朝に沈む。
朝は、気づかないまま沈んでいく。
朝の通学路は、いつものように澄んでいた。
アスファルトの感触、電柱の影、電線のゆるやかな弧。見慣れた風景は、今日も変わらずそこにあるはずだった。
それなのに、どこか違和感がある。はっきりとはわからない。
遠くで鳴った自転車のベルが、ほんの少し遅れて耳に届く。
向かいから来る生徒たちの話し声も、なぜか遠く響くだけで、内容までははっきりと聞き取れない。
風のない朝なのに、電柱の影だけが、微かに揺れている。気にしながら歩を進めるうちに、ようやく気づいた。
電線が、一本多い。それだけではない。その一本は、地面から直立にはえていない。地面から斜めに、まるで黒い枝のように生えていた。
空へ向かって伸びる線ではなく、地面からせり上がる異物。光を吸い込むような暗さで、周囲の電線たちと微妙に交わっている。
…なぜ、こんなにも近くにあるものを、今まで見過ごしていたのだろう。不思議に思いながら、足を止めた。電柱に近づく。
近づくほどに、その黒い線が視界を占めていく。電柱の根元、アスファルトが敷き詰められた地面に視線を落とすと――ぐにゃり、と波打った。
固いはずの地面が、まるで水面のように柔らかくうねり、次の瞬間、自分の靴先が沈み始めた。冷たい感触が足首を掴み、ずるりと引き込んでいく。
踏ん張ろうとしても、足が届かない。身体が徐々に沈み、アスファルトの下へ引き摺り込まれていく。
慌てて顔を上げたとき、電柱だと思っていたものが、ゆっくりと形を変えた。
黒い線が腕のように伸び、長い影が身をかがめる。顔はない。声もない。ただ、静かにこちらを見据える気配だけがあった。
死神だった。
「…もう、気づいたね」
声は聞こえないのに、そう告げられた気がした。
自分は、もう死んでいる――。
その言葉のあと、昨日の記憶を必死に探した。視界の端で、突然の光。金属の軋む音。何かが砕ける感触。短い、あまりに短い痛み。
そして、真っ暗な空白。断片だけが、ぼんやりと浮かぶ。しかし、それ以上は思い出せない。
事故の瞬間が、完全な形では戻ってこないまま、地面はすでに腰まで自分を飲み込んでいた。
抵抗する力など、残っていなかった。死神は静かに手を差し伸べる。淡い朝の光の中で、あの一本多い電線だけが、ゆっくりと揺れていた。
そして、すべてが暗くなった。
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