「ここはなじみの塔でございます。」
先日投稿した同内容の小説が、長編小説設定になってしまっていたため、再投稿いたしました。
「こんにちは、ここはなじみの塔でございます。ここには歴代王の宝が眠るとされていますが、これまで真偽を確かめた者はおりません」
ーーー私は今日まで何度この言葉を吐いて来ただろうか。
ここに来るのは宝に目が眩んだ大馬鹿どもばかりだ。彼らは私の言葉を聞くと、目をギラギラとさせながら、塔に登っていく。
そして、しばらくすると泣きながら駆け下りてくるか、最悪の場合は死体で発見されてしまう。
彼らはせっかく忠告をしてあげているというのに、ここが危険だということが分からない本物のバカなのだろうが、私はそんな夢見がちなバカ達を見るのが意外と嫌いではなかった。
毎日をただなんとなく生きているだけの私には、そんな情熱は存在しない。だからこそ、飽きもせずやって来る彼らのあのギラギラとした目を見ることが毎日の楽しみにすらなっていた。
けれど、今日の来客は少し違った。
誰よりもギラギラとした目をして私の話を聞くのに、なかなか塔に登ろうとしないのだ。
「あの……お名前はいただきましたし、もう登っていただいて構いませんけど……」
男は、いかにも盗賊然とした装いをしている。長身だが身軽で戦闘には慣れているように見える20代半ばくらいの青年だ。どこかで見たような気がするが……気のせいだろうか。顔の整った人間というのは記憶に残りにくいから困る。
「あぁ、ごめんよ。管理人さんを長く引き留めすぎてしまったね」
「……行かないんですか?まだ何か?」
ごめんと口では言っているが、あまり申し訳ないと思っていなさそうだ。それに、ここまで言っても男は塔に登る様子がない。
長年塔の管理人を務めている私には「塔の来客をひと目見ただけで、その人が生きて戻るか死ぬかが見分けられる」という特技があるのだが、この人は間違いなく生きて戻る方の人間だった。
だからこそ、この人物がいつまでも塔を登らないことに違和感を感じていた。
「まだ何かあるとしたら、何だと思う?」
(うっわ、めんどくさッ……!!!)
とっさに面倒くさいと思ってしまったのは仕方がないことだろう。なんせこの男、随分と甘ったるい声を出して、そのギラギラとした目をなぜかこちらに向けたまま話しかけて来るのだ。反射的に関わりたくないと思ってしまったのも無理はない。
「トイレなら棟にはありませんから、外の茂みでどうぞ。では私はこれで……」
「待って待って!そんなつれないこと言わないでよう」
私は管理人室の小窓を閉めようとするが、男が窓を抑えているのでびくともしない。小窓があるとはいえ、きちんと施錠された管理人室に居る私に危害を加えることは不可能だが、この軟派な様子に不安を抱く。
目的は分からないが、さっさと要件を済ませてもらうのが吉だと判断し、私は自分から要件を問いかけた。
「本題をどうぞ」
「話が早いね。でも、俺にとっては君との他愛のないお喋りこそが価値のあるものなんだけどなぁ」
「………本題をどうぞ」
「分かった分かった。正直に話すさ」
男はさっきまでのへらへらとした軽薄さを唐突に捨て、大真面目な顔をして私に言う。
「君をパーティに誘いに来たんだ」
「は?」
不覚にもドキッとしてしまったのは「君をパーティに誘いに来た」なんていう小説の決まり文句を対面で言われる日が来るとは思っていなかったからだ。完全に面食らってしまった。
ここで言うパーティが、お誕生日パーティやダンスパーティでないことは世間知らずの私にもさすがに分かる。
しかし、ただの塔の管理人であり、戦闘力皆無かいむの私を戦闘のパーティに誘う意味が分からない。うん、意味不明すぎる。この男はわざわざまじめな顔を作って何を言っているのだろうか。
「……真意をお伺いしても?」
「君を誘うことが、この塔のお宝への一番の近道だと思ったからだよ」
「私はただの管理人ですけど?」
「管理人だからさ。塔の管理を任されている君を味方に出来れば、きっとこの塔のお宝にたどり着けると思うんだ。どう?俺って頭いいだろ?」
「……一応理論は破綻していませんね」
盗賊は「そうだろうそうだろう」と言いながら、私が肯定した言葉を嬉しそうに受け取る。
「ですが、ご期待には沿えません」
「どうして?戦闘なら俺に任せてもらえば問題ないよ?ほら、見てこのたくまし~腕、ムッキムキでしょ?」
「いや、どう見ても非力俊敏タイプに見えるんですが……」
「ひ、ひどい!これでも一流冒険者なのに!!」
「……自分で一流とか言っちゃう人に一流はいないと思いますけど?」
「うぐっ……それは確かに……」
「ぷっ……」
うっかりだ。うっかり笑ってしまった。こんな軽薄な相手に笑わされるなんてと思わなくもないが、なんせ私は塔から離れることのない管理人だ。娯楽も少なく、交流する友人もない。最近はどういうわけか来客もとんと減ってひどく退屈していたところだったのだ。
「あ、やっと笑ってくれた!」
「……気のせいでは?」
「え~、可愛い笑顔をこの目でしっかり見たと思うんだけどなぁ」
こんな薄っぺらい男でも、孤独な私にとっては良い暇つぶし相手なわけで。私はこの男のペースに乗せられ過ぎないように細心の注意を払いながら、会話を続ける。
「管理人ならこの塔のこと詳しいでしょ?」
「いえ、私はこの高い塔の3階までしか行ったことがないのです。それ以上は魔物除けの聖水が効かないため踏み入ったことがなく、案内をすることができないんです」
「なんだ、そんなことか」
男はなんでもないことだとでも言うように手をひらりひらりと振って私の言葉を否定する。私が塔にそれほど詳しくないと知ってもなお、この男は私をパーティに誘うつもりらしい。
「それより、君はここでどんな仕事をしているんだい?」
「どんなと言われても……来客に名前を聞いて、出入り状況を把握するぐらいですよ?3階までなら異常が無いか見回ることもありますし、その際に死体があれば、運んだりはさすがに難しいですが、軽いお祈りをしたり、遺品を整理したり……そのぐらいでしょうか」
「へぇ、興味深いね。この仕事は長いの?」
「……10年ぐらいでしょうか」
「そんなに小さい時からやっていたの!?凄いね君、誰に雇われてやってる仕事なの?」
「雇われたというかその……」
実のところ、私は自分の雇い主を知らない。ある日、両親に「住み込みの仕事を見つけて来たから行ってこい」と言われ、ここに来たに過ぎないのだ。誰が両親にここの仕事をあっせんしたのかすら私には知らされていなかった。
「ふーん、仕事内容の指示はどうしてるの?」
「いえ、特には……ここに来た日に書置きで「来客に『ここはなじみの塔です』と伝える仕事を任せたい」とあっただけです」
「え、それだけ!?っていうかそれって仕事なの!?」
「はい。あとはこの辺りでとれる薬草で作れる聖水の作り方と、塔の遺失物はもらっていいということと、塔をしっかり管理するようにと書いてあったぐらいでしょうか……」
「……お給料とか、食事はどうしてるの?ちゃんと食べてる!?」
盗賊の声に明らかに心配が滲んでいる。そんなに心配させるようなことを言ってしまっただろうか。男はよほど私の細さが気になるようだが、心配だからといって私の手を掴むのはやめていただきたい。
「ここの家賃と、両親の家の家賃でチャラになってるみたいです。幸い、落とし物は結構多いのでなんとかなってますけど……」
「えええ!お金も食事ももらえてないの!?」
あまりにも驚かれるのでこっちが驚いてしまう。ここはそんなにも悪条件の職場だったのだろうか。ここ以外の仕事を知らないのでそんなに驚かれることだとは思わなかった。
「これ、食べていいよ!あとこれも!俺のパーティに居る間はお腹いっぱい食べていいからね!」
「いえ、まだ仲間になるとは言ってないんですが……」
小食に慣れてしまっている私だが、男の腰に下げられた携行缶から出てきた食事がとんでもなく美味しいものだということは一目で分かった。つるりとした生地の丸い形をしたそれは、湯気こそ出ていないが、まだ温かくて良い匂いがする。両親に売られる前に食べた「肉まん」に似ている気がするが、肉まんがこんな見た目だったか、思い出すことすらもはや難しい。
「あはは、食べていいよ。警戒しないで大丈夫だから」
「でも……」
「これはただの差し入れだと思って受け取って!心配ならほら、半分こしよう?」
そう言って渡された半分に割られた肉まんは、涙が出そうになるほど懐かしく、優しい味がした。
「ありがとう……すごくおいしい」
「こんなことで喜んでくれるならいくらでもするよ」
「ううん、美味しい食べ物をもらったし責務は果たすよ。あなたに協力する」
「本当!?」
私がこくりと頷くと、花が開いたかのように男の表情が綻ぶ。笑うとちょっと少年のようだなと思う。
「でも、あんまりできる事無いと思う」
「ううん、大丈夫。俺が思うに、君は自分で気づいていないだけで、この塔の宝にたどり着くためのヒントをもう持っているんじゃないかって思うんだ」
「考えすぎな気がするけど……?」
「ううん、俺の勘は外れないよ。だから、君の仕事にしばらく同行したいんだけど、構わないかな?」
「……分かったわ」
こうして、私の仕事にしばらくの間盗賊男が同行することになった。
「待ってエリン、待って待って!!!本当にこんなところ歩くの!?」
「何言ってるんですか。盗賊のレナウさんならこれぐらい余裕じゃないんですか?」
「いやいやいやいや、できるけど!できるけど余裕じゃないから!!!」
「遅いですよ、早く付いてきてください」
今日の私たちは、3階の見回りを行っていた。3階は入り組んでいて、魔物も多いので聖水が切れた場合も考えて城の外周の飾り縁を歩くルートを案内したのだが、慣れてない者には少し歩きにくい道だったようだ。
「ふう、追いついた。こっちが南だから……ここを登った先は4階だけど、行き止まりのルートだったよねえ」
「え、そうなの?私4階の事は本当に何にも知らなくて……それより、すごいのね。結構入り組んだ道を来たつもりなのに、すぐにここがどこか把握できるなんて」
「まあね、一流の冒険者ならこれくらい簡単だよ」
「ふふふ、また言ってるし」
この盗賊男、名前をレナウと言うらしい。もう何度か餌付けされた私は、悔しいことに彼に懐き始めている自覚があった。しかし、そんな日常も少し楽しいと思い始めていた。
(とはいえ相手はこんなチャラ男だし、ペースに飲まれすぎないように気をつけなきゃ……)
「折角だし、4階に一緒に行ってみる?……って、どうしたのその足!」
「え?」
私の足からは自分でもびっくりするほどの血が流れていた。どうやら塔の壁によじ登った際にどこかに引っかけたらしい。全然気づかなかったが、一度気づいてしまうと不思議と痛みが増してくる。
「な、なんだか急に痛い気がしてきた……」
「待ってほら、ここに座って」
「え?」
気づいた時にはあたりにまばゆい光が広がり、私の足の怪我は跡形もなくキレイになっていた。
「す、すごい……これが魔法?」
「そ、始めて見た?」
「うん、初めて。本当にすごいのね、盗賊で魔法なんて……ん?盗賊なのに回復魔法???」
「あーうん。俺盗賊だから、とんでもなく器用なんだよね~」
「へ、へぇ……」
そう答えた時、珍しく視線を逸らしたレナウの表情が気になった私は、彼と解散した後、自室の本棚の前で記録帳簿を引っ張り出していた。
この記録帳簿はいつ誰が何人この塔に出入りしたかを記録したものだ。10年分もあるので探すのに手間取っていたが、私にはおそらくこれだという確信があった。
私は多分、かなり記憶力がいい。そして、洞察力にそこそこ優れている。
一度見た顔は忘れない自信があったが、塔の構造を良く知る様子のレナウが以前にここに来た覚えはない。
「あった……これだ」
そこには7年前、伝説の勇者がこの塔を訪ねた時の記録が残されていた。
「そうだったんだ…………でも、どういうこと……?」
ーーーーー
レナウとの塔の探索は順調に進んでいた。
塔を見上げて見た感じだと、もう8割ほど踏破したのではないだろうか。
さすが盗賊だけあって、彼の探索は実にスマートだ。その階に宝があるかをまず調べ、気配を消してフロアマップを作製したのち、それを魔法で三次元マップ化する。そして隠しルートがありそうな道にあたりをつけ、丹念に探索する範囲を決める。
戦闘もむやみに戦わず、罠や忌避剤も使用し、相手の数や種類によって武器や戦法を変え、逃げる時はとことん逃げる。
実を言うと、塔でやられる人というのは、プライドが邪魔をして逃げることができないタイプの人のことだ。その点彼は潔いほど華麗に逃げるので、安心して探索をすることが出来た。
ほんの2週間でここまで順調に来たことを思うと、彼の優秀さがいかにずば抜けているかがよく分かった。
それに対して私はというと、全くなんの役にも立っていなかった。そればかりでなく、魔物に食べられた死体を見つけるとつい癖で弔ってしまうため、完全なお荷物となっていたが、彼がそれを咎めることはなかった。
「ふう、これで今日は探索終了ですね」
「あ、しまった」
「え?珍しいね。そんなに慌ててどうしたの?」
「日没までに君を部屋に返すって決めてたのに、うっかりしてた。もう日暮れの時間じゃないか」
「なんだ、そんなこと?」
「そんなことじゃないよ!!」
親の決めた門限がある若い娘でもないのに、レナウは私を日のある内に管理人部屋に返すことにやたらとこだわっていた。
「これから冬だもん、日がどんどん短くなるのは仕方ないよ。それに、こんなに塔の上の方に居るんだから、一日で行き来しようってのがそろそろ無理なんじゃない?」
「それは確かにそうだけど……」
「けど?」
「ほら、俺こんなだから……君が嫌だろ?」
「ぷッ」
思わず吹き出してしまった。確かにキザなチャラ男だと思って警戒してはいたが、本人も自分の性格をこんなに気にしているとは思いもしなかった。
「笑わないでよ、気にしてんだから!」
「ごめんごめん、ごめんって……ぷぷぷ」
「ひっどいなぁ……でも、エリンがこんなに笑ってくれるならまあいいか」
「あはは、じゃあ遠慮なく!ぷふふふふ……」
「ははは、容赦ねー」
そう言って笑いながら、私たちは足早に階下への道を引き返していく。しかし…
「まって、フォールフロッグの群れだ」
「!!!」
フォールフロッグというのは、レナウが「遭遇したら即逃げるように!」と言っている魔物だ。一匹でも大慌てで逃げるのに、これだけ数がいてはこっそり通り抜けることも難しいだろう。
「エリンどうしようか」
「上に戻って野宿しましょうか、レナウ」
「でも……」
「いいからいいから。その方が明日の探索も捗るし……っていうか、ここから探索始められるなら、明日中には探索を終えられるんじゃない?」
「それはそうかもしれないけど……」
渋るレナウを説得し、私たちは初めての野宿の準備を始めた。
散々渋っていたレナウだったが、どこで調達してきたのか、私用の立派な寝台を用意してくれた。魔物用のトラップもしっかり仕掛けたようで、寝ている間に魔物のエサになる心配もなさそうだ。
「何から何まで本当にありがとう、レナウ」
「君をパーティに誘ったのは俺なんだから、君を危険な目に遭わせないようにするのは当然だよ。火の番をしてるから、ゆっくり休んでいいよ」
「でも、私も代わらなくて本当に平気?」
「大丈夫だから、早くおやすみ?」
「うん、分かった。おやすみレナウ」
布団の中に入ると、レナウの焚いている火の灯りがちらちらと天井を揺らしているのが目に入った。自室以外で寝るのは何年振りだろうか。おやすみと言ったものの、寝られる気がまったくしなかった。
何度も寝返りを打つ私の気配を察したのだろうか。苦笑交じりのレナウが火の側から声をかけてきた。
「エリン、どうせ寝れないんでしょ」
「ごめん、もう少し眠くなるかと思ってたんだけど……」
「いや、むしろなんで寝れるのかなって思ってたとこだから」
「おやすみって言ったのはレナウでしょう?」
「そういう意味じゃなくて……まぁ、エリンがいいならいいや」
「?」
「ねぇエリン、ひとつ質問して良い?」
「なぁに?」
レナウの声は少し離れていて表情が見えないせいだろうか、不思議と強張っているように感じた。
「エリンはもしかして、この塔の宝に心当たりがあるんじゃないの?」
「……どういうこと?」
「エリンはこの塔に来たいきさつを話してくれたけど、あの話には嘘が混じってただろ?」
「……っ!」
驚いた。勘のいい男だとは思っていたけれど、嘘が気づかれているとは全く思わなかった。
「それを言うならレナウだってそうじゃない。私に嘘ついてる」
「俺は君に誓って嘘なんてついてないよ」
「嘘ばっかり。私知ってるんだから」
「何を?」
「レナウは本当は……伝説の勇者一行の一人だってこと」
7年前、勇者の一団の僧侶としてこの塔に来た人物が確かに彼だという確信が私にはあった。
レナウは何も言い返さない。沈黙が永遠に感じた頃、レナウは重い口を開いた。
「どうして分かったんだ?」
「私、記憶力と洞察力がいいみたいで」
「名前も今とは違う、当時の名を書いたはずだ。顔だって全然違うはずなのに……」
「うーん、しいて言うなら、あなたのこと、なんとなく記憶に残ってたからかな」
「どういうこと?」
「そもそも、伝説の勇者の盾を探しに来たあなたたちほど熱心にこの塔を探索した人たちはいなかったの。一週間の探索のあと、勇者さんたちはものすごい不満そうな顔をして帰って行ったけど、あなただけ随分すっきりとした顔をして帰って行ったでしょう?」
「……あいつらの探していた宝はここに無かったからな」
「ここにないって確信できるほど探索をしたってことよね?それとも、別の宝を見つけたとか?」
「さあ、どうだろう」
レナウは白々しく答えをはぐらかす。
「既に探索済みの塔の探索に私を誘うのは、嘘ついてる内に入らないの?」
「地図を持ってたわけじゃない。所々覚えているけど、もう随分前のことだし、君も安全に通れるルートを確保したかったからね」
「……ねぇ、レナウはなんで私を誘ったの?」
「エリンはもうその答えに気づいてるんだろ?」
「……………」
「……………」
正直に言うと、思い当たることはあった。けれど、その理由に気づきたくないと思っている自分がいることにも気づき始めていた。
けれど、自分の身の上を自分で語る勇気も、それをレナウにうまく説明する話術も、私は持っていない。
これ以上どう会話を続けていいか分からなくなった私たちは、無言のまま出発の時間まで眠れない時を過ごした。
ーーーーー
翌朝。ほとんど会話を交わすこともなく、目を合わせることもなく、けれどいつも通り肉まんを半分こしてお腹を満たした私たちは、夜明けとともに塔の最上部を目指した。
勇者一行は、3年ほど前に魔王討伐に成功したらしい。その後の彼らの動向は塔の来客の話や、落とし物の新聞を読んで時々目にしていたが、皆各地で国を持ったり、事業を起こしたりと輝かしい活躍を続けていた。
しかし、僧侶の噂を聞いた記憶はない。どうしてレナウは顔も職も名前も変えてしまったのだろう。
他の仲間たち同様、人々に称賛される優雅な暮らしがいくらでもできたはずなのに、どうしてそれを手放してしまったのか。
過去を捨てたかのような彼が、一体何のためにこんな場所を再び訪れたのか。考えれば考えるほど分からなくなる。
「ほら、着いたよ」
「え?」
「この先に進む心の準備は出来た?」
「え、えぇ……」
レナウの気づかわしげな視線に不安を覚えながらも、私は最上部へ続く扉を開けた。
「え………?」
驚いた。てっきり塔の最上階には歴代王の残した宝箱でも置いてあるものと思っていたが、そこは石碑が一つあるだけのひらけた屋上だった。
「こんなに高い場所なら見えるはず」という思いが無意識に働き、私は海を隔てた夕陽の落ちる先に見えるはずのものを必死で探す。しかし…………
「城が…………ない」
そこにあるはずの母国の城は、跡形もなく消え去っていた。
「なんで?どういうこと?お父様は!?」
「……王も王妃も亡くなったよ。革命が起きたんだ…………」
「そんな…………」
私のついた嘘、それは、私の父親が王であること。そして、王が私をこの塔に住まわせたのは、なにも家賃のためなんかではないということ。
「ごめん……この革命は魔王討伐を終えた勇者が起こしたものだ。俺は勇者を止めることができなかった…………」
「なぜ勇者様が……?」
「魔王討伐はあまりにもつらい旅路だった。あまりにもつらい日々は、勇者の性格を歪めてしまった。そして、英雄となったあいつは復讐を始めたんだ。勇者一行を支援しなかった国々への復讐を……」
「そんな……」
確かに、父は勇者一行に懐疑的だった。国が国力を上げて軍を組織して討伐に乗り出しても倒せなかった魔王を、たった4人の若者に倒せるはずがない、と。
正直に言うと、両親にはもう2度と会えないだろうと思っていた。しかし、幸せに暮らしているだろうと思っていた親の死を聞いて怒りを感じないわけがない。しかも、そんな理不尽な理由なら尚更だ。
「勇者は今、世界中の国々を統一して1つの国を作ろうとしている。反発する者は王族だろうと皆殺しさ」
「レナウは?どうして顔や職業まで変えてしまう必要があったの?」
「俺は……もう疲れたんだ。教会の命令で勇者一行に同行させられて、気の合わない奴らと旅に出て、ボロボロになりながらなんとか世界を救ったと思ったら、救った張本人が世界をまた壊していく。顔と名前を変えなければ俺はやつらとの縁を断てなかっただろう」
「レナウ……」
「でも別人にはなれなかった。あいつらへの怒りが消えないんだ。あいつらとの縁を断てないのは俺さ。もう関わりたくないと思っていたはずなのに、怒りで動かずにはいられないんだ」
レナウの悲痛な声が、彼のこれまでの人生がいかに苦しみに満ちたものだったかを察してしまい、こちらまで胸が痛んでくる。
「でも、それとあなたがここに来たことに何の関係があるの?」
「塔の宝である君が危険だと思ったからさ」
「!」
「勇者は自分の作った国を強固にするためには、滅ぼした国の王族を根絶やしにする必要があると考えている。あいつがここの事を覚えていて、君がこの国の、この塔の宝だと気づいてしまったら、君が危険だと思ったんだ」
「それでわざわざ来てくれたの?」
「……俺はあいつを止められなかった。ただの罪滅ぼしだよ」
レナウはそう言って、もう跡形もなくなってしまった王城の跡地を目を細めて見つめていた。
彼の横顔を眺めていると、彼の中にある痛みや苦しみが垣間見えるようで、目が離せなくなる。
勇者が何者だろうと彼に罪はない。それなのに彼はこんなにも苦しんでいる。いつも彼が私を笑わせてくれるように、何か彼を笑わせてあげられたらと思うのだけれど…………
「ねぇレナウ。あなた、昨日私に聞いたでしょう?どうしてパーティに誘ったのか、思い当たる節があるだろう?って」
「うん、言ったけど?」
「ふふふ、私、大外れだったわ」
「え?」
「だって私が王族であることに気づいたあなたが、私を攫って身代金でも要求するつもりかと本気で思っていたの」
「えええ!さすがにそれはないだろう!ずっと君には優しくしてきたつもりだし……」
「だからこそ怪しかったのよ、ふふふっ」
「え~、そんなぁ……」
私たちはすこし無理やりに明るい声を掛け合う。そうでもしないと苦しさに飲み込まれてしまいそうだった。
「この国が落ちたと聞いて、君にこの石碑を見せなきゃって思ったんだ」
塔の最上部の石碑には父の字で「わが国の宝とはこの景色のすべて。しかし我が宝はここからは決して見えぬ。我が宝よ、我のなき後自由であれ」と書いてあった。
まったく不器用な父だなと思う。
魔王が身分の高い娘を攫っていると聞いて、平民に扮して塔に潜むようにと言った父だ。
私の素性がバレるのが怖くて塔に私への物資を送ることすらできず、かといって私を市井に解き放つ勇気もなく、城から見えるこの塔に私を閉じ込めた。
それを申し訳なく思っていたからこそ「我のなき後自由であれ」なんて言葉を残すあたり、父らしいなぁと微笑ましく思う気持ちと、もう私の家族はどこにも居ないのだという悲しみと、そしてようやく自由になったのだという爽快感が私を包んでいた。
「じゃ、行きましょっか」
「え?」
「宝を奪いに来てくれたんじゃなかったの?」
「いや、それはそうだけど……」
「勇者は王族を根絶やしにしているんでしょ?私まだまだ危険なんじゃない?だったら、ここから出た先も一緒に組んでくれる人がいるとありがたいんだけど?」
「ははは、チャラ男とは組みたくないんじゃなかったの?」
「な、なんで知ってるの!?口に出してなかったはずなのに……!」
「なんだ、やっぱり思ってたんだ」
「ちょっと!!!」
私たちは軽口を叩きながら、昼食の肉まんをまた半分こし、塔を下りていく。
「ねぇ、レナウ。私強くなる。強くなって、一緒に取り返そう」
「……なにを?」
「取り返せるものはなにもかもよ。私の先祖が大事にしてきたこの国も、あなたの本当の名前も、栄光も、全部全部、一緒に取り返しに行きましょう」
「しょ、正気か!?自由になれって書いてあっただろう!?」
「そうよ、すっごく自由よ。自由だからこそそうしたいの!」
レナウは呆れたような驚いたような顔をしているが、私はいたって本気だ。
私の中にはいつの間にか、これまで芽生えることのなかったギラギラとした熱意が沸き上がっていた。
これがたとえ、怒りと苦しみから来るものだとしても、私はこの初めて生まれた情熱に向き合ってみたいのだ。
「ありがとう。分かった、ふー……俺も覚悟決めるか〜…………よし!一緒に行こうエリン」
「ふふふ、そうこなくっちゃ!」
私は一度だけ後ろを振り返って、先祖が守り続けて来た宝に別れを告げ、慣れ親しんだ塔を後にした。
ーーーーーー以上が国賊となった勇者を討った真の勇者たちの旅の始まりの物語である。
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・「物書き令嬢は婚約者の兄に断罪される」がコメディ部門日間ランキング3位に入りました!お読みいただきありがとうございます。