僕、変わる
**僕、変わる**
二〇〇〇年元日。僕は孝次を含め、四人の仕事仲間と新年を祝っていた。すでにピアノをまともに弾かない生活が三年以上も続いている。
ビールを飲み過ぎたせいか、眠い。それより、家に着いたのが夜中一時を過ぎていたからかもしれない。とにかく、眠い。僕はベッドに横になった。五分ほど休んでいたら思い出した。
「猫ちゃんに食いもん与えてない。」
一応、家を出る時にはさらに餌をおいてはいたが、足りていたのだろうか。事故が起きて以来、大切な友達として心の支えになってくれた猫。飢え死にしては、まずい。
猫に餌を与えたら、さすがに僕も限界だった。ベッドに横になると、一秒で寝てしまった。
次の朝、起きるとすぐにテレビの前に行った。昨日、録画しておいた「ウィーンフィルハーモニー交響楽団のニューイアーコンサート」を見るためだ。シュトラウスの曲が主に演奏される。交響楽団だという理由から、残念ながらピアノの出番はほぼ無い。あ
まり気にしないで見る。
「まもなく二〇〇〇年度ウィーンフィルハーモニー交響楽団、ニューイアーコンサー
トが始まり……」
出たー。あのつまんないナレーション。僕はそこをパスして早速始まった。ヴァイオリンとヴィオラが良くあったメロディー。そこに木管楽器や金管楽器が伴奏で合わせる。この美しい旋律はどうやって生み出されるのだろう。
ワルツやポルカなどさまざまな演目が終わった。すると、画面に現れてきたのは白石空。白石空とはヨーロッパで広く活躍するピアニストだ。特に障害はない……はずだった。
以前見た白石空とは違う。なぜなら、左右の手から指が三本ずつ無くなっている。衝撃的な事実にショックを受けた僕はただただ、呆然と座るしかなかった。
ドッスン
痛っ。いや、重たっ。
「ニャー」
お、お、おい……いつの間にか猫が僕の膝に座っている。なぜだ……
「ピンポーン。」あ、多分あいつだな(あいつとは孝次しかいない)。
玄関の戸を開けたら、やっぱり。いきなりどうしたって言うんだよ。
「見たか?」と彼は叫びながら入ってきた。だから勝手に入って来るなってばあ。
「おお。ちょうど良いところ見てんじゃん。」
「そのことで来たのかよ。」
「駄目か?」
「せめて連絡くれよ。たとえ親友でもいきなりこられたら不愉快だよ。」
「あ、そう。ごめん。」
お。孝次が謝るなんて、意外だ。
「でもさあ、白石空が指を六本も失うなんて信じられないよなあ。」と孝次は続けた。
「だよなあ。俺だって一瞬目を疑ったよ。俺よりも一本少ない四本で……」
僕は黙ってしまった。気づいたからだ。たとえ、指が数本抜けていても、決してピアノが弾けなくなるほどではない、と。道のりが長くて、辛くても、諦めないこと。
「おい、どうした?」
孝次の一言で僕は現実に戻った。
「あ、いや、なんでもないよ。」今はそう答えるしかなかった。
「それじゃあ、続きを見よう。白石さんの演奏を早く聴きたいなあー。」
というわけでニューイアーコンサートの続きを見た。僕は白石さんの弾くラ・カンパ
ネッラを聴きながらこう思った。
何故こんなに素敵な演奏を四本の指だけで弾けのだろう。四つ以上の音を同時にどう
弾いているのだろう。頑張れば僕だって弾けるのかなあ……
昔の僕なら絶対「左手一本でラ・カンパネッラなど到底無理」とすぐに思っただろう。
でも、今の僕は違うんだ。新しい自分が生まれようとしている。新しくなった自分を皆に見てほしい。僕は頑張る。孝次たちにも、もう障害者扱いされたくない。一人前の人間として。男として。世界に認められ、一人前のピアニストになって、両親を喜ばせたいのだ。




