3 家族会議
私は震え上がっているポーラを見て社畜時代を思い出した。ストレス解消を目的に部下に当たり散らすパワハラ上司。それでいて自分はろくに仕事をしないで仕事を部下に丸投げし、進捗状況が悪いとここぞとばかりに叱責してくる。前世の私はこんな人間になったら終わりだと自分に言い聞かせ、嵐が去るのを待つように耐え忍んでいた。
リディアが他人に厳しいのは期待の裏返しだ。パワハラ上司のように悪質ではないが、ポーラからすればパワハラされているのと変わらない。
ポーラには弟と妹が大勢いる。その子たちを食べさせるためにリディアの無理難題に耐えてきたのだ。そんな家族想いの良い子をこんなに怯えさせてしまうなんて、リディアは限度を知らなかったと言わざるを得ない。
「顔を上げなさい。ポーラ」
ポーラは私の声にびくりと体を震わせたあと、恐る恐る顔を上げた。
「本当に申し訳ございませんでした! 以後はこのようなことがないように……」
ポーラが言い終える前に、私はポーラをそっと抱き寄せた。
「り、リディアお嬢様……?」
「ごめんなさい。ポーラ」
私はポーラの背中を優しく摩った。
「これまで私があなたにしてきたことは理に適ったものではありませんでした……私は自分の不出来に憤りを感じて治そうと努力してきました。だから周りが自分と同じようにしないのに腹を立てて当たり散らしていた……公爵家の娘にあるまじき行為ですわね」
完璧主義を自分と他者に強要していたリディアはもういない。ここ最近のリディアは魔王の魂が宿った影響で性格が悪い方向に変貌していたが、前世の記憶が蘇った今、以前のように振る舞うつもりはない。あまり変わり過ぎると怪しまれるから口調はリディアを意識していくつもりだけど。
「あなたは私の無理難題に応えようと頑張ってきました。これからもよろしくお願いしますわね、ポーラ」
私が微笑みかけると、ポーラは気が抜けてしまったのか、その場で意識を失ってしまった。
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目を覚ましたポーラを部屋まで送り届けたあと、私は食堂へと足を運んだ。その道中で高そうな絵画や家財を目にし、ここが前世の世界とは違うのだと改めて思い知らされた。
それにしても気が重い。前世の記憶を思い出してから初めて家族と顔を合わせるのだ。ボロが出ないか心配だ。
「今日は遅かったわね、リディア」
食堂に足を踏み入れると、金髪碧眼の美人、母のエルミーヌ・クラウディウスが声をかけてきた。
「昨日の夜はろくに眠れなかったようだな。さすがのお前もジェイコブ王子に婚約を破棄されたのは堪えたと見える」
同じく金髪碧眼の青年、兄のヘンリー・クラウディウスが言った。ごめんなさい。昨晩は高いベッドのおかげで快眠できました。
「お姉様。気を落とさないでください」
金髪碧眼の少年、弟のルリオ・クラウディウスは眉をハの字に寄せた。
「やってくれたな、リディア」
長い食卓の中央奥に座っている威厳のある金髪赤目の中年男、父のレオナルド・クラウディウスは不機嫌そうに腕を組んだ。
空気が重い。当然だ。王族への輿入れが決まっていた娘が婚約を破棄されてしまったのだ。公爵家としての面子は丸潰れ。大人の事情を知らない弟以外のみんなが私に非難の目を向けるのは無理からぬことだ。
「お前がクラウディウス公爵家の名に恥じないように努力してきたのは知っている。お前の他人への当たりの強さは自分自身への厳しさによるものだとわかっていたから見逃してきた。だが今回ばかりはそうもいかない」
落馬で死亡したリディアは魔王の魂の依り代になり、辛うじて一命を取り留めたが、魔王の魂の影響で感情が不安定になっていた。理不尽を他人に押し付け、利己的に振る舞うようになってしまったのだ。
「最近のあなたはおかしかった。公爵家の名に恥じないように立派であろうとしていたのに、周りを傷付けてばかりだったわ」
「俺の周りもお前の悪い噂を耳にしていた。身内として恥ずかしい限りだ」
「み、みんな、お姉様に酷いこと言わないで」
「あなたが口を出すことではなくてよ、ルリオ」
お母様に釘を刺され、ルリオは俯いてしまった。
みんなが私を悪く言うのは仕方ない。アホ王子にドヤ顔で婚約破棄されたのは気に食わないけど、今回の一件はリディア、いや魔王も関係しているのかな? とにかく全部ひっくるめて私にも非が合った。
「あなたくらいの年齢なら間違いを犯すことはたくさんあるわ。その都度で多くを学んで改善していけば後の人生で財産になる。だからいつかあなたが間違いに気付いて心を入れ替えてくれると信じて、何も言わずに様子を見ていたのよ」
お母様は親心で私を見守っていてくれていたようだ。それは他のみんなにも言えることに違いない。
私は胸に熱いものを感じていた。みんなが私を責めるのは親愛があってのことだ。どうでもいい他人は無視するのが普通だ。
魔王の魂に毒されたリディアなら自分が一方的に責められたと解釈して逆切れしているところだが、今の私は違う。
「申し訳ございませんでした。此度の一件は私の不徳が致すところでしたわ」
私は深々と頭を下げた。今となってはリディアも魔王も私の一部だ。私が代表して彼女たちがしてきたことにけじめを付けなくてはならない。
「わ、わかってくれたならいい。顔を上げろ」
「はい、お父様」
直立姿勢に戻ると、ヘンリーお兄様は山で熊に遭遇したような顔をしていた。さすがにそれは失礼じゃないかな。
ルリオは何が起きているのかよくわかっていないのか首を傾げている。可愛い。
お母様は朗らかに微笑んでいる。改心した娘の姿を目の当たりにして喜んでいるのだろう。
お父様に至ってはかくんと顎を落としている。そんなに驚くことだったかー。
「私の軽率な行いが悪評を生み、巡り巡ってクラウディウス公爵家の名誉を傷付けてしまいました。こうなってしまったのはすべて私の責任です」
「いやまあ、俺はそこまでだとは思っていないんだがな……」
ヘンリーお兄様は困ったように頬を掻いた。先ほどまでの厳しい態度は私に反省を促すためだったのだろう。本当は妹と弟思いの優しい人なのだ。ゲーム本編では脇役で見せ場はなかったけど。
「気位の高いお前に頭を下げられては何も言えんではないか」
「あら、相変わらずリディアには甘いわね、あなた。私にまだまだ言いたいことがたくさんありますわよ」
「そう言うな。あまり大きい声では言えんが、ジェイコブ王子とリディアの婚約には思うところがあった。ルーク殿下ならともかく可愛い娘をあんなろくで……いや何でもない」
それもうはっきりアホ王子と私の婚約には気が進まなかったって言ってるようなものですよ、お父様。誰かの耳に入れば問題になる発言だけど、この場には家族しかいないから大丈夫だ。
「こんなことは言いたくないけれど、今回の一件は謝って済ませられる問題ではありませんわ。リディアに何かしらの罰を与えなければ示しがつきません」
お母様は横目で私の顔を窺ってきた。厳格に見えて実は私に激甘なお父様と違って、締めるところはきちんと締めてくれるのがお母様だ。
私としても罰を受け入れるのは吝かではない。というより良い考えがあるから是非とも聞いてほしい。
「それについては私から提案がありますわ」
「提案だと?」
「ええ。お父様。此度の一件で私は思い知らされました。私は狭い視野で物を見ていた。もっと広い目を持つべきだったと心から反省しています」
「賢明な気付きね。ようやくそこに思い至ってくれて嬉しいわ」
「お褒めいただきありがとうございます、お母様」
「それで、提案とは一体何だ? それはお前への罰に相応しいものなのか?」
「はい。お兄様。少し前の私なら考えもしなかった苦行に違いありませんわ」
「お姉様、苦行って何?」
「苦しくて辛いことよ、ルリオ。悪いことをしたら罰を受けなければならない。あなたにもいつかわかるときがくるわ」
「前置きはもういい。言ってみなさい」
痺れを切らしたのか、お父様が催促してきた。
私は胸に右手を添え、こう言った。
「私、冒険者になりますわ」