9.5:王子様の実態調査(3)
放課後。
亘は一定以上の距離を保ったまま稔のあとを追った。
稔は一瞬のためらいもなく颯爽とした足取りで十数分間、校舎内を彷徨っている。
もし、稔の最終目的地の目星がついていなければ途中で見失っていたことであろう。
稔がそこに辿り着き、いつもの爽やか笑顔よりほんの少し輝きが増した表情でドアを開いていた時、亘は息も切れ切れ校舎の角を曲がっており、教室の中へ消えていく後ろ姿しかとらえることが出来なかった。
亘はめげずに生徒指導室前をそっと通り過ぎると、自習室の前のドアに耳に近づけた。
耳をすますと、かすかに話し声が聞こえる。
内容までは聞こえないが、おそらく一人ではない。
―――王子は誰かと一緒にいる!これは特ダネだ!
声の遠さから、どうやら稔は教室の後方にいるとあたりをつけると、足を忍ばせて後ろのドアへ回ろうとした。
「何をしてるんだ、度会」
突如かけられた声にぎょっとして振り返ると、がたいのいい体をいからせて、権田雄平が仁王立ちで睨みつけていた。
うかつだった。普段は人の気配に敏感な亘。誰かに背後を獲られたことなどなかったのだけれど、今回は王子のスクープに気がとられていて、周囲への注意がおろそかになっていた。
「あはは、権田先生。いや、ちょっと」
亘のごまかし笑いが権田に通じるわけがなかった。
「さてはお前だったんだな、何ヶ月か前からこのあたりで騒いでいたのは。最近大人しくなったと思っていたが、とうとう尻尾をあらわしたな」
「え、なんのことですか!」
「言い訳は生徒指導室でじっくり聞いてやる。来い」
「えー、ちょ、待って下さいよ。俺、何もしてませんよ」
「ああ、俺もお前が素直に認めるとは初めから思っちゃいない」
「素直にとかじゃなくて、本当にまったく身に覚えがないんです~」
そして生徒指導室に連行された亘は、数分間、権田とかみ合わない不毛なやりとりに費やさなければならなかった。
*
「じゃあ、本当に騒いでたのはお前じゃないんだな」
「だからそうだって言ってるじゃないですか。たまたま通りかかったら自習室から声が聞こえたから誰かいるのかなーと思って入ろうとしていただけなんですって」
「そうか……疑ってすまなかった」
権田はあっさり頭を下げた。
この男、顔が怖いため生徒達からは「鬼」だ「悪魔」だと恐れられているけれど、中身は意外と純粋かつ繊細な正直者で、自分に否があると思えば、生徒に頭を下げることを苦としない。亘はそんな権田の性格はとっくに調査済みなので、驚くこともなくむしろ何か情報を引き出してやろうと、探りを入れ始めた。
「いいえ。確かに俺も怪しい動きをしていた部分もあるので」
「そうだぞ!誰が自習室にいようがどうでもいいだろうが」
「いや、そうなんですけど、こんな誰も来ない校舎の片隅の自習室をわざわざ使っているなんて、なんかちょっと怪しいと思いませんか?」
「何が怪しいことがあるか!あの2人は毎日真面目に勉強をしに来ているだけだぞ!他の生徒達にもあいつらを見習ってほしいくらいだ!」
権田の言葉に亘はきらりと目を光らせた。
「え、権田先生、今自習室に誰がいるのか知ってるんですか?」
「ああ、1Aの六原と1Cの佐倉だ」
あっさり答えたその言葉に亘は心の中で「ビンゴ!」と叫んだ。
答えを聞き出せた喜びから、しばらくその組み合わせのありえなさに気づかなかった。
―――ついに掴んだ、王子密会の事実!お相手は佐倉!
佐倉………
佐倉って………、え?
「いやーーーーーーーーーーー!」
脳機能がフリーズして、ぼけっとしていた亘の耳に女性のかすかな叫び声が聞こえた。方角と声の大きさから考えて、発生源はとなりの自習室と思われる。
「え、今の声って……」
「ん、ああ、今度は佐倉か」
「は?今度って?」
「いや、この前も隣から突然『うわっ』って叫び声と何かが倒れるような音がしたから慌てて駆け込んだんだけどな。なんてことはない。六原がデカい虫に驚いただけだったんだ。今回もどうせそんなところだろう」
えーーーーー!?この教師大丈夫かよ。明らかにあやしいじゃん!
そんな気持ちが滲み出ていたのだろう、権田は少しムっとした顔をした。
「なんだその顔は。俺だって生徒の言うことを全部鵜呑みにするわけではないぞ。他の奴らだったら何かやましいことやいかがわしいことでもあったのかと少しは疑う。ただ相手はあの六原と佐倉だぞ。あの2人の間に一体何が起こるって言うんだ?」
こんな時にものを言うのが王子様の絶対的な信頼と好感度。稔はたとえ校内で銃を乱射しようとも「え~、見間違いじゃない?」で済まされるに違いない。
「権田先生。お客様がいらしているので職員室へ来て頂けませんか?」
突如割り込んできた第三の声は、影で「マドンナ」とあだ名される英語教師。
生徒達には28歳と公表しているが実のところは36歳で、密かに権田に片思い中なのだが、それを知っているのは校内では度会亘ただ一人である。
「ああ、すみません、わざわざ。すぐ行きます」
権田が立ち上がると、マドンナは大人の女性らしい余裕のある笑顔でそれに応じる。
権田は部屋を出ようとしたところで、振り返ると渉に声をかけた。
「度会。もう行っていいぞ。六原たちの邪魔をするなよ」
亘は軽く頭を下げると2人の後ろ姿を見送った。
―――邪魔?
するわけがない。そんなことしたら秘密がさぐれないじゃないか。
亘は権田たちの姿が完全に見えなくなるのを確認すると、飛んでいって自習室のうしろのドアに耳を貼りつけた。
「……子ちゃん」
今度はしっかり聞こえた。間違いなく王子様、六原稔の声だ。
「キスしてもいい?」
亘は自分の耳を疑った。
―――キス?
「だって、さっき永遠子ちゃんが拒んでたのは、えっちでしょ?」
――はぁ!
――拒んだ?えっち?
さあ、突然ですがここで度会渉の脳内Q&A!
Q ここはどこ?
A 学校です
Q 声の主は誰?
A 学内一の爽やか好青年と名高い王子様、六原稔くんです
Q 相手の女の子は誰?
A 学内一謎の人物、会話どころか生きていることすら疑わしい蝋人形、佐倉永遠子さんです
ありえない。
自分は今、生涯に於いてもっともありえない会話を聞いています。
権田は実は女装癖があるらしいよ、という話の方がよっぽど信憑性がある。
亘が混乱している間にも、自習室の中ではどんどん会話が進行してゆく。
「デートまでおあずけってことで」
どんなに信じられなかろうと、ここまで聞けば、もう確定だろう。
「ファーストキスは初デートで」
その発言に対する戸惑うような少女の声が聞こえたかと思うと、中で何かが動く音がした。
亘は細心の注意を払って、そっとドアに隙間をあけた。
そこから見えた光景は、疑いようのない真実だった。
王子様が蝋人形を抱き寄せ、とろけるような甘い表情をして耳元で何かを囁いていたのだ。
*
好奇心は猫(かぶり)をも見破る。
亘はそっとドアから離れると、教室の角を曲がりそのままその場に脱力して座り込んだ。
―――思いがけず、王子様だけじゃなく蝋人形の秘密まで掴んでしまった!
亘は驚きと興奮と達成感から、しばらく立ち上がることができなかった。