メルヘンガラス小館
※この作品はフィクションです。
実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
『メルヘンガラス小館』
青年は、毎年バレンタインデーになると、田舎に住む女性からチョコをもらっていた。
それは決まって、きちんとおいしいチョコだった。
食べ終わったあとに「ああ、よかったな」と思える味。
だからこそ青年は、毎年少しだけ考え込む。
(自分は、ちゃんと返せているんだろうか)
ホワイトデーは曖昧だ。
正解がないくせに、なぜか“センス”だけは問われている気がする。
今年は違う。
何もない田舎に住む彼女に、少しおしゃれなデートをぶつけて驚かせてやろうと思った。
青年はそう決めた。
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向かったのは、雑誌で見つけた少し洒落たワイナリーだった。
ランチも、少しだけ背伸びした値段のものを選ぶ。
完璧なはずだった。
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だが、冬だった。
写真で見た景色は、どこにもなかった。
葡萄のつるは葉を落とし、骨のような枝だけが規則正しく並んでいる。
整っているのに、満ちていない。
どこか“準備中”の景色だった。
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料理は、おいしかった。
それは確かだ。
だが、娘が頼んだサラダはやけに量が多かった。
最初は華やかで、途中からただの葉になり、最後は少しだけ義務になる。
二人は黙って葉を食べた。
「おいしいね」
娘が言う。
本心だった。
だがそれ以上の何かは、なかった。
しばらくして娘がぽつりと呟く。
「……これなら、もうちょっと少なくていいかも」
青年は笑って頷いた。
値段のことは、口に出さなかった。
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「このあと、どうする?」
娘が聞く。
青年は一瞬だけ迷ってから言った。
「いいところ、あるよ」
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車は、そのまま道路の方へ向かった。
メルヘンガラス小館。入場無料。
その言葉は、やはりどこか軽かった。
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辿り着いたのは、“小館”ではなかった。
古民家だった。
しかも、きれいに整えきれていない、少しだけ生活の気配が残っている家。
庭先に、黒猫がいた。
「ミルだって」
娘がしゃがみ込む。
手を伸ばす。
ミルは、触らせない。
逃げるわけでもなく、威嚇するわけでもない。
ただ、ほんの少しだけ距離を保ち続ける。
一歩近づけば、一歩だけ下がる。
それ以上は動かない。
まるで、「そこまで」と線を引いているようだった。
娘は何度か試して、すぐに立ち上がった。
「触れないね」
残念そうではなかった。
ただ、事実を確認しただけの声だった。
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中に入る。
ガラス細工が並んでいる。
雪だるま、動物、小さな人形。
どれも、かわいい“つもり”なのは伝わる。
だが、どこか決定的に噛み合っていない。
目が合わない。
いや、合っているはずなのに、少しだけズレている。
そして、それぞれに値札がついていた。
「売ってるんだね」
娘が言う。
展示ではなく、直売だった。
値段を見る。
やはり、かわいくない。
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「今日はどこから来ましたか?」
背後から声がした。
振り向くと、ガラス作家らしき中年女性が立っていた。
娘が答える。
だが会話は繋がらない。
「この猫ね、テレビに出たんですよ」
女性は続ける。
「その時にこの店も紹介されてね」
娘が何か言おうとする。
「明日、植物園で作品を売るんですよ」
上書きされる。
「だから今日はちょっと忙しくてね」
忙しさの方向が、どこか違っていた。
猫。テレビ。植物園。忙しい。
順番を少しずつ変えながら、同じ話が続く。
娘はしばらく黙って聞いていたが、小さく首をかしげた。
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(何か、買おう)
青年は思った。
今日という一日を、ちゃんと形にしたかった。
ガラス細工は、特別感がある。
記憶に残るはずだ。
「どれか、好きなのある?」
青年が言う。
娘は一通り見て、すぐに答えた。
「……ない」
間はなかった。
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「これ、どこがいいの?」
娘は近くのガラス細工を指さした。
純粋な疑問だった。
責めているわけでも、遠慮しているわけでもない。
ただ、理解できなかった。
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その正直さに、青年は少しだけ困った。
「そっか」
そう言うしかなかった。
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店内をもう一周する。
そして青年は、雪だるまを手に取った。
一番安いものだった。
理由は、自分でもよくわからなかった。
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会計を済ませる。
袋に入れてもらう。
外に出る。
ミルは、やはり同じ距離にいた。
もう、手は伸ばさなかった。
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帰り道。
袋は青年が持っていた。
娘はしばらく窓の外を見ていたが、ふと思い出したように言った。
「さっきのサラダの方が、まだよかったかも」
「量は多かったけど、ちゃんとおいしかったし」
青年は、少しだけ笑った。
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家に帰ってからも、その袋は開けていない。
渡していないわけではない。
ただ、渡す理由がなくなっただけだった。
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娘はきっと、何も間違っていない。
正直で、優しくて、ちゃんとしている。
ただ——
大事なところの測り方が、少しだけ違う。
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青年も、何も間違えていない。
ちゃんと考えて、選んで、行動した。
それでも、どこかが少しずつズレていた。
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袋の中の雪だるまは、今も同じ顔をしているはずだ。
かわいくはないが、否定もできない顔。
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それはまるで、
正解ではないけれど、
不正解とも言い切れない一日みたいだった。




