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第34話 記憶を探して-2

 松林では相変わらずセミがけたたましく鳴いている。

 すでに正午にさしかかり、太陽はほぼ真上から照りつけ、林を抜けると日陰が極端に少なくなった。

 それでも台風が残した強めの風が夏の暑さをやわらげてくれる。

 かつては歩き慣れていたはずの閑散とした住宅街に足音を響かせながら、僕は焦燥に駆られ始めていた。

 記憶が鮮明になればなるほど気づくことがある。当時は空き地だった場所に今は見知らぬ家屋が建ち並び、毎日のように覗いていた駄菓子屋は閉店して久しいらしく錆びたシャッターが下りたままだ。

 時はかくも無慈悲にすべてを持ち去るものなのか――そんなことを考えるには、僕はまだ若すぎると解ってはいたが実感してしまえば、それは切なさを通り越して恐ろしくさえあった。

 それでも祈るような気持ちで記憶の糸を手繰り、月子を伴って見覚えのある坂道を上っていく。

 角を曲がれば見えてくるはずだ。古びた赤い屋根。二階建てになった小さな離れ。

 そうだ、彼女はいつも、そこのテラスから手を振っていた。

 朝には目映い朝日を受けながら、日暮れには赤い夕陽を背にして、いつもそれ以上に目映い笑みで、はにかむように僕に笑いかけてくれていた。

 ああ、なんてことだ。ようやく思い出してきた。

 僕はついさっき、そのつもりもなく月子に嘘をついていた。

 恋愛なんてわからなかったと言ったけど、そうじゃない。僕はあの頃からとっくに彼女に恋をしていたんだ。

 離ればなれになるのを嫌がって涙ぐむ彼女に、僕は同じ想いに挫けそうになる自分の弱さを押し殺して手を差し伸べた。

 大丈夫、必ずまた会える。大人になっても忘れない。そのときには僕の方から君の名前を呼ぶから。

 それなのに僕は――

 思い出したときには僕はもう全力で走り出していた。急な坂道を一気に上りきって角を曲がる。目的の場所まで駆け寄ると古びたその建物を見上げた。


「……まだ、残っていてくれた」


 壁がひび割れ、雨樋が壊れ、閉ざされたままの雨戸は、そこがずっと無人のままであることを証明している。庭には草が生い茂り、どこかの誰かが捨てていったゴミがまばらに散乱していた。

 それでも離れの二階は記憶に残ったままの姿を留めていて、手すりの付いたテラスが変わらぬ姿を見せている。まるで僕を待っていてくれたかのように。

 僕の隣に立ったまま、しばらく無言だった月子が玄関のほうを覗き込んで言った。


「表札は外されちゃってるわね」


 言われてみれば、確かに縦長の痕跡だけが残っていた。

 だけど、それはもう問題ない。僕は微かに笑って首を振る。


「必要ないよ」

「てことは……」

「うん、思い出した」


 むしろ、なんで忘れていたのか自分でも不思議なぐらいだ。


七未貴(なみき)爽子(そうこ)


 宝物のように大切な名前を噛みしめるように口にする。それだけで甘酸っぱい雫が渇いた心にこぼれ落ち、潤いが甦ってくる。

 それが僕の初恋の――そして今もなお恋しい人の名前だった。

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