第7章 ただ一緒にいたかった思い
そして、和解してから僅か半月後、ノーランとレイラは結婚の約束をした。
しかしそれを知っているのはバートランドとローザ、そして三年女子Aクラスの中の才女軍団の四人のみで、家族にすら教えなかった。
いつものランチにはノーランとレイラとバートランド、そして才女軍団のメンバーの誰か一人が一緒にいたので、彼らの関係に変化があったことに、気付く者はいなかった。
しかしもし彼らに近付けたならばその変化に気付いたことだろう。
何故なら彼らの話している内容が、それまでの貴族らしい優雅で表面的な会話ではなくて、もっと学問的なことや、政治や社会情勢、女性の社会進出などの難しい内容だったからだ。
それにしてもどうしてノーランとレイラの関係を秘密にしたのかというと、レイラを大きな魔の手から守るためだった。
本当は、時間をかけてゆっくりとやり直しをしようと二人は思っていた。
わかり合えるまでに、かなりの齟齬が生まれていたから、それを少しずつ解きほぐしていきたかったからだ。
しかしその日のうちに彼らは、バートランドにこう言われてしまったのだ。
「君達にはのんびりとやり直している暇などない。さっさと婚約しろ!」
と。
二人は気付かなかったが、なんと、レイラは以前から巨大な敵の標的にされていたというのだ。
バートランドがずっと何かを言いたげだったのはそのことだった。
あの日の理科準備室でのことは、本当に偶然の出来事だった。たまたまその前日、馬術教師のマントンが起こしたストーカー事件の話が引き金になった、偶発的な流れの結果だったのだ。
しかし、卒業まで後三か月を切っていたので、こうなったら強制的に二人の心の内をバラしてしまおうか。バートランドとその婚約者であるローゼはそう考え始めていたところだったのだ。
何故なら学園を卒業したら、レイラには断りきれない相手から婚約の申込みが来ることが、前々からわかっていたからだ。
バートランからその巨大な敵の正体を聞かされたレイラとノーラン、そして三年女子Aクラスの才女軍団四人は唖然とした。
というのもその人物は彼らがよく知っている同級生で、しかも既に立派な婚約者がいたからであった。
その意外な人物とはなんとこの国の第二王子でもあるクライス殿下だった。
確かにまだ子供の頃は、レイラもそのクライス殿下の婚約者候補に名を連ねていた。彼女は高位貴族である侯爵家の娘であり、王子と同じ年だったのだから、それは必然だっただろう。
しかしレイラは殿下に選ばれることはなかった。クライス王子の好みのタイプは、華やかな愛らしい少女だったからだ。
それに比べて当時のレイラはまるで少年のように、スッとした精悍ともいえる容姿をしていたのだ。
しかも他の少女達のように王子に甘えたり褒めそやすこともなく、ただ離れた場所で面倒くさそうにしていただけだったのだから。
それでもその当時のレイラとしては、最低限の令嬢の振りをして、粗相をしなかっただけでも自分を褒めてやりたい気分だった。
侯爵家の余り物だと家族のみならず親類や使用人達からも見下されていたレイラは、七人兄弟の歳の離れた末っ子だった。
年がいってから産んだことを恥じる両親からは無視され、兄や姉達からも相手にされずに放任されて育っていたのだから。
それなのにレイラが十歳になった時、たまたま第二王子と同い年だというだけで婚約者候補になると、家族はそれはもう大喜びだった。
そして慌てて一流の家庭教師を雇い入れて、遅過ぎる貴族としての教育を施し始めたのだ。
たまたまレイラが優秀だったおかげで、彼女は短期間で最低限の貴族令嬢の振る舞いができるようになったのだが、もしそうでなかったら、侯爵家は貴族社会で笑いものになっていたに違いない。
ところがその二年後、クライス王子の鶴の一声で別の侯爵家の令嬢が婚約者に決定すると、またもや家族のレイラへの態度は以前と変わらないものに戻った。
いや、一度期待を持った分、その反動でさらに冷たい対応をするようになった。全く勝手な連中だった。
そんな家族に絶えず虐げられていたレイラに、いつも寄り添い庇ってくれていたのが、隣の領地に住むカーティエ伯爵家の嫡男であるノーランだったのだ。
父親同士が親友だったということは、ノーランも父親の恥かきっ子なのかというと、彼の立場はレイラとは違っていた。
というのも、ノーランの父親であるカーティエ伯爵は最初の結婚で二人の娘をもうけたが、早くに妻を亡くし、その後愛情を込めてその娘達を育てた愛情深い人物だった。
そして、その娘達の後押しで後添えにした二番目の若い妻から生まれたのが、末っ子長男ノーランだったのだ。
既に想い人がいて嫁に行きたかった二人の姉は、両親よりもむしろ弟の誕生を喜んだ。そんな環境だったので、ノーランは家族からとても愛されて育ったのだった。
だからこそ彼は、家族に放置され、使用人にさえ無視されているレイラのことを見過ごせなかったのだ。そう。最初は同情だった。
それでもレイラはノーランに優しくしてもらって嬉しかったのだ。
それまでは身の置き所がなかったホームパーティーの時も、ノーランが側にいてくれることで、居場所ができたからである。
それまでは手に取ることができなかったデザートやジュースも、取ってきてもらうことでようやく口にすることができるようになった。
嫌味を言ったり、悪戯をしかけようとしてくる子供達からも庇ってもらえるようになった。
しかしなんといってもレイラが一番嬉しかったのは、ノーランが彼女のことを否定しなかったことだ。
幼少期に最低限の読み書き程度でろくな教育をされずに放置されていたレイラは、書物だけで知識を得ていった。
そのせいで彼女は一般的な貴族令嬢とは違う独特の感覚をしていた。そして何でも自分の判断で決めるという、妙に大人っぽい子供だった。
そのことでよく生意気だと叱られたり、変わり者だと貶されたりと、周りの人間から否定されてばかりいたのだが、ノーランだけは違っていた。
「へぇー、君はそんな風に思うんだ。俺とは違う。だけど面白いね。色々な考え方があるって」
いつだってノーランは、たとえ彼の考えとは違っていてもレイラの考えを否定することはしなかった。ありのままの彼女を受け入れてくれた。レイラはそれが何よりも嬉しかった。
だからたとえノーランが自分のことを弟分のように思っていたとしても、彼が側にいてくれるだけで幸せだった。
ところが、レイラが第二王子の婚約者候補になった頃から、二人の関係は少しずつ変わって行った。
女の子は男の子より精神的な成長が早いというが、レイラ達も恐らくその例に漏れなかったのだろう。
婚約、結婚ということが現実的なものとして捉えられるようになってきたレイラはこう思った。
自分が王子の婚約者に選ばれる可能性はまずありえない。自分は王子がいつも口にする好みのタイプとはまるで違うのだから。
でも王子妃候補として学ぶことは、決して無駄にはならないはずだ。
将来ノーランが伯爵位を継いだ時に、少しでも自分が彼の役に立てるように頑張ろう!と前向きに考えたのだ。
それに両親は今はレイラを王子妃にしようなどと無謀な夢を抱いているが、やがて目が覚めるだろう。
そして以前の計画を思い出すだろう。出来損ないの末娘を、親友の跡取り息子の元に無理にでもねじ込んでやろうと。
両親がそう話をしているのを偶然に聞いてしまった時、レイラはノーラン並びにカーティエ伯爵夫妻にとても申し訳なく感じた。
それでもノーランと結婚できたらどんなに幸せだろう……とそうレイラは思った。
どうせ自分が王子の婚約者になど選ばれるはずがないのだから、きっとノーランと結婚できるに違いない。レイラは単純にもそう思ったのだった。
そしてそんなことをレイラが考えているとは露にも思っていなかったノーランは、まるで魔法でもかけられたかのように、ほんのわずかの間に変わってしまったレイラに本当に戸惑っていた。
守ってやるべき弟から親友になったと思っていたレイラが、今度は突如として姉達のように上品な淑女として振る舞うようになったからだ。言葉も仕草も。
その上、話す内容も段々難しいものになっていった。
勉強をさぼって剣術や馬術ばかり励んでいたノーランは焦った。彼女の話が時々理解できなくなっていたからだ。
しかしノーランは、お話に出てくるようなプライドだけ高い馬鹿ではなかったので、レイラとの関係を続けたくて、その後は座学にも力を注ぐようになっていった。
本人にはまだ自覚はなかったのだが、この頃既にノーランは、レイラとずっと一緒にいたいと思っていたのだろう。
そして二人の関係がただ一方的に庇い守る関係よりも、お互いに切磋琢磨する関係の方がいいな、となんとなく感じるようになっていたに違いなかった。
読んで下さってありがとうございました!