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蛇の革命  作者: 来生ナオ
8/30

人の街

 そのまた翌日も、レオニールは昼を少し過ぎたころに来た。自室で暇を持て余して本を読んでいたエキナはうんざりした顔でそれを迎える。ただ内心では暇つぶしが来て少しばかり喜んでもいた。そんな自分を認めるのも癪なのでやはり表情は仏頂面だが。


「暇そうだね」

「もう話すことなどないぞ」

「うん。昨日はありがとう。今日はそのお礼にね」

「礼……? 北森に」


 行くという話か、まで言う前にレオニールが慌てて首を振った。


「ごめん、そっちじゃない。ただ、退屈してるって昨日ドルファに聞いてね。君さえ良ければ町へ出てみない?」

「町……」


 それは願ってもない申し出だった。リアンドには好きにしていいと言われたが、脆弱な人の身で、人で溢れかえる町へ出るのは怖かったのだ。かといって護衛を頼むというのも悔しい。だが、レオニールはこれでも王宮の専属占い師である。彼がいればそう理不尽なことにも巻き込まれないだろう。


「嫌?」

「いや。行ってみたいと思っていたんだ」


 年相応の喜色を滲ませて、立ち上がったエキナにレオニールはほっとしたように微笑んだ。

 ロゼに服を見立ててもらったエキナは数十分の後にはレオニールと共に屋敷の外にいた。門前でエスコートされて馬車に乗り込む。ここに来てようやくエキナは馬車があったのだということに気が付いた。この中にいれば安全だ。何しろ、馬車には大きくセクメト公爵家の家紋が描かれている。人の世に疎いエキナでもこれが相応の効力を持つことはわかる。


「どこか行きたいところはある?」


 エキナは浮き立つ心を抑えながら冷静な顔を取り繕って答える。


「どこでも構わない。暇つぶしになればいいからな」


 ちなみにロゼは留守番である。エキナがいないうちに掃除をしたいと言っていた。掃除など不要だから、と誘ったのだが「お二人でどうぞ」と固辞されてしまった。


「どこでも、か……。なら適当に商店街でも歩こうか」


 レオニールが御者に指示を出し、馬車が走り始める。エキナは興味深げに窓の外を眺める。そして間もなく、ロゼが付いて来ようとしなかった理由を理解した。どこも奴隷ばかりだ。すべてが獣人かは見た目ではわからない。人の奴隷もいるかもしれない。だが、家先で重そうに物を運んでいる者も、家事や雑事をこなしている者も一目でそれとわかった。少し前までエキナにも付いていた奴隷の証である首輪や足かせがついているからだ。エキナは無意識に自身の首筋を撫でる。今は襟の高い服で隠しているが、その下には今も黒々とした痕がある。この先もきっと、消えることはない痕が。

 馬車は街中を進んでいく。まばらだった人の姿は徐々に増え、道に沿って店が並ぶようになる。そして、それに比例して目にする奴隷の数も増えた。他の馬車も見かけるようになり、エキナはふと違和感を覚えた。何かが足りていない。自分の乗っている馬車には感じなかった違和感。少し考えて、はたと気がついた。


「レオ」

「ん? 何か気になるものでもあった?」


 そう問う彼の声は世間話でもするようで、エキナは気持ちの悪さを感じた。彼も同じものを見ているはずだ。けれど、彼はエキナと同様の違和感を感じていない。


「どうして、他の馬車には御者がいない?」


 薄ら寒いものを感じながら、エキナはそう尋ねた。果たして、レオニールはクスリと笑う。


「気づいてるんじゃない?」

「……獣人、なのだな」


 聞くまでもないことだ。だが、聞かずにはいられなかった。その事実に戦慄した。人と獣人が共に暮らすことの難しさをエキナは初めて意識した。

 獣人は人の姿と獣の姿を持つ。だが、一方の姿であるとき、それは人か、あるいは獣と判別がつかない。奴隷商に捕まって、エキナが最初に求められたことは人の姿となることだった。無論エキナは頑として従わず、それ故に地下深く幽閉されたままだったわけだが、獣隷は須らく人の姿で生活することを強要される。睡眠中には獣の姿になってしまう者も少なくないが、捕らえられると真っ先に矯正される。昼夜問わず獣の姿になった途端に鞭が飛んでくる。それができなければ、最悪……待っているのは殺処分だ。

 エキナもあのままでは遠からずそうなっていただろう。そもそもあの反抗的な態度で四年もの年月を生きながらえたのは一重に希少な蛇人であったからでしかない。


「移動に使われる獣人は、獣である方が便利だからね。特に馬人はどこでも重宝されるよ。反抗されると困るから割と待遇もいいんじゃないかな。何しろ、彼らがいれば御者いらずだ。他にも大型の獣人は乗用とされることも多い。ただ、町を離れると反抗される危険性が増すから……って、ごめん。あんまり気分のいい話じゃないよね」


 淡々と語っておきながら、レオニールはそう言葉を止めた。エキナは苦笑するしかない。本当に不思議な男だ。


「お前、私がこの身分にあることを、おかしいとは思わないのか?」


 レオニールは不思議そうに首を傾げた。そうしたいのはエキナの方だ。レオニールは獣隷という存在を使役する社会に慣れている。ならばエキナの存在は疎ましく、道理に反するように感じそうなものだが、レオニールは至って普通の様子でエキナに接する。その事実が彼という青年を一層奇妙に見せていた。


「おかしい……のかな。ごめん、よくわからない。ただ……そうだな。僕にとって君は、利用価値の高い人だよ。良い縁だったと、そう思う」


 本人に面と向かって『利用価値が高い』と、それも少しも悪びれずに言うような者をエキナは初めて見た。まるで普通のことのように言うから、人の世ではこういうものなのかと思ってしまうが、おそらくそんなことはない。単に彼が変わり者なのだろう。


「ふっ、ははは。変な奴だ」

「ふふっ……うん。そうなのかもしれない。よく言われる」

「だろうな」


 そうエキナが相槌を打ったところで馬車が止まった。


「着いたみたいだ。行こうか」

「ッ……ああ」


 周囲すべてが人。そこへ出ていくことはエキナにとって恐ろしくもあった。だが、今のエキナは人の姿にしか見えないはずだ。

 先に降りたレオニールに手を貸してもらって馬車を降りると、眩しい日差しが目を焼いた。人々の視線がバッと向けられて、エキナは思わず身をこわばらせる。だが、彼らが近づいてくる様子はない。横目で盗み見ながら、ひそひそ囁いてはそそくさと歩き去っていく。一瞬獣人であることがバレたのではと思ったが、どうやらそういう様子でもない。それどころか、彼らの目が向いているのは……。人々視線の先を追って、レオニールと視線がぶつかった。


「さ、お手をどうぞ?」


 おどけたようにレオニールが腕を差し出してくる。エキナはそれにそっと手を添えて頷いた。喉が凍り付いてしまったかのように、上手く声が出ない。

 しばらく、そうして歩いた。レオニールは注目を集めているが、エキナにはさほど視線が来ない。僅かに投げられる視線もレオニールと共にいる者に対する興味程度のものでしかない様子だった。囁かれる声を聞くに、どうやらレオニールは有名人らしい。美男子の凄腕占い師で、人柄も素晴らしいのだという噂話が聞こえてくる。まさか詐欺師だなんて考えてもいない口ぶりだ。自分は占って貰ったことがあるのだと、自慢する声も混じっている。

 歩いているうちにいくらか緊張も解けて、エキナにも街並みを見る余裕が出てきた。内心に鈍い痛みを感じながら、獣隷からは意識的に目を逸らす。憐れむような視線を向けるのは、それこそ失礼というものだ。

 何度目かに視線を逸らそうとしたエキナは、凍り付いたように動きを止めた。振り返るか、気付かぬふりをするかの僅かな逡巡。その結論が出る前に、声が飛んで来た。


「ッエ、エキナ様!?︎」


 僅かに目を伏せてから、エキナは意を決して目を上げる。一瞬目の端に映った、それだけでわかった。


「……久しぶり、だな」


 そこにいたのは、まだ年若い青年の奴隷……否、獣隷だった。薄汚れた服を見に纏い、記憶にあるよりやつれた男。四年前はまだ、少年だった彼は青年になっていた。


「ご無事でよかった……。どうして、その格好はいったい……」


 エキナは居た堪れない気持ちでいっぱいだった。かつては同じ集落に住んでいた。無論、里長の娘だったエキナと彼の立場は違った。けれど、獣人は皆、彼の立場になっている。エキナだけが例外として『こちら側』に立っている。抜け駆けでもしているようで、恥ずかしかった。


「すまない……」


 守れなくて。逃せなくて。自分ばかりが、救われて。


「な、なぜ、謝られるのですか」

「私は」


 ぐっと拳を握る。助けたい。けれど、力がない。この場で暴れて、彼一人逃がせたとして、それでは何の解決にもならない。今この時、見捨てる選択をしなければならない。

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