マカロン
「ふふ、ごめんね。出て行くタイミングを逃してしまって」
悪びれずに笑ってそう言うが、どこまで本気で言っているのかわかったものではない。
「それにしても……怪物と恐れる一方で、そんな怪物を奴隷にしているとは笑わせるな」
そう言いつつもエキナの目は少しも笑っていない。
「便利だから、だろうね。もう僕らは獣隷なしには戻れないのさ。どこかで反乱が起ころうと、それは使役を誤った所有者が起こした事故と受け取られる。獣人とは道具で、道具が怪物になるかどうかは使用者次第だ」
まるで世間話でもするようにレオニールは語った。ロゼが悔しげに顔を伏せる。
「私の前で、それを言うのか」
「ん? ああ、あまりいい気分はしないか。けど、婉曲的な表現は好きじゃないかと思ってね」
「そうだな……はっきり言う奴の方が好きだよ。アイツの友人、というのも頷けるな」
「そうかな? 周りには、妙な組み合わせだと言われるのだけど」
「へえ? そうなのか。確かに、私はアイツのことを良く知らないからな。他の人間といるところも見てみたいな」
「ふふ、なら今度はリアンドがいる時に遊びに来ようかな」
「あっ、すみません。今お茶を淹れますね!」
思い出したようにロゼが手を叩き、小走りでお茶を取りに行く。
それを見送って改めて向き直ると、レオニールはまじまじとエキナを見つめていた。
「…………君は、獣隷商に売られていたんだよね?」
レオニールの不躾な問いに、エキナは苦笑して頷いた。変に気を遣われるよりはいいが、こうもはっきりと言葉にされるのもそれはそれで良い気分はしない。
「ああ……だが、少し違うな。売られてはいない」
「ああ、そうか。でも捕まってはいたんだよね。何年くらい?」
「四年程度だ。捕まった時はまだ十歳だったな」
「なら、今は十四か……」
レオニールが感じている疑問が、エキナにはよくわかった。おそらくは、先ほどドルファが言いかけたこともその類だ。仲間たちにも散々言われたが、やはり人の世界でもそう変わらないらしい。
「私が、歳の割に大人びている……と言いたいのだろう?」
レオニールは言い当てられたことを驚く風もなく素直に首肯した。
「うん。けど、それだけじゃなくて」
「お待たせいたしました! あっ……すみません、お話中でしたか?」
お茶を持ってきたロゼが慌てたように一歩引く。話を遮られたレオニールは、しかし気にした風もなく微笑んだ。
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう……わ、マカロンだ。やった」
ロゼの持つ盆を見て瞳を輝かせる。ロゼもほっとしたように笑って、お茶とマカロンをテーブルへと置いた。
「はい。レオ様お好きですよね」
「……まかろん?」
エキナは聞いたことがない。首を伸ばすようにして覗けば、およそ食べ物とは思えない鮮やかな色をした焼き菓子が盛ってあった。
「エキナは食べたことない? 美味しいよ」
どうぞ、とばかりにレオニールが皿をエキナの方へ押す。試しに一つ取って頬張ると、口の中に甘さが広がった。
「……少し、甘過ぎるな」
目を爛々と輝かせる二人の前では、はっきりと言いにくくてそう言ったが、正直エキナは好まない味だ。甘味自体大して好きでもないのだが、それ以上に腹にたまらないのが物足りない。さっくりとした歯応えで、口の中であっという間に溶けてなくなる。なんだか甘い雪でも食べたような感覚である。
「そうでしょうか。でしたら次は甘さ控えめなものをご用意いたしますね」
ロゼが見当外れなことを言った。それではただの甘さ控えめの雪である。だが、エキナが何か言うよりも早くレオニールがくすりと笑った。
「ふふ、たぶんそういうことじゃないと思うな。わかるよ、なんだか食べた気がしないよね。すごく軽い口当たりだ」
「あ、ああ……」
この言葉にはロゼも同意して頷く。
「それはわかります。とても……贅沢な食感ですよね」
「そうそう。僕はこの、やり過ぎな甘さと大して腹にたまらない贅沢さが好きなんだ。暇つぶしに何かが食べられるって贅沢だと思わない?」
「なるほどな……」
エキナはぼんやりと小さな菓子を見つめる。山にいた頃は、暇つぶしに食べることは別に難しくなかった。少し遠出すれば木の実があったし、蛇の姿になれば獣を丸呑みにするのも容易かった。だが、この四年の窮屈な牢屋生活を思えば確かに夢のような話だ。突然の環境の変化に自分はいまだ戸惑っている。決して人の姿になどなるものか、と牢獄では思っていた。それがまさか、一夜の後には人の姿で着飾っているなどとどうして想像できるだろう。
レオニールがロゼにもマカロンを勧めて、ロゼが至上の幸福でも映したような顔で美味しそうに頬張る。置かれた茶を見れば、黄金色の水面が太陽光に反射してキラキラと輝いていた。
「エキナ」
不意に名を呼ばれてハッとした。
「あ、ああ。なんだ」
さっきの続きだけど、と前置きしてレオニールは話す。
「大人びている、だけじゃ説明がつかないと思ったんだ。僕はその、奴隷商の中のことはよく知らないけれど、およそ人の扱いなんてされないだろう。人に逆らわないよう、絶対的な上下関係を叩き込まれるはずだ。それを君は」
「黙れ」
鋭く叱責でもするような口調でエキナはレオニールの言葉を遮った。レオニールはふつりと口を噤むと頭を下げた。
「……ごめん。話したくなければ」
「いや。おい、ロゼ」
「ッ……は、はい!」
突然エキナに名を呼ばれたロゼはビクッと居住いを正す。
「席を外せ」
「ッ……わ、私は!」
「外せ」
言い募ろうとしたロゼを視線で黙らせる。
「はい……ありがとうございます」
項垂れて部屋を出て行くロゼを見送って、改めてエキナはレオニールに顔を戻した。
「私は構わないが……ロゼの前ではやめてくれ」
レオニールは僅かに眉を顰めたが、特に言及することなく頷いた。
「わかった」
「それで……あの劣悪な環境と酷薄な調教師のもとで、四年もどうして耐えられたのか、という話でよかったか?」
冷たい声音で淡々と確認したエキナにレオニールは僅かにたじろいだかに見えたが、すぐに頷いた。
「大人であっても……服従させるのが調教師のはずだ。僅か十歳の女の子を、御せないとは考えにくい」
エキナは口端に笑みを滲ませる。その僅か十四歳の女の子に、よくはっきりと言うものだ。
「そうだな。だが、簡単な話だ。それは私が、特別だからだ」
「自分で言うんだ。まあ、そこは同意するけど……」
レオニールはそう言いつつもどこか釈然としない様子だ。それはそうだろう。ただの少女が「自分は特別だ」と言ったところで説得力など皆無である。エキナは呆れたようにため息を吐いた。
「お前、私の姿を見ただろう? 年若いただの蛇が、あんなに大きいはずがないと思わなかったのか?」
レオニールは、今気づいたように僅かに目を見張った。それから、ふっと吹き出す。
「ふふっ。たしかに、君の言う通りだ。蛇と言われれば、想像するのはせいぜい腕ほどの太さだ。君は大きすぎる。はははっ、怪物を想像していたのは、どうやら僕もだったらしい」
「……そういうことだ。私はヌシの一族、北森の守人である白蛇の末裔だ。そこらの獣人とは違うんだよ」
胸を張って誇らしげにそう言ったエキナに、レオニールは興味深げな光を瞳に宿すと興味津々といった風に身を乗り出した。
「北森? そこに、ヌシがいるの?」
エキナは呆れを通り越して落胆する。
「はあ、そんなことも忘れられているのか……。まあ、簡単に言えばそういうことだな。詳しく聞きたいか?」
「聞きたい! んだけど……こんなに長居するつもりじゃなかったからな……その話、長くなる?」
「それは……どこまで話すかに寄るな」
エキナは考え込むように顎に手を当てる。出自だけならともかく、ヌシだとかの話を詳しく語ろうとするとちょっとした歴史の講義だ。
「ううん……惜しいけど、今日はやめておくよ。また今度聞かせて貰ってもいいかな? いつなら空いてる?」
レオニールは本当に残念そうに言う。そこまでは興味がないと言われるかと思いきや、また来る気満々の様子にエキナは少し驚く。
「また……来るのか?」
「え? もちろん。君さえ良ければ」
「私は構わないが……何か言われないか? 蛇人のもとへ行くなど」
ドルファといいレオニールといい、感覚が麻痺しそうになるが、セバスのような反応が普通のはず……だと思われた。そんな危険な真似はよせ、と家族なりに言われないのかと思ったがレオニールは朗らかに首を振って笑った。
「言われないよ。僕にそんなことを言う人はいないから、大丈夫」
占い師とは進言する人間もいないほど相当に偉い職業なのだろうか。あるいは、彼が人の話を聞かないタイプで周囲に諦められているのか。エキナは判断に迷ったが、どのみち毎日暇を持て余すことは目に見えていた。彼がその暇潰しになってくれると言うのなら願ってもない提案である。
「……いつでも構わない。どうせ、することもないからな」
「なら、明日も来ようかな。そうだ、今日のお礼もしたいし何かできることがあれば言ってくれれば、力になるよ」
「特に何もしていないが」
「僕にとっては価値のある時間だったからね」
エキナは少し考えて、ぽつりと呟いた。
「北森へ……帰りたいな」
エキナが生まれ育った場所だ。リアンドに自由にしていいと言われて脳裏を過ったもののすぐに打ち消した。今更戻ったところでもう里はないだろうし、仮にあったらそれはそれで都合が悪い。リアンドとの契約があるのに引き留められても困るし、万一にも監視の目があれば敵を連れて行ってしまうことになる。
「北森か……うん、わかった」
「いや……遠いだろう」
叶うはずもないと思って呟いたのに、あっさりと頷いたレオニールにエキナは慌てて首を振ったが、レオニールは話は済んだとばかりに立ち上がった。さりげなく残ったマカロンを数個手に取る。
「大丈夫。じゃあ、また明日」
「あ、ああ」
マカロンを頬張りながら出て行ったレオニールの背を見送る。扉の外でロゼが「もうお帰りですか」と残念そうに言う声が聞こえた。