清く正しい人生でした、損ばっかですけど
死んだ。
誰が? 俺でした! そんな一人クイズを胸中でやってみる。正解、獲得一万点。やったぜ優勝、俺一人だけど。
死んだわけよ、海行って溺れてる子供見つけて助けようとしたら、離岸流かな。あっという間に俺が沖まで流されて、沈んじゃったわけ。人が溺れる時って助けてーなんて叫んでられないって初めて知った、無言のままぶくぶく沈むだけだわ。水死体ってやだなあ、デロデロになってたらどうしよう。鮫に食われてないことを願います。
死んだ場所にとどまるってマジなのな。俺は海の底で一人沈んでいた。当然死んでるので息する必要ないし、海底から天然物のアクアリウム鑑賞会をしている。すっげー綺麗な海、死んでなかったら最高だった。
しばらくしていると、人がゆっくりと近づいてきた。え、と目を丸くする。だってその人、真っ黒なスーツ着て町でも歩くかのように普通に近づいて来る。二十代前半くらいか。茶髪にピアス、なんかパリピっぽい。
わかった、こいつもお仲間とみた。死んでますよね?
「あーいたいた。えっと、田中一さんですよね」
「え、ああ、はい」
「よっしゃ返事ゲット。いやあチョロ……ご協力あざーっす」
「チョロイって言おうとしたか今」
「お返事いただけましたのでお迎えに来ました。じゃあ行きましょうかね、あの世へ」
「……」
いきなりの展開で頭がついていかない。ポカンとしていると彼は俺の腕を引っ張ってどこかに歩いて行く。海中を二人で歩くというなんとも不思議な光景だが。
話を聞くと彼はマレビトと言って死者をお迎えするのが仕事らしい。死者の迎えには名前を呼んで返事をもらうか、未練を断ち切るか。あっさり返事をした俺は確かにチョロかったのだろう。
「じゃあ俺あの世に行けるんだ。よかった、ずっと海の底に沈んでなきゃいけないのかと思った」
「何の未練もなく来てくれる人って結構珍しいですよ。あなたの人生そんなに不満がなかったんですか?」
「全く何もないわけじゃないけど。海に沈んでるよりマシかなと思って」
「子供を助けて死んじゃったんですよね。まあ、あんまり感謝されてないみたいですけど。ほら」
マレビトが持っていたタブレットを操作して見せてくれた。そこには助かってよかったと子供の母親らしき女性が子供を抱きしめている。
『怖かったよね、もう大丈夫だから。ここライフセーバーいるんでしょ、なんでもっと早く助けてくれないの! 信じられない! この子が死んでたらどう責任とるつもりなの!?』
「いや、助けた俺死んじゃってるんですけど」
しばらく見ていたが、子供のそばにいなかった自分のことは棚に上げて管理体制を非難するばかり。最後まで俺に関する話題は一切せずに映像が終わった。
「え、この人本当に人類?」
「逆にお聞きしますけど、人類じゃなかったら何なんですかこの人」
「確かにそうだな。いや、感謝されるためにやったわけじゃないけど。モヤモヤするっていうか、これが未練になったらどうしてくれるんだよ」
「いっけね、そうっスよね」
あははと笑いながらマレビトはタブレットをしまった。
海の中を歩いていたはずなのにいつの間にか河原にたどり着いた。とても大きな川だ、四万十川より大きいのではないだろうか。もしやこれが噂に聞く三途の川というやつか。
「じゃあ川渡っていきますけど、何がいいですか」
言いながら再びタブレットを見せてくれる。そこには乗り物がいくつか載っていた。
「浮き輪、手漕ぎボート、一人乗り用の桶、白鳥の足漕ぎボート、クルーザー。浮き輪に突っ込みたい気はやまやまだけどこっちだな、何かクルーザーだけレベチじゃない?」
「死んだ後くらい楽に移動したいってクソわがまま……ご要望おっしゃる方が多くて。お年寄りが多いから仕方ないんですけど。エンジンついてれば文句もないかなって。実際一番人気なのクルーザーですよ」
画像をタップすると豪華な内装やたどり着くまでにケータリングなどいろいろ無料でご飲食いただけますと書かれている。いやこの食べ物とかどう見ても仏壇のお供えやん? あ、死んでるからいいのか。
割と至れり尽くせりの内容に確かにこれだったら楽かなと思った。
「俺もクルーザーにしようかな、乗ったことないし」
「じゃあこれで。ただし一人乗り用ではないので乗り合わせになりますけど」
複数人で向かうってことか。別に何も不都合ないしあなたはどんな人生でしたかなんて話をしているうちにあの世に行けるのならまぁいいか。
マレビトの案内で歩いていくと目の前に突然クルーザーが現れた。お金持ちが持ってそうなやや小型のタイプ、十人も乗れば満員なんだろうなと言う規模だ。
クルーザーにはマレビトは乗らず死者だけが乗ると言う。俺と他六人が乗ると船は動き出した。見れば俺以外は全員お年寄りだ。若いのに死んじゃったの、かわいそうにねなんて声をかけてくるが本心はどうでもいいんだろうなぁと思う。いかに自分が素晴らしい人生を歩んできたか自慢大会が始まっていた。
失敗した、これなら一人用のボートとかの方が良かったかも。内心ため息をついていた時、突然ものすごい衝撃で船全体が大きく揺れる。船内はパニックだった。
俺も慌てて外を見ればなぜか目の前に氷山がある。
「なんでだよ! タイタニック号かよ! しかも何で川に氷山があるんだ!」
そんなこと言ってる場合じゃないのに全力で突っ込まずにはいられなかった。そしてそんなことを叫んでいる間にもクルーザーはものすごい音を立てて崩れながら川の中に沈んでいく。
「水死した奴をまた水に沈めんなバカァァァ!」
川に放り出されてクルーザーの瓦礫に慌ててしがみつく。死んでるから死なないけど、三途の川に沈むと一体どうなるのかなんて考えたくもない。もしかしてこの下地獄なんじゃ、と思ったらこっちも必死だ。死んでるけど。
「ひいい、た、助けてえ!」
すぐ近くで悲鳴をあげているおばあさんが目に入った。水に落ちて完全にパニックになっているようだ。俺は考えるよりも先に行動していた。
「つかまってください!」
必死にバタ足で近づいておばあさんの腕をつかむと瓦礫を掴ませた。しかし瓦礫はニ人分の体重には耐えられないらしく沈み始めてしまう。
すると突然おばあさんが目の色変えて俺の顔面にパンチをしてきた。年寄りの力と思えない位ものすごい痛い。
「さっさと手を離しなさいよ!」
この婆さんナントカ神拳の使い手だろうか、もう一発的確にぶん殴られた俺は瓦礫から手を離してしまう。
そしてそのままブクブクと沈んでいった。気分はもうレオ様だ。
別に感謝してほしいわけじゃないけど、何をされてもいいってわけでもないんだから。これで地獄に行ったらあの婆さん祟ってやる。あ、でも相手死んでるんだし祟りようがなかった、ガッデム。
地獄に行く前にほら、なんか考えとかないと。えっと、えーっとダメだ思いつかねえ! あの婆さんの足の小指だけつりますように!
はあ、俺また沈むの、と思いながら暴れることも諦めておとなしくぶくぶく沈んでいるといつの間にか川の上に浮かんでいた。
水に沈んでいたのに川の上? と疑問に思っているとよいしょよいしょと掛け声を上げながら足こぎのスワンボートを漕いで近づいてくる奴が見える。よく見たらそれは先ほどまで一緒にいたマレビトだ。
「お迎えに来ましたー」
「は? あんたさっき迎えに来ただろ、ていうかすごい目にあったんだけど」
「いやー、すっかりやられちゃいまして。あなたを海底まで迎えに行ったのは俺なんですけど、川に着く前に別のに連れてかれちゃったみたいなんですよね。あいつらああいう事をよくやるんで困ってるんです」
手を貸してもらいながら俺はスワンボートに乗った。意味がわからずどういうことか聞いてみると。
「俺も振り返ったらあなたがいないんでびっくりしましたよ。俺たちマレビトにバレずにこんな事できるのは、トガビトです」
「トガビト?」
「現世の言葉で言うところの死神とか鬼とか何かそんな感じの類ですね。あいつらに連れて行かれると凄い所に行っちゃいますよ。地獄のようで地獄じゃない、どっちかって言うと地獄よりひどい地獄」
「そんなどっかのラー油みたいに。それって許されるの」
わずかに顔を引き攣らせながら言うとマレビトは何でもないことのようににこりと笑った。
「問題ないですよ。あっちに行くのはそれに該当する人間だけです。あなただって自分の行動したからこうして本当の三途の川に来たんじゃないですか。どんな手段になったとしても結果は変わりませんから俺たちは特に気にしてません。可愛い悪戯みたいなもんですよ」
ニコニコと笑いながら、よく見れば目は全く笑っていないマレビトに冷たいものが背中を走る。人間によく似ていてもこいつはやっぱり人間じゃないんだなというのがよくわかった。基本的に人間の事、どうでもいいんだなマレビトって。
氷山の件を話すとマレビトは「あははは、すごいですねえ手が込んでて、同僚に教えよ」と笑った。笑いごとじゃないんだけど。
「沈んでいくから地獄に行くのかと思った」
「天国は上で地獄は下って? そんなの人間が勝手に作り出した妄想ですしねえ。地獄と天国に場所なんて概念ありませんよ」
二人でガチャガチャとスワンボート漕ぎながら進んでいく。黒スーツの男と海パン一丁の男がスワンボートを漕ぐ、なんともシュールな光景だ。
長い長い川を渡りようやく対岸に着いた。男はボートからは降りない。
「俺がお迎えで行けるのはここまでなんです。あとはあなたがこのまま進んで下さい。ただし目をつぶって」
「なんで?」
「そういう規則ですから。目を開けたらどうなるかはご想像にお任せします。フリじゃないですよ、押すなよ押すなよ、じゃないですからね」
「いやもう、タイタニック号の経験からそれはイヤってほど学んだから大丈夫」
「素直な人で良かったあ、俺ってば運がいい、今日は残業なしだ。グッドラック」
それだけ言うとマレビトはスワンボートをこいでどこかに行ってしまった。
川には深い霧がかかっておりボートもすぐに見えなくなる。ホンモノの三途の川、霧がかかってるのか。最初の川は三途の川じゃなかったんだな。
俺は言われた通り目をつぶって赴くままに歩き始めた。人間って歩き方に癖があってまっすぐ進んでいるようでも大きな円を描いてぐるぐる同じところをさまよう傾向があると聞いたことがある。いきなり川にぽっちゃん、なんてことにならないようにしようと気をつけながら。
目をつぶって歩いていると周りからはいろいろな声が聞こえてくる。
こっちだよ、こっちに来て、早く来てよ、なんで来ないの、ほらほらこっち。
不思議とその声は全く怖くない、地獄に引きずり込もうとしているとかそういう類の声では無いようだ。どちらかと言うと本当に早く来てほしいと切羽詰まったような声にも聞こえる。でも、どの声違う。
いくつかの声を無視してずっと歩き続けていた。そんな中で温かい声が聞こえる。
「おいで」
その声に導かれるように俺はその声の方向に向かって歩く。理由は説明できないし何だかよくわからないけど、この声だと思った。
こっち、こっちにおいで。
突然全身をロープできつくぐるぐる巻きにされたかのような圧迫感が生まれた。
「おえええ! 苦しい! き、キモい! ぎゃあああ!」
うまい例えがないが全身をロープできつく縛られた後洗濯機に入れられてめっちゃ洗われて竜巻の中に放り出されたような感じだ。
汚いってか、俺はそんなに汚れてるってか! こんなに清く正しい人間なのに! と、こんな状況だというのにそれでも突っ込まずにはいられない。
いつまで続くんだというもみくちゃにされるような苦しい衝撃。なんかもう俺自身をぎゅっと雑巾絞りされてるかのような感覚。
「洗濯ネットを使ってオシャレ着洗いしてくださいって書いてある服を普通に洗ってすみませんでしたあああああ!!」
絶対服の呪いだ、と謝りながらそれを必死に耐えて耐えて。やがて。
「きてくれて、ありがとう」
大きな産声が分娩室に響いた。出産を終えた母親は汗だくになりながらも涙を流している。そしてそんな彼女よりも数倍の涙を滝のように流しながらビデオを構えているのはたった今父親になった女性の夫だ。
「おめでとうございます、元気な男の子ですよ」
助産師がへその緒を処置し母親のもとに赤ちゃんを運んでくる。母親は涙を拭ってから赤ちゃんを抱っこした。ぐちょぐちょに泣きながら夫も駆け寄ってくる。
「よくやった、よく頑張ってくれた」
今まで見たことがない夫の情けない姿に女性も小さく笑う。我が子を迎え入れた夫婦は幸せそうに笑った。
「名前、いろいろ考えてたけど、なんかこの子の顔見たらパッと浮かんだわ」
「なに?」
「清く正しいって書いて、清正。きっとこの子は立派になるよ、誰かを幸せにするような人に」
「そっか、そうだな。そんな顔してる」
「私が子供の頃溺れたら助けてくれた人がいるって言った事あるでしょ。その人亡くなったって聞いて、ずっと引っかかってたの。この子にはその人みたいに、誰かを助ける人になってほしい。無茶をしない範囲でね」
「きっとなるし、そういうふうに育てていこう」
あっという間に泣き止んで大きなあくびをする赤ちゃんを見て二人は微笑み合った。
「産まれてくれてありがとう、私たちのところに来てくれてありがとう」
END