6 コンプレックス
「かーずーやぁー!おーきーろー!」
誰かに布団の上から体を揺すられて、目が覚めた。寝起きでまだ脳が覚醒していない。
「……母さん?……って、酒くさっ!」
「おっはよー!」
そのまま布団にのしかかられる。
「ちょ、母さん!重いって!ていうか今何時?」
「んー、今はねー、5時!」
時計を見て思わず溜息をつく。
はぁ……こんな時間から寝ても、逆に辛いだけだ。諦めて布団から抜け出し、机に座る。暇なので、クラスメイトの特徴を記録しているメモ帳を開いた。
「……ていうかさ、母さん今日も仕事だよね?流石にこの時間に酒抜けてないの、やばくない?」
メモ帳を眺めながら声をかけるが、返事がない。
「……母さん?」
違和感を覚えて振り返ると、いつの間にか真後ろに立っている人物に驚き、のけぞった。
「うわっ!……って、お前……!」
「気づくのおっせーなぁ。おはよ」
そこにいたのは、母ではなく、兄の優也だった。2人は声が似ているのだ。
「……優也かよ!紛らわしい真似すんな!」
怒りに声を荒げる和也を尻目に、優也は勝手にメモ帳を取り上げる。
「なっ……!」
奪い返そうとしても、優也の腕力には敵わない。
優也は足払いで和也のことをベッドに押し倒すと、馬乗りになって両手首を軽く押さえつけ、メモ帳をめくり始めた。
「……足立、野球部、坊主、メガネなし、声低め、百七十五センチくらい……おぉ、なんだこれ?」
「返せ!」
必死にもがくが、優也は和也の抵抗をものともせずにメモ帳を高く掲げた。
「阿部、美術部、もさもさ髪、黒縁メガネ……毎日こんなん書いてんのかよお前。マメだなぁ」
「いいから返せよ!」
なんとか奪い取ろうと優也の腕に飛びかかっても、軽くかわされる。
酔っ払いのくせに無駄に俊敏なところに、さらにイライラが募る。
「てか、これ全部覚えるの?マジで?正直さぁ、そんなのやって疲れない?つーか無駄じゃね?髪型なんてコロコロ変わるし」
その言葉に、心がざわつくのを感じた。
「無駄……?」
自分の努力が無意味だと言われたような気がして、胸の奥がチクチク痛む。
「あぁ無駄だね」
優也はへらっとした笑いを浮かべて言葉を続ける。
「別にミスっても、『あちゃー、間違えました』って言やいいじゃん。誰もそんなことで怒んねぇよ。そもそも努力でどーこーなるもんじゃねーんだから。そのままじゃ脳みそパンクするぞ」
「……っ!」
「おいおい、そんなに睨むなって。さっきだって、俺のこと母さんと間違えただけでこの世の終わりみたいな顔しやがって。むしろ笑い話だって」
「……笑えるわけないだろ!」
拳を握り締め、声を荒げた。
「俺は……間違えたくないんだよ!」
自分の声がみっともなく震えるのが分かった。
「毎日、間違えないように必死なんだ……」
優也は一瞬だけ黙り込み、ため息を吐くと、メモ帳をそっと返してきた。
「必死なのは、まぁ、わかった。でもさ、そんなに頑張んなくてもいいんじゃねぇの?」
その軽い口調に、さらに胸が苦しくなる。
「お前がそんなにガチガチだと、こっちまで肩凝るわ。見てる方がしんどくなるっつーか……ほら、せっかくのイケメンがだいなしだぞー?もったいねぇ」
優也はふざけたように言いながら、頭をくしゃくしゃと撫でてくる。
「お前に……何がわかるんだよ……」
優也から視線をそらし、絞り出すように呟いた。
毎日、朝起きると不安になるのだ。
今日もしっかりやれるだろうか。道に迷うのが怖い。人を間違えるのが怖い。失敗したくない。変な目で見られたくない。どうしてみんなが当たり前にできることが出来ないのだろう。昔は出来ていたはずなのに。
朝起きて、洗面所で顔を洗って、鏡を見て、顔に目脂は残っていないか?よだれはついていないか?変なところはないか?確認したくても出来ない。自分の顔すら認識できないのだから。
「んー、まぁ、俺にはわかんねぇこともあるかもだけどさ」
優也は肩をすくめると、ベッドにごろんと転がり、目を閉じた。
「もっと緩く構えてもいいんじゃねーのって話。……あー、マジで眠くなってきた。おやすみー」
そのまま呑気に寝息を立て始める兄を、何も言えずに見つめていた。