#12 虚ろなる学院生活
「そんなこと、嘘に決まってるだろ」
大きな欠伸と共に俺は独り言ちた。
単純馬鹿のことだろう、俺がそう言えば必ずそう言うに違いない。
学院内でも数少ない異性不可侵領域に行ったとなれば普通の女なら諦めるだろう。
そう、普通の女ならな。
◇ ◇ ◇
「伊嶋君、イチルがどこの方角に行ったか分かるかしら?」
「おいおい、流石にトイレぐらいは見逃してやれよ、友人が眼の前で漏らされても俺は困るぜ」
「いいえ、場所を突き止めて出待ちするわ」
「私も手伝いますわMiss.ラグナージ」
「貴方は……えーと……」
「エルレリーチェ!エルレリーチェ・ル・ラヴァンスよ!!それよりもあの男ですわ。狛戌一縷。私を差し置いてミーア・獅子峰・ラグナージと仲良く、ではなく、とにかく絶対に赦さないですわ!!見つけてその根性を叩き直して差し上げますわ!!」
「うわー……こりゃあイチルの野郎、休み時間後には骨も残ってないかもなぁ……」
なんて、きっと奴なら俺を捜して学院中のトイレを捜すだろう……なにか他の悪寒がしたのは気のせいと思いたい。
とにかくそのおかげもあって今はこうして学院の屋上でポカポカと暖かな春陽の元で優雅に転寝が出来ているという寸法だ。
普通の学校と違ってクロノス学院は屋上の立ち入りを制限はしていない。
理由としては単純明快。落ちる危険よりも空飛ぶ学生が在校しているような異常な学院だ。
そんな彼らからすれば屋上なんて第二の玄関みたいなもの。
しかし、只今の時刻はお昼時。弁当を持ってくるような節制な生徒は殆ど居らず、大体の連中が学院の購買かミシュランも唸る高級学食にでも足繫く通っているころだろう。
つまりここは俺の独壇場。綺麗に整備された春陽の匂いが香る木製ベンチは、誰にも邪魔されない最高の寝床だ。
山積みになった問題や思考全てを放り出し、俺は泥のように惰眠を貪る。
時間はある。この学院に来た目的も今は、忘れてしまってもバチは当たらないだろう。
ある軍人は曰く、何処でも寝れるというのは最高の特技だ。
刀や銃のみで戦争していた時と違い、今世では魔術によって操れる戦術騎兵のような無人兵器、戦術強襲補助装甲のような第四世代型パワードスーツが開発されようとも、使用するのは生身の人間だ。
そんな彼らにとって一番重要なことは寝ることだとその人は言った。
戦場で、味方の死体の下で、銃声で、魔術の砲撃で、どんな場面であろうとも休める兵士こそ最大限能力を発揮できる優秀な戦士であると。
だとすれば俺はきっと世界で一番優秀な兵士と言えるのかもしれない……全然嬉しくないけど。
しかしだな……どうも睡眠というやつは無防備になってしまって良くない。
屋上という楽園の戸が不意に、バタンッと開いた時には、俺はまだベンチの上で仰向けになったままだった。
一瞬、奴が来たのかと焦ったが、すぐにそれは違うと分かった。
ガチャガチャと存在をひけらかす様な複数の気配。奴ならこんな下品な雰囲気は漂って来ない。ミーアならもっとこう優雅さや気品を持ち合わせ、着飾らなくとも高貴な存在であることを示してしまう本物だからな。
「何だよ、ここなら誰も来ないから楽しめるって言ったのに、一人先約がいるじゃねーかよ『千野』」
「えー?でも『大祐』だって納得してたじゃん?ここなら誰にも見られないって」
「そうだよ。それにどうせお互いに見ることになるんだし別にいーじゃん」
「えー俺はやだよ。女の子ならいいけど、そこに居るの野郎じゃん」
談笑しながら現れた二組のカップル。
普通の一般学生のようだが、僅かに開けた横目で確認した様子だと、ジャラジャラと高級そうなアクセサリを幾つも身に着けている。絵に描いたようなボンボンのようだ。体格についても皆良いモノを食っていると体現するような長身と、引き締まった身体付きをしている。
それにしてもどうしたものか。
本当なら入ってくる前に姿を眩ませていたものの、思いっきり視認されてしまったこの状況的にいきなり起き上がって出ていくのは気まずい。仕方ない、ここは連中が次の授業で居なくなるまで狸寝入りでもして時間を潰させてもらうか。
気付いていない振りをしつつそのまま寝過ごそうとした俺の意識を、突発的な殺気が襲い掛かった。
「ッ……!」
舞い落ちる風切り音。
寸でのところで起き上がったおかげで難を逃れたものの、そこにあったベンチは見るも無残に砕け散っていた。
「なんだよ、起きてやがったのか編入生」
突如として襲い掛かってきた『大祐』の手によって。
「目覚ましにしては随分と物騒だな。確か初対面のはずだったと思ったけど?」
「別に大した理由じゃないさ、ただこのグローバルナイトホーク社系列の子会社である梅野工業の跡取りの『梅野大祐』様と同じように過ごしている編入生風情の態度がちょっと気に食わなかっただけだ」
あーあ、またやっちゃった。彼女の千野と取り巻きの二人が肩を竦め、そしてゲラゲラと嗤い出す。彼らにとって編入生の生徒をいびるのは珍しいことじゃないらしい。
だが少しだけその様子を見てホッとした。
なんせこっちはいきなり俺の正体を見破られたんじゃないかと、本気で警戒したんだからな。
「まぁまぁ、そうかっかせず建設的にお話ししよう。俺は狛戌一縷。お前らは────」
顔面スレスレに無造作な蹴りが襲い掛かる。
穏やかに語り出した俺に向けて大祐は何の躊躇いも無く攻撃してきたのだ。
「おっと、」
それを躱すと、続けざまに追撃の蹴りや腰の入った良いパンチが連続で繰り出される。
思わず欠伸が出るようなスピードで。
「なっ……!?」
体格差にして約数十センチ。
体重差数十キロ。
何もかも勝っているはずの男の攻撃、その一切が空を切る。春風よりも少々乱暴な風だけが俺の衣類を掠めていた。
「何やってんのよ大祐!」
「そんなひょろっちい奴、とっとと畳んじまえよ」
中々決着の着かない一方的暴力に外野が騒がしい。
しかし、どうしようかこの状況。
荒れ狂う乱撃を躱しながら俺は考えた。
勝手に向こうが始めてしまったからしょうがなく相手しているものの、このままでは学院生活に支障が出るレベルの禍根を残すことになりかねん。
下手に相手のプライドを刺激せず、どうにかしてこの場を上手く収める方法は無いものか。
ん……?
防戦一方を演じながら相手を観察していると、不意にあることに気が付いた。
そういえばコイツのこの双眸、爛々とした瞳の動きはただの興奮状態とは違うように感じる。確かどこかで同じものを見た覚えが────
「このっ……!」
攻撃が当たらないことに痺れを切らした大祐が、魔術を使用するため両の手を地面へと着けた。その場所をまるで栄養が搾り取られるように、白いコンクリートで構成された屋上がみるみる内に茶色から黒へと変色していく。ボロボロと土くれのように脆くなったことでできた割れ目、そこから芽吹いたのは意志を持つ茨蔓だった。




