籠の中の鳥
恋愛もどきです。
「もう、終わりにする」
「…え…?」
彼の部屋の中。彼の…支配下の中。
私は、これ以上、その状態に耐えられなかった。
「さよなら、もう、ここには来ないから…」
「ちょっと、待てよ! それ、どういうことだよっ」
彼の怒号を背に、私は部屋を飛び出した。
彼と付き合い出したのは、1年前。
そう、今日と同じ、そろそろ暑くなってくるなって思ってた頃だった。
たまたま同じ学部で、同じクラブにいた。私には、ただの友人にしか思えない人。話せば、まあ、人の良さそうな人だなと感じるぐらいで。
1対1で付き合うより、大勢で騒ぐ方が好きだったから、
彼から告白されたときは、はっきり言って迷惑にさえ思えた。
「困る」
「……え?」
「そーゆーのは、すごく困るって言ってる」
つっけんどんに言い放つ私に、彼は、何とも言い難い顔をした。
----------- 腹立たしい。
「困るって……」
私の言葉を繰り返すだけで、彼は頭が真っ白になったようだった。
仕方ないので、言ってやることにした。
「だーからね、私、1対1の付き合いはしないことにしてるの。キミの申し出は、迷惑だっていうわけ」
“じゃ”と、私は彼の横を通りすぎようとした。
「待ったっ!」
「…! …痛いっ!」
腕を掴まれた。
「こんの、バカ力! 痛いじゃないっ」
焦っていたのか、彼はすごい力で掴んできた。
私は逃げるつもりなんてなかったのに。
「あ、ああ、ごめん」
パッと離す。…その仕草は、かわいかったけど。
「何?」
腕をさすりながら、聞く。二の腕だったせいで、ひりひりする。
「いや…その、さ。どうして、付き合いをしないことにしてるのかと思って。嫌いってワケじゃないんだよなあ、オレのこと」
「嫌いじゃないけど。友人に、好きとか嫌いとか意識したことないし」
「う」
「これ以上、何か、ある?」
挑戦的な眼差しだったと、後で彼は言った。私は、睨みつけてやったつもりだったのに。
一呼吸おいて、彼は言う。
「…新しいことにトライしてみるつもりはない?」
「ない」
間髪いれずに答える。
「そんなにハッキリ言わなくても…」
「相手に期待を持たせるようなことは、言いたくない」
いい加減、イライラしてきた。
「もう、この辺にしてくれない?」
この申し出に、彼は乗らなかった。
私のペースを乱す奴は嫌いだ。
「…押し問答を続けるつもりはないんだけど」
ため息混じりに吐いた言葉に、彼は、
「オレもそんなつもりはないさ。付き合ってくれって、言ってんだから」
「だから、それは困るって言ってる」
「困るだけで断ったワケじゃないから、こっちにも分があるってことだよなあ」
薄笑いを浮かべているように見えた。
…開き直った? タチの悪い……
「ヤな性格…」
「お互い様だろ。じゃ、そゆことで、よろしく」
「な…!」
無理矢理、自分のペースで話をまとめられてしまった。かなり強引に。
冗談じゃない、と言いたかったのに、彼はさっさと行ってしまった。
そして、始まってしまったのだ。悪夢のような日々が。
二人でいると、息がつまる。いつも不機嫌になる。
どうしたのかと問われても、それをどうやって説明すればいいのか分からない。
説明しなくてはならないことが、腹立たしい。
「言わなければいい」と、彼は言う。それが、イライラする原因だとも知らないで。
他人だから。私の心の中を決して知ることのできない他人だから。
最初から、私は反対だったのに。付き合いたいとか言うから、私を知りたいなんて思うから。どうして私が彼のために、私の思っていることを説明しなくてはならないのだ。
目と目を合わせることさえ、恐れた。
二人きりになることが、怖くて怖くて………
休日、友人に電話をする。
「ごめん、今日、先約あるんだ」
「そっか…、じゃ、いいよ」
「あんた、彼氏いるじゃん。今日、会わないの?」
「いや…そういうワケでは…」
「そっち優先じゃないの?」
「んー」
「変なの…じゃ、またね」
電話を切って、ため息をつく。
大勢で、友人とバカ騒ぎするのがいいのに。ただ、彼氏というものがいるだけで、どうしてそっちを優先しなければならないのかが、分からなかった。
二人きり、なんて、冗談じゃない。
二人で、一体、何をしろというのだ。人数が足りなすぎる。
彼といると、彼のペースに巻き込まれる。流される。私は私でいられなくなる。彼の思うがまま……
肩に触れられる。髪をなでられる。されるがまま、望まれるままに、身体さえも与えた。
二人でいるときの沈黙に耐えられなかった。
雨の降る日、朝から部屋に閉じこもる。二人。
彼はテレビゲームをしながら、暇をつぶす。私は窓の外を眺めている。
-------- 鬱陶しい…
雨は嫌いだ。出かける気をなくす。
それは、彼と二人で、密室に閉じ込められることを意味する。何をするにも、彼の視線が付きまとっているようで、息がつまる。
「出かけてくる」
「どこに?」
「…どこだっていいじゃない」
「一緒に行くよ」
「どうして?」
「どうしてって…」
かれは耳の下あたりを、軽く掻いた。
ここにいるのが窮屈なのに、どうしてこの人がついてくるのかが理解できない。
「一人で出かけたいの。来ないで」
ドアを叩きつけるように、部屋を飛び出した。
車を走らせて、どこまでも行きたかった。
でも………
私は一体、何をしているのだろう。
傍らで眠る彼の寝顔を見ながら、夜を明かす。
-------- 眠れない。
静かな寝息を聞いてると、殺意さえ思い浮かべている自分に気がついた。
何故私は側にいるのか。何故こうやって二人でいるのか。
全てを客観的に見れるのは、彼が口を開かない、真夜中。
ため息混じりに、苦笑する。
こうなることが分かっていたから、1対1の付き合いはしたくなかったのだ。
大勢の中なら、うわべだけの付き合いで済む。私の本心など、誰も知りたがらない。でも、相手が一人になってしまったら。
お互いの心の中を探ろうとする。信じようとする。疑おうとする。
そんなの…耐えられない。私は相手の心に流されて、自分のペースを保てなくなる。ずるずると、彼の思い通りに動く操り人形。籠の中の鳥。私は、逃げ出すことばかり考えている。
でも、私は逃げられるのか。
すでに、居心地がいいと思ってしまっている、彼の腕の中から。一人のときは知ることもなかった、ぬくもりから。
誰かの庇護下にあるということは、ものすごく安心できることだ。そこから逃げてしまえるのだろうか------?
けれど。
今のままでは、きっと、堕落の一途をたどるだけ。
私は私を見失い、彼は籠の中の鳥を手に入れる。そんなの、許せない。不公平すぎる。
完全に依存してしまう前に、逃げ出すべきだ。今ならまだ間に合うかもしれない。
だから………
「さよなら。もう、ここには戻らない」
99・12・15
数年前のつたないものですが。