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蛇の革命  作者: 来生ナオ
4/30

手合わせ

 少しの沈黙が落ちた。それ以上何を言う様子もなく、リアンドはただぼんやりと寝台に座っている。先に空気に耐えられなくなったエキナが口を開いた。


「……それで、具体的に何をすればいい? その日まで、三月あるのだろう」

「ん? ああ……別に、何もしなくていい」

「何も?」

「三月後、俺がお前を王の御前まで連れて行く。民たちの前、衆目が集うその時、お前はただその牙を振るうだけでいい」

「それは簡単だな」

「ああ……もう寝よう。他に、質問はないか?」


 リアンドは無造作に横になる。大蛇であるエキナの前で無防備なものだが、それは信頼といえよりかは、諦めに見えた。今ここでエキナに殺されたとて仕方がないことだ、とでもいうように。自分の命に無頓着故の無防備さ。

 エキナもパタっと体を倒す。ふかふかの寝台は、エキナの体重を優しく受け止める。


「もう一つ質問だ」

「なんだ」

「私は明日から、何をして過ごせばいい?」


 この問いに、リアンドはしばし沈思した。


「…………さて、な。何をしても構わない。街に出ても良いし、遠出しても良い。ここにいる必要もない。もちろん、ここにいてくれてもいい。俺とお前との契約は三月後のその時の話だ。それまでは、好きに過ごしてくれて構わない。何か望むものがあるなら与えよう。希望はあるか?」

「いや……それはつまり、自由に過ごせ、ということか?」

「ああ。当然だろう」


 あっさりとした肯定にエキナは呆気に取られた。自由にしていい。それは、生まれて初めてのことだった。この四年はもちろんのこと、その前でさえ、何をしていてもいい日などなかったのだから。


「そうか……はは、なんだろうな。好きにして良いと、急に言われても、案外困るものだな」

「ああ、そうだ。何をしても構わないが、蛇の姿で外をうろつかない方がいい。知らずに駆除した、などと言われて殺されでもしたら困るからな」


 つけ足すように言ったリアンドに、エキナは言い返そうとして、やめた。人間如きにそう易々と遅れを取る気はないが、実際遅れを取ったから捕まっていたのだ。


「わかった。気をつけよう」


 素直に頷いて、エキナは目を閉じた。人の姿で寝るのは久しぶりだ。大蛇の姿では何かと不都合もあって、以前から人の姿で過ごすことは多かったから慣れている。人の言いなりになるのが嫌で囚われている間はずっと蛇の姿でいたけれど。

 翌日。エキナはロゼと共に邸内を散策していた。本当は外へ出たいのだが、蛇の姿でなくとも濃緑色の髪は目立つ。変な因縁でもつけられれば、非力な人の姿では何もできない。リアンドにいたずらに迷惑をかけるのも本意ではないし、そもそも外へ出たところで行く当てがあるわけでもない。


「……静かだな」


 人の気配のない廊下を歩きながらエキナは独りごちる。リアンドが服を用立ててくれて、今日はドレスではなく動きやすいズボンとシャツのラフな格好である。だが、肌触りの良い生地はきっと高価な品なのだろう。

 斜め後ろを歩くロゼが笑った気配がした。


「皆様、エキナ様を避けていらっしゃるのですよ」

「なるほど、そうらしい」


 掃除婦らしき娘が部屋から出て来たと思ったら、慌てて引っ込むのを見てエキナは小首を傾げて笑う。

 あまりいい気分はしないが、見せ物にされるよりはいい。元より人は好きでないのだ。快適に散策ができて幸いとばかりに邸内を練り歩いて、庭に出た。

 美しい花々が咲き、豊かな緑が生い茂る庭は一目で人工物とわかる程度には整えられている。ここでもやはり人を見ることなく、庭を通り抜け、邸の裏手へ出ると途端にあたりが賑やかになった。

 カン! カン! と木剣のぶつかり合う音が高らかに響く。どうやら剣の稽古をしているらしい。あれだけ頑張ったところで、何もしていないエキナに手も足も出ないというのにご苦労なことだ。足を止めたエキナにロゼが囁いた。


「見学して行かれますか?」

「……できるのか?」


 ロゼはにっこりと笑う。


「もちろんです。エキナ様は旦那様の奥様ですから」


 そのまま演習場の近くまで行くのかと思いきや、ロゼはエキナを小ぶりな建物へと案内した。小ぶりといっても、あくまで屋敷に対しての話であってちょっとした家よりかはるかに大きい。ロゼが扉を叩くと、すぐに応えがあった。


「誰だあ? 開けていいぞ」

「失礼します!」


 心なしか弾んだ声でロゼは扉を開ける。ムワッと独特の匂いがしてエキナは眉を顰める。悪臭……というほどではないが、いい匂いでもない。染み付いた汗の匂い、といった感じだ。左右の壁を覆うように扉付きの棚が並んでいて、一定間隔をおいて長椅子が配置されている。


「お、ロゼじゃねえか! そっちは……」


 出入り口最寄りの長椅子で酒を煽っていたのは年嵩の男だった。服装から辛うじて騎士であることが窺える。長椅子に置かれた空き瓶の数からして、相当飲んでいる。


「エキナだ」


 そう名乗ると、男はすぐに理解したらしく一つ頷く。


「ああ、アンタが若奥さんか。俺はドルファ。一応この家お抱えの騎士団長をやってる」

「騎士団長……? と、いうのは、昼間から酒を飲むのか」

「ははははっ、ま、こいつは俺の特権みてえなもんだ。普通の騎士団長はできねえだろうな」


 グラグラとドルファが笑うだけでビリビリと空気が震える。まるで気負いが見えないドルファの様子にエキナまたもや首を傾げた。


「……お前も、私が怖くないのか」

「はあ? おいおい、なんで俺がお前みたいな嬢ちゃんを怖がんだよ」


 それを聞いてロゼが笑う。


「ふふっ、ドルファおじ様ならそう仰ると思いました」

「私は、お前よりも強いぞ」


 エキナがそう言うと、ドルファは先ほどまでの人の良い笑みを引っ込めた。


「そいつはどうかな。あんまり人間を見くびるもんじゃねえぞ」


 言葉は静かで、見た目はただの酒飲みだというのに、どうしてかエキナは気圧されていた。何かが空気をひりつかせる。


「お前……本当に人か……?」

「ああ。正真正銘、俺はただの人だよ」


 そう、ドルファはどこか残念そうに呟くと、残っていた酒をグイと飲み干す。


「それでおじ様。エキナ様が兵士様がたの演習をご見学されたいそうなのです。よろしいでしょうか?」

「ん? ああ、そういう要件だったのか。構わねえよ。なんなら、手合わせでもしてくかい」


 あっさりと頷いたドルファにエキナは楽しげに笑った。


「手合わせ? 蛇の姿でか?」

「ああ、もちろん。んなひ弱な嬢ちゃんを戦わせられっかよ」

「はははは、ひ弱か。違いないな」


 人の姿はあまりに脆い。気丈に振る舞ってはいるが、じくじくと身を内から焦がすような恐怖心を先程からエキナは感じていた。

 果たして数十分後、エキナは蛇の姿でドルファと対峙していた。ドルファは軽装の鎧を纏い、巨大な両手剣を構えている。もちろん真剣ではなく、訓練用の木剣だ。

 あの後ドルファが演習場までエキナを案内したのだが、ドルファと違って大半の兵たちは体を緊張させた。さすがに背を向けて逃げ出すことこそしなかったが、警戒心も露わに今も距離を測っている。


「さ、どっからでも来い。嬢ちゃん」


 人の姿ではエキナの背丈はドルファの胸元に届くかどうかといったものだったが、大蛇となった今は軽く鎌首をもたげるだけでもドルファの倍近い。表情こそ真剣そのものだが、それでも『嬢ちゃん』と呼ぶのがエキナにはくすぐったかった。ドルファに言われると、不思議と馬鹿にされている感じがしない。


「ならば遠慮なく」


 エキナは無造作に尾を振るった。たったそれだけであたりに砂塵が起こる勢いだ。横合いから振るわれた大蛇の尾を、しかしドルファはひらりと跳んで避けた。大蛇に及ばずともドルファは人としては大柄な部類に入る。にもかかわらず、あまりに身軽な動きにエキナは軽く驚いた。実際、エキナの巨体を軽々と跳んで避けるとは驚くべき跳躍力である。

 ならばと振り抜いた尾を上向きに切り返して振るうも、今度は身を屈めることで避けられる。


「おいおい、縄跳びやってんじゃねえんだぞ」


 煽るような言葉にムッとする。


「意外とやるじゃないか」


 勢いよく尾を上から振り下ろす。ドルファはそれを僅かに体をずらすだけで避けた。その後も避けた後の隙を狙おうとフェイントをしてみたり、突いてみたりと速度を早めて矢継ぎ早に攻撃するがその度にドルファは器用にも空中で身を捻ったり、剣の側面でいなしたりと見事な手腕でそれを捌く。それを見ている兵たちから歓声にも似たどよめきが上がる。

 兵たちはただドルファに感嘆の声を上げているだけ。それがわかっているのに、エキナにはそのどよめきがまるで自分を嘲笑しているかのように聞こえた。蛇人といえどこの程度かと蔑まれているかのように感じて、次の攻撃もどうせ捌かれると思うと、唐突に自分のしていることが馬鹿馬鹿しくなる。

 攻撃の手を止めたエキナにドルファは首を傾げる。


「なんだ、もう終わりかあ? なら今度は、こっちから行くぞ」


 エキナはフンと鼻を鳴らすことでそれに応える。

 劣等種と馬鹿にしていた人間にいいように捻られている。その事実が泣きたいくらいに悔しい。けれどもエキナの自尊心が泣くことも自棄を起こすことも許さない。せめて一打。なんでもいいから、一矢報いてやりたい。

 正面から馬鹿正直に、猛然と突っ込んできたドルファに、エキナは上体を大きく上げる。構わず懐まで来たドルファが試合用の木剣を掲げた。それをまるごと巻き込むように、エキナはドルファを締め上げようととぐろを巻く。

 いかなドルファといえど、人の脚力でこのとぐろを跳んで避けるのは無理だ。


「かかった……!」


 勝利を確信したエキナが思わず溢した直後、ドルファが振り上げた木剣の軌道を僅かに変えた。真っ直ぐに振り下ろす軌道ではなく、斜めに切り捨てる軌道。


「はあッ……!」


 ドルファの気勢に瞬間、僅かに怯んだエキナだったが自身の硬い鱗を信じて構わず巻取りにかかる。

 直後、パカン! と、破裂音が響いた。ドルファの木剣が砕けたのだ。


「ぐうッ……!」


 強靭な鱗を貫通せんばかりの痛打。だが、問題ない。エキナが半ば強引に締め上げようとした時だった。


「降参だ!!︎」


 ドルファが叫んだ。地声ですら声が大きいドルファの叫び声はよく響く。窓でも割れるんじゃないかという大音声にエキナも締め上げる寸前で動きを止めた。

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