1 婚約破棄
「リディア・クラウディウス! 今この場で貴様との婚約を破棄させてもらう!」
豪華な衣装で着飾った紳士淑女が集まる中、私の婚約者ことジェイコブ第三王子が高らかに宣言した。ぱさっと前髪を払う気取った仕草に腹が立つ。目元が隠れそうになるくらい前髪を伸ばしているのはニキビを隠すためだと私は知っている。
それにしても、婚約を破棄された直後に前世の記憶が蘇るなんて間が悪すぎる。
リディア・クラウディウス。クラウディウス公爵家の娘にして、この乙女ゲー、いや、この世界と言うべきかな? における悪役令嬢に私は転生してしまったようだ。
私は今日までリディアとして生きてきた記憶も持っている。リディア的にはこの婚約破棄はショックが大きい。相手はアホの子でも肩書きは第三王子。輿入れすれば晴れて王族の仲間入りだ。公爵家令嬢として高度な教育を受け、そう在ろうと自分に厳しく生きてきたリディアには積年の努力が報われる婚約だったのだ。
私は前世の記憶を振り返った。
成宮希里香。それが前世の私の名前だ。三十路前のOLでブラック企業勤め。毎日残業の日々を過ごしていたが、過労が原因の立ち眩みで駅の線路に落下し、電車に轢かれて死亡した。
そのはずが、気付けばここにいる。
私は辺りを見渡した。天井には豪華なシャンデリアがぶら下がっている。広間は何百人も入れそうなほどに広く、ずらりと並べられた欧州風のテーブルには豪勢な料理が乗せられている。
さながら欧州然とした晩餐会だ。身形を整えた紳士と高いドレスを着た淑女の皆々は黙って私を見ている。
前世では連日残業で疲労が末期だったため、まともに物を考えることができなくなっていたが、今はリディア・クラウディウスの健康な肉体を得ているからか、霧が晴れたように頭が冴え渡っている。
状況を整理しよう。私は死後、異世界に転生した。しかもただの異世界ではない。学生時代にプレイした乙女ゲーム〈セイクリッドマギア~聖女と魔法学院~〉の世界にだ。
「言葉を失っているな。無理もないか。この私との婚約を破棄されてしまったのだからな」
アホ王子はどこまでの尊大だ。その自信がどこから湧いてくるのやら。
アホ王子のことは覚えている。こいつは二人の兄の失脚を目論み、強力な後ろ盾を得ようと他国の王女様と婚約を取り付けることに成功した。それが理由で私との婚約を破棄したのだ。
ところが、のちに間の抜けた立ち回りが原因で他国の王女様に見切りを付けられ、婚約を解消されることになる。ルートによって奴隷商人に捕まって変態に売られたり、情報を持っていないのに吐けと拷問された末に死亡したり、強制労働先の炭鉱で元王子だとバレていじめられたりと、因果応報な末路を遂げることになる。
私は唇を噛んで笑いを堪えた。偉そうにできるのは今だけだ。そんな私を見たアホ王子は盛大に勘違いをしたらしい。ふんと鼻を鳴らした。
「こうなってしまったのは貴様の不徳の致すところだ。そうであろう?」
こいつに言われるのは癪だが、リディアはこの世界における悪役令嬢だ。周りからの評判は芳しくない。
それはそうと、私の記憶が正しければ、このあとリディアは泣きながら大広間を出て行くはずだ。学生時代にプレイしたゲームだから記憶が朧気だ。
「大変、申し訳ございませんでした」
私は頭を下げ、両手で顔を覆った。涙を隠したのではない。我慢できずに笑ってしまったのだ。このアホ王子ときたらどのルートでも自分が悲惨な最期を遂げると知らずに間抜け面で踏ん反り返っているのだから。
とはいえ、これでおとなしく引き下がるのは怪しまれるかもしれない。一応一言添えておこう。
「お慕い申し上げておりました」
「言われるまでもなくわかっている。何せ相手がこの私だからな」
止めて。俺はモテるから当然みたいな顔で私を笑わせにこないで。
「私の気持ちを知っても婚約破棄は撤回されないのですね」
「王族の婚姻は愛の有無で決まらんからな。貴様にもっと愛嬌と利用価値があればよかったのだがな」
「そうですか。私がこれ以上ここにいたら皆様に迷惑をかけてしまいます。これで失礼致します」
私は令嬢らしい仕草で一礼し、踵を返して広間の出口に向かって歩き出した。
舞踏会に集まっている紳士淑女の視線が私に集まる。
その中には見覚えのある顔触れがいた。
金髪翠眼の腹黒合理主義の第一王子――ルーク・ガーフィールド
赤髪紅眼の野性味のある騎士団長の息子――ディラン・アッシュバートン
青髪碧眼のクール系世話焼き公爵家嫡男――クラウス・フリージア。
そして、栗色の髪に黄緑色の目をした少女、この乙女ゲー「セイクリッドマギア~聖女と魔法学院~」の主人公――クリスタ・オベール。
彼らは退出していく私を各々に異なる感情を抱きながら見詰めてきた。
クリスタはこれから美形揃いの攻略対象と大恋愛を繰り広げていき、同時に聖女として過酷な運命に立ち向かっていくことになる。
倒すべき宿敵――魔王との戦いに備えて。
大広間を出た私は人気のないテラスに移動し、頭上で輝いている二つの月を眺めた。
困ったなー。私このままだとクリスタと攻略対象たちに殺されちゃうんだよね。
何故なら本物のリディアは落馬で死亡しており、その体を依り代に転生した魔王とリディアの意識が混ざった悪役令嬢兼ラスボス魔王が今の私なのだから。
転生したキャラに転生するとか色々とややこしい。主人格は前世の私だけど、リディアと魔王の記憶もぼんやりと覚えている。そのせいか自分の中の価値観や常識が変わっている感覚がある。
何はともあれ、やることは決まっている。
ラスボスであるリディアが主人公のクリスタと和解して生存するルートは、数々の条件を達成した上でルーク第一王子とクリスタが結ばれるトゥルーエンドだけだ。
生き残るために先ずやるべきことは、ルーク第一王子とクリスタの仲を取り持つことだ。あとは万が一に備えて力を付けておくことかな。
攻略対象たちとも仲良くなる必要がある。リディアは彼らから快く思われていない。幼少期から面識があったルーク第一王子とフリージア公爵家嫡男クラウスからは特に煙たがられている。
トゥルーエンドに至るためには、攻略対象たちのクリスタへの好感度を上げなければならない。ゲームと違ってクリスタは自分の意志で動くはずだ。私がお膳立てして攻略対象たちとの仲を進展させる必要がありそうだ。
(目指せ、トゥルーエンドだね)
私は月に向かって手を伸ばした。
前世では悲惨な最期を遂げてしまったが、今生は悔いのないように生きてみせる。
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