44 2度目のお泊まり
その後も、優作との会話は不思議と途切れなかった。真理子との日々のことをぽつぽつと話すうちに、何度も仕掛けられたお茶目な悪戯のことや、思わず笑ってしまうような出来事がいくつも思い出された。優作はそのたびに、静かに笑って相槌を打ってくれる。
いつの間にか、自分が持つ障害のことにも触れていた。交通事故に遭ってからのの日々のこと。深く話すつもりはなかったのに、優作がそこにいると、なんだか自然に言葉が出てくる。
弁護士って、どんな仕事なんですか――そんな問いも、気づけば口にしていた。
興味があるなんて、自分でもあまり意識していなかったけれど、優作は真面目な顔で、司法試験のことや仕事のことをわかりやすく話してくれた。
いつの間にか、食卓の皿は次々と空になっていた。佐々木がキッチンへ向かい、気づけばまた別の香ばしいおつまみが食卓に並んでいる。
そのせいか、つい酒が進んでしまう。
ふと時計に目をやると、針はもう二十三時を回ろうとしていた。
「いけない、時間を忘れてた。親御さん、心配してないか?」
優作さんの声に、小さく首を振った。
「いえ、大丈夫です。佐々木の家にいるって伝えてあるので。家も、すぐ近くなんです」
「そうか。それなら――もう遅いし、明日も休みだろ?よかったら泊まっていきなさい」
思いがけない言葉に、少しだけ返事を迷った。
「えっ、でも……」
グラスを口に運んでいた佐々木を、ちらりと伺う。
彼は何も言わずに一口飲んでから、静かに口を開いた。
「泊まっていけよ。別に、初めてでもないんだし」
「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
佐々木の後にシャワーを済ませ、ふたり並んで二階の部屋に上がる。前に来たときと同じく、無造作だけど、どこか整った空間だった。
「お前、ベッド使えよ。俺、床で寝るから」
「えっ、それは悪いって。俺が下でいいよ」
「いや、マットレスがないんだよ。座椅子倒して、布団かけて寝てるだけ。バイト前の仮眠とか、よくこれで済ませてるから慣れてる」
「えっ、佐々木バイトしてたの? 何の?」
「……古着屋」
「えー、かっこいいな」
「従姉の知り合いに頼まれただけだ」
一瞬、会話が止まる。客の分際で家主を床に追いやるのはどうにも気が引ける。というか、もしかして――前にソファで寝落ちたときも、佐々木は床で寝てたんじゃないか。
――あれ? このベッドって……。
「っていうか、これダブルベッドだよな? 二人で寝ればいいんじゃないか? 優作さんも、多分そのつもりで“泊まっていけ”って言ったんだと思うし」
佐々木の動きがぴたりと止まる。何か、まずいことを言っただろうか。
「それは……」
「え、もしかして、めちゃくちゃ寝相悪いとか? ちなみに俺は、たぶん寝相いいぞ」
「……寝相は普通。……わかった、俺もベッドで寝る」
少しぎこちない動きで佐々木がベッドに上がり、和也もその隣に体を横たえた。
「優作さん、いい人だよな。なんていうか、話しやすくて」
天井をぼんやりと見ながら呟く。
「……そうだな。あの人、子どもにもわりと……遠慮ないから」
すぐ隣で返ってきた声は、普段よりも静かで、やわらかかった。
その響きに耳をくすぐられるような感覚がして、自然とまぶたが重くなっていく。
「それがいいんだよな。今日も俺の話、ちゃんと聞いてくれてたし……。なんか、大人と対等に話せたの、初めてだったかも」
「……お前、ちょっと酔ってんだろ」
「えっ、ばれてた?」
「顔には出てないけど、しゃべり方でわかる」
「そっか……へへ。なんか今、ふわふわしてて、楽しいんだ」
ごろんと横に転がり、そのままの勢いで佐々木の方へ身体を預ける。肩がそっと触れ合い、頭のてっぺんがかすかにくっつく。酔いの力を借りれば、少しくらい素直になれる気がした。
「……ありがとな、佐々木」
目を合わせてそう言った瞬間、佐々木の身体がわずかにこわばったのがわかった。呼吸が浅くなり、まるで何かを飲み込むように喉が動く。
――やっぱり、なんだか照れくさいよな。
「……なんだよ、いきなり」
「んー……なんか、楽しくてさ。今。だから、そう言っときたくなっただけ」
返事はなかった。けれど、拒まれることもなかった。ただ、沈黙だけが、ゆっくりと隣に寄り添ってくる。
それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「そういや、まだ言ってなかったけどさ……俺、思い出したんだ。……全部」
声がかすれていた。自分でもわかるくらい、喉の奥がつまっていた。
「……ごめんな、手紙書くって言ったのに。……また、一緒にプラネタリウム行こうって、言ってたのに……」
酔いと眠気で、思考がだんだんととろけていく。それでも今だけは、どうしても伝えたかった。
――ちゃんと思い出したんだよ、俺。
そのとき、不意に腕を引かれた。ぐっと引き寄せられて、頬が服の布地に触れた。心臓の音が、すぐそばで鳴っている。
「……っ、佐々木……?」
「……もう、わかったから」
押し殺したような、低くかすれた声だった。
彼の手が一瞬、宙をさまよい、ためらいながらも、そっと背中に回される。
――佐々木の心臓の音、すごく速い。
何か言い返したかった。でも、もう口がうまく動かなかった。
胸の奥があたたかくて、少しだけ苦しくて、それでも安心していた。
目を閉じる。静かな鼓動に包まれながら、和也はそっと、眠りに落ちていった。




