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メルヘンガラス小館

掲載日:2026/04/05

※この作品はフィクションです。

実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。



『メルヘンガラス小館』


青年は、毎年バレンタインデーになると、田舎に住む女性からチョコをもらっていた。

それは決まって、きちんとおいしいチョコだった。

食べ終わったあとに「ああ、よかったな」と思える味。

だからこそ青年は、毎年少しだけ考え込む。

(自分は、ちゃんと返せているんだろうか)

ホワイトデーは曖昧だ。

正解がないくせに、なぜか“センス”だけは問われている気がする。

今年は違う。

何もない田舎に住む彼女に、少しおしゃれなデートをぶつけて驚かせてやろうと思った。

青年はそう決めた。


________________________________________

向かったのは、雑誌で見つけた少し洒落たワイナリーだった。

ランチも、少しだけ背伸びした値段のものを選ぶ。

完璧なはずだった。

________________________________________

だが、冬だった。

写真で見た景色は、どこにもなかった。

葡萄のつるは葉を落とし、骨のような枝だけが規則正しく並んでいる。

整っているのに、満ちていない。

どこか“準備中”の景色だった。

________________________________________

料理は、おいしかった。

それは確かだ。

だが、娘が頼んだサラダはやけに量が多かった。

最初は華やかで、途中からただの葉になり、最後は少しだけ義務になる。

二人は黙って葉を食べた。

「おいしいね」

娘が言う。

本心だった。

だがそれ以上の何かは、なかった。

しばらくして娘がぽつりと呟く。

「……これなら、もうちょっと少なくていいかも」

青年は笑って頷いた。

値段のことは、口に出さなかった。

________________________________________

「このあと、どうする?」

娘が聞く。

青年は一瞬だけ迷ってから言った。

「いいところ、あるよ」

________________________________________

車は、そのまま道路の方へ向かった。

メルヘンガラス小館。入場無料。

その言葉は、やはりどこか軽かった。

________________________________________

辿り着いたのは、“小館”ではなかった。

古民家だった。

しかも、きれいに整えきれていない、少しだけ生活の気配が残っている家。

庭先に、黒猫がいた。

「ミルだって」

娘がしゃがみ込む。

手を伸ばす。

ミルは、触らせない。

逃げるわけでもなく、威嚇するわけでもない。

ただ、ほんの少しだけ距離を保ち続ける。

一歩近づけば、一歩だけ下がる。

それ以上は動かない。

まるで、「そこまで」と線を引いているようだった。

娘は何度か試して、すぐに立ち上がった。

「触れないね」

残念そうではなかった。

ただ、事実を確認しただけの声だった。

________________________________________

中に入る。

ガラス細工が並んでいる。

雪だるま、動物、小さな人形。

どれも、かわいい“つもり”なのは伝わる。

だが、どこか決定的に噛み合っていない。

目が合わない。

いや、合っているはずなのに、少しだけズレている。

そして、それぞれに値札がついていた。

「売ってるんだね」

娘が言う。

展示ではなく、直売だった。

値段を見る。

やはり、かわいくない。

________________________________________

「今日はどこから来ましたか?」

背後から声がした。

振り向くと、ガラス作家らしき中年女性が立っていた。

娘が答える。

だが会話は繋がらない。

「この猫ね、テレビに出たんですよ」

女性は続ける。

「その時にこの店も紹介されてね」

娘が何か言おうとする。

「明日、植物園で作品を売るんですよ」

上書きされる。

「だから今日はちょっと忙しくてね」

忙しさの方向が、どこか違っていた。

猫。テレビ。植物園。忙しい。

順番を少しずつ変えながら、同じ話が続く。

娘はしばらく黙って聞いていたが、小さく首をかしげた。

________________________________________

(何か、買おう)

青年は思った。

今日という一日を、ちゃんと形にしたかった。

ガラス細工は、特別感がある。

記憶に残るはずだ。

「どれか、好きなのある?」

青年が言う。

娘は一通り見て、すぐに答えた。

「……ない」

間はなかった。

________________________________________

「これ、どこがいいの?」

娘は近くのガラス細工を指さした。

純粋な疑問だった。

責めているわけでも、遠慮しているわけでもない。

ただ、理解できなかった。

________________________________________

その正直さに、青年は少しだけ困った。

「そっか」

そう言うしかなかった。

________________________________________

店内をもう一周する。

そして青年は、雪だるまを手に取った。

一番安いものだった。

理由は、自分でもよくわからなかった。

________________________________________

会計を済ませる。

袋に入れてもらう。

外に出る。

ミルは、やはり同じ距離にいた。

もう、手は伸ばさなかった。

________________________________________

帰り道。

袋は青年が持っていた。

娘はしばらく窓の外を見ていたが、ふと思い出したように言った。

「さっきのサラダの方が、まだよかったかも」

「量は多かったけど、ちゃんとおいしかったし」

青年は、少しだけ笑った。

________________________________________

家に帰ってからも、その袋は開けていない。

渡していないわけではない。

ただ、渡す理由がなくなっただけだった。

________________________________________

娘はきっと、何も間違っていない。

正直で、優しくて、ちゃんとしている。

ただ——

大事なところの測り方が、少しだけ違う。

________________________________________

青年も、何も間違えていない。

ちゃんと考えて、選んで、行動した。

それでも、どこかが少しずつズレていた。

________________________________________

袋の中の雪だるまは、今も同じ顔をしているはずだ。

かわいくはないが、否定もできない顔。

________________________________________

それはまるで、

正解ではないけれど、

不正解とも言い切れない一日みたいだった。



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