1:必然的な出会い
佐倉永遠子と六原稔がその日そこで出会ったのは必然だった。
それが2人の運命の出会い。
などという甘ったるい意味ではない。
言い換えよう。2人が出会ったのは偶然ではなかった。
と言うより、物理的な意味で、今まで出会っていなかった方がおかしかったと言った方がいい。
*
「あ、蝋人形」
自分以外誰もいない放課後の自習室。そこに突然現れた少女を見て、稔はぽつりとつぶやいた。
「あ、王子様」
自分以外誰も使っていないと思っていた放課後の自習室。ドアを開けると同時に目に飛び込んできた少年を見て、永遠子は心の中でつぶやいた。
「君、佐倉さんでしょ?C組の」
稔は自分が最上級に爽やかに見えると自覚している笑顔で永遠子に笑いかけた。
「………はい」
永遠子は息苦しいまでに大暴れする胸の鼓動に耐えながら、気味が悪いほど無表情で答えた。
「あは、本当にポーカーフェイスなんだね」
「はい」
「何しに来たの?」
「本を読みに」
「へぇ……」
会話が途切れた。
稔は気まずげに苦笑すると前を向いて座り直した。
永遠子は無表情のまま部屋に入ると出入り口に近い一番後ろの席についた。
そこは稔の横顔が一番よく見えるポジションだったからだ。
稔は、自分の笑顔に睫毛一本動かさなかった永遠子に戸惑っていた。
稔の「王子様」という猫は、必要以上に人を寄せ付けないための処世術であったが、こうまで無反応というのは逆に落ち着かない。
しかし、そんな彼女の「無反応」という反応には不思議な安心感があった。
自分の中の相反する感情に戸惑いはさらに高まる。
複雑な思春期の青少年の姿そのものである。
しかし、年期を積んだ猫かぶりのおかげで、永遠子からはアンニュイな雰囲気を漂わせて物思いにふける美少年にしか見えなかった。
ほぅ……。
永遠子は稔の横顔にうっとりと見とれながらわずかにほほを染めて甘いため息をもらした、つもりでいた。
あくまで”つもり”である。
彼女は自分がポーカーフェイスである自覚がない。
表情豊かに感情を表現しているつもりだけど、実際には眉一つ、睫毛一つ動かさず、ただ無表情でぼんやりしているようにしか見えなかった。
「佐倉さんは、よくここに来るの?」
居たたまれなさに絶えきれず発した稔の突然の問いかけに、思わず飛び上がらんばかりに驚いて目を大きく見開いたつもりの永遠子は、実際には入ってきた時とまったく変わらぬ無機質な無表情で稔を見つめた。
「はい」
「俺もよく来るんだけど、会ったことなかったね」
「はい」
「俺は週2くらいのペースで来てたんだけど、たまたまかぶらなかったってことかな」
「はい」
「確率的には結構すごいよね。俺、別に来る曜日とか決めてたわけじゃないんだ。なんとなく気が向いた時だけで。それなのにかぶらなかったなんて、よっぽど相性が悪いのかな?」
「はい」
「……いや、もしかして逆に、これが運命の出会いだったりしてね?」
「はい」
「……えーと。佐倉さん?」
「はい」
「もしかして、俺、邪魔?うるさい?」
「いいえ」
「あ、なんだ。……あ、や、ごめん。”はい”しか言わないから、それしかしゃべれないのかと思った」
「いいえ」
「あはは、そんな真顔で答えないでよ。冗談だから」
「はい」
「あ、また”はい”に戻っちゃった」
「はい」
「………ぶはっ」
稔は思わず、まったく不覚なことに、我慢しきれず、今までの爽やかイメージを壊滅させるほど盛大に噴き出した。
永遠子はその姿に飛び上がらんばかりに驚いて目をあらん限りに見開いたつもりで、実際は……もう面倒くさいので実際の姿は割愛しますが、とりあえず、驚いて彼を見つめた。
稔はすぐに我に返って取り繕うとしたけれど、永遠子の無表情を見ると無性に笑えてきて、今度は腹の底からげらげらとお腹を抱えて笑い出した。
家以外でこんな風に笑ったのは、思い出せるかぎりでは初めてだったかもしれない。
こんな姿を見せてはいけない。
頭では分かっていたけど、やめようと思えば思うほどおかしさがこみ上げてきて余計に声が増す。
だんだん、自分がなんで笑っているのか分からなくなってきた。
お腹を押さえながら横目で永遠子を見ると、やはりさっきとまったく変わらぬ顔で見つめている。
その顔には呆れも侮蔑も失望もなかった。ただただ無表情だった。
そうか。
稔は気付いた。
この子の前で一生懸命猫をかぶっている自分がおかしかったのか。
この子は、自分が爽やか王子だろうと爆笑洟垂れ小僧だろうとまったく気にしないんだ。
そんな子の前で、何を繕う必要がある?
実際の永遠子は、呆れも侮蔑も失望もしていなかったが、稔の様子をまったく気にしていなかったわけではない。彼が爽やか王子であるか、爆笑洟垂れ小僧であるかの違いはかなり重大であった。
しかし、彼女はそのギャップでさえ魅力と感じてしまうほどの面食いだった。
だから、稔の下した結論は、一見、考え違いも甚だしかったのだけど、回り回っては正しかった。
六原稔は、佐倉永遠子の前では何一つ自分を偽る必要はなくなった。
*
笑いが治まって、ふうと、半分疲れた半分達成感のある顔で稔がため息をついたその時、半開きになっていていたドアから屈強な身体の強面教師が勢い勇んで乱入してきた。
「こらーーーーー!誰だ!自習室でふざけているのは!」
教師は怒鳴りながら教室をぐるっと見渡し、そこにいる2人の姿を確認すると「あれ?」という顔で首をひねった。
「六原と佐倉……お前らだけか?」
「はい、そうです」
稔は先生受けが抜群だと自覚している笑顔を惜しみなくさらしながらにこやかに答えた。
その様子は、さっきまで爆笑していた姿など、想像も妄想すらも出来ないほど爽やかだった。
「おかしいなぁ……、さっきまでここで誰かが騒いでる声がしたと思ったんだが……」
教師は何度も首をひねりながら、2人の顔を交互に見つめた。
教師には、この2人が騒いでいた、という考えが浮かぶべくもなかった。
「多分、廊下で誰かが騒いでいたんだろう。いや、邪魔してすまなかった」
教師はいかつい顔を精一杯なごませて不気味な笑顔で出て行った。
その後ろ姿を爽やかな笑顔で見送っていた稔は、となりの生徒指導室の扉が閉まる音を聞くやいなや、おおげさに肩をすくめて皮肉な笑顔を浮かべた。
「おかしいよな、あの人。俺の笑顔に簡単に騙されちゃって、俺が騒いでいたなんてこれっぽっちも疑わないだから」
稔は席から立ち上がると永遠子の前に立ち、机に手をついて身をかがめた。
永遠子は無表情で稔を見上げた。
「やっぱり。これでも驚かないんだ。たいしたもんだね、君」
稔は意地悪そうににやっと笑った。
永遠子は、ああ、これが噂に聞く「二重人格」「腹黒」「俺様」というヤツかしら?
などと、驚き半分、好奇心半分で目を輝かせた(つもりだった)。
「驚いています」
「そうは見えないけど?」
「でも、驚いてます」
「幻滅した?」
「幻滅できるほどあなたを知りません」
稔は面白そうに目を細めると「たしかに」とつぶやいた。
「俺、君のこと気に入っちゃった」
「私も。あなたはとても興味深いです」
「そりゃ……気が合うな」
「はい」
稔は、作った爽やかでもなく、不可抗力の馬鹿笑いでもなく、無意識、しかしそれゆえの極上の笑みを浮かべた。
「俺は六原稔。よろしく佐倉永遠子さん」
「知ってます。よろしくお願いします、王子様」
「あぁ、蝋人形ちゃん」
*
こうして必然的に出会った2人。
今、2人の間にあるのは「好奇心」の3文字だけ。
それが「恋心」に変わる日は、いづれ訪れるかもしれません、必然的に。