王族
視界に映る、父母の遺骨。脳裏に過ぎるあの日の光景。座り込んだままのロゼと、圧倒されたようにエキナを見るレオニール。故郷だった場所は、今は無惨に朽ちている。状況は絶望的だった。それでも、エキナの視界はくっきりと晴れていた。置いては行かない。母の願いも、父の怒りも。
「……エキナ様?」
ロゼが顔を上げた。
「レオニール、頼みがある」
「うん、何かな」
「教会に行きたい。連れて行ってくれるか?」
レオニールは僅かに目を見張る。いつもは微笑んでばかりの男が、今日は随分と感情が顔に出ている。
「構わないけど……あそこは」
「感謝する。それから……」
歩を進めて、ロゼに近づいた。見惚れたような表情で、ふらりと立ち上がるとロゼの目線はエキナよりも高い。それでも、そのどちらが主人であるかは傍目にも明らかだった。
「何でも、お申し付けください」
ロゼがさっと跪く。木々の隙間からこぼれ落ちた陽の光がエキナを照らし出す。
「ありがとう。だが、先に確認しておきたい。お前は、私の味方か?」
「もちろ」
「それとも、リアンドの味方か?」
答えかけたロゼの言葉が止まる。
「……それは、どういう」
「この先、私とリアンドが対立することがあったとしたら、お前はどちらの味方をする」
「リアンド様を、裏切られるのですか」
「まだわからない。だが……対立することにはなるだろうと思っている」
「私、は……」
ロゼが、リアンドに対して並々ならぬ恩があることは想像に難くない。
「選べないのなら」
それでもいい、と言いかけたエキナを遮るようにロゼはきっと顔を上げた。
「エキナ様のお味方をいたします」
「……いいのか?」
「はい」
「ありがとう、ロゼ」
「僕には、聞かなくていいの?」
背後から投げられたレオニールの問いに、エキナは振り返りもせずに答える。
「いい。お前は、どちらの味方もしないだろう」
返事はなく、代わりに肩をすくめた気配がした。リアンドの目論見とは違っただろうが、来て良かったと思う。おかげで、まざまざと思い出した。囚われた四年の間に擦り切れた記憶が、息を吹き返した。ただ誇りしか持ち続ける余裕がなく、けれどこの場で受け取ったのは誇りだけではない。口伝された先祖の記憶、一族の願い、尽きぬ憎しみ。これから行く道は茨の道で、だからこそ特別たる自分にしか行けない道だ。諦めはしない。受け入れはしない。復讐に呑まれはしない。
「また大胆なことをしたな……リアンド」
王宮の中央にある庭園、その端にある建物の陰になる場所で、リアンドは王子殿下と対峙していた。年齢はロゼと同じ十七歳。肩ほどまで伸ばした茶髪を生え際から編み込み、大胆に肩を大きく露出した格好はさながら旅の踊り子のようにも見えるが、これでも一国の王子。アルヴィス殿下である。
「大胆な格好をされている殿下に言われたくはありませんが……今度の服はどうされたのですか?」
リアンドの問いにアルヴィスは嬉しげに手を広げた。
「どうだ? いいだろう? 行商人に売ってもらったんだ」
「またですか……」
呆れ顔のリアンドに、アルヴィスもまた呆れたように肩をすくめた。
「それよりも今はお前の話だ。獣人を妻に迎えるってどういうことだ。父上が黙っていないぞ」
「お陰様で、既にお呼びがかかっておりますよ。無視しておりますが」
「はははは、さすが公爵様は余裕だな。だが、それもいつまで保つかな」
リアンドにとってアルヴィスは、信用はおけないが使える駒の一つだ。エキナと結婚するための教会への根回しも彼の協力なくしては難しかっただろう。七歳歳下なのだが、不思議とどこか大人びた雰囲気があって話していて歳の差をあまり感じない。
「この後、行くつもりです」
今すべきは三ヶ月の時間稼ぎだ。そこで国王を殺しさえすれば、公爵位など、どの道意味をなさなくなる。今はただ、三月後の式典の場にエキナを連れて行くことだけを考えておけばいい。公爵位はそのために必要だが、これでも歴史だけは古い家である。いかな国王といえど、そう簡単に爵位剥奪はできない。
「なあ……お前、国家反逆なんて、考えてはいないだろうな」
「人聞きの悪いことを言わないでください。そのようなこと、考えるはずがないでしょう」
「そうか……。俺は、それでもいいと思っているけどな」
「ご冗談を」
真顔でリアンドが答えて、アルヴィスは屈託なくハハッと笑う。笑顔だけは年相応……いや、むしろ実年齢より幼くすら見える。この人懐こい笑顔で何人も絆していることをリアンドは知っている。どこまで計算しているのか、あるいは何も考えていないのか。そんなことを考えていた時だった。
「アルヴィス様! ここにおられたのですか!」
鋭い声にアルヴィスはふと笑顔を引っ込める。アルヴィスの後ろからつかつかと歩いて来たのは鎧を身にまとった若い女騎士だ。長い赤毛を綺麗にお団子にまとめている。
「げ、姉貴……」
女騎士の眉がぴくりと持ち上がる。
「姉と呼ばないでくださいと言っているでしょう」
「俺こそ敬語をやめろって言ってるだろ」
この女騎士はアルヴィスの異母姉にあたるリヴィアだ。いわゆる愛人の子で、姉ではあるがその地位はアルヴィスよりも低い。王族の血を引きながら騎士などしているのも陰口を言う周囲を黙らせるためで、実際に確かな実力でもって黙らせている。
「……相変わらず仲がよろしいですね」
「…………」
「…………」
揃って微妙な顔でリアンドを見る。否定も肯定もしにくい、といったところか。そんな顔つきもよく似ていて、やはり姉弟なのだなと思う。引き際かと解釈してリアンドは一歩下がると軽く頭を下げた。
「では、私は失礼いたします」
「ああ、今度お前の嫁を紹介してくれよ」
アルヴィスはにこりと笑って手を振り、リヴィアは黙って礼をする。リアンドはそれに会釈で返すと踵を返した。向かう先は、この王城の中心部、王の間だ。
荘厳な雰囲気のその場へ足を踏み入れると、ぴりっとした緊張感に包まれる心地がする。体中の毛が逆立つような感覚。それと同時に、胸が冷えつく。煮えたぎる怒気と、収まらない憎しみを、意志の力でもって凍り付かせることによる感覚。
「……ようやく来おったか」
中央で跪いたリアンドに、玉座から重々しく言葉が投げかけられる。
「お呼びに預かり、参上いたしました」
平然と答える声は、いつも通りに淡々としている。
「まったく、白々しいな。どうして呼ばれたか、わかっておるのだろうな」
「……ご報告が遅れましたこと、お詫び申し上げます」
「報告だと……ふざけるな!!︎」
玉座から立ち上がっての一喝に空気が震える。控えた兵がぴくりと緊張感を漲らせる。静かに跪いたまま姿勢を崩さないリアンドだけが、まるで時間に取り残されているかのようだった。
「勝手ながら、この度神の祝福のもと妻を迎えましたことをご報告申し上げます」
『神の祝福のもと』というのを強調する。教会の権力は国王の後ろ盾だ。たとえそれが末端の人間であろうと、神の言葉という前提での発言を教会は容易には取り消せない。そうなれば必然、国王が意見することもできない。
やはり言える言葉が見つからなかったのか、長く息を吐いた国王は再び玉座に体を沈める。
「……我が娘と婚約関係にありながら、些か不誠実が過ぎるのではないか? 公爵」
「それは破談になっております」
「そうだったか?」
「恐れながら、リヴィア様ご自身からそのように窺っております」
小さく舌打ちが聞こえる。この国王とリヴィア姫は、それはもう仲が悪い。激しい言い合いの末に国王の方が折れたのであろうことは想像に難くなかった。
「ただちに離縁せよ」
端的な命令は、リアンドとて想定済みだ。
「お断り申し上げます。婚姻は教会の管轄であるはず。陛下の言葉であろうと、お従いできません」
「……若輩が。蛇を妻にするなど、セクメト家も落ちたものだな。その上、相手は十も下の幼子と言うではないか」
「恐れながら、十歳差での婚姻は然程珍しいことでもないかと」
「顔を上げよ」
「は」
顔を上げると、一層心臓が冷えた。年齢も五十を超え、白髪混じりの頭髪ではあるが、堂々たる佇まいと屈強な体格はいまだ衰えていない。エキナがその頭を食い千切り内臓を抉る姿を想像するだけで笑みが漏れそうになるのを堪える。
「今、離縁しておかねば後悔するぞ」
「ご忠告痛み入ります」
「……お前の父君は、蛇の毒で亡くなったのだったな」
国王の目が細められる。にたりとした嫌な笑みがその唇に刻まれた。
「はい」
「お前も、同じことにならないといいがな。まだ、世継ぎもいないのだろう?」
「はい」
「父君の件は、本当に残念だった。獣隷の待遇改善など考えなければ、もう少し生きていられたかもしれないのにな」
「…………父上が殺害された動機は、獣隷の逆恨みのはずでしたが」
「ふふ、そうだったかな」
どこか含むような笑み。何を言わんとしているか明らかだ。驚きはなかった。むしろ、疑惑は確信に変わった。父親の仇はこの男だ。罪を蛇人の少女に被せて殺した。国王であればその程度は容易かっただろう。加えてこの余裕な態度。既に何か手を打っているのか。
「……お話が以上でしたら、そろそろ失礼させていただきたいのですが」
「ああ。お前も忙しいのだったな。下がって良い」
「は、失礼いたします」
立ち上がって踵を返す。
「良い報告を、待っておるぞ」