第三章
ドンッ、ドンドンッ
「燐夜っ。起きて、燐夜っ」
「んん。四季……か」
事件から一夜明けた早朝。
一旦寮に戻り仮眠を取っていた燐夜を起こしたのは、日常の目覚まし時計による電子音ではなく、扉を叩く音と四季の切羽詰まった声だった。
不穏なものを感じ、燐夜が体にへばりつくような陰気な氣を押しのけ、ベッドから跳ね起き部屋の戸の鍵を開ける。
「どうした? 四季。こんなに朝早く。何があった?」
「悪い知らせが三つある」
「……どれか一つだけにしてくれないか?」
「冗談言ってる場合じゃないでしょ」
四季の言葉に燐夜は顔を顰める。と同時に、寝起きでぼんやりしていた思考が、すぐさま普段の状態まで覚醒の度合いを高めた。
「何があった?」
「軽い方から言うと、今朝、2人目の犠牲者が出た」
「おい、一番軽くてそれかよ」
「げんなりするなよ、もう。とりあえず状況説明をするよ。被害にあったのは中等部三年の網谷茂。真面目な子で、昨晩から部屋に戻ってこないと彼の友達が生徒会に連絡。捜索を開始したところ、旧校舎一階の女子トイレで魂を向かれている彼を発見。今は風林さんと霧葉が現場に向かってる。でも、ちょっと厄介なことが起きて……」
「ちょっと待て、一つ目の問題はまだ続くのか」
燐夜が寝グセでぼさぼさになった髪を掻き上げ、ため息交じりに呟いた。
「問題というか、昨日に引き続き生徒会と封鬼委員が学内で忙しく動いてるってことで、広報部の連中が動き出したんだ」
「……まさか、学内の生徒に鬼の存在が知られたのか?」
「……うん」
「はぁ、マジかよ」
燐夜が壁に体重を預け寄りかかる、そして髪に回していた掌を顔に当てて深いため息をついた。これで鬼と生徒、気を回す対象が倍増したことになる。
「なんとか隠し通せなかったのか?」
「そこは、二つ目三つ目の悪い知らせと関係してる。燐夜ちょっと失礼するよ」
燐夜に断って部屋の中に入ってきた四季は、ベッドに上ってカーテンを開き窓を開けた。
「見て……燐夜」
四季に促され、暗雲が立ち籠める窓の外を見上げた燐夜は学園の状態を知り愕然とした。
「やられたよ。これで誰も、この学園から逃げられなくなった」
「【断世解離の黒城】……か。クソッ。たしかに、これだけやられりゃ、隠し通す方が無理だな」
燐夜が悔しそうに歯ぎしりをする。【断世解離の黒城】とは鬼が使う上級鬼術であり、その名のとおり雲で覆った中と外の世界を分断する効力を持つ術だ。
「でもよ、鬼を浄化する力に満ちたこの学園に【断世解離の黒城】を掛けるなんて、今回の鬼はどれだけやばいんだ」
「少なからず、この学園の生徒全員の魂を食らう気でいるのは確かだね。発動したのはついさっき、燐夜が見回りを交代した後だよ」
四季の言葉が終わると同時に、燐夜は固く握った拳で部屋の壁を殴った。
「ちくしょう。2人目が出た上に【断世解離の黒城】か。完全に後手に回ってるな」
「落ち込んでいるとこ悪いんだけど、あと一つ知らせが残っているよ」
苦笑いを浮かべながらそう言う四季に、燐夜が悪態の一つでも言ってやろうとした、まさにその時。雨でじっとりと濡れた服を着ているような嫌悪感、喉元に刀の切っ先を押しつけてられているような危機感が燐夜を襲った。
起きたときから多少気がかりだった辺りの氣の変化にようやく合点がいった燐夜が、わずかな興奮を乾いた笑いと共に吐き出す。
「っは。最後で最悪の知らせってこいつのことか」
「気付いたみたいだね」
燐夜がその身体で感じ取ったのは、紛れもなく鬼気。その密度は薄いが、肌が感じる強さは本物。しかし、その気に応じるように燐夜の身体を駆け巡ったのは、先ほど感じた危機に対する恐怖などではなく、湧きあがるような昂揚感だった。
燐夜の口元が不敵に歪む。
「いつからだ?」
「【黒城】の発動とほぼ同時。多分、逃げられる心配がなくなったからじゃないかな」
「最初から逃げる気はさらさら無いけどな。―それより、鬼気の発生元は分からないのか」
「一応、もう一度風林に【鬼気捜羅】を頼んだんだけど、鬼気は学園全体にまんべんなく充満していて、どこが発生元なのかは特定できなかった」
「学園側の動きは?」
「さすがに、初等部と中等部は休校、寮で待機にしたらしいんだけど……」
言葉を区切る四季に、その内心を察知した燐夜が「はぁ……」っと深い溜息をいた。
「高等部……か?」
「うん。先生たちは高等部も休校にしたかったらしいけど、みんな『鬼になめられてたまるか』とか言って、休校に反対したんだ。中には自分たちの手で鬼を倒す気でいる奴らもいるみたい」
「いつもは仮病を使ってまで休むくせに。何でこの学園は血の気の多い莫迦が大勢いるんだ?」
燐夜の心からの悪態に、四季も同意して「あははははは」と笑った。
「まあいい。とりあえず、状況が変わった以上もう一度全員集まって作戦を立て直すぞ」
「うん。そうだね」
燐夜はすぐに支度を整え、睡眠不足を訴える身体を無視し、四季と共に寮の廊下を駆けだした。寮から九浄学園高等部までは目と鼻の先。燐夜たちの足ならものの十数分で着くことができる。……はずだった。
「ちくしょう。あいつら、絶対に怒ってるぞ」
「同感」
しかし、すでに燐夜の部屋から飛び出して二十分は経過したにもかかわらず、2人は依然として校舎内を走り回っていた。
否。2人は追われていた。
「毎日九浄新聞部の者です。“封鬼委員委員長“紅月燐夜氏。同じく”封鬼委員副委員長“七海四季氏。校内に鬼が現れたとのことですが、何か一言」
「オハヨウ報道です。燐夜さん、被害者の状態は?」
「すいません。カメラに向かって、何か一言。あっ、窓から中庭に逃げるぞ」
校内を駆ける2人の後ろに、マイクやカメラを手に持った各広報部の生徒が十数人単位で追いかけているのだ。燐夜たちは本気で彼らを撒こうとしているのだが、そこは九浄学園の生徒。疾風のように校内を駆ける燐夜と四季にギリギリであるが何とか付いて来る。
「ああああぁっ。うざってぇ。おい、四季。あいつらぶっ飛ばすか?」
「いやいや、さすがにそれは」
苛立ちながら冗談とも思えない言葉を吐く燐夜を、四季が笑って宥める。
「校則では『封鬼委員室に潜入禁止』になってるからね。こうして、廊下にいる時しかチャンスがないんだもん。彼らだって仕事だしさ」
「こっちの仕事も考えろってんだよ。――っげ、まだ付いてきやがる。どうしてあの根性を授業に向けねえんだ、あいつらは?」
「君がそれを言うかい?」
記者生徒たちを完全に振り払うために、2人はさらに速度を上げた。
まるで鬼への当てつけのように不自然なほど自然な日常を送る生徒たちの間をすり抜け、階段を5段飛ばしで駆け上がり、荒々しく屋上の扉を開く。そして、さすがに息の切れ始めた生徒たちが屋上に集まったところで、燐夜たちは「じゃあな」彼らに不敵な笑みを残し屋上のフェンスを飛び越えた。重力の手に捕まる2人の身体。徐々に増す落下速度。
しかし、2人は何事もないように無傷のまま地面に着地。まんまと記者の一団を屋上に残し、自分たちは封鬼委員室に一番近い中庭に降り立った。……が。
「なあ、四季。この学園の広報部っていくつあるんだ?」
「ネット関連も含めれば、初等部から高等部まで合わせて軽く50はあるんじゃない?」
燐夜と四季が降りたのは幾重にも生徒たちが2人を取り囲む、包囲網のど真ん中だった。
「はぁ……。委員長の遅刻。また夏姫にどやされるな」
「あはははは。がんばってね」
燐夜と四季の会話の最中も、じりじりと小さくなる包囲網。しかしその中でなお、燐夜はその裡に駆ける思いを押し殺し、まるで子供のような笑みを浮かべた。
「たくっ。この学園は本当に馬鹿ばっかりだな」
「だから、君がそれを言うかい」
「うるせぇ……よっと」
燐夜の最後の一言と共に、2人は再びその身体を風に変えた。さすがに時間を浪費し過ぎているため、2人は少しだけ本気になる。その速さに、二人を囲む生徒は言葉を失った。
風になった燐夜が舞い上がる。力強く蹴られた地面が砂埃を上げる中、燐夜は空に向かって跳び出した。向かうは校舎の壁。燐夜がその強靭な脚力で垂直の壁を映画のように駆け走る。
風になった四季が舞い踊る。燐夜の生み出した砂埃から校舎へ続く扉に向かって飛び出した。眼前に立ち塞がる人垣を、まるで舞でも踊るかのような軽いステップで駆け抜ける。
生徒たちの眼に残像を残し、2人は目的地へ向けてさらに速度を上げた。
報道部の生徒を巻いて数分後。燐夜たちが封鬼委員室の扉を開けると、霧葉・風林を含め昨日と同様に封鬼委員の面々が神妙な面持ちで揃っていた。
「悪い、遅れた」
「ハアハァ。燐夜、ちょっと早いよ」
「四季、封鬼委員ならもうちょっと体鍛えろよ」
「燐夜が早すぎるんだよ。ほんと、体力バカなんだから」
「なんだと、てめぇ。グハッ!」
「いや、ちょっと。なつ。グフッ!」
「委員長・副委員長が揃って遅刻してどうすんの?」
燐夜と四季に鉄拳を食らわせた夏姫が、腕組をして二人を見下ろした。
「まあ、どうせ。広報部の人たちに追われてたんでしょ」
「わかってるなら、殴るんじゃねえよ。この暴力お……アガッ」
悪態を言おうとした燐夜の顔面に、夏姫のつま先が突き刺さった。
鼻っ面を抑える燐夜が2・3歩と後ずさる。
「おい………夏姫。お前、いい加減にしろよ」
「いい加減にするのはあんたでしょ。遅刻してきたと思ったら、今度は逆ギレ? そんなに器の小さい男だとは思わなかったわ」
「はんっ。胸の器が小さい奴にとやかく言われたかねぇな」
「な、ななな。なんですってっ!?」
殺気を身に纏い睨み合う燐夜と夏姫。オロオロとする三神以外のメンバーは、その様子に呆れるか、または楽しみながら二人を観察する。
そんな中、燐夜と夏姫の殺気を収めたのは、「くすくす」という、澄んだ笑い声だった。
「相変わらず。仲がよろしいですね。燐夜さん。夏輝さん」
「―――藍夏か」
親しげに自分の名を呼ぶ燐夜に、ゆったりと着物姿でソファーに座る、“九浄学園生徒会長”天宝院藍夏が慈しみ深い微笑みを返す。その笑みは、燐夜と夏姫が生み出す怒気の残りカスさえも、きれいに洗い流すほど穏やかだった。
その笑みに肩の力を抜かれた燐夜は、藍夏の対面のソファーに座り直した。だが、燐夜は目の前に座る藍夏には目を合わせず、若干嫌な顔をしながら部屋の内部を見渡し呟いた。
「あのバカは来てないんだな」
「はい。あのおバカさんは任務中です。他の皆さんもお忙しいですし、今は私だけです」
藍夏の言う通り、今部屋に来ている生徒会は彼女一人だった。実際、燐夜自身もそのくらいは気配でわかっていたのだが、今は藍夏と顔を合わす気にはなれない。しかし、いつまでもそうして話を逸らすわけにもいかず、燐夜はため息と共に藍夏を正面から見据えた。
その限りなく澄んだ藍夏の瞳の前に、燐夜は荒々しく髪を掻き、再び視線を逸らす。
人の心を読むことに長けた藍夏は、そんな気丈に振る舞う燐夜にそっと小さな口を開いた。
「被害に遭われたお二人のことは、あなたの責任ではありませんよ」
藍夏の言葉は人の心を洗う。その淀みのない声は、聞く者の心を解き放つ力に満ちていた。藍夏の言葉は同情ではない。彼女の言葉が映し出すのは彼女の本心そのものだ。
その言葉に、さらに荒々しく頭を掻く燐夜だったが、すぐに照れたような笑みを浮かべ、「ありがとよ」と小さく呟いた。
そして、すぐに頬を引き締めいつものように泰然とした表情で再び顔を上げ、藍夏の瞳を真っ向から見据えて口を開いた。
「でっ、何の話をしにきた?」
燐夜の声に、部屋の中の空気が引き締まる。燐夜の声色と氣に迷いがなくなったのを感じ、藍夏は更に微笑みを深くしながらも、凛然とした態度で応じた。
「御察しのほどと思いますが。今回の学内における魂奪、及び学園全域に張られた【断世解離の黒城】と犯鬼の者と思われる鬼気について、生徒会・封鬼委員の双方における今後の活動についてお話しに参りました。燐夜さん、今の学園の状況をどうお考えですか?」
「そうだな……」
藍夏の問いに燐夜を少し考えてから、指を三本立て「三つだな」と答えた。
「やはり。私どもと同じですね」
「ああ。現状況で俺たちが不利な点は三つだ。一つ目は学園全体が鬼気に覆われたことで、鬼の探知が今まで以上に面倒になる」
「はい。彼らがこの学園で我々を掻い潜れるとするならば、彼らと同じ闇が支配する夜だけですから。しかし……」
「闇と代わりとなる鬼気が学園を包んでいればその限りじゃない……だな。下手すりゃ、今まで夜だけだった犯行が昼にでも可能になる。――二つ目の厄介な点は学生たちだな」
「そうですね。いくら九浄の者といえども、この鬼気の中に長くいることになればその瘴気に当てられてしまうでしょう。この点については、すでに我々が動いております。小・中・高等部の寮に信頼のおける浄化師を配置しましたし、私もいます」
藍夏の心強い言葉に、燐夜は少しだけ頬を緩めた。生徒会長を務める藍夏だが、浄化を操る法術師の腕は過去の歴史の中でも最高峰。燐夜も、藍夏には絶大な信頼を寄せていた。
「そうだな。じゃあ、最後に三つ目だが、正直これが一番きついだよな」
「同感ですね」
「鬼の鬼気に満ちた学内は、言ってみれば鬼の体内。こっちの行動は筒抜けだ。クソッ。完全に出し抜かれたな」
だんだん苛立ち始めた燐夜を、藍夏は言葉ではなく頬笑みだけで沈める。藍夏の笑顔には、人の心を穏やかにする力がある。
藍夏は徐々に燐夜が力を抜くのを感じながら、「提案があります」と持ちかけた。
「提案?」
「はい。校長先生はいつものように全てを任せられましたが、今回の鬼は間違いなく強敵。その上、失礼ですが今この学園にいらっしゃる先生方は、まだこういった危機に対する応対力はありません。ここは生徒会と封鬼委員が手を取り合うべきではないでしょう……」
「断る」
藍夏の話の最後の部分を、燐夜は完全な拒否という刃を持って切り取った。
一瞬の静寂。
破ったのは燐夜と藍夏の笑い声だった。燐夜は天を仰ぎ、藍夏は口に手を当て笑う。
楽しそうに笑う燐夜は、全てを了解した上で笑う藍夏に向かって言った。
「組織になれば動きが鈍る。己が赴くままに自由に動く、それが封鬼委員だ」
「はい。それが貴方たちです。――では、こういうのはどうでしょう。あなた方は今までどおりで構いません。そして、手を組むのではなく、もし私たち生徒会がピンチになったら、貴方たちは気まぐれで助けてください。逆に、貴方たちがピンチになられた時は、生徒会が気まぐれで助けるということで。これならば、どちらも自分の意思ですし、気まぐれですから手を組んでるわけでもありませんよね。どうですか?」
にこやかにそう告げる藍夏を、燐夜が探るように眺め、訊いた。
「……そうやって、相手の返答を知っている上での質問て、意味あんのか?」
「いくら心が読めても、実際に口に出していただかないと意味がないこともあるんです」
じっと黙ったままお互いを見詰め合う燐夜と藍夏。今度は燐夜が先に口を開いた。
「はぁ。相変わらずだな。藍夏」
「貴方もですよ燐夜さん」
その言葉で再び2人が黙ったかと思うと、燐夜が立ち上がり、藍夏をソファーの反対側、封鬼委員の面々の前に回ってからもう一度藍夏に向き合って、低く笑いながら言った。
「じゃあ、言わせてもらうぞ。――――見くびんなよ」
その声に、藍夏は「はい」と笑いながら応じた。その笑みを見ながら燐夜は更に続ける。
「目の前に傷ついたやつがいれば助けるし、鬼がいれば斬る。そんなこと、いちいち約束することじゃないだろ」
燐夜の言葉に、封鬼委員が満足げに頷く。その色よい返事に、藍夏は満足げに微笑み、優雅な身のこなしで立ち上がって深々とお辞儀をした。
「良いお返事がお聞き出来て良かったです。それでは、私はこれで……」
そう言って、藍夏は踵を返し扉に向かう。
しかし、その後ろ姿を、「ちょっと待って」という燐夜の声が押し止めた。
「本当に、この話のためだけに来たのか?」
「……はい。そうですが」
顔半分だけ振り返り答える藍夏に、燐夜は苦笑いを浮かべながら応えた。
「本当に相変わらずだな。……その嘘が下手なところは特に」
燐夜の眼光が途端に鋭いものに変わり、緩んでいた顔つきもその反動であるかのように引き締まる。次に発せられる言葉は優しい怒気を纏っていた。
「自分自身を囮に使う気だったろ」
燐夜の言葉に、封鬼委員がビクンと震えた。
「どうして……、そう思われるのですか」
「さっき、俺が言ったろ。今この学園内は鬼の体内も同然。その中でお前の懐刀、近衛隊の一人も付けずに歩き廻るなんて、普通ならしねぇだろ。―――藍夏、お前の言葉そのまま返すぞ。被害にあった二人のことは、お前の責任なんかじゃねぇ」
「――――くす。貴方も本当にお変わりありませんね」
そう言って完全に振り返った藍夏は。今度は謝罪の意を込めて、深々と頭を垂れた。
「少し軽率だったようです。ご心配をお掛けてどうもすみません」
「ああ、その通りだ。今、藍夏が襲われたら、それこそ生徒たちは益々不安になるだろ」
「返す言葉もありませんね」
「別にお前のことを信頼してないわけじゃないが、生徒会の連中と合流するまで、俺たちが護衛につかせてもらうぞ。――四季、白都。頼めるか」
「いいよ。燐夜」
「わかりました。燐夜さん」
藍夏は燐夜の申し出を承諾し、四季と白都を引き連れて扉へと向かう。燐夜はその後ろ姿に、念のためもう一度言葉を投げかけた
「藍夏。自己犠牲は何も生み出さねえぞ」
燐夜の声に藍夏の歩みが止まる。藍夏はしばらくその言葉を吟味するように眼を閉じて、
「そうですね」
肩をすくめて振り返らずに答えた。そして最後に「お互い、尽力を尽くしましょう」と言って、四季と白都と共に出て行った。
「さーて。じゃあ今度は、俺たちの今後の動きについて話し合うか」
「その前に、燐夜。ちょっといい?」
「ん? なんだ、夏姫」
「さっき、八雲先生が来たんだけど」
気持ちを入れ替え振り返る燐夜に、夏姫の意外な言葉が突き刺さった。
「あいつが? 何でだ?」
「わからない。なんだか私たちを観察するような眼で見た後、すぐに出て行ったし」
夏姫に続き、嫌に頬を膨らませた胡桃が手をじたばたさせながら叫んだ。
「燐ヤン。私、あいつ嫌い。誰なの、あいつ?」
「ああ、そういえば、昨日は言ってなかったな。ほら、新しい顧問の話があっただろ」
「え~~。あいつなの~~?」
あからさまに嫌な顔をする胡桃。程度はどうあれ他のメンバーも一様に顔を顰めている。
「いや。新しく来るはずだった顧問の先生が少し遅れるらしくてな。八雲先生はその代役。つっても、あっちは俺たちの面倒をみる気は全くないらしい。だから我慢してくれ」
「ん~~。仕方ない、我慢してやりますか」
胡桃は不承不承ながらも、八雲が顧問であることを了解した。
「じゃあ、この話はこれで終わるぞ。それで、今後の俺たちの動きについてだが……」
それから約三十分ほど、燐夜たちは今後の対策を話し合った。
だが、彼らの知らないところで、狂気の闇はより濃く、より深く、学園を蝕んでいた。
普段ならば白日の光は遮られ、緑影が地面に冷気をもたらす常夜の床。二つに分かれた魂の片割れは、その茂みの中でその幼き肉体を横たえていた。紅を知らぬであろうその唇は、今なお瑞々(みずみず)しいピンク色を保っている。
今にも起き上がりそうな身体には、いまだ魂の残り香が漂っていた。
彼女の片割れも、すでに闇の口腔にその儚き御霊を堕としているだろう。
黒雲が天を覆い、一層の闇を落とす冷床。首に傷を持った青年が少女を見下ろしていた。
青年が片膝をつき、眠れる少女へと手を伸ばす。小さな双胸から伝わる小さな鼓動は、もう少し力を込めるだけで、たちまちその動きを止めてしまいそうなほど弱弱しい。しかし、それでなお命を繋ごうと懸命に動き続ける心臓に、その青年は優しげ笑みを浮かべた。
ガッサ、という葉と葉が擦れる音。青年の顔に緊張が走る。
「そこに、誰かいるのかい?」
気配無き背後から現れたのは、この学園の校長黄浜堂穀だった。彼は立ち上がる青年を見て驚き、さらに伏す少女を見て愕然とする。
「これは……」
「ご覧の通り。魂を抜かれています」
淡々と告げる青年。堂穀はその青年を注視するも、すぐに己の職務を全うするために踵を返し、彼に向って言った。
「すぐに、生徒会と封鬼委員を呼ぼう。八雲君、君はこの場を保存しておいてくれ」
少女の前に立ちすくむ秋間八雲を残し、堂穀は緑影の中から駈け出した。




