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「今日はどこもかしこも賑やかだなぁ~」
稽古場の扉から、間の抜けた声が飛んできた。
視線を向けると、無精ひげを生やした四十代の男が立っている。
ロルフ・バルディア――ミメロの剣術家庭教師だ。
リオネルドは、この男の気配をまったく察知できなかったことに、内心ひそかに驚いていた。
ロルフは口元に不敵な笑みを浮かべ、ふらりとリオネルドへ歩み寄っていく。
「いやはや、リオネルドぼっちゃん。まさかなぁ~、なんか信じられないようなものを見た気がするなぁ~。いや、あり得ないよなぁ~っと、なんだっけぇ? 思い出せそうで思い出せないなぁ、騎士道に反するとかなんとか、なんだぁ~?」
その言葉に、リオネルドの口元がわずかに引きつる。
小さく舌打ちし、懐から銀貨を取り出してロルフの手にそっと握らせた。
「ありゃ? ありゃりゃ、俺はいつの間にこの場所に? おーこれはこれは、ごきげんうるわしゅう、お二人とも精が出ますなぁ~」
リオネルドは黙したまま、足早に稽古場を後にした。
「こりゃー、こっぴどくやられたなぁ。ほれ、これでも飲んどきな」
差し出されたのは、小瓶に入ったポーション。
ミメロはそれを受け取り、一息に飲み干す。
すると全身の痛みが和らぎ、痺れていた手足にも血が巡り始めた。
「ありがとうございます、先生」
「あー、気にしないで。あとでちゃんと家に請求しとくから」
――吐き戻したろか。
「にしても……まぁ、よくも耐えられるもんだねぇ。ったく、こんな子供いじめて何が楽しいんだか。名門貴族だなんだって、過去の栄光にすがってよ~、ほんと滑稽だよな。もうとっくに財産も尽きて、家計も火の車だってのに、見栄だけは張り続けてんの。この屋敷もすでに抵当に入ってんだろぉ?」
よくそんなことまで知ってんな。
「なのに、まだ自分たちが偉いと勘違いしちゃってねぇ。しかも、とっくに家庭崩壊しちゃってんじゃん、この家。どいつもこいつも品性ってもんがねぇーのよ。……あっ、そりゃ俺もか。がははっ」
「でも、どこにも行くあてないですし。この家にいるしかないんですよ」
「……そっか。そうだよな。この世は弱肉強食、強くなるしかねぇわな」
ロルフ・バルディアはかつて傭兵団の団長を務めたほどの猛者だった。
当然、剣の腕も一流。だが、もともと強かったわけではない。
幼い頃から持病のせいで、握力や手首の力が弱かった。
そのため、力強い剣撃を受けると、簡単に持ち手の剣を弾き飛ばされていた。
そこで彼は受け流しの技術「パリー」に徹底的にこだわった。
鍛錬を重ね、いつしか相手の剣気を読めるようになり、絡みつくような独特の剣術スタイルが形作られていた。
そのまとわりつく様は、まるで葡萄の蔓(ヴィティス)のようだと形容された。
やがて「ヴィティス・ロルフ」の二つ名で戦場を轟かせ、この剣術は後に『ヴィティス流』と呼ばれるようになった。
「しっかし、ヴィティス流をあそこまで使いこなせるようになってるたぁ、おったまげたな~。初めてだぜ、ここまで習得できたやつぁ。しかも、教えてまだ一年も経ってねぇってのによ」
うぉーい、いつから見てたんだよ、この野郎。
「あのー、そんなことより、うげっ……酒クサっ。飲んでます?」
「そりゃ飲むだろ。今日は祭りだぜぇ~」
いやいや、アンタ授業しにここに来てんだろ。お仕事でしょーが。
「そういや、今日が神託日だったっけぇ? おいおいっ、何もらったんだぁ~、お女神さまによぉ?」
「えー、モノマネっすね」
「はぁ~~? なんじゃそりゃ。朝に目覚まし鶏の鳴き声でもやって、皆を起こせってかぁ? ぶはははっ。こっこ、こっけぇこぉっこぉ~~~~っ」
本来、ロルフのような剣の達人であれば、上級貴族に厚遇で雇われているはずだ。
では、なぜ彼がこんな没落貴族の家庭教師などをしているのか。
理由は単純で、とにかく不真面目。頭の中は酒と女と賭け事ばかり。
まさに絵に描いたようなろくでなしである。
だが最大の問題は、指導が壊滅的に下手なことだ。
「ここをシュッと、こんな感じでフンッ」――説明のほとんどが擬音に終始する。
さらにすぐ脱線して、昔の自慢話や娼婦・ギャンブルの話を延々と語り出す。
挙げ句の果てには、サボって居眠りしていることのほうが多い。
これでは、どんな良家に雇われてもすぐにクビになって当然だ。
当然、ヴィティス流の使い手など育っていない。
彼は剣士としては一流だが、教師としては三流、いや五流以下である。
「俺のモノマネ、意外と上手ぇだろぉ? ゴブリンの鳴き声も結構自信あるぜぇ」
「そうだ、先生。ちょっとスキルについて聞きたいことあるんですけど――」
「ふぁ~~~、やっぱ飲み過ぎたのか眠くなっちまったな。……ういしょっと、ちょっと横になるわ」
……こいつ、ここに寝に来ただけだろ。