第2章 苦痛なランチタイム
そして卒業まであと三か月となったその日、レイラが連れて来たのは一学年下の伯爵令嬢であるカーラ嬢だった。
落ち着いた焦げ茶色のふわっとした髪に薄茶色の大きな瞳、色白の肌をピンク色に染めて、ぽっちゃりした小さな唇をしている。
まさしくそれはかつてノーランの理想としていた少女でとても愛らしかった。
話をしてみると明るくて素直で、思わず守ってあげたくなるタイプだった。つまりかつての彼であったらどストライクのタイプのご令嬢だった。
そう。昔なら間違いなくドンピシャだったのだが、彼の食指はさっぱり動かなかった。それでも失礼のないように必死に紳士の仮面を被り、無理をして笑顔で対応していたので、正直彼は酷く疲れた。
せっかくゆっくりと過ごすはずの昼食の時間に、何故毎日こんなに気を張らないといけないのか… ノーランは今日も今日とて心の中でため息をついていた。
次は馬術の授業だというのに、疲労のために注意散漫になって、落馬して怪我でもしたらそれはレイラのせいだぞ。
いや、そもそも今日は段位試験の日なのだから怪我などしてはいられない。俺はどうしても今回の試験にパスをして、三段の初合格者にならなければならないのだから。
どうしてレイラは俺の足を引っ張るような真似ばかりするんだ? 俺は、俺はレイラに釣り合う男にならなくてはならないのに……
ノーランはモヤモヤしながらランチの時間を過ごした。いつものように。
どういうつもりでレイラが毎日毎日こんなことをするのか、ノーランにはさっぱりわからない。
彼女は週の始めには必ず新しいご令嬢を伴って迎えに来るのだ。
そしてお互いに嫌悪感を表さなければ、週末まで同じご令嬢を伴って来るのだ。つまりその彼女と親交を深めろというのだ。
確かにさっさと誰かと付き合うことになれば、この苦痛とはおさらばできるかもしれない。
しかしどうせ今度は違う苦痛が待ってくることをノーランにもわかっていた。
好きでもない相手に笑顔を振り撒き、紳士として付き合うだなんて苦行以外の何物でもない。絶対に御免被りたい。
それにわからないといつつも、本当はなんとなくわかっていた。これがレイラの自分への復讐、嫌がらせなのだろうということは。
人の心の機微に疎いノーランでも、自分がレイラに対してこれまで散々酷い仕打ちをしてきたという自覚はさすがに持っていた。
だからこそこれまで大人しくランチにも付き合ってきたのだが、そろそろそれも精神的に限界になってきていた。
好きな子に別の女の子を勧められるなんて、これ以上の苦痛があるだろうか?
「ねぇ、そろそろもう決めたら?
今日の子なんて貴方の理想にピッタリでしょう?
もう作り笑いなんて止めて真剣に彼女と付き合ってみたら?
卒業まであと三か月なのよ。卒業式にパートナー無しで参加するつもりなの?
そんなことになったらもてない男のレッテルを貼られて社交界で苦労するわよ」
「それは君も同じだろう?」
「あら、私は相手くらい既に決まっているわよ」
「えっ? 誰?」
「あ、鐘がなってるわ。急いで教室へ戻らないと。またね!」
レイラはノーランの質問には答えずに、同席していた下級生と共に行ってしまった。
ノーランはレイラの言葉にさらに心も体も重くなって、トボトボといった感じでバートランドの後をついて学生食堂から出て行った。
バートランドは振り向いて友人のしょぼくれた姿を見ると、大きなため息をついた。
「我が名誉あるAクラスのリーダーともあろう者が、なんて情けない格好をしているんだ。みんなが君を見てるぞ。もっとシャキッとしろよ」
「無理だ。疲労困憊だ。次の馬術の昇段試験も惨敗することが決定だ。
いや、それどころか落馬して、打ち所が悪くて死ぬかも。もしそうなったらレイラも少しは悲しんでくれるかな?
それともせいせいするかな……」
いつになく落ち込んでマイナス思考のノーランに、さすがに気の毒に思ったのか、バートランドは仕方ないなと苦笑いをした。そしてとりあえずこうフォローした。
「安心したまえ。今日の乗馬の試験は無くなった」
「えっ? 何故?」
「マントン先生が何でも怪我をして今日はお休みだそうだ。だから午後一の授業はフリーになった」
「フリーになったのは助かったけど、先生が怪我をしただなんて一体どうしたんだろう」
「これ、極秘だから絶対に誰にも言わないでくれたまえ。いいかい?」
美丈夫なバートランドが美しい眉間に皺を寄せて、小声でこう言ったので、ノーランはコクコクと頷いた。
「先生、長いこと元婚約者をストーカーしていたらしい。
そしてそれが昨日今彼に見付かって、慌てて逃げ出して側溝に落ちて足を骨折したらしいよ」
「エェ~!」
あまりにも情けない事情を聞かされて、思わずノーランまで情けない声をあげてしまった。
学園の中で一番若くて格好がいいと、女生徒からの人気が一番のマントン先生がストーカー? 信じられないと彼は思った。
金髪を靡かせながら白馬に跨っている姿など、まさにザ・王子って感じの先生なのに。その手綱さばきは本当に見事で、女生徒だけではなく男子生徒からも人気があった。もちろんノーランにとっても憧れの先生だったのだ。
「ストーカーといっても実質何かをしたわけじゃないから法律で罰することはできないだろう。
だから学園もクビにはしないだろうが、人として教師としてあるまじき行為をしたのだから、おそらく彼は謹慎処分を受けるだろう。
もっとも骨折したようだから、謹慎にはならなくてもどうせ出勤できない。実際のところは罰とは言えないよね。恐らく実家の侯爵家の力だろうな。大分甘いよ」
「怪我が治ったら、マントン先生は何事もなかったようにここで普通に教師をするのかな?」
「いや、さすがにそれは無理なんじゃないか。おそらく地方の男子校へ飛ばされると思うな。女性をストーカーするような男を共学であるこの学園には置いておけないだろうから」
「そうだよね」
「だけど、やり直しができない社会では息苦しくなる。罰は必要だが更生の道は断つべきではないと思う。
だからこのことは絶対に誰にも言わないでくれ。君を信用しているから話をしたんだからね」
バートランドの祖父は文科省の元役人で、この学園の理事をしている。おそらくこの件の情報源はその祖父だろう。
「絶対に誰にも言わないよ。確かにマントン先生にはがっかりしたけど、俺に先生をとやかく言える立場にはないから」
「それはそうだね」
ノーランは無慈悲にもバートランドによってあっさりと肯定されてしまった。
二人は自分達の教室には戻らずに、生徒達の密会の場としてもよく活用されている、理科実験のための狭い準備室へと向かった。
休講になったのはノーラン達のクラスのみだったので、その小部屋には誰もいなかった。
椅子に腰を下ろしながらノーランはバートランドにこう尋ねた。
「マントン先生はそもそもどうしてその女性に婚約を解消されたの? 先生って侯爵家の出で才色兼備、その上男女の関係なく紳士的に振る舞ってあんなに人気者なのに。
彼が嫌われた理由が俺にはさっぱり思い付かないんだけど。バートは何か知ってるのかい?」
すると机を挟んでノーランの正面に座ったバートランドが、頷きながらこう言った。
「ノーランが思い付かなくて当然だよ。だって先生は振られたんじゃなくて振った方だから」
「えっ?」
ノーランは驚嘆した。バートランドの言っていることが本当なら、自分で振っておきながら、今度は自分がその女性を追いかけ回していたなんて、そんなことあり得ない。
しかも傷付けた女性がようやく幸せになったというのに。
その不可解で身勝手極まりない行為にムッとした瞬間、バートランドにこう言われた。
「今、何でそんなことをするんだと思っただろう? 信じられない、酷いって。
だけど、君も今現在進行形で同じことをしているのだから、よく考えればマントン先生の気持ちがわかるんじゃないのかい?」
そう言われたノーランは、これでもかというくらい大きな緑色の瞳を限界まで見開いたのだった。
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