を嬉しそうな顔をしている。”私の目の届かないところ”ということはこの家での行為も禁止ということだからな」

「え!!」

「当たり前だろう。この家は私が私のために私の金で買った家だぞ。お前はこの家に一銭でも金を入れているのか?ローンを払っているのか?小遣いをもらってる分際で何を言ってる。家族がいない日に彼女を連れ込んだことが分かったら、そのまま家から放り出すからそのつもりでいろ。好、これはお前にも言えることだからな」


 面白そうに傍観していた好は、突然話題を振られてぎょっとした顔を見せた。


「あたし?いやいや……心配しなくても、相手いないから」

「……相変わらずいないのか……」

「いなくちゃダメ?」


 むっとした表情の娘に、都はしばし考え込んで「ふむ」と言うと首を横に振った。


「まぁ、別に恋愛が人生のすべてではないしな。結婚なんてしたからどうってものでもないし」

「お母さんにそう言われると無駄に深いと言うか、いろいろ邪推したくなっちゃうんだけど……て言うか、あたしたちの父親って一体どこの誰なの?」


「は?」


 どさくさに紛れて聞きだそうとした問いは、母の冷気漂う笑顔と切れ味抜群の声によって今日もまた闇に葬られた。


 と言うか、脱線しすぎて行方が分からなくなっている稔の悩み相談の存在を、女性2人は完全に忘れかけているようである。


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