火傷令嬢、悪役となりて、恋と燃ゆる【炎の悪役令嬢―1―】
――――そうして薔薇の流した涙は恨みの余り、悪を焼く炎となったのです。
(フライフェイス寓話集:第四版 『怪物』の章より)
「ダンストン公爵令嬢、ローズティア・ヒーリズム。
わかっているな?」
――――嗚呼。長かった。
「なんのお話でしょう、ローンズ王太子殿下。
皆々様のご歓談を遮るほどの大事でしょうか」
国王陛下もいる。
王妃殿下もいる。
そして王太子たる彼の隣には、第三王子のフェルン様。
ここは新年を迎えたばかりの、オレウス王国、王宮の広間。
数多くの高等貴族が一堂に会す、この国の社交、その頂点の場。
この場所、この時を彼が選んだのは――私が逃げられないように、と考えたからか?
……ふふ。
このために備えてきた。
このために悪逆の限りを尽くしてきた。
10年。
否、13年。
私の雌伏の時が。
終わる。
少し瞠目し、長い時に――思いを馳せる。
◇ ◇ ◇
スライムというのは、不思議なものです。
モンスターの一種なのですが、人に対して敵意がありません。
食することもないのです。
種類がいろいろあって。
好みのもののみを食べるそうで。
机の上のそれは、私がいくらつつき回しても、私の指を食べることはありません。
人を好む……そういったものは、今発見されているのは、ただ二種。
一つはこの、ハートスライム。人の心や記憶を食み、色や形を変えるのです。
いろいろな使い方ができるそうで……いたずらに使っては、だめかしら。
もう一つは、最近先生が発見された、ヒールスライム。
人に限らないのですが、傷を好む、というよくわからない性質を持っています。
ただほとんど発見されておらず、今この先生の家にあるのが、全部だとか。
「ローズティア様。あまりつつき回さないでくださいませ」
革の装丁の分厚い本を片手にもった、背の高い男性。
柔らかな印象は、その大きな眼鏡のせいもあるかもしれません。
髪と髭が少し伸びがちで、だらしがないようにも見えますが――私は、いいと思うのです。
先生。コルトン先生。
ダンストン公爵家がお金を出して研究を支援している、学者の方です。
ハートスライムの様々な使い方を研究されていたのが、父の目に留まり、領に招かれました。
私は屋敷にほど近い、先生のお住まいにたびたびお邪魔しています。
その、正直申しまして。
このスライムの触り心地が、好きで。
「感触がよろしくて、つい。先生、お帰りなさい」
「留守を預かっていただいて、ありがとうございます。
変わりはありませんか?」
「はい……あ、今ありました」
先生の後ろから、ひょっこり顔を出したのは――二人の王子。
一人は、第三王子のフェルン様。側妃クレッタ様のお子様だ。
「ローズお姉さま、お邪魔します」
「わたくしのおうちではありませんわ、フェルン様」
そして。
彼の肩に手を置く、もう一人の……ローンズ王子。
先ごろ、12で社交の場にお披露目させていただいた折、見初めていただいて。
結婚の約束を、して、いただいた。
私の、王子様。
「でもいつもここにいるね、ローズティア」
◇ ◇ ◇
ダンストン公爵領は、王都からほど近いのです。
王子殿下はそれゆえか。それとも、その。
私に、会いたくてか。よく、遊びに来てくださいます。
とても柔らかな、御髪。
視線。
笑顔。
暖かい、日差しのような方。
先生のお宅の裏手。
なんとなく、そこに二人……とフェルン様を加え、三人。
お行儀がとても悪いのですけど、並んで地べたに座って。
今日は何か、本を何冊かお持ちのようです。
先生のところに来ると、いつもいろいろ読んでいらっしゃいます。
私もご一緒しているので、気にはなりませんが。
なりませんが……ひょっとして、ご本がお目当てで来られているのでしょうか。
少なくとも、フェルン様はそう見えます。すごい熱心に読んでおられる。
「新しいご本ですか?ローンズ様」
「そうだよ。先生や――ローズにいいと思って。
僕も、まだ読みかけなんだけど」
「あら……スライム以外の、モンスターの?」
辞典、のようです。
「スライムもだけどね。野生種の内容が新しくなったそうなんだ。
先生に少し見せたけど、感心されていた」
「他の方も、スライムに注目してらっしゃるのですね」
「王国には多いけど、他所の国にはほとんどいないらしいから。
とても注目されているんだよ」
ローンズ様が、また柔らかに……私に向かって、微笑まれる。
赤く、なりそうなのは、たぶん。日差しが少し、強いからで。
「せ、先生はとても、素晴らしい研究をなさってるのですね」
慌てて取り繕うように言うと。
「僕もそう思うよ。おかげで……ローズに会いに来る理由に事欠かない」
そう、応えれ、て。
覗き込まれますと、その。
青い瞳から、目が、逸らせません。
「ふ、フェルン様は何を……ふらい?」
表紙を見せてくださいましたが、なんでしょう。
「フライフェイス、です。
顔にやけどを負ってしまった方が、秘薬を探して旅するお話」
その。
挿絵がとても、真に迫った感じなのは、なぜでしょう。
「おもしろい、のですか?」
「はい。
いろんなところを旅しながら、薬を見つけて。
でも、自分より必要な人にって、毎回渡してしまうんです」
「えぇ~……」
「実話をもとにしているとも言われていてね。
出てくる秘薬の一つが……先生が見つけた、ヒールスライムに似ている」
「ほんとですの?ローンズ様」
「フェルンが読み終わったら、後で見せてもらうといいよ」
「は、はい」
そう言われると、気になってそわそわしてしまいます。
「ローズは何を読んでいるんだい?」
「これです」
表紙を見せる。
「かいぼうが……え。なんで」
お二人がこう、距離を、とったような?
はて。
「面白い、ですよ?解剖学。ローンズ様も読まれますか?」
「僕は遠慮しておこうかな~……」
「お兄さま、そこは無理してでも読みましょうよ」
……なんでお二人、苦笑いしておられるのでしょう。
お二人は、とても仲が良いです。
正妃と側妃の子、というのは、いろいろあると、思うのですが。
そういった壁を、まったく感じません。
第二王子のサラン様……ローンズ様の弟様も含め、三人、仲良しで。
サラン様はどちらかというとこう、体が動かすことがお好きなせいか。
当家にお越しになることは、あまりありませんが。
……この方たちが笑っていられる、平和な時間。
隣国とは、争いが続いていると言いますが。
この穏やかな時間が、ずっと続いてくれればいいと、そう思うのです。
それはあの黄金の日々が炎の彼方となってしまった、今でも変わらない。
あの日が続いていたらと、そのもしもを願ってやまない。
◇ ◇ ◇
その時の記憶は、あまりない。
「っああああああああああああああああああああああああ!!??」
焼けた鉄串で、顔を殴られた記憶。
叫ぶ私をごみのように見る、目。
倒れ伏し、動かない先生。
王子に、私の王子様に、止めを刺す、賊。
そして自分が何かを、掴んで投げたこと。
燃え盛る、炎。
誰かの、叫び。
そして――――
◇ ◇ ◇
賊はどうも、先生のスライムの噂を聞いて、やってきたようだった。
その場に偶然いた、私と王子殿下。
比較的無事だったのは、顔にひどい火傷を負った、私だけ。
先生はすでに亡くなっていた。
亡くなった上で、顔かたちも、わからないほど焼けて。
賊はそれなりの数がいたが、それも。ほとんど。
残り二人、全身が焼けていた人が残っていた。
二人とも、命が危うくて。
二人に、ヒールスライムが、使われたという。
焼け残った希少なスライムが、すべて。
一人だけが……息を吹き返した。
◇ ◇ ◇
王子殿下は、しばらく領で静養なされた。
傷自体は綺麗に消えており、そのお顔は綺麗になられていた。
滞在中。傷が痛み、衝撃が大きかったからか。
私をよく呼び、話し、時に触れた。
私はにこやかに応対し、しかし自身の体調を理由に、ほどほどの接触にとどめた。
…………触れられた後、部屋に戻って。
怖気と吐き気と、そして涙が止まらなかった。
そしてそのたびに。
自分の中に、顔を焼いたのとは別の炎が宿るのを感じた。
あいつは。
あいつは……ッ!
私のローンズ様では、ない!!
◇ ◇ ◇
王子殿下が、王都に帰られることになった。
ひと月ほど静養され、もう傷が痛むこともないようだ。
見送りには、ずいぶん人が、いた。
なぜみな、そいつをローンズ様と呼ぶの?
どうしてそんなに笑顔で見送るの?
お父さまも、お母さままで……。
馬車に乗る前。
そいつが私の手をとって。
恭しく、頭を垂れた。
「また来る。私のローズティア」
私は震えと怖気を、必死に抑えて。
「はい。王子殿下」
少し瞳が、潤んでいたかもしれない。
それを都合よく解釈したのか。
そいつは満足そうな笑顔で、馬車に乗って行った。
蛇のような、悍ましい笑顔だった。
◇ ◇ ◇
先生のお宅は、ほとんど燃えてしまった。
だが、ようやく心の整理がついた。やらなければならない。
私が。私しか、いないのだから。
誰もあいつを疑っていない。
誰も本当のローンズ様が亡くなったと、知らない。
お父さまやお母さまは……たぶん、頼れない。
私は子どもだ。
何の証拠もなければ、きっと戦えない。
いや、証拠程度で……どうにかなるものだろうか?
顔の火傷が、軋み、ひりつくように痛む。
焼け跡を探り、物を整理しつつ。
あの日の現場を、検める。
…………あった。
確かにあの時、ローンズ様を刺した、剣。
もうボロボロだけど。
でもこんなもの、あったところで。
あの日の何が、証明できるのだろう。
ローンズ様……。
その時ふと、周りを見渡したのは。
傷が痛んで、あの人がいない現実に、眼をそむけたくなったからだけれども。
私は後に、その幸運を天に感謝することになる。
炭と土の中に覗いていた、それ。
革の装丁の、一冊の、本。
表紙はだいぶ、傷んでいるけれど。
……中身は、読める。
これは先生の、研究を書き留めたものだ。
本を開き、中を読み進める。
ページをめくっていくと……一枚、何か紙が落ちた。
――――ッ。これ、は。
◇ ◇ ◇
私は領の視察に精力的に出た。
他領にも、場合よっては他国にも、縁あれば出かけるようにした。
顔は隠そうと思ったが……やめた。
お父さまとお母さまには、スライム探しだと言った。
ヒールスライムを探してみるのだ、と。
二人とも、私の顔の火傷を気にかけてくれていたから、認めてくださった。
だが本当の目的は違う。
先生の本には、悪戯では済まない、様々なことが書いてあった。
きっとそれが私の、武器になる。
そう、武器を集めるのだ。
この国に散らばる、様々なスライムを。
優しい二人を、頼れない。
戦うんだ。
胸の中の炎が、私を駆り立てる。
◇ ◇ ◇
私は15になった。
だが、王子殿下は私と婚姻するでもなく。
婚約を破棄するでもなく。
理由がまったくわからなかったが。
しばらくし、噂を聞いた。
王子殿下の、放蕩の。
それを聞いたとき、勘が働いた。
あいつは、王になるつもりはないのだ。
密かに私腹でも肥し、悪事でも働き、そのうち逃げるつもりなのだろう。
私との婚約は、ある種の命綱。
万が一ばれたとき、当時を知るダンストンに身の証を立てさせる……つまり、後ろ盾だ。
私はあの男に。
舐められている。
……許せない。
炎が、大きくなった。
◇ ◇ ◇
先生のお宅は、焼けた後、私が少しだけ直し、小屋のようになっている。
その外、壁に背を預け、地べたに座って。
あの時のように、本を読む。
何度も読み込み。
必要なものは調べ。
集め、書き足し。
備えた。
……あった。一度見過ごしていた、小さな記述。複数種の併用について。
あの男が、ローンズ様の顔を得ている理由。
誰かが、ハートスライムを同時に使ったのだ。そうしてあの男に、顔を与えた。
この件は、最初から誰かに仕組まれている。
誰が敵か、分からない。
慎重に、しかし目を引くように、動かなくてはなるまい。
頼れる者は、少ない。
味方は――この本に伝言を残した、その人だけ。
近づく、足音がする。
立ち上がる。
時間通りだ。
そちらは見ずに。
前を、向いて。
「いきましょう」
「ええ」
◇ ◇ ◇
建物の裏手から出て、通りを足早に歩く。
前から来た男と、すれ違う。
……懐の巻紙を一つ渡す。
そのまま、裏通りを行こうとし――
「お、おいあんた。今そっから出て来たよな?」
暗がりですぐ見えなかったが、何人か薄汚れた男たちがいる。
被っていたフードをとって。
懐のものをいくらか、投げてよこした。
「やるよ」
金貨が、石畳に散らばる。
先の建物――男爵の屋敷にあったものだ。
王国の一男爵が持てるようなものではない。
男たちは金貨に群がる。
私は裏通りを抜け、大通りまで出ると、懐の金貨をばらまきながら歩く。
「コンゴ男爵は税も払わず、金貨を貯め込んでいた!
そら拾え!
使ってしまえ!
これは皆の金だ!」
青年のような野太い声が響き渡る。
私は顔を見せながら大通りを歩き、騒ぎで人のいなくなった門を抜け、街を出た。
しばらく進み、林に入って外套を脱ぎ。
顔からそれを、剥がす。
髭面の下から、私の火傷顔が現れた。
剥がしたぬるりとしたそれは、懐から取り出した瓶にしまった。
欲しかった証文は、手に入った。
次だ。
◇ ◇ ◇
奴に呼び出されることがある。
こちらから行くこともあるが。
頻度はだいたい、月に一度だ。
…………茶会で控える侍従が、主催にしなだれかかっているとは、斬新だな。
「最近、あまり会いに来てくれないね?ローズティア」
「王子殿下がお忙しいようなので。申し訳ありません」
「君の方も、領の経営に携わってるそうじゃないか。さすがだね」
「恐れ入ります」
褒めるな。怖気が走る。素直にやめてほしい。
顔だけはにこやかに、茶番を続ける。
「せっかくだから……もっとこっちに寄らないかい?ローズティア」
両側に侍従を侍らせておいてか?
だがその者、ただの侍従ではないな。
肌の色からして……東の国の出身だ。
なるほど。
「それはまたの機会に」
「そうか、残念だ」
適度に茶番を続け、庭を辞する。
王宮の廊下に差し掛かったところで。
「次は東で」
「はい」
◇ ◇ ◇
裏口から出て、夜闇に紛れる。
……革とはいえ、鎧はさすがに少し重いな。着慣れない。
鎧や小手を脱ぎ、それに小瓶から出した一つスライムをつける。
少し離れてから、別の小瓶から色の違うスライムを取り出す。
これはあのとき、私が投げたものだ。
出て来た砦の方を振り返る。
…………遠く、少し光が煌めいた。
よし。
スライムを鎧に投げつける。
鎧が燃え上がる。革とはいえ、簡単には燃えないものだろうに。
炎が、私が薄く砦の中から引いて来ていた、スライムの線を渡っていく。
さて、離れよう。かなりの威力になるはずだ。
おっと、もう誰も見ていない。こいつもとっておかなくては。
顔から、ハートスライムを剥がす。
精悍な顔つきの兵士は、醜い火傷の女に戻った。
その日。小競り合いの絶えない隣国と国境の砦が、爆発し、跡形もなく吹っ飛んだ。
砦ばかりか、辺境伯の屋敷、街中のいくつかの倉庫も粉々になった。
倉庫からは……ご禁制の薬物が出て来たそうだ。
…………隣国は、なぜか攻めてくることもなかった。
◇ ◇ ◇
「…………これはどういうご了見でしょう」
夜会で席を外した折。
幾人かの令嬢に囲まれた。
「聡明なダンストン公爵令嬢ならお分かりではなくて?」
「ローンズ王太子殿下の婚約者ですもの」
「ご結婚はいつになるのでしょう?私、ドレスを新調したくて」
よく言う。
あれの侍らせている女どもの癖して。
……今あれをローンズ様と呼んだ女。
この国の令嬢ではないな。
「ご用件がないなら、失礼いたします」
「ちょっと待ちなさいよ!」「王太子様はあんたのモノじゃないのよ!?」
それを私に言うな。
するりと抜け、立ち去る。
木陰にそっと声をかける。
「あの令嬢」
「……西の国の者でしょう。調べます」
「頼みます」
◇ ◇ ◇
「お前、なぜ……」
腹に刺したナイフを抜き、隙だらけになった首を斬る。
返り血を私にたっぷりと浴びせ、そいつは倒れ伏した。
仲間だと思ってくれたか。楽ができてよかった。
「ッ!?きゃあああああああああああああああああ!!」
ん。見つかったか。
ご婦人の脇を抜け、通りに出る。
こちらを見ている幾人かの人間のうち――やはり出てきたな。
時間になっても来ないからと、様子を見に来たか。
そして私――同じ顔をしているこちらを見て、驚き、固まっている。
懐から、スライムの一つをそいつのいる地面に投げつける。
スライムは一気に広がり、石畳に浸透した。
地面が陥没し、その男は前のめりに転んだ。
すっと近づき。
首筋をナイフで、深く薙ぐ。
「ひ、人殺し!」
ナイフはそいつの反対の首に突き立てておき。
素早く人の間を抜けて行く。
裏の通りをいくつか抜けながら、外壁まで到達する。
……この街の外壁は、あまり高くも厚くもない。
スライムを投げつけると、壁は簡単に崩れ去った。
血染めの外套を外に投げ、別のスライムで火をつける。
そして私は顔のハートスライムを剥いで、元の顔へ。
……一人の男から、代わりの外套と小瓶を受け取る。
外套を纏い、小瓶を開け、少し待つ。
兵士が二人、やってきた。
崩れた壁、燃える炎のあたりを見ている。
少し外れたところに立っているこちらには、気づいてもいない。
「おい、こっちだ!」
「いたか!?外か!人を呼べ、山狩りだ!!」
…………いた。こいつだ。
再びハートスライムを被り。
今度は老婆の顔へ。
「……失礼」
仲間が人を呼びに行ったので、一人になったその兵士の口に。
小瓶から出していたスライムを押し込む。
こいつは単純に、水分を食う。
唯一、直接人に害する可能性のあるスライムだ。
声も出せず、男は乾いて、果てた。
掃除は、これで終わりだ。
だがまだだ。
まだ私の炎は、消えない。
◇ ◇ ◇
私は23になった。
ふふ。とっくに行き遅れだ。
だがそれ以上に我慢ならないのは。
…………回り道ばかりしている。
もう10年も、経ってしまった。
やつは放蕩の裏で、地盤を固めようとしていた。
それを邪魔しつつ、国内の掃除をするので手一杯だ。
盗み。燃やし。殺し。
私も随分、悪事に馴染んできたものだ。
表向きは、公爵令嬢……貴族の端くれとしての活動を続けている。
国内を、国外を周り、領の発展に貢献し。
言い訳としては、なかなか結婚してくれない王子に認めていただくため、であるが。
……我ながら、吐き気のする言い訳だ。
そんな私を見かねたのか。
王宮に、呼び出された。
王妃殿下との、お茶会だ。
…………一対一での。
アマンダ王妃殿下。
食えないお方だ。
この方は正妃。王子殿下――否。王太子となられた殿下の、お母上。
実の息子のこと、気づかぬわけもあるまいに。
10年も放っておくとは、何か意図があったのだろうが。
中庭で、差し向かい、茶を飲みながら当たり障りのない会話を続ける。
「ときにローズティア。最近、よからぬ噂をいくつか、耳にするのです」
…………来たな。
「噂、とは。何でございましょう」
「我が国の王太子。やはり以前とは別人のようなって……何かあったのでは、と」
「王太子殿下が、でございますか」
「ええ。婚約者として……何か思うところはありませんか?ローズティア」
視線の意味するところが、読めない。
「王太子殿下はお優しくも、未だ火傷女と結婚の約束を交わしてくださっています。
変わりなく、と思いますが」
「本人とはあまり会っていないようですが」
「お忙しいようですので。月に一度は、お会いしております」
動向を伺うためにな。
「そうですか。ですがそろそろ、陛下もお年。
あなたを迎え、次代を、と考えていますが――ローズティア」
「はい」
だろうな……時間をかけ過ぎたか。
奴が炙り出されてくれると思ったが。
「あなたは覚えもよく、妃としての教養、作法の習得は十分です。
しかし。派手に何かしていると、そう聞いていますよ?」
「次代の王国のため。また当公爵家のため。
駆けずり回っている次第でございます」
「ものは言い様ですね。
ローズティア。一つ、提案です」
嘘は言ってないわけだが……把握、されているか。
無理なからんな。
「なんでございましょう、アマンダ様」
「我々は、王太子を王にするつもりです。
この国の習わしとして、それには正妃が必要です」
「はい、承知しております」
「あなたが正妃とならなかったら。
あなたの話を、聞きましょう」
これ、は。
「婚姻が成れば。妃としてのふるまいをせよ、と」
「そうです」
すべてお見通し、か。
小娘がしてきたことなど、この程度か。
だが、私の炎が言っている。
奴を必ず、地獄に突き落とせと。
他のすべてを、引き換えにしてでも。
「承知いたしました。王妃殿下」
自分でも。
花のように笑えたと思う。
きっとその花には。
棘どころか、毒がある。
もうなりふりは、構ってられない。
◇ ◇ ◇
私は焦っていた。
ああ言ったものの……決め手がない。
周囲は承知の上で、あいつを王太子にしている。
あいつはそれをある程度知悉した上で、のさばっている。
正面からは、突き崩せない。
おそらく唯一の手は、アマンダ様の、提案。
多数の貴族が絡むゆえの、苦肉の策というところか?
政治の領域となると、簡単には手が出せない。
そのためには……やはり奴を炙り出すしかない。
邪魔をし、こちらを排除するよう、動かすのだ。
動かざるを得ない状況に、仕向けてやる。
手の者を殺し。
繋がりのあるところを燃やし。
犯罪の証拠をばらまき。
だが、効果があるのかは……実感が湧かない。
なぜだ。確かに追い詰めているはずなのに。
奴の周囲の勢力は、確かに削っている。
なら、何だ。
他に……まさか奴にも、仲間が?
あり得るとすれば……。
黙考しつつ、林の間を駆ける。
先の仕事で、スライムのほとんどは使い切った。
今日は引き上げ、また次に――――
咄嗟に抜いたナイフが、剣閃を受け止めた。
「おー。奴の言う通りだ。
こそこそしてるネズミが、おびき出されやがった」
ッ。こっちが罠にかかってたか!
切り払う。
間合いを取られた。
ナイフをちらつかせ、振るいながら、死角から蹴りを放つ。
足に、そして手元に向かうように見せかけ――大胆にこめかみを打ち抜く。
「ぐぉっ!?」
よろめくそいつに、姿勢を低くして迫る。
――っ、なんだ、今の。目、が。
迫る銀の光に、ナイフを、合わせ。
短剣が弾き飛ばされた。
くっ、地面を、砂を蹴ったか。目に入ったッ。
「生け捕りって言われてるから、なッ!」
こめかみに拳が刺さった。
体重を乗せて振り抜かれ、倒れる。
ぐ……油断した。
もたついている間に、馬乗りになられる。
拳が、二度。
剣の柄が、三度顔面を叩いた。
……これは、ひどい顔に、なっていそうだな。
身が震える。気持ちが悪い。いくらか、骨が折れてるようだ。
鼻、喉奥にひどい違和感があって――相応の流血もしていそうだ。
おのれ。この身のこなし、奴が賊の頃の仲間、だな。
朦朧とする……思考が、安定しない。
まだ、敗れる、わけには……。
「くそっ、いって……なにもんだよまったく。
何年も手こずらせてくれやがって……お?
こいつ女か。
しかもなんだ、顔隠してやがんのか?
へっへ。じゃあご尊顔を拝見してやるか」
ああ、やめろ。
見るな。剥がすな。
ローンズ様――――
「うげぇ、なんだこりゃ火傷か!?
けっ。萎えちまった」
やけ、ど。
わたしの、ほのお。
もう思い出せないローンズ様のお顔が――炎の向こうに消えて行く。
「ダメなんだよなぁ。火かき棒でぶん殴ったガキを思い出してよ。
うるせぇし、なんか投げたと思ったら爆発するし。
さんざんな目に…………なんだその目は」
私の震えが、止まる。
目。
私をごみのように見る、目。
お前か。
「気に食わね――おごっ!?」
体が勝手に、動いた。
私の右手が、顔から剝がれかけのスライムを引き剝がし。
拳にまとって――そいつの口の中に押し込んだ。
拳の先が、燃えるように熱くなる。
スライムは意外に強靭だ。こうされると、かみ砕くこともできない。
そしてハートスライムは、記憶を食って姿や色を変える。
もし変えた状態で、他の者に触れていたら。
私の怨念を、拳に張り付いたスライムに籠める。
「あがあああああああああああああああああああああああああ!?」
あの時の私よりも大きく、浅ましく、男の叫びが上がる。
見えるだろう、私の目の奥に。
お前を覗く、この瞳の向こうに。
あの夜の業火が!
全身を震わせ、力が抜けたそいつの口から、手を抜く。
意識は失っていないものの、両手はだらんとさがり、膝を折って動けないようだ。
私は立ち上がり、そいつを見下ろす。
「私の誇りを……この火傷を笑ったな?」
スライムを、もう一つ剥がす。
普段の火傷跡は、ハートスライムでマシな状態にした顔だ。
これが本当の、私。
「ひいぃっっ」
この顔が悍ましいか。恐ろしいか。そうだろう。
しかし怯えるその顔の、なんと滑稽なことか。
「ククク……フフフフ」
笑いが、こみ上げる。
「フハハハハハハハハハハハハハハ!
私が何者かと聞いたな!教えてやろう!」
あの黄金の時が。
私の愛しい日々が、燃えていく。
炎の向こうから、新たな私が現れる。
「私はッ!火傷顔!!」
両手を広げ。
天を向いて。
「この顔より醜い悪党を焼き尽くす!
炎の化け物だッ!!」
その炎は復讐のそれではない。
これは命。私の生命。私の生き様。
あの夜から10年の時を経て。
今生まれた、新たな怪物の命だ!!
恐怖の前に、男が意識を失い、崩れ落ちる。
嗚呼、嗚呼。
なんと滑稽で、なんと面白い!
生きる喜びを、実感する!!
「アハハハハハハハハハ!!
ハハハハハハハハハハ!!!!」
◇ ◇ ◇
記憶の底から戻り。
目を、開く。
私は今、25。
長かったが……あと、一息だ。
結局最後は、両親に泣きつくことになった。
情けない話だが……二人は最初から、私の味方だった。
私だけが、何もわかっていなかった。
公爵家から婚約解消の話を打診しなかったのは。
つまり、私の好きなようにさせてくれていたのだ。
私のやっていたことは、ずっと何もかも、バレバレだったようだ。
ふふ。
確かに私も、さして隠す気はなかった。
少し露骨に、家の役に立ちすぎたかもしれないな。
悪党どもが減ったおかげか、お父さまも最近は少し動きやすいようだ。
そうして動いてくれたお父さまのおかげで。
きっと、今日がある。
こうして直接対決に及んだということは。
奴はもう、手札がないのだろう。
我々が撒いた藁を、掴むほどに。
「とぼけるつもりか、ローズティア」
呼ばれ、王太子に向き直る。
貴様に名を呼ばれる筋合いはないのだがな、怖気が走る。
否、その筋合い。まもなく消し去ってくれよう。
「はっきり仰ってくださいまし、王太子殿下」
少し、ざわつき始めた。
長年、よからぬ噂が立ち続けた、王太子とその婚約者の対峙だ。
無理もないだろう。
国王陛下がお若いとはいえ、成人から10年……結婚もせず、王位にもつかなかった王太子と。
顔に醜い火傷の跡があり、黒い噂の絶えない公爵令嬢。
せいぜいこの喜劇を、楽しんでくれよ?
私の最後の、晴れ舞台だ。
王太子が、そばに控える従者から巻紙を受け取る。
「窃盗、放火、殺人、隣国三国との内通。
貴様のやった悪事のすべてだ。
証拠もたんまりとある」
王太子が得意げだ。
ざわめきが大きくなる。
――心地よい。
くく。それで、すべてだと?
全然足りないではないか。
私がどれほどの悪党を、焼き尽くしたと思っている。
流してやったそれは、ほんの一部だ。
もう、自分で調べるだけの勢力も残っていないか。
実に滑稽だ。
「それで?わたくしをどうなさるおつもりですか?」
「無論、貴様を捕え、処刑する。ダンストン公爵家は取り潰しだ」
「あら。王太子殿下に何の権限がありまして?」
広間にどよめきが広がる。
悪事を行った――事実だ。
証拠がある――結構。
だが王太子に権限などない。
そこに国王陛下が、座っている限りは。
「ふざけるな!おい、衛兵!!」
衛兵たちは戸惑っている。
誰も動かない。
……ふふ。
お前の手足は、念入りに削いだ。
どこからか潜り込ませていた兵は、とっくに皆、焼き尽くしてある。
ここでお前の味方をするものは、あとわずか。
その手をとってきた、共犯者たち。
さぁ、最後の仕上げだ。
「王太子殿下。婚約者にそのような言いがかり、いかがなものかと存じますが」
「貴様など婚約者なものか!」
「では、婚約は破棄なされると」
「当たり前だ!」
――――大変結構。
「お父さま」
「……確と聞いた」
私の後ろから、ダンストン公爵その人が進み出て来た。
改めて、オレウス国王陛下に目を向ける。
「国王陛下、王妃殿下」
「残念だが、認めよう」
「賭けは貴女の勝ちね。ローズティア」
「父上、母上、どういう……」
「貴様に母と呼ばれる謂れはない」
ぴしゃりとアマンダ様が言い放った。
場が凍り付く。
くく。なんと高い賭けの支払いだろうか。
王妃が、息子を、否定した。
素晴らしい。
「は……え?」
「皆知っていたということだ。
お前の正体も。
これまでやってきたことも。
そして貴様は、命綱を自ら断った」
私との婚約があれば。それを何としても維持している間なら。
後ろの貴族たちの中には、それを盾に介入する者がいただろう。
大義名分がある以上、お父さまも、陛下も、強引な手は振るえない。
しかしその糸を自ら切った以上、貴様を味方する理由は、この場の誰からもなくなった。
王妃様の断言もあり、その命脈は完全に断たれた。
お前はただの、賊のなれの果て。私と同じ、大罪人よ。
……これで心置きなく、宿願を果たせる。
正直なところ。
私が必死に邪魔しなければ、お前の逃げ道はあったろうな。
隣国を呼び込んで、腐敗を拡大させ、間諜を跋扈させ。
いずれかが実り、その王子の呪縛から逃れることができたろうよ。
だが私の粘り勝ちだ。
お前は私の炎に、炙り出された。
どうしょうもなくなって、私を断罪しにかかるとは。滑稽だな?元婚約者殿。
周りを、おろおろと見回した元王太子が。
腰から剣を抜こうとし――。
だが遅い。
私は素早く駆け寄り、袖口から引きはがしたスライムを、そいつの顔に押し付けた。
剣を叩き落とし。
ありったけの怨念を、スライムから籠める。
声も出せず、粘液の向こうで怨敵がもがく。
「こいつはハートスライム。人の思念や記憶を食って、その色や形を変える」
簡単に窒息などしない。
だが苦しかろう?
スライムに包まれたその顔、実に愉快だ。
両手に力が入らず、引き剥がすこともできず。
全身をがくがくと震えさせて。
少々刺激が強かったようだな。
「怖かろう?
お前が燃えた夜の記憶は」
押し付けた結構な量のスライムは。
徐々に、その名も知らぬ男の肌を伝っていく。
皮膚が焼け爛れ、焦げたようになっていく。
「その炎の中で、燃え続けるがいい!!」
男が膝から、崩れ落ちる。
「王太子殿下!?」
「きゃあああああああああ!!」
場が騒然とする。
陛下が腰を浮かせかけたのを、手で制し。
国王陛下と、王妃殿下と、お父さまに――私は笑いかけた。
とても、晴れやかで穏やかな顔で笑えたと、そう思う。
なぜなら――――ここからが、我が晴れ舞台。
腹の底から笑わなくて、何とする。
床を思いっきり踏み鳴らした。
大きな音がなり、一瞬静寂が訪れる。
ゆっくりと、貴族たちを振り返る。
まだ……いる。
私の顔より醜い、悍ましい悪党が。
「私は、ダンストン公爵令嬢にあらず」
静かに、ハートスライムを剥ぎ棄てる。
悲鳴が上がる。
「我が名はッ!火傷顔!!」
嗚呼。お父さま。そのように悲しいお顔をなさらないで?
どうかお祝いください。
あなたの娘の、新たな門出を。
この天を衝く、燃え盛る炎に、祝福を!!
「お前も!お前もッ!!お前もッ!!!」
一人ひとり……腐った臭いのする奴らを見据える。
「この爛れた顔を忘れるなッ!!
私の顔より!醜い悪事を働くならばッ!!」
服の中に隠していた小瓶をいくつか開け、中身を床にぶちまける。
「地獄の底まで追いかけて!
この火傷顔が、その魂を焼き尽くすッ!!
炎の中から、いつでも見ているぞ!悪党ども!!
フハハハハハハ!ハハハハハハハハハハ!!!!」
床から濛々と煙が立ち上る。
絨毯に撒いたそれは、布を食って煙を出すスライムだ。
害はないが――視界を簡単に奪う。
ほとんど何も見えぬ中、空になった瓶を投げる。
バルコニーに出る窓が、次々と割れる。
「クソッ、窓から跳んだかっ!?
追え!!」
誰かが叫ぶ。
兵士たちが、外に駆けだし、あるいは窓に駆け寄る。
私はハートスライムを取り出し――被り。
外套を受け取って、纏った。
窓から離れ、広場の出口へ堂々と歩む。
……煙の中、床に転がり首にナイフを突き立てられている、名も知らぬ賊が見えた。
王太子だった男は、これでもうどこにもいなくなったわけだな。
ふふ。いつの間にやったのだ。鮮やかだこと。
「行きましょう」
「ええ」
◇ ◇ ◇
馬車に乗って、便箋を読み、物思いに耽る。
男が一人、乗り込んできて。
扉が閉まり、ゆっくりと馬車が動き出した。
街道を、北へ。
「始末はついたようで?」
「ええ。サラン兄さまが、あとは」
「そう。あの方、東西が落ち着いたから、戻ってこれたようですね。
これで王国も今しばらくは安泰でしょう」
サラン様はすでに、ご妻帯なされている。
世継ぎもおり、第二王子のサラン様が王位につくなら大丈夫だ。
それもあるから、奴は必死に暗躍していた、とも言える。
隣国への対応に奔走されていたサラン様が、戻ってこられたら。
すぐに王宮を追い出されていたろうからな。
「公爵家へのおとがめも特にありません」
「あってたまるものですか。あとは弟が何とかしてくれます。
手筈通りです」
もちろん私はすでに勘当されたことになっていて、放逐済みだ。
王太子殿下を10年振り向かせられず、罪を重ね、婚約破棄された愚かな女として。
王太子は狂った令嬢が害したとも、怪物が殺したともいわれ、情報が錯そうしている。
そのうち、13年も前に亡くなっていたことが、公表されるだろう。
王家……王妃殿下が、お認めになったのだから。
きっと多くの悪事の、証拠と共に。
これでやっと、彼は弔われる。
便箋をたたみ、しまう。
「次はどこです?」
「北です。
ラーライン侯爵領がきな臭い。
奴らの手引きにも、関係していると見られます」
目の前の男の瞳に、危険な光が宿る。
「あの事件は、まだ終わっていない。
王都付近まで賊を送り込んだ者たちは、生きている」
「ええ。当分は仕事を続けることになりそうです」
「……ですが、一区切りです。
ローズ、失礼を」
「ん……え、これは!?」
頬に、何か当てられた。
じくじくと疼く、あの痛みが、引いていく。
まさか、それは全部燃えたのでは。
「先生のお宅にあったもの、ほんの少しですがずっと持っていたのです。
あの夜以前に、ちょっとくすねまして」
なんて王族だ。
「呆れた。それで?どういうつもりです?」
「お約束されたはずですよ。そのお顔を戻すことができたら――考えてくださると」
……本当に呆れた。
こんなことをしても、もうあなたの兄に頬を染めた女は、いないというのに。
あなたと穏やかに過ごしたローズティアは、どこにもいないというのに。
もう幸福には戻れないのに、それでもいいと言うのだろうか。
物好きな人。
「違います。『互いの顔を戻せる日が来たら』です。片手落ちです」
「そうでした。残念」
わかってて言うのだから。存外、悪戯好きだな?さては。
長い付き合いになったが……そういえば、知らないことの方が多い。
私の王子様が、ようやく天に召されたのならば。
私は私の共犯者に……向き合っても、いいだろう。
ずいぶん、待たせてしまった。
「そもそも、わかっていながらなぜ、私を戻したのです。
『火傷顔は』?」
「『二人で一つ』。誓いは、忘れていません」
彼の残した紙片に従って、あの焼け跡で再会したとき。
いくつか交わした、誓いの一つ。
悪党を焼く炎となり果てる、我ら二人の約束。
「……これでは私、わざわざ火傷顔を、作らなくてはならないのですけど。
恰好つかないではないですか」
「ならばこれからしばらくは――僕の番です」
「フェルン」
側妃の子とはいえ、王子。
それに手を汚させるわけには、いかなかったのに。
……いや、もう遅いか。
奴に止めを刺し。
あなたは本当の意味で、我が共犯者になった。
なって、しまった。
「咎めはしませんが、よかったのですか?」
「はい。我が兄と――我が愛しき人に地獄を見せた者に、復讐は成りました。
ですが不思議です。まだあの炎が、消えない」
フェルンが顔に張り付けていた、スライムを剥がす。
私の普段していた顔くらいの、火傷。
あの日、私を助けて、ついた傷。
彼の誇り。
「フライフェイスなら、当然でしょう?」
「そう……ですね。いつか自分以外の人たちの、笑顔を取り戻すまで」
この国は。
小僧と小娘が10年悪党を殺したくらいでは、どうにもならない。
周囲は敵国に囲まれているにも関わらず、貴族の腐敗は進む一方だ。
平民はもっとひどい。苦しいとか、貧しいじゃない。
犯罪者がのさばっている。法が機能していない。
善良な人ほど、辛い目に遭っている。
上が多少良くなったところで、それは変わらないだろう。
それでも。
「ふふ。治ったというのに……この顔の下が疼く」
「それはいけない。悪党を焼いて――怪物を鎮めるとしましょう」
「ええ、燃え尽きるまで」
「はい。燃え尽きるまで」
悪役の務め。見事果たして灰となり果てる、その時まで。
我ら二人の旅路は、終わらない。
◇ ◇ ◇
寓話・フライフェイスは特定の作者がなく、いくつかの話が混ざったものだと言われている。
────自分の顔を癒やすため、秘薬を求めるお人好しの話。
────弱きを助け、悪を挫く、火傷顔の夫婦の話。
────モンスターを従え、炎の先からやってくる、怪物の話。
地方によりそれぞれで分かれていることもあれば、一つになっていることもある。
一説には、すべて同じ人物の実話であるとも。
寓話集をまとめるにあたって、一つにすべきか、分けるべきかは、大変悩ましかった。
だがそれらと関わらず、はっきりと人々に長く伝わっているものがある。
フライフェイスと言われて誰もが思い浮かべるだろう、悪事を諫める警句だ。
あなたもきっと、聞いてことがあるはずだ。
今もこの国では、悪戯っ子が叱られるとき、こう告げられる。
人に言えない悪さをすると、燃える魔物に見つかるぞ。
暖炉の炎の向こうから、歪んだ顔がいつも見ている。
ほら、火の弾ける音に混じって。悪事を嘲笑う声がする。
────フハハハハハハハハハハハ…………
(後書き)
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なんと、総合・短編の日間ランキングの隅に載っております……。
とても励みになります。感謝御礼、申し上げます。
御礼に、つい次作・次々作を書いてしまった私を、お許しください。
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次作『火傷悪女、令嬢となりて、愛を燃やす』(復讐の悪女男性翻弄もの)もよろしければご覧くださいませ。
次々作完結編『火傷聖女、悪魔となりて、永劫に燃ゆ』(聖女革命もの)、7/24 7:00投稿です。
拙作『やり直したら悪役令嬢に攻略される乙女ゲーになりました。』(乙女ゲーベースの百合物)も連載中です。
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