8 病気の告白
帰りのホームルームが終わると、佐々木の席へと一目散に向かった。
「帰ろう」
「……ん」
佐々木はいまだに、教室内で話しかけると居心地が悪そうにする。周りのクラスメイトたちは、もうその光景にも慣れたのか、特に驚いた様子はない。
「俺の家でいいか?」
「え、家?図書館とかは?」
「図書館だとあまり話せない」
「ファミレスとか」
「騒がしいし、店員さんに気を遣う」
「……わかった」
渋々といった様子で佐々木が折れる。案外、推しに弱いのかもしれない。
家の最寄り駅の改札を出たところで、ふと足を止めた。
帰り道がわからないことを忘れていた。今も工事が続いているため、ここ最近は家族の誰かが電車で帰ってくるまで、駅の真横の図書館やカフェで本を読んだりゲームをしたりしながら暇を潰していたのだ。
「どうした?」
佐々木が訝しげに聞いてくる。いつまでも歩き出そうとしないのだから当然だ。
「えーっと、どっちに行ったらいいんだっけ?」
「は?ふざけてんのか?」
「いや、うん、こっちかな」
当てずっぽうで右手に見える横断歩道へと足を向ける。しかし、その途端に佐々木に腕を掴まれ、引き戻された。
「いや真逆だろ」
佐々木は何の迷いもなく正しい方向に歩き始めた。
――二択すら外した。
心の中でため息をつきながら、佐々木の背中を追った。ふと、佐々木が黙ったまま何か考え込んでいる様子に気づく。そのまま少し歩いた後、佐々木がぽつりと呟いた。
「……お前って、やっぱおかしいよな」
「え?」
「朝一緒に歩いてる時も、分かれ道で毎回不安そうな顔してるし。最初に会った時も、ずっとうろうろしてたよな。あれって、迷ってたのか?」
佐々木は和也を横目で見やり、静かに続けた。
「……それ、なんかの障害とかじゃねえの?」
障害――その一言に、心臓が強く跳ねた。顔がこわばり、口元が引きつる。沈黙が二人の間に重くのしかかった。
「……悪い」
佐々木が少し気まずそうに謝る。しかし、その言葉を否定するように首を振った。
「……事実だよ」
家族以外に打ち明けるのは初めてだ。でも、佐々木になら話してもいいかもしれない。なぜだか分からないが、そんな気がした。
「地誌的失認っていう障害なんだ。道が覚えられなくなるやつ。風景とか建物とかを見ても、どこにいるのかわからない。地図も苦手で、頭の中で位置関係が作れないんだ」
言い終わると、ちらりと佐々木の顔を伺った。今、どんな顔をしているのだろうか。佐々木はしばらく考え込むようにしてから短く尋ねた。
「いつから?」
「小五の時、交通事故に遭ってさ。頭を打ったせいでこうなった。それからずっと、こんな感じ」
かすかに笑い、顔を逸らす。
「だから、電車に乗って一人で移動するのはいつも怖い。地元でも、少し景色が変わると、もう訳が分からなくなる」
ふいに、佐々木が足を止めた。
「でも、なんとかやれてんだろ?」
その言葉に一瞬きょとんとしてしまった。佐々木の声に込められたのは、驚きでも憐れみでもなく、ただの事実確認のような響きだった。
「……うん、まあ、そうだね」
「じゃあ、それでいいんじゃないか」
佐々木はそれだけ言うと、また歩き出した。
「なんだよそれ。でも、そうかも」
自分でも意外なくらい、自然に笑みがこぼれる。こんなに軽い反応をされるとは思っていなかった。佐々木の背中を追いながら、胸の奥に新しい感覚が生まれるのを感じていた。「お前はお前でいい」と言われたような、そんな気持ちだった。