第二話
暦で言えばその日の季節は冬だったが、棺の中には春があった。
赤や青、黄色に紫と棺の中で咲く色鮮やかな花が、冬の薄曇りの空の下で咲き乱れている。寒くて、いつも暗い。それが私が持つ冬のイメージだったけれど、その色鮮やかさはどこか歪で、まるでその辺りだけに春の息吹が吹いたみたいだった。あまりにもその色が強くて、見続けていると軽く目眩がした。
棺はついさっき施設の運動場へと運びこまれた。木製の、細部まで装飾が施された、やたらと高級感のある棺だった。中にいるのは私たちが暮らす施設の館長である三島さんだ。白いスーツを身に纏い、おへその辺りで指を貝殻のように組み合わせ静かに目を閉じていた。身体の周りでは色とりどりの花が三島さんを包み込むようにしてその花弁を美しくひらいている。
「さむい」
ふいに私の隣に立っている沙羅がぽつりと呟いた。白装束に身を包んでいる沙羅は手を擦り合わせながら身体を縮こませていた。あまりにも辛そうなので、私はそんな沙羅の腕を優しくさすってあげた。
「寒いね。大丈夫?」
問い掛けた時、空から舞い落ちた雪がまるで蝶が羽を休めるみたいにふわりと指先に止まった。だが、それは一瞬にして私の体温で溶けて消え、あまりにも儚いその刹那の一生を私は無様だと思った。
「新奈、またしてる」
声に導かれるように顔を向けると、沙羅が呆れたような笑みを浮かべていた。首や手首などと服の先からみえる沙羅の肌と、身に纏っている白装束が白く染まり始めた世界に同化しており、少しずつ輪郭があいまいになっていく気がした。
「なにを?」
「その顔。またしてる。いくら雪が嫌いでもさ、初めて雪が降ってる瞬間をみた時くらい皆みたいに喜んだらいいのに」
ため息をつくように放たれたその言葉たちは、すぐさま白い靄となり、冬の薄曇りの空へと消えていった。
「その顔ってどんな顔よ」と聞き返そうとすると、それよりも前に、ほら、と沙羅が指を指した。その先では子供たちが「雪だ」「実際に降ってるとこなんて初めてみた」と嬉々として騒いでいた。若さゆえのことかもしれないが、誰一人として骨まで軋むような冬の寒さをもろともしていないようだった。 私たちは今、施設に住む三十一人の子供達全員で運動場のちょうど中心に置かれた棺を円を描くようにして取り囲んでいる。0歳から17歳。私と沙羅のように今年で18歳の誕生日を迎える大人と子供の狭間のような子もいれば、まだ自我が発達しきっておらず身体もちいさな子もいる為、棺を前にしながらも好きなように話し大きな笑い声をあげる子もいた。
「この服ってさ、なんでこんなに薄いんだろ。ほんとに寒いんだけど」
「分かんない。三島さんの趣味なんじゃない?」「こんな日に雪なんて降らなくていいのにね」
「こんな日って?」
問い掛けると、沙羅がゆっくりと右手を持ち上げ指を指した。
「三島さんの生前葬だよ」
そう言った瞬間、棺の中からむくりと身体が起き上がった。白いスーツを身に纏う三島さんは、「歌を歌ってください」と周りを取り囲む私達をぐるりと見渡す。
「皆さん、雪が降って嬉しいのは分かりますが今日は私の大切な日です。この冬の空を、聖歌で満たして下さい」
三島さんは、男性にしては線が細く、色も白い。いつも眼鏡をかけ長い前髪を綺麗に後ろに撫でつけており、年は二十代にも四十代にもみえた。三島さんは年に一度、あるいは数回、今みたく生前葬を行う。三島さんは、よくこう言った。
──人は、一度しか死ぬ事が出来ない。いつ訪れるかも分からないですが、その時の私はきっと物足りなく思っているでしょう。だからこそ、定期的に死を身近に感じたくなるのです。私にとっての生前葬は、その時が来るまでに少しでも胸を満たす為の、かさ増しのようなものです。
薄く笑みを浮かべながらそう言った当時の三島さんの頭を思い浮かべていると、棺の中へと消えていく三島さんの姿がみえた。程なくして、私達の歌う聖歌が冬の空気を震わせた。つめたく、静けさを孕んだその空気は澄んでいるせいか、あっという間に薄曇りの冬空を満たしていく。三十一人の子供たちが手をつなぎ、棺の周りをくるくると回る。歌が広がり、視界は回る。赤や黄色、青に紫。棺の周りに添えられた無数の花たちの鮮やかさがくっきりとした輪郭を保っており、目が眩む。
雪が降り続けていた。はらはらと、白い真綿のようなそれが私達の髪を、肌を、服を、少しずつ白に染め上げていく。みながら思う。ふざけるな、と。三島さんの生前葬は、今年の内に恐らくあともう一度開かれる。なぜなら、今日起きた出来事を誰一人として覚えていないからだ。共に過ごした時間も、食事をしたことも、誰かと会話をしたことも、明日目が覚めた時には何一つとして覚えていない。勿論、この三島さんの生前葬のことも。
それは、全て雪のせいだった。世界を白く染めようと、空から舞い落ちてくる雪のせいだった。だから私は雪が嫌いだ。大嫌いだ。
だが、雪はいつだって、そんな私を嘲笑うかのように毎年必ず降り、孤独を引き連れてくる。無意識に薄曇りの空を睨みつけていた。ちぎれた雲の残骸みたいなものがそこから舞い落ちてくる。音もなく、はらはらと舞い落ちるそれは、その年の初雪で、私にとっては十八回目の冬が訪れたことを知らせた。