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迎え盆の恐怖!女の死体から抉り取った臓器で子作りを強要する最凶の義母

作者: 熾星
掲載日:2026/07/19




 ショート動画アプリで「三杯の告白」という企画が流行っていた頃、私も一本の動画を投稿した。


 画面の中の私は念入りに化粧をし、グラスを手に、カメラへ向かって微笑んでいた。


「一杯目は、義母に。迎え盆の前夜、義母は若い女の墓を暴きました」


「二杯目は、私自身に。義母はその女の身体から取り出したものを煮込み、一か月もの間、私に飲ませ続けました」


「三杯目は、毎晩私のもとへ現れる女の霊に。命を奪うなら義母のところへ行ってください。私も被害者なんです」



1.三杯の告白


 動画を投稿した翌朝、私のアカウントには一晩で大勢のフォロワーが増えていた。


 けれど、あれが人目を引くために作った悪趣味な冗談でも、再生数を稼ぐための都市伝説でもないことを、誰も知らない。


 あれは、実際に私が体験したことだった。


 すべての始まりは、一つの夢だった。


 また、あの女が夢に出てきた。


 女は、色あせるほど洗い込まれた黄色い花柄のワンピースを着ていた。長い髪が垂れ下がり、顔全体を覆い隠している。


 初めて見たとき、女は廊下の突き当たりに立っていた。白い霧を一枚隔てたように、ひどく遠くに見えた。


 それがこの三週間、女は何度も夢に現れ、そのたびに距離を縮めてきた。


 まるで私の呼吸を踏みつけながら、一歩ずつ近づいてくるように。


 今夜、女はほとんど私の目の前まで迫っていた。


 垂れた髪の隙間から、青紫に腫れ上がった顔がゆっくりとのぞく。水に漬けられていたように皮膚が膨れ、関節を動かすたび、細い骨が擦れ合うような音がした。


 その顔が、突然目の前へ突き出された。


 冷たく湿った息が首筋に触れた気がして、私は悲鳴を上げながら飛び起きた。


 寝室には、枕元の照明だけがついていた。


 ぼんやりとした黄色い明かりの中で、陽介が上半身を起こし、まだ眠気の残る目で私を見ていた。


「莉子、どうした?」


 すぐには答えられなかった。


 喉を何かに締めつけられているようで、胸の奥がひどく苦しい。数秒してから布団をはねのけ、逃げるように台所へ駆け込んだ。


 冷たい水をコップに注ぎ、一気に喉へ流し込む。それでも指先の震えは止まらなかった。


「陽介……また、あの女が来た」


 陽介は戸口にもたれ、困ったような顔をした。


「また同じ夢を見たのか?」


 コップを握る指に力が入り、関節が白くなる。


「普通の夢じゃない。出てくるたびに、少しずつ近づいてくるの。最初はずっと遠くにいた。次は二歩先、その次は一歩先……今日は、もう顔が触れそうなところまで来てた」


 陽介は、仕事に追い詰められている人を見るような目を向け、私を腕の中へ抱き寄せた。


「最近、仕事が立て込んでるせいじゃないか。あまり自分を怖がらせるなよ。週末、神社でお祓いしてもらおう。な?」


 その胸に身体を預けても、少しも安心できなかった。


 疲労でも、神経過敏でもないことを、私ははっきりと感じていたからだ。


 あの女は、本当に私へ近づいてきている。



2.子授け汁


 翌朝、私はくっきりとした隈を目の下に作ったまま、食卓についた。


 白い土鍋の中では、乳白色の汁がことことと煮えている。薬草と肉の匂いが混じり合い、朝から胸焼けしそうなほど濃かった。


 富美子は汁を椀によそい、私の前へ置いた。


「ほら、早く飲みなさい」


 椀を見つめただけで、胃が大きく波打った。


 この一か月、富美子はほとんど毎日のように、子授け汁と呼ぶものを煮ていた。


 故郷に伝わる秘伝の作り方で、女の身体を整えるには何より効く。飲み続ければ、子どもを授かりやすくなるのだという。


 最初のうちは我慢していた。


 けれど、ひと月近く飲み続けても、悪夢の回数が増えただけで、身体には何の変化もなかった。


「お義母さん、今日は飲まなくてもいい?」


 富美子は顔を上げず、まな板の脇に並べた薬草を整えていた。


「女の身体は、時間をかけて整えるものよ」


 私は椀を少し前へ押し返した。


「子どもができないのは、私だけの問題じゃないでしょ。身体にいいものなら、陽介にも飲ませたら? 二人で半分ずつなら、まだ我慢できるけど」


 富美子の手が、一瞬止まった。


 後半は聞こえなかったふりをして、匙を私のほうへ近づける。


 土鍋から立ち上る湯気を見つめているうち、昨夜の夢に出てきた黄色い花柄が脳裏をよぎった。


 押し込めていた苛立ちが、急に抑えきれなくなる。


「そういえば、昨日の夢ではっきり見えたの。あの女、手首にほくろがあった。かなり目立つほくろで、左手の――」


 富美子の手が大きく震えた。


 金属の匙が椀の縁に当たり、澄んだ音を立てる。


 顔を上げた富美子の口元が、一瞬だけ強張った。すぐに、無理に作ったような笑みが浮かぶ。


「そんなに怖がっていたのに、よくそこまで覚えているわね」


「覚えてるから、おかしいと思ってるの」


 その不自然な表情から目を離さなかった。


「お義母さん、どうしてそんなに驚いたの?」


 富美子は小さく咳払いをし、視線をそらした。


「何でもないわ。最近、仕事で疲れているから、余計なことばかり考えるのよ。この世に幽霊なんているわけないでしょう。自分で自分を怖がらせないの。ネットの怪談でも見すぎたんじゃない?」


「あの女が着てたのは、黄色い花柄のワンピース。よくある赤い服の怨霊じゃなかった」


 その言葉が落ちたあと、食卓には数秒間の沈黙が流れた。


 富美子の顔色が、さらに悪くなる。


 こめかみを押さえ、わざとらしく眉を寄せた。


「また頭が痛くなってきたわ。早く飲んで。飲み終わったら、少し横になるから」


 まだ何か言いたかったが、急かされるまま椀を持ち上げ、一息に飲み干した。


 熱い。生臭いうえに苦く、危うくその場で吐き出しそうになった。


 飲み終えたあと、胃の底に重い石でも沈んだような感覚が残った。


 鞄をつかんで家を出ると、始業時刻ぎりぎりに会社へ駆け込んだ。


 席についた途端、隣の真帆がこちらを振り向き、しばらく私の顔を見つめた。やがて、わずかに眉をひそめる。


「ねえ、最近どうしたの?」


「どうしたって、何が?」


「顔色。ちょっと普通じゃないよ」


 化粧ポーチから手鏡を取り出して確認した。


 化粧は崩れていない。血色は悪いものの、人を驚かせるほどではないはずだ。


 真帆は椅子をこちらへ寄せ、声を落とした。


「今の莉子、まとってる気配がひどく乱れてる」


 手鏡を伏せ、思わず笑った。


「また変なこと言わないでよ」


 真帆は笑わなかった。


 むしろ、いつになく真剣な表情をしていた。


「莉子、冗談で言ってるんじゃない」



3.黄色い花柄の女


 真帆は、普段から少し不思議なことを口にする。


 祖母が田舎で拝み屋のようなことをしていたらしく、幼い頃からその作法を見て育ち、簡単なまじないなら少し扱えるという。


 言い当てることもあれば、まるで見当違いのこともあった。


 以前、真帆に「しばらく運が悪いから、道を歩くときは足元に気をつけて」と言われたことがある。


 私は気にしなかったが、翌日、本当に排水溝の蓋を踏み外し、危うく落ちかけた。


 その一方で、課長に向かって真顔で「三日間は外へ出ないほうがいい」と忠告したこともある。課長は取り合わず、翌日も予定どおり取引先を訪ね、あっさり大口契約を取って帰ってきた。


 だから私は、真帆の言葉をいつも半分だけ信じていた。


 けれど、今日の眼差しには背筋を冷たくするものがあった。


「最近、夢の中で何か見てない?」


 適当にごまかすつもりだった。


 しかし、胸の奥に溜まり続けた恐怖をもう一人で抱えきれなかったのかもしれない。何より、真帆の顔が冗談を言っているようには見えなかった。


 私は、この三週間に見続けた夢をすべて話した。


 最初に白い霧の向こうで女を見たことから、昨夜、青紫に腫れた顔を目の前へ突き出されたことまで、一つも省かずに。


 話を聞くほど、真帆の眉間の皺は深くなった。


「あれは、莉子を脅かしに来てるんじゃない」


「じゃあ、何をしに来てるの?」


「取り戻しに来てる」


 一瞬、意味が分からなかった。


「何を?」


「今はまだ分からない」


 真帆は少し黙り、引き出しから三角形に折られた薄い護符を取り出した。


 それを私の手のひらへ押し込む。


「今夜、寝る前に枕元へ置いて。信じなくてもいい。でも、少なくとも一晩くらいは守ってくれる」


 護符は紙のように薄く、触れるとわずかに温かかった。


 断る理由もなく、そのまま上着のポケットへしまった。


 一日の仕事を終える頃には、外はもう薄暗くなっていた。


 会社のビルを出たところで、真帆が後ろから追いかけてきた。


 まだ何か言いたそうに唇を動かしたものの、結局、何も口にしない。ただその場に立ち、私を見つめている。


 その視線が落ち着かなかった。


「どうしたの?」


「ううん。今日は、あまり遅くまで起きてないで」


 家に帰ると、また台所から薬膳の匂いが漂っていた。


 富美子はコンロの前に立ち、土鍋の火加減を見ている。立ち上る白い湯気に包まれ、顔がぼんやりと霞んで見えた。


 玄関に立ったまま、その姿をしばらく眺めた。


 言いようのない疲れが、全身へ押し寄せてくる。


「お義母さん、今日は本当に飲みたくない」


 富美子は振り返らなかった。


「あとでよそってあげるわ」


 もう言い返す気力もなく、そのまま寝室へ向かった。


 精神的に疲れすぎていたのだろうか。ベッドの端へ触れた途端、強烈な眠気に襲われた。


 上着を脱ぐことさえできず、目の前が暗くなった。


 あの女が、また現れた。


 今度は、あと一歩というところまで近づいている。


 長い髪が垂れ、ワンピースの裾がかすかに揺れていた。全身が薄い湿気に包まれているように見える。


 女は私を見つめ、ゆっくりと唇を開いた。


 喉を引き裂くような、掠れた声が漏れる。


「返して……」


 身体が動かなかった。


「返して……」


 壊れたレコードが同じ場所で引っかかっているように、その声は何度も繰り返された。


 一歩ずつ迫ってくる女を前に、頭の中が真っ白になる。


 私は本能のまま、問い返していた。


「何を返せばいいの?」


 女が、ゆっくりと顔を上げる。


 その瞬間、呼吸さえ止まった。


 顔がなかった。


 髪がめくれたところには、潰れて歪んだ赤黒い肉の塊しかない。


 その光景に押し潰されそうになったとき、ポケットの中から焼けるような熱が噴き出した。


 何かが弾けたように視界が白く光る。


 次の瞬間、女の姿は消えていた。


 夢から飛び起きると、背中まで冷たい汗で濡れていた。


 スマートフォンの画面が光っている。時刻は午前一時を少し過ぎたところだった。


 部屋は静まり返り、陽介は深く眠っていた。


 ベッドの端に座ったまま、しばらく呼吸を整えた。


 外の洗面所で顔を洗おうと、寝室の扉を少し開けたとき、ベランダのほうから押し殺した話し声が聞こえた。


 富美子の声だった。


「本当に効くの? あの子、もう一か月近く飲んでるのに、まだ何の兆しもないのよ。前にもらった材料だって、もうほとんど残ってない。次はどこで手に入れればいいの?」


 夜の闇を隔てて、低い男の声が返ってきた。


 姿は見えない。それでも、妙にゆったりとした話し方が不快だった。


「焦るな。あれだって、すぐに効くものじゃない。明日の夜、外へ出ろ。新しい“中身”を取りに連れていってやる」


 扉の陰で、指先に力が入っていく。


 新しい中身。


 いったい、何を取りに行くというのだろう。



4.赤い紐と護符


 翌日、会社に着いてからも、私はずっと上の空だった。


 昨夜の電話が細い針のように頭の奥へ刺さり、何度も疼く。


 夢の女、富美子の反応、毎日飲まされていた土鍋の汁。


 ばらばらだったものが突然、目に見えない一本の糸で結ばれたように思えた。


 私の顔を見た瞬間、真帆の表情が変わった。


「護符は?」


 反射的に上着のポケットへ手を入れた。


 何もない。


 私は立ち尽くした。


 昨夜まで確かに入っていた。服も替えていないし、ポケットに穴も開いていない。


 それなのに、護符だけが跡形もなく消えていた。


 真帆は数秒間、私を見つめたあと、自分の手首に巻いていた赤い組紐をほどいた。


 そのまま私の手首へ結びつける。


 紐は細いのに、色だけが異様なほど鮮やかだった。水の中から引き上げたばかりの血の筋のように見える。


「これは絶対に外さないで。水に濡らさないこと。汗もできるだけ染み込ませないで。それから、家へ帰ったら確かめて。最近、家の中へ持ち込まれたものがないか。触れてはいけないものが、どこかにないか」


 胸の奥が跳ねた。


「何が見えてるの?」


 真帆は言葉を選ぶように少し間を置いた。


「あの女が、理由もなく莉子を選んだわけじゃない。莉子の身体に、あの女が知っている気配が染みついてる」


 それ以上、聞くのが怖かった。


 仕事を終えて家へ戻り、上着を脱いだ途端、富美子が私の手首をつかんだ。


「その紐、誰にもらったの?」


 強く握られて痛みが走る。


 腕をひねり、ようやく手を振りほどいた。


「友達」


 富美子はひどく険しい顔をした。


 私の手から赤い紐を奪い、蛇口の下で水をかける。


 透明な水が紐を伝った瞬間、流れ落ちる雫がゆっくりと赤く染まり始めた。


 私はその場で固まった。


 漂ってきた匂いもおかしい。


 鉄錆に似た、生臭い匂いだった。


 富美子は洗面台を見下ろしたまま、さらに顔を曇らせた。


 赤い紐を私の手へ投げ返し、低い声で言う。


「こんなものを軽々しく身につけてはいけないわ。若い頃、この方法で命をすり替えた人を見たことがあるの。最初は親しくなって、相手の気配を紐へ移す。それを七日間身につけさせれば、期限が来たとき、その人の寿命を奪える」


 胸の奥がきつく締めつけられた。


「そんなこと、誰がするの?」


「生き延びたい人間なら、何だってするわ」


 そこまで言ってから、富美子は自分が話しすぎたことに気づいたように口を閉じた。


 背を向け、黙ってコンロの周りを片づけ始める。


 私はその場に立ったまま、ますます混乱していた。


 真帆は、家の中に持ち込まれたものを調べろと言った。


 一方、富美子は真帆を警戒しろと言う。


 一人は私を救い、もう一人は私へ忠告した。それなのに、二人とも何かを隠しているように見える。


 夜、真帆のSNSを開き、手がかりになりそうなものを探した。


 投稿されているのは、ごく普通の日常写真ばかりだった。カフェの飲み物、映画の半券、窓辺に飾られた花。


 プロフィール画面の背景まで遡ったところで、指が止まった。


 花火を撮った写真だった。


 拡大すると、花火の間に散っていたはずの白黒の光が、誰かに並べられたように一行の文字を形作っている。


 生きる。どんな代償を払ってでも、生きる。


 その文字を長い間見つめているうち、指先が少しずつ冷たくなった。


 そのとき、玄関から小さな音がした。


 時刻を確認すると、もうすぐ午前一時だった。


 富美子が、家を出たのだ。



5.常世山の夜


 誰にも気づかれないよう急いで靴を履き、あとを追った。


 富美子は、まるで何度も通った道であるかのように足早に歩いていく。


 通りの角に停まっていた車へ乗り込むのが見えた。私はすぐにタクシーをつかまえ、前を走るのは家族の車だと嘘をつき、少し距離を空けて追ってもらった。


 夜風に吹かれ、頬がこわばる。


 車は市街地の西端へ向かった。


 進むほど街灯の数が減り、周囲の景色も荒れていく。その先には、御影市の外れに広がる放置された山地があった。


 地元では、常世山と呼ばれている。


 麓には昔、個人所有の古い墓地があったらしい。墓地が使われなくなってからは、昼間でさえ近づく人がほとんどいなかった。


 私は道路脇でタクシーを降り、草むらへ身を隠した。


 少し先に、富美子と中年の男が立っていた。


 二人の前には、不自然に盛り上がった土の山がある。


 男は手袋をはめ、足元にスコップを置いていた。煙草の先だけが、暗闇の中で明滅している。


「本当に、ここに埋まってるの?」


 富美子の声は強張っていた。


 男は煙草を地面へ落として踏み消すと、スコップを握り、土を掘り始めた。


「俺が嘘をついてどうする。警察にはまだ見つかってない。身寄りもない女だ。ここに埋めたことを知ってるのは、俺たちだけだ。欲しがってたものは、まだ新鮮だぞ」


 頭の中で、何かが轟音を立てた。


 手のひらが一瞬で汗ばむ。


 土が一層ずつ掘り返されていく。


 やがて、ぼろ布に包まれた遺体の一部が露出した。


 富美子は青ざめた顔で立っていたが、一歩も退かなかった。


「私にはできない」


「毎日煮込むことはできるのに、切り取るのは無理だって? 子授け汁でいちばん大事なのは、ここだ。孫を抱きたいんだろ。今さら善人ぶるな」


 男は鼻で笑い、腰から刃物を抜いた。


 身を屈める動作には迷いがなく、その手慣れた様子に頭皮が粟立つ。


 距離は離れているはずなのに、湿った血の匂いが鼻へ届いたような気がした。


 富美子は鼻と口を押さえ、持ってきたペットボトルの水を男へ渡す。


「早くして」と低い声で急かしていた。


 この娘は怨みが強い。長居をしてはいけない、と。


 もう見ていられなかった。


 胃の中が激しく持ち上がり、脚から力が抜ける。


 声を上げないよう手の甲を強く噛み、私は山を駆け下りた。


 息も絶え絶えに家へ戻ったとき、富美子はまだ帰っていなかった。


 布団の中へ潜り込んでも、全身の震えが止まらない。


 暗闇の中で、男の言葉だけが何度も頭の中を巡った。


 子授け汁でいちばん大事なのは、ここだ。


 この一か月、私が飲まされていたものは、故郷の秘伝でも、身体を整える薬膳でもなかった。


 死体から切り取られた臓器だった。


 どれほど時間が過ぎたのか分からない。


 寝室の扉が、音もなく少しずつ開いた。


 足音が戸口で止まる。


 誰かが声も立てず、ベッドの中の私を見つめている。


 その視線は数分間そこに留まり、やがて静かに遠ざかった。


 扉が再び閉まる。


 わずかに息を吐いた、その直後だった。


 ベッドの足元に、ぼんやりとした黒い影が立っていた。


 黄色い花柄のワンピースを着た女だった。


 濡れた髪が肩へ張りついている。


 女は一歩だけ近づき、喉の奥からあの掠れた声を絞り出した。


「返して……」


 今度こそ、何を求めているのか分かった。


 富美子が墓から掘り出し、私の腹の中へ流し込んだもの。


 女は、自分の身体から奪われたものを返してほしいのだ。


 全身が固まり、身動き一つできない。


 悲鳴さえ胸の奥で詰まった。


 黒い影がベッドのそばまで迫ったとき、居間から鈍い音が響いた。


 何かを力任せに押し破ったような音だった。


 次の瞬間、寝室の扉が勢いよく開く。


 外から飛び込んできた退魔の札が、黒い影へ真っすぐ突き刺さった。


 空気の中で、焦げたものの匂いが弾ける。


 女は大きく身を引き、輪郭を揺らしたかと思うと、跡形もなく消えた。


 何が起きたのか理解する前に、真帆がベッドへ駆け寄り、私の腕をつかんだ。


「早く、行くよ」


「どうして、ここに――」


「話はあと。まずここを出る」


 真帆に引かれ、私たちはマンションの外へ駆け出した。


 住宅街を抜けた先にあるコンビニの駐車場まで来て、ようやく足を止める。


 私は腰を折り、何度も大きく息を吸った。心臓が裂けそうなほど激しく脈打っている。


「あんなものに、どうやって取り憑かれたの?」


 顔を上げ、真帆を見つめた。


 けれど、頭の中は今まで以上に混乱していた。


 富美子が私を騙していたことは、もう分かっている。


 それでも、真帆まで同じではないと、まだ言い切れなかった。



6.影のない人


 真帆は私を車へ押し込み、そのまま自宅へ連れていった。


 彼女が一人で暮らしているのは、築年数の古い三LDKのマンションだった。


 一人暮らしには広すぎるせいか、どこかがらんとして見える。


 室内はきれいに片づけられ、玄関には数足のスリッパがきちんと並べられていた。それなのに、居間には不自然なほど静かな寂しさが漂っていた。


 常世山で見たことを、すべて真帆へ話した。


 聞き終えた真帆は長い間黙り込み、珍しく険しい顔になった。


「子宮だったんだ」


 その二文字を耳にしただけで、胃がまたひっくり返りそうになった。


 真帆は私に湯を入れたカップを渡した。


 自分は窓辺に立ったまま、一口も飲もうとしない。


「昔は、生きた人間を供物にしたらしいの。でも、そんなことができなくなってから、死者の身体を使う人間が現れた。他人の子宮を口にすれば、その人が持っていた子宝の運を奪えるって信じたのよ」


 真帆の声は低く、感情が読めなかった。


「あの女が莉子につきまとってるのは、姿を見られたからじゃない。莉子の身体の中に、あの女の一部が入ってるから」


 カップを両手で包んでいるのに、手のひらには少しも熱が伝わってこなかった。


「私は、どうすればいいの?」


「返すしかない」


「どうやって?」


 真帆は振り返り、戸棚から白い和紙の束と線香の箱を取り出した。


「あの女のために形代を作る。和紙を重ねて子宮の形にして、今夜、四つ辻で焼くの。そこにあの女の名前を書いて、これはあなたのものだって受け取らせる。信じ込ませることができれば、まだ助かる道はある」


 聞いているだけで頭皮が粟立った。


 それでも、私はうなずいた。


 今の私には、ほかの道などなかった。


 その日の昼、真帆は自分で作った形代を見せた。


 小さな桐箱に収められた白い和紙の形は、目をそらしたくなるほど精巧だった。


 夕方、富美子からメッセージが届いた。


『赤い紐をくれた人と一緒にいるの? 今すぐその人から離れなさい。明日の夜は迎え盆よ。いちばん狙われやすい夜なの』


 画面の文字を見つめながら、指に力が入った。


 一人は親友で、もう一人は義母。


 真帆は私を助けてくれた。


 けれど、富美子が赤い紐の異変を言い当てたことも事実だった。


 二人とも、相手を警戒しろと言う。そして、二人とも知りすぎているように見えた。


 考えをまとめる暇もなく、真帆が桐箱を手に部屋から出てきた。


「暗くなる前に出るよ」


「今日、行くの?」


「早いほうがいい」


 外では強い風が吹いていた。


 四つ辻へ着く頃には、空は完全に暗くなっていた。


 そこは古い商店街の突き当たりにあり、昼間でもほとんど人が通らない。夜になれば街から忘れ去られた場所のようで、街灯の半分以上が壊れていた。


 真帆は地面へ線香と白い蝋燭を並べ、中央に形代を置いた。


「血を一滴もらうね」


 反応する間もなく、針が指先へ軽く刺さった。


 丸い血の粒が和紙へ落ち、たちまち小さな暗紅色の染みになる。


「このあと、そこへ膝をついて謝って。絶対に顔を上げないこと。あの女が来ても見ちゃだめ。私が合図するまで動かないで」


 怖くてたまらなかったが、言われたとおりにした。


 風が交差点を吹き抜け、紙灰と砂埃を巻き上げる。


 いつの間にか、真帆の足音が消えていた。


 まるで周囲にいるのが私一人だけになったようだった。


 自分の呼吸音まで聞こえるほど、辺りは静まり返っている。


 どれほど跪いていたのか分からない。


 視界の端に、赤い靴が現れた。


 全身が硬直し、呼吸が乱れる。


 次の瞬間、誰かの手が私の腕を強くつかんだ。



7.四十九日間の夢


 顔を上げると、そこにいたのは富美子だった。


 月明かりの下に立つ顔は、いつもより青白い。それでも腕をつかむ力は驚くほど強く、手首が痛んだ。


「私と来なさい。あの人は、あなたを供物にするつもりよ。よく見て。足元に影がないでしょう」


 頭の中が真っ白になった。


 言われるまま振り返る。


 少し離れたところに、真帆が立っていた。


 風の中で、顔の半分が闇に溶けている。


 月明かりは確かに真帆の身体を照らしている。それなのに、足元には影らしいものが見当たらなかった。


 胸の奥が大きく縮んだ。


 富美子が私を引いて立ち去ろうとしたとき、真帆が駆け寄ってきた。


 手にした霊符を振り抜くと、紙が夜風の中で激しく鳴る。


 私の前へ立ちはだかった真帆の目は、知らない人のように冷たかった。


「信じないで。お義母さんは家から出てない。今、莉子の隣にいるのは、あの女が化けた姿よ」


 二人に左右から挟まれ、頭皮がじりじりと痺れた。


 どちらが本物で、どちらが偽物なのか、もう分からない。


 睨み合いは、ほんの数秒しか続かなかった。


 真帆が素早く印を結び、霊符を富美子の胸へ叩きつける。


 次の瞬間、富美子の輪郭が風に吹き散らされるように歪み、薄くなった。


 そして、何の痕跡も残さず消えた。


 膝から力が抜け、私はその場へ座り込みそうになった。


 真帆が身体を支え、怒りを押し殺した声を出した。


「顔を上げないでって言ったでしょ」


 喉がからからに乾き、何も答えられなかった。


 真帆は儀式を続けず、そのまま私をマンションへ連れ帰った。


「今夜は寝室で休んで。私は外で見張ってるから」


 頭が朦朧としたまま寝室へ入り、ベッドの端へ腰を下ろした。


 そこで初めて、ベッドが異様なほど冷たいことに気づいた。


 中に氷でも隠されているようだった。


 手からスマートフォンが滑り、床へ落ちる。


 拾おうと屈んだところで、視線が止まった。


 マットレスの下から、黒い札の端がのぞいていた。


 胸が跳ねた。


 すぐにシーツをめくり上げる。


 マットレスの裏一面に、無数の封じ札が貼り巡らされていた。


 周囲には赤い糸が幾重にも交差し、何かを閉じ込めるために組まれた陣のように見える。


 札のほとんどは黄白色だった。


 ただ中央の一枚だけが、墨を吸い込んだように真っ黒だった。


 耳の奥で、低い音が鳴り続ける。


 守るための札には見えなかった。


 まるで、このベッドから私を逃がさないための陣だった。


 手の届く封じ札をすべて引き剥がし、まとめてごみ袋へ隠した。


 何事もなかったような顔を作り、台所へ水を取りに行く。


 真帆は居間に座っていた。


 昼間よりも顔色が悪く、目の下には青黒い影が浮かんでいる。


 私はコップを差し出した。


「今日、ほとんど何も食べてないでしょ。少し飲んだら?」


 真帆は私を一度見てから、疑う様子もなく受け取った。


 夜が更け、居間から物音が聞こえなくなるまで待った。


 それから足音を忍ばせ、マンションを出た。


 外の通りには、人の気配がなかった。


 家まで急いで戻り、玄関を開けた瞬間、私はその場へ縫いつけられたように動けなくなった。


 間取りも、家具の位置も、ほとんど変わっていない。


 それなのに、部屋全体が古び、朽ちかけている。


 壁紙は黄色く変色して端がめくれ、木製の棚には湿気の染みが浮かんでいた。空気にまで、長い間誰も住んでいなかった家のような黴臭さが漂っている。


 たった二日離れていただけの家には見えなかった。


 何か月も、あるいは何年も空き家だったようにしか見えない。


 震える手でスマートフォンを取り出し、富美子へ電話をかけた。


 受話口から流れたのは、冷たい自動音声だけだった。


『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』


 その瞬間、頭の中でつながっていたものがすべて切れた。


 前触れもなく、白い光が目の前で弾けた。


 強い力に身体を引かれ、世界が中央から引き裂かれていく。


 次に目を開けたとき、最初に鼻へ届いたのは消毒液の匂いだった。


 私は病院のベッドに横たわっていた。


 手の甲には点滴の針が刺さり、窓の外には白い朝の光が広がっている。


 陽介がベッド脇に伏せて眠っていた。


 私の動く気配に気づき、勢いよく顔を上げる。


 その目が、たちまち赤くなった。


「莉子……目が覚めたのか?」


 陽介の顔を見つめても、頭はまだうまく働かなかった。


「私……どうして、ここにいるの?」


 また意識を失うのではないかと恐れたように、陽介はすぐ枕元のナースコールを押した。


 看護師と医師が駆けつけ、状態を確認してから病室を出ていく。


 再び静かになった室内には、医療機器が動く小さな音だけが残った。


 陽介は私の手を握っていた。


 その手のひらは汗で濡れていた。


「四十九日前、老朽化した街灯の支柱が突然倒れて、莉子の頭を直撃したんだ。それから、ずっと目を覚まさなかった。医者には……もう二度と意識が戻らないかもしれないって言われてた」


 何も考えられず、ただ陽介の顔を見つめた。


 事故に遭った日から数えれば、今日でちょうど四十九日目だった。


 その後の数日間、私は病院で少しずつ身体を回復させた。


 夢の中で起きたことを一つずつ思い返すほど、あれがただの悪夢だったとは思えなくなる。


 退院してから、真帆にあの術が使えるのか尋ねてみた。


 けれど、彼女は何を言われているのか分からないという顔をした。


「よっぽど変な夢を見たんじゃない? おばあちゃんは田舎の怪談が好きだったけど、私にそんなことできるわけないよ」


 真帆は笑いながら、私の肩を軽く叩いた。


 その顔を見つめているうち、何が真実なのか分からなくなった。


 本当に何も覚えていないのか。


 それとも、夢の中にいた真帆は、最初から私の知る真帆ではなかったのか。


 答えを見つける前に、富美子から電話がかかってきた。


「今日は早く帰ってきなさい。明日は迎え盆なんだから、夜に外を出歩いてはだめよ」



8.土鍋の中の声


 夕方、家の扉を開けると、台所から懐かしい薬膳の匂いが流れてきた。


 その匂いが鼻へ入った瞬間、全身の産毛が逆立った。


 白い土鍋がコンロに置かれ、弱火にかけられている。


 蓋の隙間から絶えず湯気が漏れていた。


 夢の中で見たものと、何一つ違わない。


 富美子は笑みを浮かべ、椀に入れた汁を運んできた。


「ほら、飲んでみて。何時間も煮込んだのよ。女の身体には何よりいいんだから」


 私は立ったまま、動けなかった。


 富美子は椀を私の前へ置いた。


 その顔には、かすかな期待さえ浮かんでいる。


「たくさん飲んで、身体を整えなさい。早く孫の顔を見せてくれたら、私も陽介も安心できるのに」


 同じ土鍋。


 同じ匂い。


 同じ言葉。


 背中が少しずつ冷えていく。


 椀の中へ目を落とした。


 乳白色の表面に、柔らかく煮崩れた肉がいくつか浮かんでいる。


 見た目だけなら、どこにでもある滋養スープと変わらない。


 それでも、常世山の夜、墓の前へ屈んだ男が口にした言葉を思い出すだけで、胃の中が持ち上がった。


 匙を手に取り、ゆっくりと椀の底をかき混ぜる。


「お義母さん、この肉……手に入れるの、大変だったんじゃない?」


 富美子の動きが一瞬止まった。


 すぐに、また笑顔を作る。


「そうでもないわ。知り合いが多いから、どんな材料でも何とかなるの。余計なことは気にしないで、飲めばいいのよ」


 顔を上げ、富美子を見つめた。


 何かを察したのか、笑みがわずかに強張った。


 それでも、もう一度私を急かす。


「冷めたら効かなくなるわよ」


 一口も飲まなかった。


 椀の中身を、すべて台所の流しへ捨てた。


 それでも深夜になると、あの女が夢に現れた。


 女は、古びた黄色い花柄のワンピースを着ていた。


 長い髪を垂らし、暗闇の中に立っている。


 これまでと違い、すぐには近づいてこなかった。


 ただ静かに私を見つめている。


 まるで、私がようやく何かに気づくのを待っていたように。


 長い時間が過ぎてから、女はゆっくりと左手を持ち上げた。


 手首の内側にあるほくろが、目を刺すほどはっきり見えた。


「返して……」


 その声は、もう壊れた音のようには聞こえなかった。


 これまでで最も明瞭だった。


 胸の奥が苦しくなる。


「もしかして……私が飲まなくても、あなたは来るの?」


 女は答えなかった。


 ただ一歩ずつ、冷え切った地面を踏みながら、私へ近づいてくる。


 目を覚ましたとき、まだ夜は明けていなかった。


 窓の外は灰白色に霞み、居間のほうから土鍋の蓋が小さく触れ合う音が聞こえる。


 誰かがもう起きていた。


 台所で再び火をつけ、あの汁をゆっくりと煮込んでいる。


 私はベッドに横たわったまま、動かなかった。


 あの四十九日間の夢は、これから起こることを見せた警告だったのか。


 それとも私は、すでに一度、この迎え盆を繰り返しているのか。


 まだ答えは分からない。


 ただ一つ分かっているのは、土鍋の火は消えていないということだった。


 そして、あの女はまた来る。



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