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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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炎の悪役令嬢

火傷令嬢、悪役となりて、恋と燃ゆる【炎の悪役令嬢―1―】

作者: れとると

――――そうして薔薇の流した涙は恨みの余り、悪を焼く炎となったのです。

(フライフェイス寓話集:第四版 『怪物』の章より)

「ダンストン公爵令嬢、ローズティア・ヒーリズム。

 わかっているな?」


 ――――嗚呼。長かった。


「なんのお話でしょう、ローンズ王太子殿下。

 皆々様のご歓談を遮るほどの大事でしょうか」


 国王陛下もいる。

 王妃殿下もいる。

 そして王太子たる彼の隣には、第三王子のフェルン様。


 ここは新年を迎えたばかりの、オレウス王国、王宮の広間。

 数多くの高等貴族が一堂に会す、この国の社交、その頂点の場。

 この場所、この時を彼が選んだのは――私が逃げられないように、と考えたからか?


 ……ふふ。


 このために備えてきた。

 このために悪逆の限りを尽くしてきた。


 10年。

 否、13年。


 私の雌伏の時が。

 終わる。


 少し瞠目し、長い時に――思いを馳せる。



  ◇  ◇  ◇ 



 スライムというのは、不思議なものです。

 モンスターの一種なのですが、人に対して敵意がありません。

 食することもないのです。


 種類がいろいろあって。

 好みのもののみを食べるそうで。

 机の上のそれは、私がいくらつつき回しても、私の指を食べることはありません。


 人を好む……そういったものは、今発見されているのは、ただ二種。

 一つはこの、ハートスライム。人の心や記憶を食み、色や形を変えるのです。

 いろいろな使い方ができるそうで……いたずらに使っては、だめかしら。


 もう一つは、最近先生が発見された、ヒールスライム。

 人に限らないのですが、傷を好む、というよくわからない性質を持っています。

 ただほとんど発見されておらず、今この先生の家にあるのが、全部だとか。


「ローズティア様。あまりつつき回さないでくださいませ」


 革の装丁の分厚い本を片手にもった、背の高い男性。

 柔らかな印象は、その大きな眼鏡のせいもあるかもしれません。

 髪と髭が少し伸びがちで、だらしがないようにも見えますが――私は、いいと思うのです。


 先生。コルトン先生。

 ダンストン公爵家がお金を出して研究を支援している、学者の方です。

 ハートスライムの様々な使い方を研究されていたのが、父の目に留まり、領に招かれました。


 私は屋敷にほど近い、先生のお住まいにたびたびお邪魔しています。

 その、正直申しまして。

 このスライムの触り心地が、好きで。


「感触がよろしくて、つい。先生、お帰りなさい」

「留守を預かっていただいて、ありがとうございます。

 変わりはありませんか?」

「はい……あ、今ありました」


 先生の後ろから、ひょっこり顔を出したのは――二人の王子。


 一人は、第三王子のフェルン様。側妃クレッタ様のお子様だ。


「ローズお姉さま、お邪魔します」

「わたくしのおうちではありませんわ、フェルン様」


 そして。

 彼の肩に手を置く、もう一人の……ローンズ王子。


 先ごろ、12で社交の場にお披露目させていただいた折、見初めていただいて。

 結婚の約束を、して、いただいた。


 私の、王子様。


「でもいつもここにいるね、ローズティア」



  ◇  ◇  ◇ 



 ダンストン公爵領は、王都からほど近いのです。

 王子殿下はそれゆえか。それとも、その。

 私に、会いたくてか。よく、遊びに来てくださいます。


 とても柔らかな、御髪。

 視線。

 笑顔。


 暖かい、日差しのような方。


 先生のお宅の裏手。

 なんとなく、そこに二人……とフェルン様を加え、三人。

 お行儀がとても悪いのですけど、並んで地べたに座って。


 今日は何か、本を何冊かお持ちのようです。

 先生のところに来ると、いつもいろいろ読んでいらっしゃいます。

 私もご一緒しているので、気にはなりませんが。


 なりませんが……ひょっとして、ご本がお目当てで来られているのでしょうか。

 少なくとも、フェルン様はそう見えます。すごい熱心に読んでおられる。


「新しいご本ですか?ローンズ様」

「そうだよ。先生や――ローズにいいと思って。

 僕も、まだ読みかけなんだけど」

「あら……スライム以外の、モンスターの?」


 辞典、のようです。


「スライムもだけどね。野生種の内容が新しくなったそうなんだ。

 先生に少し見せたけど、感心されていた」

「他の方も、スライムに注目してらっしゃるのですね」

「王国には多いけど、他所の国にはほとんどいないらしいから。

 とても注目されているんだよ」


 ローンズ様が、また柔らかに……私に向かって、微笑まれる。

 赤く、なりそうなのは、たぶん。日差しが少し、強いからで。


「せ、先生はとても、素晴らしい研究をなさってるのですね」


 慌てて取り繕うように言うと。


「僕もそう思うよ。おかげで……ローズに会いに来る理由に事欠かない」


 そう、応えれ、て。

 覗き込まれますと、その。

 青い瞳から、目が、逸らせません。


「ふ、フェルン様は何を……ふらい?」


 表紙を見せてくださいましたが、なんでしょう。


「フライフェイス、です。

 顔にやけどを負ってしまった方が、秘薬を探して旅するお話」


 その。

 挿絵がとても、真に迫った感じなのは、なぜでしょう。


「おもしろい、のですか?」

「はい。

 いろんなところを旅しながら、薬を見つけて。

 でも、自分より必要な人にって、毎回渡してしまうんです」

「えぇ~……」

「実話をもとにしているとも言われていてね。

 出てくる秘薬の一つが……先生が見つけた、ヒールスライムに似ている」

「ほんとですの?ローンズ様」

「フェルンが読み終わったら、後で見せてもらうといいよ」

「は、はい」


 そう言われると、気になってそわそわしてしまいます。


「ローズは何を読んでいるんだい?」

「これです」


 表紙を見せる。


「かいぼうが……え。なんで」


 お二人がこう、距離を、とったような?

 はて。


「面白い、ですよ?解剖学。ローンズ様も読まれますか?」

「僕は遠慮しておこうかな~……」

「お兄さま、そこは無理してでも読みましょうよ」


 ……なんでお二人、苦笑いしておられるのでしょう。


 お二人は、とても仲が良いです。

 正妃と側妃の子、というのは、いろいろあると、思うのですが。

 そういった壁を、まったく感じません。


 第二王子のサラン様……ローンズ様の弟様も含め、三人、仲良しで。

 サラン様はどちらかというとこう、体が動かすことがお好きなせいか。

 当家にお越しになることは、あまりありませんが。


 ……この方たちが笑っていられる、平和な時間。

 隣国とは、争いが続いていると言いますが。

 この穏やかな時間が、ずっと続いてくれればいいと、そう思うのです。



 それはあの黄金の日々が炎の彼方となってしまった、今でも変わらない。

 あの日が続いていたらと、そのもしもを願ってやまない。



  ◇  ◇  ◇ 



 その時の記憶は、あまりない。


「っああああああああああああああああああああああああ!!??」


 焼けた鉄串で、顔を殴られた記憶。


 叫ぶ私をごみのように見る、目。


 倒れ伏し、動かない先生。


 王子に、私の王子様に、止めを刺す、賊。


 そして自分が何かを、掴んで投げたこと。


 燃え盛る、炎。


 誰かの、叫び。


 そして――――



  ◇  ◇  ◇ 



 賊はどうも、先生のスライムの噂を聞いて、やってきたようだった。

 その場に偶然いた、私と王子殿下。

 比較的無事だったのは、顔にひどい火傷を負った、私だけ。


 先生はすでに亡くなっていた。

 亡くなった上で、顔かたちも、わからないほど焼けて。

 賊はそれなりの数がいたが、それも。ほとんど。


 残り二人、全身が焼けていた人が残っていた。

 二人とも、命が危うくて。

 二人に、ヒールスライムが、使われたという。


 焼け残った希少なスライムが、すべて。


 一人だけが……息を吹き返した。



  ◇  ◇  ◇ 



 王子殿下は、しばらく領で静養なされた。

 傷自体は綺麗に消えており、そのお顔は綺麗になられていた。


 滞在中。傷が痛み、衝撃が大きかったからか。

 私をよく呼び、話し、時に触れた。

 私はにこやかに応対し、しかし自身の体調を理由に、ほどほどの接触にとどめた。


 …………触れられた後、部屋に戻って。

 怖気と吐き気と、そして涙が止まらなかった。


 そしてそのたびに。

 自分の中に、顔を焼いたのとは別の炎が宿るのを感じた。


 あいつは。

 あいつは……ッ!

 私のローンズ様では、ない!!



  ◇  ◇  ◇ 



 王子殿下が、王都に帰られることになった。

 ひと月ほど静養され、もう傷が痛むこともないようだ。

 見送りには、ずいぶん人が、いた。


 なぜみな、そいつをローンズ様と呼ぶの?

 どうしてそんなに笑顔で見送るの?

 お父さまも、お母さままで……。


 馬車に乗る前。

 そいつが私の手をとって。

 恭しく、頭を垂れた。


「また来る。私のローズティア」


 私は震えと怖気を、必死に抑えて。


「はい。王子殿下」


 少し瞳が、潤んでいたかもしれない。

 それを都合よく解釈したのか。

 そいつは満足そうな笑顔で、馬車に乗って行った。


 蛇のような、悍ましい笑顔だった。



  ◇  ◇  ◇ 



 先生のお宅は、ほとんど燃えてしまった。

 だが、ようやく心の整理がついた。やらなければならない。

 私が。私しか、いないのだから。


 誰もあいつを疑っていない。

 誰も本当のローンズ様が亡くなったと、知らない。

 お父さまやお母さまは……たぶん、頼れない。


 私は子どもだ。

 何の証拠もなければ、きっと戦えない。

 いや、証拠程度で……どうにかなるものだろうか?


 顔の火傷が、軋み、ひりつくように痛む。

 焼け跡を探り、物を整理しつつ。

 あの日の現場を、検める。


 …………あった。

 確かにあの時、ローンズ様を刺した、剣。

 もうボロボロだけど。


 でもこんなもの、あったところで。

 あの日の何が、証明できるのだろう。

 ローンズ様……。


 その時ふと、周りを見渡したのは。

 傷が痛んで、あの人がいない現実に、眼をそむけたくなったからだけれども。


 私は後に、その幸運を天に感謝することになる。


 炭と土の中に覗いていた、それ。

 革の装丁の、一冊の、本。

 表紙はだいぶ、傷んでいるけれど。


 ……中身は、読める。


 これは先生の、研究を書き留めたものだ。


 本を開き、中を読み進める。

 ページをめくっていくと……一枚、何か紙が落ちた。


 ――――ッ。これ、は。



  ◇  ◇  ◇ 



 私は領の視察に精力的に出た。

 他領にも、場合よっては他国にも、縁あれば出かけるようにした。

 顔は隠そうと思ったが……やめた。


 お父さまとお母さまには、スライム探しだと言った。

 ヒールスライムを探してみるのだ、と。

 二人とも、私の顔の火傷を気にかけてくれていたから、認めてくださった。


 だが本当の目的は違う。


 先生の本には、悪戯では済まない、様々なことが書いてあった。

 きっとそれが私の、武器になる。

 そう、武器を集めるのだ。


 この国に散らばる、様々なスライムを。


 優しい二人を、頼れない。

 戦うんだ。


 胸の中の炎が、私を駆り立てる。



  ◇  ◇  ◇ 



 私は15になった。

 だが、王子殿下は私と婚姻するでもなく。

 婚約を破棄するでもなく。


 理由がまったくわからなかったが。

 しばらくし、噂を聞いた。

 王子殿下の、放蕩の。


 それを聞いたとき、勘が働いた。

 あいつは、王になるつもりはないのだ。

 密かに私腹でも肥し、悪事でも働き、そのうち逃げるつもりなのだろう。


 私との婚約は、ある種の命綱。

 万が一ばれたとき、当時を知るダンストンに身の証を立てさせる……つまり、後ろ盾だ。


 私はあの男に。

 舐められている。


 ……許せない。


 炎が、大きくなった。



  ◇  ◇  ◇ 



 先生のお宅は、焼けた後、私が少しだけ直し、小屋のようになっている。

 その外、壁に背を預け、地べたに座って。

 あの時のように、本を読む。


 何度も読み込み。

 必要なものは調べ。

 集め、書き足し。


 備えた。


 ……あった。一度見過ごしていた、小さな記述。複数種の併用について。

 あの男が、ローンズ様の顔を得ている理由。

 誰かが、ハートスライムを同時に使ったのだ。そうしてあの男に、顔を与えた。


 この件は、最初から誰かに仕組まれている。


 誰が敵か、分からない。

 慎重に、しかし目を引くように、動かなくてはなるまい。

 頼れる者は、少ない。


 味方は――この本に伝言を残した、その人だけ。


 近づく、足音がする。

 立ち上がる。

 時間通りだ。


 そちらは見ずに。

 前を、向いて。


「いきましょう」

「ええ」



  ◇  ◇  ◇ 



 建物の裏手から出て、通りを足早に歩く。

 前から来た男と、すれ違う。

 ……懐の巻紙を一つ渡す。


 そのまま、裏通りを行こうとし――


「お、おいあんた。今そっから出て来たよな?」


 暗がりですぐ見えなかったが、何人か薄汚れた男たちがいる。


 被っていたフードをとって。


 懐のものをいくらか、投げてよこした。


「やるよ」


 金貨が、石畳に散らばる。

 先の建物――男爵の屋敷にあったものだ。


 王国の一男爵が持てるようなものではない。


 男たちは金貨に群がる。


 私は裏通りを抜け、大通りまで出ると、懐の金貨をばらまきながら歩く。


「コンゴ男爵は税も払わず、金貨を貯め込んでいた!

 そら拾え!

 使ってしまえ!

 これは皆の金だ!」


 ()()()()()()()()()()が響き渡る。


 私は顔を見せながら大通りを歩き、騒ぎで人のいなくなった門を抜け、街を出た。


 しばらく進み、林に入って外套を脱ぎ。

 顔からそれを、剥がす。

 髭面の下から、私の火傷顔が現れた。


 剥がしたぬるりとしたそれは、懐から取り出した瓶にしまった。


 欲しかった証文は、手に入った。


 次だ。



  ◇  ◇  ◇ 



 奴に呼び出されることがある。

 こちらから行くこともあるが。

 頻度はだいたい、月に一度だ。


 …………茶会で控える侍従が、主催にしなだれかかっているとは、斬新だな。


「最近、あまり会いに来てくれないね?ローズティア」

「王子殿下がお忙しいようなので。申し訳ありません」

「君の方も、領の経営に携わってるそうじゃないか。さすがだね」

「恐れ入ります」


 褒めるな。怖気が走る。素直にやめてほしい。

 顔だけはにこやかに、茶番を続ける。


「せっかくだから……もっとこっちに寄らないかい?ローズティア」


 両側に侍従を侍らせておいてか?


 だがその者、ただの侍従ではないな。

 肌の色からして……東の国の出身だ。


 なるほど。


「それはまたの機会に」

「そうか、残念だ」


 適度に茶番を続け、庭を辞する。

 王宮の廊下に差し掛かったところで。


「次は東で」

「はい」



  ◇  ◇  ◇ 



 裏口から出て、夜闇に紛れる。

 ……革とはいえ、鎧はさすがに少し重いな。着慣れない。


 鎧や小手を脱ぎ、それに小瓶から出した一つスライムをつける。

 少し離れてから、別の小瓶から色の違うスライムを取り出す。

 これはあのとき、私が投げたものだ。


 出て来た砦の方を振り返る。

 …………遠く、少し光が煌めいた。

 よし。


 スライムを鎧に投げつける。

 鎧が燃え上がる。革とはいえ、簡単には燃えないものだろうに。


 炎が、私が薄く砦の中から引いて来ていた、スライムの線を渡っていく。

 さて、離れよう。かなりの威力になるはずだ。


 おっと、もう誰も見ていない。こいつもとっておかなくては。

 顔から、ハートスライムを剥がす。

 精悍な顔つきの兵士は、醜い火傷の女に戻った。



 その日。小競り合いの絶えない隣国と国境の砦が、爆発し、跡形もなく吹っ飛んだ。

 砦ばかりか、辺境伯の屋敷、街中のいくつかの倉庫も粉々になった。

 倉庫からは……ご禁制の薬物が出て来たそうだ。


 …………隣国は、なぜか攻めてくることもなかった。



  ◇  ◇  ◇ 



「…………これはどういうご了見でしょう」


 夜会で席を外した折。

 幾人かの令嬢に囲まれた。


「聡明なダンストン公爵令嬢ならお分かりではなくて?」

「ローンズ王太子殿下の婚約者ですもの」

「ご結婚はいつになるのでしょう?私、ドレスを新調したくて」


 よく言う。

 あれの侍らせている女どもの癖して。


 ……今あれをローンズ様と呼んだ女。

 この国の令嬢ではないな。


「ご用件がないなら、失礼いたします」

「ちょっと待ちなさいよ!」「王太子様はあんたのモノじゃないのよ!?」


 それを私に言うな。

 するりと抜け、立ち去る。


 木陰にそっと声をかける。


「あの令嬢」

「……西の国の者でしょう。調べます」

「頼みます」



  ◇  ◇  ◇ 



「お前、なぜ……」


 腹に刺したナイフを抜き、隙だらけになった首を斬る。

 返り血を私にたっぷりと浴びせ、そいつは倒れ伏した。

 仲間だと思ってくれたか。楽ができてよかった。


「ッ!?きゃあああああああああああああああああ!!」


 ん。見つかったか。


 ご婦人の脇を抜け、通りに出る。

 こちらを見ている幾人かの人間のうち――やはり出てきたな。

 時間になっても来ないからと、様子を見に来たか。


 そして私――同じ顔をしているこちらを見て、驚き、固まっている。


 懐から、スライムの一つをそいつのいる地面に投げつける。

 スライムは一気に広がり、石畳に浸透した。

 地面が陥没し、その男は前のめりに転んだ。


 すっと近づき。

 首筋をナイフで、深く薙ぐ。


「ひ、人殺し!」


 ナイフはそいつの反対の首に突き立てておき。

 素早く人の間を抜けて行く。


 裏の通りをいくつか抜けながら、外壁まで到達する。

 ……この街の外壁は、あまり高くも厚くもない。


 スライムを投げつけると、壁は簡単に崩れ去った。


 血染めの外套を外に投げ、別のスライムで火をつける。

 そして私は顔のハートスライムを剥いで、元の顔へ。

 ……一人の男から、代わりの外套と小瓶を受け取る。


 外套を纏い、小瓶を開け、少し待つ。


 兵士が二人、やってきた。

 崩れた壁、燃える炎のあたりを見ている。

 少し外れたところに立っているこちらには、気づいてもいない。


「おい、こっちだ!」

「いたか!?外か!人を呼べ、山狩りだ!!」


 …………いた。こいつだ。


 再びハートスライムを被り。

 今度は老婆の顔へ。


「……失礼」


 仲間が人を呼びに行ったので、一人になったその兵士の口に。

 小瓶から出していたスライムを押し込む。


 こいつは単純に、水分を食う。

 唯一、直接人に害する可能性のあるスライムだ。


 声も出せず、男は乾いて、果てた。


 掃除は、これで終わりだ。


 だがまだだ。

 まだ私の炎は、消えない。



  ◇  ◇  ◇ 



 私は23になった。

 ふふ。とっくに行き遅れだ。

 だがそれ以上に我慢ならないのは。


 …………回り道ばかりしている。

 もう10年も、経ってしまった。


 やつは放蕩の裏で、地盤を固めようとしていた。

 それを邪魔しつつ、国内の掃除をするので手一杯だ。


 盗み。燃やし。殺し。

 私も随分、悪事に馴染んできたものだ。


 表向きは、公爵令嬢……貴族の端くれとしての活動を続けている。

 国内を、国外を周り、領の発展に貢献し。

 言い訳としては、なかなか結婚してくれない王子に認めていただくため、であるが。


 ……我ながら、吐き気のする言い訳だ。


 そんな私を見かねたのか。

 王宮に、呼び出された。


 王妃殿下との、お茶会だ。


 …………一対一での。


 アマンダ王妃殿下。

 食えないお方だ。

 この方は正妃。王子殿下――否。王太子となられた殿下の、お母上。


 実の息子のこと、気づかぬわけもあるまいに。

 10年も放っておくとは、何か意図があったのだろうが。


 中庭で、差し向かい、茶を飲みながら当たり障りのない会話を続ける。


「ときにローズティア。最近、よからぬ噂をいくつか、耳にするのです」


 …………来たな。


「噂、とは。何でございましょう」

「我が国の王太子。やはり以前とは別人のようなって……何かあったのでは、と」

「王太子殿下が、でございますか」

「ええ。婚約者として……何か思うところはありませんか?ローズティア」


 視線の意味するところが、読めない。


「王太子殿下はお優しくも、未だ火傷女と結婚の約束を交わしてくださっています。

 変わりなく、と思いますが」

「本人とはあまり会っていないようですが」

「お忙しいようですので。月に一度は、お会いしております」


 動向を伺うためにな。


「そうですか。ですがそろそろ、陛下もお年。

 あなたを迎え、次代を、と考えていますが――ローズティア」

「はい」


 だろうな……時間をかけ過ぎたか。

 奴が炙り出されてくれると思ったが。


「あなたは覚えもよく、妃としての教養、作法の習得は十分です。

 しかし。派手に何かしていると、そう聞いていますよ?」

「次代の王国のため。また当公爵家のため。

 駆けずり回っている次第でございます」

「ものは言い様ですね。

 ローズティア。一つ、提案です」


 嘘は言ってないわけだが……把握、されているか。

 無理なからんな。


「なんでございましょう、アマンダ様」

「我々は、王太子を王にするつもりです。

 この国の習わしとして、それには正妃が必要です」

「はい、承知しております」

()()()()()()()()()()()()()()

 あなたの話を、聞きましょう」


 これ、は。


「婚姻が成れば。妃としてのふるまいをせよ、と」

「そうです」


 すべてお見通し、か。

 小娘がしてきたことなど、この程度か。


 だが、私の炎が言っている。

 奴を必ず、地獄に突き落とせと。

 他のすべてを、引き換えにしてでも。


「承知いたしました。王妃殿下」


 自分でも。

 花のように笑えたと思う。


 きっとその花には。

 棘どころか、毒がある。


 もうなりふりは、構ってられない。



  ◇  ◇  ◇ 



 私は焦っていた。

 ああ言ったものの……決め手がない。


 周囲は承知の上で、あいつを王太子にしている。

 あいつはそれをある程度知悉した上で、のさばっている。

 正面からは、突き崩せない。


 おそらく唯一の手は、アマンダ様の、提案。

 多数の貴族が絡むゆえの、苦肉の策というところか?

 政治の領域となると、簡単には手が出せない。


 そのためには……やはり奴を炙り出すしかない。

 邪魔をし、こちらを排除するよう、動かすのだ。

 動かざるを得ない状況に、仕向けてやる。


 手の者を殺し。

 繋がりのあるところを燃やし。

 犯罪の証拠をばらまき。


 だが、効果があるのかは……実感が湧かない。

 なぜだ。確かに追い詰めているはずなのに。

 奴の周囲の勢力は、確かに削っている。


 なら、何だ。

 他に……まさか奴にも、仲間が?


 あり得るとすれば……。


 黙考しつつ、林の間を駆ける。

 先の仕事で、スライムのほとんどは使い切った。

 今日は引き上げ、また次に――――


 咄嗟に抜いたナイフが、剣閃を受け止めた。


「おー。奴の言う通りだ。

 こそこそしてるネズミが、おびき出されやがった」


 ッ。こっちが罠にかかってたか!

 切り払う。

 間合いを取られた。


 ナイフをちらつかせ、振るいながら、死角から蹴りを放つ。

 足に、そして手元に向かうように見せかけ――大胆にこめかみを打ち抜く。


「ぐぉっ!?」


 よろめくそいつに、姿勢を低くして迫る。

 ――っ、なんだ、今の。目、が。


 迫る銀の光に、ナイフを、合わせ。


 短剣が弾き飛ばされた。

 くっ、地面を、砂を蹴ったか。目に入ったッ。


「生け捕りって言われてるから、なッ!」


 こめかみに拳が刺さった。

 体重を乗せて振り抜かれ、倒れる。

 ぐ……油断した。


 もたついている間に、馬乗りになられる。

 拳が、二度。

 剣の柄が、三度顔面を叩いた。


 ……これは、ひどい顔に、なっていそうだな。

 身が震える。気持ちが悪い。いくらか、骨が折れてるようだ。

 鼻、喉奥にひどい違和感があって――相応の流血もしていそうだ。


 おのれ。この身のこなし、奴が賊の頃の仲間、だな。

 朦朧とする……思考が、安定しない。

 まだ、敗れる、わけには……。


「くそっ、いって……なにもんだよまったく。

 何年も手こずらせてくれやがって……お?

 こいつ女か。

 しかもなんだ、顔隠してやがんのか?

 へっへ。じゃあご尊顔を拝見してやるか」


 ああ、やめろ。

 見るな。剥がすな。

 ローンズ様――――


「うげぇ、なんだこりゃ火傷か!?

 けっ。萎えちまった」


 やけ、ど。

 わたしの、ほのお。

 もう思い出せないローンズ様のお顔が――炎の向こうに消えて行く。


「ダメなんだよなぁ。火かき棒でぶん殴ったガキを思い出してよ。

 うるせぇし、なんか投げたと思ったら爆発するし。

 さんざんな目に…………なんだその目は」


 私の震えが、止まる。

 目。

 私をごみのように見る、目。


 ()()()


「気に食わね――おごっ!?」


 体が勝手に、動いた。

 私の右手が、顔から剝がれかけのスライムを引き剝がし。

 拳にまとって――そいつの口の中に押し込んだ。


 拳の先が、燃えるように熱くなる。


 スライムは意外に強靭だ。こうされると、かみ砕くこともできない。

 そしてハートスライムは、記憶を食って姿や色を変える。

 もし変えた状態で、他の者に触れていたら。


 私の怨念を、拳に張り付いたスライムに籠める。


「あがあああああああああああああああああああああああああ!?」


 あの時の私よりも大きく、浅ましく、男の叫びが上がる。


 見えるだろう、私の目の奥に。

 お前を覗く、この瞳の向こうに。

 あの夜の業火が!


 全身を震わせ、力が抜けたそいつの口から、手を抜く。


 意識は失っていないものの、両手はだらんとさがり、膝を折って動けないようだ。


 私は立ち上がり、そいつを見下ろす。


「私の誇りを……この火傷を笑ったな?」


 スライムを、もう一つ剥がす。

 普段の火傷跡は、ハートスライムでマシな状態にした顔だ。

 これが本当の、私。


「ひいぃっっ」


 この顔が悍ましいか。恐ろしいか。そうだろう。

 しかし怯えるその顔の、なんと滑稽なことか。


「ククク……フフフフ」


 笑いが、こみ上げる。


「フハハハハハハハハハハハハハハ!

 私が何者かと聞いたな!教えてやろう!」


 あの黄金の時が。

 私の愛しい日々が、燃えていく。


 炎の向こうから、新たな私が現れる。


「私はッ!火傷顔(フライフェイス)!!」


 両手を広げ。

 天を向いて。


「この顔より醜い悪党を焼き尽くす!

 炎の化け物だッ!!」


 その炎は復讐のそれではない。

 これは命。私の生命。私の生き様。


 あの夜から10年の時を経て。

 今生まれた、新たな怪物の命だ!!


 恐怖の前に、男が意識を失い、崩れ落ちる。


 嗚呼、嗚呼。

 なんと滑稽で、なんと面白い!

 生きる喜びを、実感する!!


「アハハハハハハハハハ!!

 ハハハハハハハハハハ!!!!」



  ◇  ◇  ◇ 



 記憶の底から戻り。

 目を、開く。


 私は今、25。

 長かったが……あと、一息だ。


 結局最後は、両親に泣きつくことになった。

 情けない話だが……二人は最初から、私の味方だった。

 私だけが、何もわかっていなかった。


 公爵家から婚約解消の話を打診しなかったのは。

 つまり、私の好きなようにさせてくれていたのだ。

 私のやっていたことは、ずっと何もかも、バレバレだったようだ。


 ふふ。


 確かに私も、さして隠す気はなかった。

 少し露骨に、家の役に立ちすぎたかもしれないな。

 悪党どもが減ったおかげか、お父さまも最近は少し動きやすいようだ。


 そうして動いてくれたお父さまのおかげで。

 きっと、今日がある。


 こうして直接対決に及んだということは。

 奴はもう、手札がないのだろう。

 我々が撒いた藁を、掴むほどに。


「とぼけるつもりか、ローズティア」


 呼ばれ、王太子に向き直る。


 貴様に名を呼ばれる筋合いはないのだがな、怖気が走る。

 否、その筋合い。まもなく消し去ってくれよう。


「はっきり仰ってくださいまし、王太子殿下」


 少し、ざわつき始めた。

 長年、よからぬ噂が立ち続けた、王太子とその婚約者の対峙だ。

 無理もないだろう。


 国王陛下がお若いとはいえ、成人から10年……結婚もせず、王位にもつかなかった王太子と。

 顔に醜い火傷の跡があり、黒い噂の絶えない公爵令嬢。


 せいぜいこの喜劇を、楽しんでくれよ?

 私の最後の、晴れ舞台だ。


 王太子が、そばに控える従者から巻紙を受け取る。


「窃盗、放火、殺人、隣国三国との内通。

 貴様のやった悪事のすべてだ。

 証拠もたんまりとある」


 王太子が得意げだ。

 ざわめきが大きくなる。

 ――心地よい。


 くく。それで、すべてだと?

 全然足りないではないか。


 私がどれほどの悪党を、焼き尽くしたと思っている。

 流してやったそれは、ほんの一部だ。


 もう、自分で調べるだけの勢力も残っていないか。

 実に滑稽だ。


「それで?わたくしをどうなさるおつもりですか?」

「無論、貴様を捕え、処刑する。ダンストン公爵家は取り潰しだ」

「あら。王太子殿下に何の権限がありまして?」


 広間にどよめきが広がる。


 悪事を行った――事実だ。

 証拠がある――結構。


 だが王太子に権限などない。

 そこに国王陛下が、座っている限りは。


「ふざけるな!おい、衛兵!!」


 衛兵たちは戸惑っている。

 誰も動かない。

 ……ふふ。


 お前の手足は、念入りに削いだ。

 どこからか潜り込ませていた兵は、とっくに皆、焼き尽くしてある。


 ここでお前の味方をするものは、あとわずか。

 その手をとってきた、共犯者たち。

 さぁ、最後の仕上げだ。


「王太子殿下。婚約者にそのような言いがかり、いかがなものかと存じますが」

「貴様など婚約者なものか!」

「では、婚約は破棄なされると」

「当たり前だ!」


 ――――大変結構。


「お父さま」

「……確と聞いた」


 私の後ろから、ダンストン公爵その人が進み出て来た。

 改めて、オレウス国王陛下に目を向ける。


「国王陛下、王妃殿下」

「残念だが、認めよう」

「賭けは貴女の勝ちね。ローズティア」

「父上、母上、どういう……」

「貴様に母と呼ばれる謂れはない」


 ぴしゃりとアマンダ様が言い放った。

 場が凍り付く。


 くく。なんと高い賭けの支払いだろうか。

 王妃が、息子を、否定した。

 素晴らしい。


「は……え?」

「皆知っていたということだ。

 お前の正体も。

 これまでやってきたことも。

 そして貴様は、命綱を自ら断った」


 私との婚約があれば。それを何としても維持している間なら。

 後ろの貴族たちの中には、それを盾に介入する者がいただろう。

 大義名分がある以上、お父さまも、陛下も、強引な手は振るえない。


 しかしその糸を自ら切った以上、貴様を味方する理由は、この場の誰からもなくなった。

 王妃様の断言もあり、その命脈は完全に断たれた。

 お前はただの、賊のなれの果て。私と同じ、大罪人よ。


 ……これで心置きなく、宿願を果たせる。


 正直なところ。

 私が必死に邪魔しなければ、お前の逃げ道はあったろうな。


 隣国を呼び込んで、腐敗を拡大させ、間諜を跋扈させ。

 いずれかが実り、その王子の呪縛から逃れることができたろうよ。


 だが私の粘り勝ちだ。

 お前は私の炎に、炙り出された。

 どうしょうもなくなって、私を断罪しにかかるとは。滑稽だな?元婚約者殿。


 周りを、おろおろと見回した元王太子が。

 腰から剣を抜こうとし――。


 だが遅い。


 私は素早く駆け寄り、袖口から引きはがしたスライムを、そいつの顔に押し付けた。

 剣を叩き落とし。

 ありったけの怨念を、スライムから籠める。


 声も出せず、粘液の向こうで怨敵がもがく。


「こいつはハートスライム。人の思念や記憶を食って、その色や形を変える」


 簡単に窒息などしない。

 だが苦しかろう?

 スライムに包まれたその顔、実に愉快だ。


 両手に力が入らず、引き剥がすこともできず。

 全身をがくがくと震えさせて。

 少々刺激が強かったようだな。


「怖かろう?

 お前が燃えた夜の記憶は」


 押し付けた結構な量のスライムは。

 徐々に、その名も知らぬ男の肌を伝っていく。

 皮膚が焼け爛れ、焦げたようになっていく。


「その炎の中で、燃え続けるがいい!!」


 男が膝から、崩れ落ちる。


「王太子殿下!?」

「きゃあああああああああ!!」


 場が騒然とする。

 陛下が腰を浮かせかけたのを、手で制し。

 国王陛下と、王妃殿下と、お父さまに――私は笑いかけた。


 とても、晴れやかで穏やかな顔で笑えたと、そう思う。

 なぜなら――――ここからが、我が晴れ舞台。

 腹の底から笑わなくて、何とする。


 床を思いっきり踏み鳴らした。

 大きな音がなり、一瞬静寂が訪れる。


 ゆっくりと、貴族たちを振り返る。

 まだ……いる。

 私の顔より醜い、悍ましい悪党が。


「私は、ダンストン公爵令嬢にあらず」


 静かに、ハートスライムを剥ぎ棄てる。

 悲鳴が上がる。


「我が名はッ!火傷顔(フライフェイス)!!」


 嗚呼。お父さま。そのように悲しいお顔をなさらないで?

 どうかお祝いください。

 あなたの娘の、新たな門出を。


 この天を衝く、燃え盛る炎に、祝福を!!


「お前も!お前もッ!!お前もッ!!!」


 一人ひとり……腐った臭いのする奴らを見据える。


「この爛れた顔を忘れるなッ!!

 私の顔より!醜い悪事を働くならばッ!!」


 服の中に隠していた小瓶をいくつか開け、中身を床にぶちまける。


「地獄の底まで追いかけて!

 この火傷顔(フライフェイス)が、その魂を焼き尽くすッ!!

 炎の中から、いつでも見ているぞ!悪党ども!!

 フハハハハハハ!ハハハハハハハハハハ!!!!」


 床から濛々と煙が立ち上る。

 絨毯に撒いたそれは、布を食って煙を出すスライムだ。

 害はないが――視界を簡単に奪う。


 ほとんど何も見えぬ中、空になった瓶を投げる。

 バルコニーに出る窓が、次々と割れる。


「クソッ、窓から跳んだかっ!?

 追え!!」


 誰かが叫ぶ。

 兵士たちが、外に駆けだし、あるいは窓に駆け寄る。


 私はハートスライムを取り出し――被り。

 外套を受け取って、纏った。

 窓から離れ、広場の出口へ堂々と歩む。


 ……煙の中、床に転がり首にナイフを突き立てられている、名も知らぬ賊が見えた。

 王太子だった男は、これでもうどこにもいなくなったわけだな。


 ふふ。いつの間にやったのだ。鮮やかだこと。


「行きましょう」

「ええ」



  ◇  ◇  ◇ 



 馬車に乗って、便箋を読み、物思いに耽る。

 男が一人、乗り込んできて。

 扉が閉まり、ゆっくりと馬車が動き出した。


 街道を、北へ。


「始末はついたようで?」

「ええ。サラン兄さまが、あとは」

「そう。あの方、東西が落ち着いたから、戻ってこれたようですね。

 これで王国も今しばらくは安泰でしょう」


 サラン様はすでに、ご妻帯なされている。

 世継ぎもおり、第二王子のサラン様が王位につくなら大丈夫だ。


 それもあるから、奴は必死に暗躍していた、とも言える。

 隣国への対応に奔走されていたサラン様が、戻ってこられたら。

 すぐに王宮を追い出されていたろうからな。


「公爵家へのおとがめも特にありません」

「あってたまるものですか。あとは弟が何とかしてくれます。

 手筈通りです」


 もちろん私はすでに勘当されたことになっていて、放逐済みだ。

 王太子殿下を10年振り向かせられず、罪を重ね、婚約破棄された愚かな女として。


 王太子は狂った令嬢が害したとも、怪物が殺したともいわれ、情報が錯そうしている。

 そのうち、13年も前に亡くなっていたことが、公表されるだろう。

 王家……王妃殿下が、お認めになったのだから。


 きっと多くの悪事の、証拠と共に。


 これでやっと、彼は弔われる。


 便箋をたたみ、しまう。


「次はどこです?」

「北です。

 ラーライン侯爵領がきな臭い。

 奴らの手引きにも、関係していると見られます」


 目の前の男の瞳に、危険な光が宿る。


「あの事件は、まだ終わっていない。

 王都付近まで賊を送り込んだ者たちは、生きている」

「ええ。当分は仕事を続けることになりそうです」

「……ですが、一区切りです。

 ローズ、失礼を」

「ん……え、これは!?」


 頬に、何か当てられた。

 じくじくと疼く、あの痛みが、引いていく。

 まさか、それは全部燃えたのでは。


「先生のお宅にあったもの、ほんの少しですがずっと持っていたのです。

 あの夜以前に、ちょっとくすねまして」


 なんて王族だ。


「呆れた。それで?どういうつもりです?」

「お約束されたはずですよ。そのお顔を戻すことができたら――考えてくださると」


 ……本当に呆れた。


 こんなことをしても、もうあなたの兄に頬を染めた女は、いないというのに。

 あなたと穏やかに過ごしたローズティアは、どこにもいないというのに。

 もう幸福には戻れないのに、それでもいいと言うのだろうか。


 物好きな人。


「違います。『互いの顔を戻せる日が来たら』です。片手落ちです」

「そうでした。残念」


 わかってて言うのだから。存外、悪戯好きだな?さては。

 長い付き合いになったが……そういえば、知らないことの方が多い。


 私の王子様が、ようやく天に召されたのならば。

 私は私の共犯者に……向き合っても、いいだろう。

 ずいぶん、待たせてしまった。


「そもそも、わかっていながらなぜ、私を戻したのです。

 『火傷顔(フライフェイス)は』?」

「『二人で一つ』。誓いは、忘れていません」


 彼の残した紙片に従って、あの焼け跡で再会したとき。

 いくつか交わした、誓いの一つ。

 悪党を焼く(悪役)となり果てる、我ら二人の約束。


「……これでは私、わざわざ火傷顔を、作らなくてはならないのですけど。

 恰好つかないではないですか」

「ならばこれからしばらくは――僕の番です」

「フェルン」


 側妃の子とはいえ、王子。

 それに手を汚させるわけには、いかなかったのに。


 ……いや、もう遅いか。

 奴に止めを刺し。

 あなたは本当の意味で、我が共犯者になった。


 なって、しまった。


「咎めはしませんが、よかったのですか?」

「はい。我が兄と――我が愛しき人に地獄を見せた者に、復讐は成りました。

 ですが不思議です。まだあの炎が、消えない」


 フェルンが顔に張り付けていた、スライムを剥がす。

 私の普段していた顔くらいの、火傷。

 あの日、私を助けて、ついた傷。


 彼の誇り。


「フライフェイスなら、当然でしょう?」

「そう……ですね。いつか自分以外の人たちの、笑顔を取り戻すまで」


 この国は。

 小僧と小娘が10年悪党を殺したくらいでは、どうにもならない。

 周囲は敵国に囲まれているにも関わらず、貴族の腐敗は進む一方だ。


 平民はもっとひどい。苦しいとか、貧しいじゃない。

 犯罪者がのさばっている。法が機能していない。

 善良な人ほど、辛い目に遭っている。


 上が多少良くなったところで、それは変わらないだろう。

 それでも。


「ふふ。治ったというのに……この顔の下が疼く」

「それはいけない。悪党を焼いて――怪物を鎮めるとしましょう」

「ええ、燃え尽きるまで」

「はい。燃え尽きるまで」


 悪役の務め。見事果たして灰となり果てる、その時まで。

 我ら二人の旅路は、終わらない。



  ◇  ◇  ◇



 寓話・フライフェイスは特定の作者がなく、いくつかの話が混ざったものだと言われている。


 ────自分の顔を癒やすため、秘薬を求めるお人好しの話。

 ────弱きを助け、悪を挫く、火傷顔の夫婦の話。

 ────モンスターを従え、炎の先からやってくる、怪物の話。


 地方によりそれぞれで分かれていることもあれば、一つになっていることもある。

 一説には、すべて同じ人物の実話であるとも。

 寓話集をまとめるにあたって、一つにすべきか、分けるべきかは、大変悩ましかった。


 だがそれらと関わらず、はっきりと人々に長く伝わっているものがある。

 フライフェイスと言われて誰もが思い浮かべるだろう、悪事を諫める警句だ。

 あなたもきっと、聞いてことがあるはずだ。


 今もこの国では、悪戯っ子が叱られるとき、こう告げられる。


 人に言えない悪さをすると、燃える魔物に見つかるぞ。

 暖炉の炎の向こうから、歪んだ顔がいつも見ている。

 ほら、火の弾ける音に混じって。悪事を嘲笑(わら)う声がする。








────フハハハハハハハハハハハ…………

(後書き)

ご清覧ありがとうございます!

評価・ブクマ・感想・いいねいただけますと幸いです。


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たくさんのご評価、本当にありがとうございます!

なんと、総合・短編の日間ランキングの隅に載っております……。

とても励みになります。感謝御礼、申し上げます。


御礼に、つい次作・次々作を書いてしまった私を、お許しください。

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次作『火傷悪女、令嬢となりて、愛を燃やす』(復讐の悪女男性翻弄もの)もよろしければご覧くださいませ。

次々作完結編『火傷聖女、悪魔となりて、永劫に燃ゆ』(聖女革命もの)、7/24 7:00投稿です。

拙作『やり直したら悪役令嬢に攻略される乙女ゲーになりました。』(乙女ゲーベースの百合物)も連載中です。

ページ下部より、リンクを用意しております。

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