4 音楽室にて
息巻いて第二音楽室を探しに出たが、案の定迷子になってしまった。当たり前だ。ただでさえ方向音痴のなのに、一度も行ったことのない教室にたどり着くなど、できるはずもなかった。
校舎を徘徊しつつ、先程の山本の言葉を思い返す。
よく顔や腕に怪我をしていて、いつも無表情。
確かに、頻繁に怪我をしていると言うのは気になるが、必ずしも喧嘩が原因でできたものでもないだろうに。ましてや、呼びに行ったら殴られるだなんて。しかし、山本だけならまだしも吉川まで、佐々木に同じような印象を抱いていたのだ。
正直、自分とっての佐々木は、ひと目見るだけで誰だか特定できる人物で、朝に道案内をしてくれる、意外と親切なクラスメイトでしかなかった。それ以上、佐々木について何かを知りたいと思ったこともなければ、ましてや顔なんて想像したこともない。だから佐々木がいつも無表情で怖いと言われても、それがどのようなものなのかさえ、分からない。
もはや行く当てもなくと廊下を歩いていると、微かにピアノの音が耳をかすめた。
――この曲、どこかで聞いたことがある気がする。誰が奏でているのだろうか。
ピアノの音色は、澄んだ水面に広がる波紋のように、透明感の中に静かな哀愁を漂わせていた。ふいに、脳裏に金木犀の香りが浮かんだ。理由は分からない。ただ、その香りは、この音楽と同じように、心の奥深くに触れる懐かしさを含んでいた。
足音を忍ばせながら静かにピアノの音がする方に近づく。すると、「音楽室」の札がかかった教室にたどり着いた。そっと扉の隙間から中をのぞき込んでみる。
音楽に浸るその空間を壊してしまわないように、息を潜める。
――佐々木だ。
窓から入る日の光で、金色の髪はより一層輝いている。
自分の視線に気づかれたら、この美しい旋律が途切れてしまう気がした。
きっと、ピアノを弾く指先が止まり、音楽室を満たしているこのどこか懐かしい空気が、ぱたりと消えてしまう。息を潜めて、音に溶け込むようにただそこに立ち尽くした。
いつまでそうしていただろうか。不意にピアノの音色がぴたりと止まった。
佐々木は、ふとこちら側へ顔を向け、そして和也を視界にとらえたのだろう、ビクッと肩を揺らした。
「あ……えっと、体育の授業、もう始まってる……よ?」
言いながら、音楽室に足を踏み入れた。ピアノの前に座る佐々木に近づいていく。
しかし佐々木は何も答えない。
表情を読み取ることができないため、佐々木の考えていることが全くわからず、少し不安を覚えた。
「いや、それにしても、佐々木ってピアノ上手いんだな。聞き入っちゃったよ。さっきのなんて曲?なーんか聞いたことある気がするんだよな」
「……どーだった?」
そう尋ねる佐々木の声は、なんだか少し緊張しているようだった。
「なんか、懐かしいような、寂しいような……でもなんだろう、すごく落ち着く曲だなって思った」
「そうか」
佐々木が少し笑った気配がした。
「ていうか、体育だよ体育。サボるなよ」
「なんで今さら?」
「それはその……そう、今日から卓球なんだ。俺卓球めちゃくちゃ強いから相手になるやつがいなくてな。お前強そうだし、相手してくれよ」
――流石に苦しいか……?
「……くっ、くく……なんだその理由。てかお前、球技全般苦手だろ」
――笑った……。
佐々木が声を出して笑うのを、初めて聞いた。
「え、なんでそれを……」
「ふっ……さあ、なんでだろーな」
何かが吹っ切れたような言い方だった。
佐々木がピアノの椅子から立ち上がり、教室の扉に向かって歩いていく。
「え、どこいくの?」
「……体育館じゃないのか?」
「……!」
やっぱり、佐々木はいいやつじゃないか。