第11章 踏みつけられた心
そして卒業式の前日のこと。
二人は少しずつ新居になる家族向けの官舎へ荷物を運んでいた。数日前にはそれも全て終了したので、二人はホッとしながら学園の理科準備室でお茶を飲んで寛いでいた。
この数か月、勝手にアルコールランプの上でフラスコでお湯を沸かして、ビーカーに持参してきた茶漉しボールを浸してお茶を入れてきた。
勝手に備品を使ってしまっていたので、今日はたくさんの燃料用アルコールの瓶と、新品のフラスコとビーカーをいくつか持参してきた。
でもそれらを眺めていたら、ここで二人きりで隠れるように過ごしてきたこの数か月の時間が思い出されてきて涙が出てきた。
「馬鹿ね、明日からはずっと二人でいられるのにね」
ノーランは優しく微笑んでレイラの背を撫でてくれた。
しかし、少ししてからノーランの笑みが消え、真顔になってこう聞いてきた。
「ねぇ、前から思っていたんだけど、顔合わせに来た女の子達に対するお詫びをまだしていないんだけど、どうしたらいいと思う?」
レイラはそれを聞いて一瞬夫が何を言っているのかわからなくてポカンとした。しかし少ししてようやく、ランチの時に同席をお願いしていたご令嬢達のことだと気が付いた。彼女は困ったような顔をして徐にこう言った。
「あの方々には既に私がお詫びとお礼をしていますから、ノーランは気にすることはないわ」
「そうはいかないだろう。
はっきりと明言されてはいなかったが、俺はあれが顔合わせだと薄々気付いていたんだから。
その気もないのにご令嬢方とランチを共に取るのは嫌だったけど、レイラと話す機会はあの場しかなくて、結局ズルズルと続けてしまった。
しかし、それは男としてやってはいけないことだった。今さらだがきちんと謝罪しなければ」
「やっぱりノーランは誠実ね。でも、本当に謝罪は必要ないの。だって彼女達は貴方と顔合わせするために、ランチを共にして下さっていたわけではなかったのだもの」
「えっ? それじゃあ何故?」
「彼女達は私の気持ちがわかっていて、私が貴方と一緒にいられる時間を作って下さっていただけなのよ」
レイラがノーランを好きだということは、傍目からでも一目瞭然だったいう。
しかも女生徒の中にはあのランチに関するとある情報が密かに囁かれていたらしい。ノーラン達とランチを共にすると、素敵な伴侶を得られると。
だから彼女達は最初からノーランと付き合う気など一切なかったらしい。
しかもレイラがしていた彼女達へのお詫びが好評で、ご令嬢達が我先に顔会わせの席に参加したがっていた、という真実を知らされて、ノーランはあ然とした。
「確かにノーラン様は素敵よ。それこそ文武両道に優れていて美丈夫で。しかも、真面目で絶対に浮気なんかしなさそうだし。まあ、優良物件だとは思ったわよ。
だけどもしノーラン様に本気になんかなったら、それこそレイラ様の親衛隊(三年女子Aクラスの才女軍団四人組)にどんな目に遭わされるかわからなかったのよ。彼女達に歯向かうそんな強者がいるわけないわ」
以前ランチに同席してくれたことのあるご令嬢にこう言われた時には、レイラも絶句したものだった。
「一体君はどんなお詫びをしていたんだい?」
ノーランが興味深そうに身を乗り出したが、レイラは事も無げにこう言った。
「別に大したことではないわ。貴方と一週間経っても脈がないことがわかった時点で、もう同席して頂かなくても結構です。ありがとうございましたとお礼を言って、お詫びにその方々に別の男性を紹介していただけなの。
そのうちのいくつかで偶然にも上手くカップルが誕生したらしくて。本当にたまたまなのよ。
でもそれが密かに噂になっていたとは思ってもいなかったわ。私達のランチに同席すると、その後で素敵な恋人ができるだなんて」
「実際のところ何組のカップルが誕生したんだい?」
「そうねぇ、三十五人中三十人がカップルになって、そのうちの半分が既に婚約していると思うわ」
「それって凄い確率だね。とても偶然とはいえない気がするよ」
「そうかしら?」
とレイラは何でもないように言ったが、何故レイラが総務部の人事課に配属されたのか、その理由がわかったような気がしたノーランだった。レイラには人を見る目が確かにあるのだ。
ちなみにノーランはやはり総務部の騎士管理課だった。なんでも事務職員でありながら、そこそこ武力を有する者が配属される課らしいく、少々不安になる勤務先であった。
とりあえず、顔合わせをしたご令嬢は皆幸せらしいことがわかって、ホッと胸を撫で下ろしたノーランだった。
✽✽✽
そしてその翌日、無事に学園の卒業式が行われ、第二王子のクライス王子が答辞を読んで、滞りなく無事に式は終了した。
ちなみにトップの成績で卒業したのは女子はレイラで男子はバートランド。そして次席は女子は三年女子Aクラスの才女軍団の元図書委員だったユリアで、男子はノーランだった。
まあ、ここまでは順当だったが、成績上位十位までにクライス殿下だけではなく、その殿下の婚約者のエリザベスの名まで入っていたことに、卒業生並びに父兄から驚きの声が上がっていた。
これまで王妃殿下の指導の元でコツコツ努力をしてきた成果がようやくでてきたのだろう。
『やったわね!』とばかりにレイラが笑いかけると、エリザベスも満面の笑顔を返してくれた。
この二か月の間に二人はすっかり仲の良い友人関係になっていたのだ。
式典が終わった会場は、やがて今度は生徒会役員の手によって卒業パーティーの場と変貌を遂げた。
レイラは親友ローザとの約束通りにバートランドのパートナーとして、そしてノーランはユリアをパートナーとしてその場に登場したのだった。
レイラはバートランドと二曲ほど踊ったが、眉目秀麗な二人はとても目を引き注目された。
「学年一の秀才同士で、しかもお二人とも美しくて。ほんとにお似合いね」
「あら、でもガイルダート侯爵家のバートランド様には婚約者がいらっしゃるのではないですか? 確かその方もたいそう美しくて聡明だと噂の年上の方ですわよね」
「まあ、似たタイプですの? 一体どちらを選ばれるのでしょう」
パートナー無しのご令嬢方が二人の噂話をしながら、彼らが三曲目も一緒に踊るのかを注視していた。
しかし彼は一旦ダンスを終了すると、休憩スペースへ移動してドリンクを手にした。するとそこへ第二王子クライスが婚約者のエリザベスを伴ってやって来た。
王子は満面の笑みを浮かべていたが、エリザベスは少ししかめっ面をしていた。
王子とバートランドが話を始めたので、レイラはスッとエリザベスの側に近寄って、彼女の耳元で尋ねた。
「どうしたの? どこか具合いが悪いの?」
「具合いが悪いというか、足を何度も踏まれて痛くて」
「まあ!」
クライス王子がダンスが苦手だとは聞いたことが無かったが、どうしたのだろう? まさか……
「嫌がらせ?」
思わず声が出た。
するとエリザベスは頭を軽く振った後でこう囁いた。
「殿下はずっと貴女のことを目で追っていて、ダンスに集中していなかったの。だから……」
いつも元気なエリザベスが意気消沈していた。怒るとか嫉妬とかそんな気力も既にないようで、無気力になっているようだった。
自分も彼女をそんな辛そうな顔にしている一因になっているのかと思うと、レイラの顔も曇った。
「嫌だわ、レイラ様は関係ないわ。これは殿下と私の問題だもの。気にしないで」
「でも……」
「本当にレイラ様は関係ないの。だけど、後で相談に乗ってくれるかしら」
「もちろんよ」
レイラが即答すると、エリザベスはようやく表情を緩めた。
ダンス、たかがダンスだけれど、それはパートナーとの共同作業だ。お互いを思い合い、相手に合わせようという心遣いがなければ、どんな名手でも上手くは踊れない。
クライス王子は幼い頃から超一流の教師の指導の元で練習を重ねてきたはずだ。六年前からはエリザベスと共に。
それなのに二人にとって大切な門出になるはずの大切な卒業ダンスで、これから長い人生のパートナーになる婚約者の足を何度も踏むなんて信じられない。
王子が踏み潰したのはエリザベスの足だけではなく心そのものだ。彼にはパートナーに対する思い遣りが全くない。
今日は自分達だけではなく彼女にとってもXデーになるのかもしれないと、レイラはふとそう感じたのだった。
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