9.5:王子様の実態調査(2)
そして昼休み。
亘は気配を消してこっそりひっそり、数人のクラスメートと食堂で昼食をとっている稔を観察した。
稔は数人のクラスメートと談笑しながら「本日の定食」を食べている。1日30食分しか作られず、昼休み開始10分にして完売するはずなのに、15分後に食堂に現れた稔がちゃっかりありついているのは単に運がいいからではないだろう。
談笑する稔の様子はそつがない。にこやかに相づちを打ちながらも、完全に聞き役に回るわけではなく、適度に気の利いた発言をし場を和ませる。女子から圧倒的な人気がありながら、男子からも好かれているのはこうしたそつのなさが要因なのだろう。
「あ、そういえば王子、この前生徒指導室の前で権田につかまってただろ」
一人の発言に稔は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに「ああ」と思い至りにっこり微笑んだ。
「テスト前?うん。なんか”最近の学生はなってない”とか”生徒の扱いが分からない”とか愚痴られちゃったよ」
稔の言葉に、一同は大いに盛り上がった。
「うわあ、なんだよそれ!キモー」
「生徒に愚痴るなよな」
「さすが王子!権田まで手懐けるとは!」
稔も、「手懐けるなんて、人聞きが悪いなあ」などとそつなく答えてみせる。
「そういや王子って結構生徒指導室に顔出してんの?前にも近くで見かけたことあるんだけど」
亘にとっては、特に目新しい情報ではなかった。
稔が以前から放課後生徒指導室附近で目撃されていることはすでに調査済みだ。
「権田先生は地理だからね。俺、地理苦手だからよく質問に行くんだ」
「おいおい大丈夫かよ~。必要以上に気に入られないように気をつけろよ」
「そうそう。権田って40間近のくせにいまだ独身で女の影もないとか、もしかして変な趣味でもあるのかもしんねえじゃん」
「えー、なになに、それマジ?少年趣味?マジ王子危ないじゃん!そういう趣味のヤツに狙われやすい顔してるんだから気をつけないと~」
権田が38歳にして未だ結婚していないのは、実は高校時代に想いを告げることもなく散った初恋の人を忘れられないためという顔に似合わないロマンチックな理由であることを、亘は「調査書:教師編」の機密レベル5の項目に書きとどめているのだが、今は関係ないのでそのことには深く触れないことにする。
「権田先生は生徒想いのいい先生だよ。ただその表現の仕方が下手なだけで」
「またまた、王子は人がいいから」
「そうだよ、騙されてんじゃね?」
「大丈夫だって。それに、もし危ない目に遭いそうになったとしても、俺、自己防衛くらいできるから」
そう。華奢そうに見えて実は稔は意外と腕っ節がよかったりする。
特別何かを習ったことがあるわけではないが、天性の要領の良さで見よう見まねで合気道もどき柔道もどきを習得していたりする。
顔がよくて頭がよくて喧嘩まで強い。
普通なら全校男子生徒から総スカンを食ってもおかしくない男である。
それからも、クラスメートたちと稔の会話は続いていたが、これと言って特筆するような情報は得られなかった。
*
「あ、みのるぅ~」
昼食を終え、教室へ戻ろうとするクラスメートと別れ、一人校舎の片隅にある自販機に立ち寄っていた稔に近づく者がいた。
【調査NO.15 鈴谷美由
中略
備考:
入学後数日にして、学内三大美少女に数えられる。
明るく気さくだが反面計算高い一面も持ち、多くの単純な男子生徒からはアイドル視されているものの、一部の聡明な男子や女生徒たちからは敬遠されがち。
多くの人には語れない趣味をもつ】
彼女の趣味について、亘の「調査書」には詳細が半ページに渡って記載されているのだが、これも今は関係ないので触れないことにする。
それはさておき、美由は稔に駆け寄ると小首を斜め45度に傾けて上目遣いに見上げながら何やら次々と語りかけている。
稔はそんな美由に愛想よくにこやかな様子で相づちをうつ。
やはりまったく隙もそつがない。どこからどうみても、優しく穏やかで好感の持てる爽やかさ。文句のつけようのない対応だった。
ボロを出さないものかと、半日観察しては見たけれどボロのボの字も見せない稔に、実は本当に裏なんか何もない見た目通りの爽やか王子様なのではないかと、亘は自分の勘にわずかに疑問を感じ始めていた。
「そういえばぁ、昨日の放課後、また生徒指導室の近くで稔のこと見たよ~」
「ああ、うん」
――また”生徒指導室”?
このネタはもういいのにな。
亘は辛抱強く聞き耳を立て続けた。
「隣の自習室に入っていったでしょ。私も追いかけようとしたんだけどぉ、権田が生徒指導室のあけっぱなしだったドアからすっごい睨んでてぇ、思わず逃げ出しちゃった」
「てへ★」と可愛く首をかしげるその角度も45度。
稔同様、亘もこの手の女の計算っぷりは熟知しているので、ただただ冷静に脳内調査書に
【王子に鈴谷美由のぶりっこ攻撃は通用しない】という情報が書き込まれただけだった。
「あの自習室は静かで勉強するにはちょうどいいんだ」
「えー、そうなのぉ?」
「うん。隣は生徒指導室だから、みんな怖がって寄りつかないからね」
「ふーん。じゃあ美由も遊びに行こうかなあ」
その瞬間。
ほんのわずかに、きっと大方の人間はまったく気づかないくらい、極々わずかに稔の笑顔を引きつったのを亘は見逃さなかった。
「うん。是非おいでよ」
「本当!行ってもいいの?」
「もちろんだよ」
そう笑う笑顔はいつも通りの爽やかさだった。
しかし、「さっきの顔は見間違いか?」と思うほど亘は単純な人間ではなかった。
まがりなりにも自称:情報屋。さらに注意深く観察を続ける。
「ただ……気をつけてね?」
稔とすごす放課後を思い浮かべていたのだろうか、うっとりした表情を浮かべていた美由に、稔は優しくこう告げた。
「ちょっとでも物音を立てると、隣の生徒指導室から権田先生が飛び込んでくるから」
愛すべきぶりっこ鈴谷美由は計算していない時の感情表現はとんでもなく分かりやすい。
思ったことがすべて顔に出る。
この時美由の顔にはこう書いてあった。
「うげっ!うざーーーーーい!」
美由は頭の中ですぐさま計算をした。
ミッション:放課後生徒指導室へ行く
メリット:王子様と2人きり→いいムードになれたら一気に彼女に昇格?(きゃーv)
デメリット:権田の乱入→音が立てられない→おしゃべりできない
「むむむ」
美由の心は揺れていた。
せっかく2人きりなのに黙っていることなどできるだろうか。
ああでも、稔とだったら何も話さなくても一緒にいられるだけで幸せかも……
心のバロメーターがメリットに振れそうになった時、さらに稔は穏やかにこう付け足した。
「ちょっと椅子を引いただけで『何事だー』って乱入された時は驚いたな」
「い、椅子を引いただけ?」
「うん。音を立てなくても、しょっちゅう様子を見に自習室に入ってきては親切に世界の地理について熱く語っていってくれるよ。おかげで俺、ずいぶん世界の産業や地形に詳しくなったよ。テストには出ないけどね」
美由のバロメーターはものすごい勢いでデメリットに振り切れた。
「や、やっぱり私はやめとく~。地理は結構得意だしぃ、授業以外ではあんまり聞きたくないかも~」
「そう?」
「うん」
その瞬間の稔の顔。
美由は気づいていなかったが、亘は直感という名の本能で読み取った。
――ちょろいな。
稔の顔には間違いなくそう書いてあった。
「気が向いたらおいでよ。権田先生も喜んで迎えてくれると思うよ」
追い打ちをかけるように言ったその言葉に美由は思い切り首を横に振る。
なぜ、気づかない。
――絶対来ないでね。権田に言いつけるよ。
彼がそう言っていることに。
生徒指導室横自習室。
王子様の秘密の鍵を握る「何か」がそこにあるのは間違いないらしい。
亘はひっそりとその場をあとにしながら、目を輝かせて小さくガッツポーズした。