復讐
エキナの居室へと向かっていたリアンドは、正面から憔悴しきった様子で項垂れて歩いてきたセバスを見て足を止めた。
「おい、どうした」
「こ、これはリアンド様。失礼いたしました」
慌ててセバスは道を開けるように傍による。
「我が婚約者殿に会ってきたのか?」
「……まだ、そのようなことをおっしゃられるのですか」
「ああ……求婚がまだだったことを思い出してな。今から行くところだ」
「ッ……考え直してくださいませ! あれは……あれは恐ろしい。人ではないのですぞ!」
「知っている」
「妻に迎えるなど、教会が許すはずも」
「それなら問題ない。既に手は回してある。お前はただ、準備をすればいいだけだ。あと……エキナに何かしてみろ。傷一つでもつければ、いかな先代の時代より仕える執事長でも即刻解雇だからな」
リアンドの本気の声音に、セバスは言葉を詰まらせるも、気丈にも言い返した。
「傷など、つけられますまい。今しがた、眠り薬を塗布した矢を打ち込もうとしましたが、あの化け物は傷一つなくピンピンしていますよ」
「ふ、それは命拾いしたな」
「それは、殺されずに済んだという意味ですか? それとも、解雇されずに済んだという意味で?」
「両方だ。準備は任せたからな」
言い置いて歩き去ったリアンドの背に、短く「御意に」とセバスの声が届いた。
リアンドがエキナの部屋の扉を叩くと、すぐにロゼの返答があった。許可を得て扉を開ければ、エキナが落ち着かなさげに着せ替え人形になっている。
「……窮屈だ」
この家にエキナと同年代の少女などいない。当然衣服の用意もなかった。豪奢なドレスはリアンドの母が幼い頃使っていたものを探し出したもので、少しばかり古めかしい。
「とてもお似合いです、エキナ様」
「鬱陶しい……もっと短い丈の……ズボンがいい」
「ズボンを履かれる奥様などおりませんよ。リアンド様もよくお似合いだと思われますよね?」
ロゼに振られて、リアンドはくすりと笑う。
「ああ、似合っている。だが、別に無理して合わせる必要はない。動きやすい服はすぐに用意しよう。だが、明日の婚姻式までは耐えてくれ。王の御前まで行くにはどの道ドレスでなければいけない。普段はともかく、公式の場ではドレスでいて欲しい」
エキナは奇妙な顔で眉根を寄せた。
「……その、結婚……というのは、契約のうちか?」
どことなく濁したような言い方をしたエキナに、リアンドは首肯する。
「そうだ。王の前まで連れて行く手段として、必須だ。別に夫婦の義務を求める気はないからそこは安心して欲しい。あと……契約の件はここにいる三人しか知らない。そのつもりでいてくれ」
「わかった」
「それで、だ。本題はその求婚だったんだが……話が早くて助かる。受けてくれるんだな」
「契約ならば、仕方あるまい。人と結ばれるのは気に食わぬが」
「よかった。話はそれだけだ。後のことは任せたぞ、ロゼ」
「承知いたしました。リアンド様」
話を済ませたリアンドが次に向かったのは、屋敷の外だった。外とはいえ敷地内であることには変わりない。セクメト公爵家にはお抱えの騎士団がいる。街外れの砦などにも駐屯しているが、大半はこの王都にある騎士寮で暮らし、持ち回りで城の警備を担当している。
そんな国有数の騎士団の団長は、今日も昼間から更衣室で酒を煽っていた。
更衣室の扉を開けたリアンドは染みついた汗の匂いと、そこに混ざった酒の匂いに顔を顰める。
「また昼間から酒か。ドルファ」
騎士団の規模に比例するように、更衣室もそれなりに広い。その入り口に一番近い長椅子で酒を煽っていたドルファは酒瓶を置いて、さも今気づいたかのようにリアンドの方を見た。もう四十にもなろうというのに、いまだ若々しい褐色の肌に隆々と筋肉が盛り上がる。その体を見せつけるように騎士団の隊服をはだけさせた男は、こう見えて騎士団長だ。
「おっと、これは当主様じゃないですか。こんなところまで珍しい」
ドルファは立ち上がろうとすらせず、おどけるように肩をすくめる。主君に対する態度ではないが、二人の間ではこれがいつものことだった。他人の目もない場でそれらしく振る舞う必要はない。
「白々しい。一応、話は通しておかねばと思ってな。婚姻式となると警備についても話しておかねばならない」
「ああ。蛇人を妻に……っつー話ですか」
「耳が早いな。聞いていたか」
エキナを買ったのは昨日の晩だ。その夜のうちに薬で眠らせて、夜闇に乗じて搬入した。既に時刻は昼をまわっているとはいえ、情報がまわるのが随分と早い。
「そりゃあもちろん。今朝からセバスさんが大騒ぎしてますし。あの貴公子リアンド様の結婚となれば、大ニュースですよ。にしても……蛇人を娶るたあ、また大胆なことをしましたね」
ドルファは探るようにリアンドを見る。リアンドはしれっと答えた。
「愛に種族を問うなど無粋だろう」
「ま、それには大いに同意しますがね…………重ねてるんじゃ、ないでしょうな」
「まさか。彼女はもう……死んだんだ」
「なら、いいんですが。もう済んだ話だ、さっさと忘れた方がいい」
「そうだな」
あっさりと答えたリアンドに、ドルファは苦笑する。適当に話を合わせているだけだとわかったのだろう。リアンドも別に隠すつもりはない。別に重ねているわけではないが、忘れたわけでもない。そのための蛇人で、そのための結婚だ。
「獣人をそれと知って公爵が娶る……荒れるでしょうな」
「……さて、どうなるかな」
穏やかに微笑んだリアンドの目は、しかし笑っていなかった。
婚姻式は翌日即座に執り行われた。当然だが、ドレスの準備はもちろん招待状を出す時間すらない。家中ですら、その事実を全てが済んだ後に知った者がいたくらいである。
ビビりまくった司教の元、半ば無理矢理に神の祝福を受けて二人は結ばれた。
「承諾はしたが……いくらなんでも急だろう」
夜も更けた部屋で、窮屈なドレスを脱ぎ捨てたエキナは蛇の巨体で床に寝そべっていた。通常であれば初夜となる夜。慣例通り同じ寝室でリアンドは寝台に座っている。
「もたもたしていれば強硬な反対が起きるかもしれないからな。だが、表向きにはこれで俺たちは神の祝福をもって夫婦として認められた、ということになった」
「は、無効だなんだと騒がれないか?」
「それは騒がれる。だが、言わせておけばいい話だ。発言力のある者は既に取り込んである」
「……随分と手際がいい。なあ……聞いても、構わないか?」
「なんだ」
エキナはしゅるりと少女の姿になると寝台によじ登る。リアンドがふいと視線を逸らしたのは、エキナが裸体だからだろうか。
「なぜ獣隷を解放しようと思う。それをして、お前に何の益がある? まさか、同情ではないのだろう」
ここまでリアンドに憐憫の情があるようには見えなかった。だが一方で、からかっているようにも見えなかった。強靭な意志がその瞳には宿っているように見えた。
リアンドは少し考えてから口を開く。
「……そうだな。お前には、話しておくべきか。これは……復讐だ」
「復讐?」
「ああ。俺の父は、蛇人に殺された……ということになっている」
「なっている? 実際は違うのか?」
「実際のところはわからない。確かなのは、蛇毒で毒殺されたということだけだ。碌な調査もないまま、当時この家の獣隷だった蛇人……俺の友人だった彼女は、惨たらしく殺された」
「獣隷と友人関係にあっただと?」
「少なくとも俺は、友だと思っていた。だが……向こうは違ったかもしれないな。本当に、父を殺したのも彼女なのかもしれない。だがそれも、今となってはどちらでもいいことだ。あの日のことは今も夢に見る。俺はまだ七歳で、彼女は十歳くらいだったと思う。大人の男三人に引っ立てられた顔は、もう人相もわからぬほどに焼け爛れていた。頬は腫れ、目は潰れ、鼻血と涙で喘ぎながら、何も知らないと枯れた声で訴えていた。そのまま、頭を叩き潰された」
想像してエキナは顔を顰める。確かにそれは、事実がどちらであれ怒りを覚えることには変わりない。
「その……復讐か」
「ああ。ただそれを、母に手を握られて眺めていただけの俺と、その異常な光景に少しも心を痛める様子のない奴らへの、復讐だ。惨たらしく、殺されればいい。生きながら食われてしまえばいい」
リアンドの声音に深い憎悪が滲む。
「……協力は惜しまない」
「助かる」