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それからの私

作者: みちふむ


「なあ、月子ってさ。結構可愛いと思わない?陽平ってどう思う?」


隣教室で掃除をしていた彼女。自分の名前が出てドキとした。これに気がついた同級生の女子達はモップを片手にしっと人差し指を立てた。そして一緒に聞き耳を立てた。


「そうだな……まあ。綺麗な方だと思うけど」


女子達がゴクンと息を飲んだ時、彼らの嘲笑う声がしてきた。


「声がさ。ちょっと……低いよな」

「かもな?アハハハ」


こんな男子の話を聞いてしまった隣教室の女子達。ホウキを持った月子を恐る恐る見た。彼女は笑うしかなかった。


「ハハハ……本当の事だから」


彼女の悲しい笑い。これに親友の泉美、ホウキを放り投げ月子の両腕を掴んだ。


「そんな事ない。ちょっと待ってな?……ちょっと!今の話は何なんなのよ!」


怒り心頭の友人の泉美。隣教室に怒鳴り込んで行った。しかし当人の月子。そんな事もできずに白い景色が広がる窓辺を向き、静かに掃除を再開していた。


合唱コンクールのコーラス時も。女子のアルトも音程もキツかった月子。自分の低い声を自覚していた。


窓の外、白く広がる冬景色。風が強き雲が流れる青い空だった。この寒い日以来、月子は陽平と口を聞く事はなかった。



◇◇◇



「ね、月子は春から東京に行くんでしょう?遊びに行ってもいい?」

「もちろん」

「私は地元だからなー。寂しくなるな」


そんな卒業証書を抱いた泉美。長身の月子は優しく抱きしめた。


地元で就職が決まっている泉美。憧れていた男子と記念写真を撮ると言い教室を出て行った。月子は人が少なくなった教室をぐるりと見渡し、高校生活との別れを惜しんでいた。


「おい、月子」

「あ」


振り変えると。そこには制服のボタンが一つもない彼が立っていた。彼はじっと月子を見つめていた。


「お前さ。東京に行くんだってな」


うんと月子はうなづいた。陽平は警察学校に行くと言った。


「俺も頑張るからさ。お前も頑張れよ」


うんと月子はうなづいた。これに陽平は悲しそうな顔をした。


「あのさ、あの日、ごめんな」

「……」

「まだ怒ってるんだろう」


ううんと月子は首を横に振った。

あの日以来、自分の声が気になって彼とは口が聞けなくなっていた月子に、陽平は目を潤ませていた。


「じゃ、なんか言ってくれよ?なあ」

「……」


じっと見つめる彼に月子はやはり声が出なかった。でも悲しそうな彼に何か言いたかった。


「……」

「月子」


しかしここで友人達がやってきて、一方的な会話は終わってしまった。

この後のカラオケボックスの打ち上げは賑やか。でも月子は男子とほとんど話さないまま別れをし故郷を旅立ったのだった。



◇◇◇◇



「そうですか。声帯がそうなんですか」

「ええ。低いのは体質ですね」


東京の声専門のクリニックで診察を受けた月子。自分の声はポリープなどは関係なくやはり生まれつきだとう事をここで受け止めていた。


しかし、ここで諦めない彼女はバイトし、少しでも綺麗な声が出せるようにボイストレーニングに通う事にした。

ここで仲良くなった女友人は声優を目指していた。


「いいな。可愛い声で」

「声だけね。私は子供の頃から変わらないの」


仲良くなった彼女は声優を目指して頑張っていた。月子はそんな彼女が羨ましかった。



「でもな……絶対もったいないよ?月子ちゃんならあのキャラにぴったりなのに」

「無理ですよ。だってそれは男性キャラでしょ」

「いやいや。わかってないね?月子ちゃん」


こんな彼女は近日、アニメのヒロイン役の声優のオーディションがあるが、緊張するので一緒に行って欲しいと月子に頼んだ。


この時の彼女。あまりにも緊張していたため、月子は一緒に行き練習相手をしながら会場まで付き添いをした。


「ああ。緊張する?どうしよう月子ちゃん」

「大丈夫だよ。今の声も可愛いし。はい!行ってらっしゃい」


入り口で彼女を送り出した月子。エレベーターに乗ったをの見届けたので帰ろうとした際、慌ててやってきた男性とぶつかって転んでしまった。相手は月子に謝った。



「すいません!君?大丈夫?」

「……大丈夫です。私こそぼうっとしていたので、すいません」


すると男は月子に手を貸し起こしてくれた。


「ええと。君は何の役で?」


男性の首にはスタッフの名札が下がっていた。月子、首を横に振った。


「いいえ。私はこんな声なので、付き添いですよ」


彼は月子の声に目にパチクリしていた。


「そうなの?……いや。ちょっと待って、来て欲しいんだ」


彼は驚く月子を案内し、オーディション会場の別室に連れてきた。

そこにはスタッフが数人いた。


「どうかな。彼女は」

「……君。この台本読んでくれないかな」

「あの、私は付き添いですし、それにヒロイン役には不向きですけど」

「いいね?!その声!イメージ通りだよ!?」



そう言ってなぜか頬を染める男性達に首を傾げた月子であったが、ここで読んでみた。



「『……俺を惑わせるとは……お前は大した女だ』って、あの?これって、相手役ですか?」

「続けて続けて」


こんなオレ様キャラであったが、月子は自分がこう言われたいなという風に話していた。


「『愛してる……狂いそうだよ……』って、これでいいですか?」


「どうする?監督」

「……うるさい。今、声を聞いていたんだよ……」

「あの……私は一体」


すると男達は月子を見つめた。


「いつから来れる?」

「え」

「君に決定だよ」



◇◇◇


それからの日々。月子は学生と声優の仕事を両立させていった。図らずも男性の声であったが実にセクシーと称された。その後も他のアニメの監督からオファーが殺到し、彼女は卒業後、声優moonとして仕事をしてたのだった。


こうして仕事をしていたが、彼女は家族以外自分の職業を伏せていた。それはやはり男性の声というのが恥ずかしかったからだった。


根が真面目な彼女。声優の仕事に行く時から男性の気持ちを作る徹底ぶり。そんなストイックさが仲間から信用されていた。


こんな彼女には実家がある地元から町おこしのオファーがあり、駅の案内の声やバスのアナウンスもこなしていた。


そんなある日。友人の泉美から故郷で行う結婚式の招待状が来た。


……泉美の事を祝ってあげたいけど。みんなに会うのがちょっと……


しかし、実家にもしばらく顔を出してない月子。仕事も空いていた。ここで勇気を出して帰省した。



『お待たせしたね?次は大森駅だよ?忘れ物をしないようにね』


……恥ずかしい。これずいぶん前にやった仕事だ。


電車の中で自分のアナウンスを聞いた月子。電車を降りバスに乗った。


『ご乗車ありがとうございます。揺れるから気をつけようね?』


……こんな使われ方とは?オフレコしただけだから知らなかった……


しかし自分がmoonだとは世間に知られてない月子。ドキドキを抑えてようやく実家の酒屋に帰ってきた。


「ただいま……」


すると店の黒電話が鳴った。


「月子かい?!悪いけど代わりに電話に出て!母さんの手は天ぷら粉で」

「わかった。もしもし、こちら海老屋酒店でございます……」

『……え?あ、すいません。ビ、ビールの配達を』


電話の向こうの女性は一瞬、月子の声にドキとしたようだったが、用件を伝えて切った。そしてエプロンで手を拭きながら母は娘に奥に入るように勧めた。


こうしてこの夜は久しぶりに家族で食事をしていた。


「お父さん、元気そうだね」

「あ、ああ。なんだかな?お前の声を生で聞くとドキとするな」


娘の声をいつも町中で聞いている父。隣で聞こえてきた生声に頬を染めていた。


「そうなの?さ、どうぞおつぎします」

「おっとっと。しかし、お前はすごい人気なんだぞ」

「この男声がでしょ」


自虐ギャクに母はガハハと笑った。月子はそんな母をじっと見ていた。


「良いじゃないか。みんなに喜ばれてるんだよ」

「でもさ。私だってバレてないよね?」

「ああ。だってお前は女だからな。moonは男だって思われてるよ」

「そう」


この夜、久しぶりに自室に入った月子。高校時代の自分の写真を見ていた。そこには陽平も映っていた。


……懐かしいな。でも……


彼と話す勇気が持てない月子。懐かしい天井のシミを見ながら眠りについた。


◇◇◇


『それでは新郎新婦の登場です!どうぞ』


故郷の結婚式はそれは派手で親戚が集まる盛大なものだった。新婦の友人である月子。端の席で拍手を送っていた。


「泉美。綺麗だよね」


うん、と月子は同級生の女子にうなづいた。今日の月子はうるさい母の言いつけでワンピースを着てきた。


男声の声優の彼女。長身もあって普段から男装に近い格好。この式も本当はパンツスーツであったが、母にそれだけはやめてくれと言われ、昔買って着ていなかったシルクのワンピースを着てきたのだった。


そして紹介が済み、場は食事と余興になった。



「いよいよ男子だよ、わ。始まったよ月子」

「誰が誰なんだろう」


新郎は一つ上の高校の先輩。このため月子が見知っている男性達が余興で歌い出した。そこには見覚えのある顔があった。


「あれは陽平君だね。部活が一緒だったからかな」

「そ、そうだね」


結構ドキドキした月子。ようやく自分達のテーブルに空席があった理由を知った。そして歌い終えた彼らはイエーイとこのテーブルにやってきた。


みなハイタッチをする中、月子もこの波に乗って小さく手を出した。


「お!月子か?久しぶり」


うん、とうなづくと陽平は隣の席に座った。

スーツ姿の彼は凛々しく胸板が厚く以前よりもカッコ良くなっていた。


……マジで?ど、どうしよう……


「月子は何を飲んでいるんだ。これか?」

「は、はい」

「……そうか。じゃ俺もこれで」


嬉しそうな陽平に目を合わせられない月子。震えを抑えてビールを注ぎ合ったが、これからの時間を思うと、最高に胸がばくばくしていた。


「お前さ。何の仕事してるの」

「……メディア関係」

「ふーん。俺はさ。今は埼玉勤務になったんだ」


警官になると言っていた彼の日焼けした顔。月子はうんとうなづいていた。

これを見て彼はどこか恥ずかしそうにしていた。


やがて他のメンバーも酒を注ぎに来たこの席。めちゃくちゃになっていった。陽平との一対一を回避できた月子はほっとしていた。そんな彼女は担任の先生と話をしたり有意義な時間を過ごしていった。


こうして披露宴は終わり二次会へと移動になった。月子は泉美に挨拶して帰ろうとしていた。


「おい。お前も行くぞ」

「でも、私が行っても」


首を振る月子。陽平は慌てて腕を取った。


「途中で帰って良いから、な?泉美も顔出すんだろう」

「うん。待っててよ月子」

「そこまで言うなら」


◇◇◇


こうして月子は陽平と一緒に会場の居酒屋に行く雰囲気になった。

二人はホテルのエレベーターに乗った。

そして一階のボタンを押した。


『当ホテルをご利用いただき、ありがとうございます。楽しい思い出を作ってくれよな』


……なんでここまで?


「しっかし、この声優のmoonって良い声だよな」

「え」

「セクシーだし。俺さ、この人が担当しているアニメは全部観てるんだ」

「……」


こんな彼と乗ったエレベーター。月子にはそれは長い時間に思えたのだった。


◇◇◇


二次会は大騒ぎであったが、月子は隙を見て帰ってしまった。恋バナとかが始まり月子も話さないといけないムードだったからだった。


しかも交際相手がいないのは月子と陽平だけだと盛り上がっていたのも彼女を恐れさせたのだった。


そんな不義理をした翌日。

泉美にお詫びのメールをして許してもらった月子。実家の酒屋の手伝いをさせられていた。


この夕方は地元の夏祭りがあり、地域の人は売店でビールや酒を販売するため海老屋酒店はこれを配達することになっており、月子は腰痛持ちの父の手伝いで会場にやってきた。河川敷の野原にはテントが張られていた。


「こっちこっち」


……陽平だ。もう、どうして……


彼の親は地元の役員。だから彼はボランティアで運営を手伝っていると話した。


「お前もどうせ終わるまでいるんだろう?だったらボランティア頼むよ」

「うん……」


昔から強引な陽平に負けた月子。この日は普段着のTシャツとジーンズ姿。上着に祭のハッピを着せられた。そして運営本部のテントの下。一人椅子に座り川面を見ながら呑気にビールを飲んでいた。ここに陽平が顔を出した。



「実はさ。お前にだけ話すんだけど結婚式が始まる前、大変だったんだぞ」

「式の前?」


この新郎。以前交際していた女性がおり正式に別れていたが、式の時に妨害に現れたと陽平は話した。


「俺さ、警官だからってなんとかしろって言われて」

「非番なのに?」

「あ?……ああ」


ちょっとだけ会話になったせいか陽平は嬉しそうにしていた。これに月子もホッとしていた。


「それでどうしたの」

「まあ、元カノを説得はしたんだけどさ。あ……お嬢ちゃん。どうしたのかな?」


話の最中。迷子の女の子がやってきた。膝は転んだ跡があった。


「そうか。悪いけど月子、そのマイクでアナウンスしてくれ。俺は救護室に連れて行くから」

「え?」


……そんな?と思ったが、少女は不安そうだった。月子はマイクをオンにした。


『迷子のお知らせです。五歳くらいの白いワンピースの女の子がいます。保護者の方は本部までお越し下さい。繰り返します……』


◇◇◇



月子がアナウンスを終えると背後にいた中年女子が肩をトントンと叩いた。


「あなた。良い声ね……うっとりしちゃったわ」

「そんな事ないです」

「素敵よ……」


職業病でマイクの前では声優声になってしまう月子であったが、迷子の子供の保護者が現れたのでほっとした。


「あの、つかぬ事をお尋ねしますが、あのさっき放送してくれた男性は?」


自分の事。しかし、月子は保護者に嘘を言った。


「……今は席を外しています」

「そうですか」


残念そうに母は娘を連れて祭りへ戻っていった。


「お疲れ!月子」

「どう致しまして」

「今度さ。これ、落とし物なんだよ。悪いけどアナウンスしてくれ」

「また?」


仕方なく月子は放送した。


『落とし物のお知らせです……。ヘビ皮のカバーのスマホを預かっています。心当たりの方は本部まで来て下さい』



この後も自転車の鍵、家の鍵、財布など落とし物がある度、月子はマイクに向かっていた。しかし会場がなんかざわついてきた。これに陽平が気がついた。


「なんだ?ちょっと聞いてくるか」


うんとうなづき留守番の月子は、Twitterを見てみた。

そこには『moonがいる!?』とこの会場の写真が写っていた。



◇◇◇


「おい、月子。なんかお前の事を……」


その時、バーンと爆発音がし、悲鳴が聞こえてきた。


「なんだ?」

「爆発した感じだね」


驚く二人の元。役員の一人があわてて消化器を取りに来た。陽平も一緒に向かって行った。


しばらく辺りは騒然としていたが、会場は急に照明が消えて真っ暗になった。

悲鳴が起こり不安そうな声が聞こえてきた。この時、月子の携帯が鳴った。


「ん?……もしもし」

『月子か?漏電で照明が切れたみたいなんだ』


この状況を聞いた月子。マイクを現場の警察官に任せ、そばで見守っていた。


祭りはほぼ終わっていたので、このまま人を帰らせる事になった。

しかし、警官の誘導は興奮し聞き取りにくく、会場の人々はなかなか動かなかった。


ここに陽平が戻って来て月子に向った。


「おい。お前の方がいいだろう?このままではみんな危険だ!あの。すいません。彼女はプロなんです」

「陽平」


そして彼は月子に向った。


「頼む。力を貸してくれ」

「……わかった。誘導すればいいんですよね」


ここで月子は腹を括ってマイクに向かった。


『会場のみんな!……事故で照明が消えたので、残念ながら祭りは終わりだよ?』


この甘いボイス。会場がざわついた。月子、息を吐いた。


『こんばんは。声優のmoonです』


正体を見抜いたファンの女性達から黄色い声援が起こったが、月子は続けた。


『僕は本日、ボランティアで来ていました。でも、祭りはお終いなのでお知らせするぜ!足元はめちゃくちゃ暗い!……だから役員の指示に従ってゆーっくりと進んでくれよな?……大事な人はそばにいるかい?……愛する人は笑顔かな?……』


現在人気の男性キャラの感じ。月子はなりきって務めた。


『ここにいる人はみんな大切な人だから。お願いだよ。事故のないように、優しく手を繋いで守ってくれよな?』


このコメントに会場からは拍手が起きていた。


『ありがとう!みんな……このお祭りを楽しい思い出のまま帰ろうな?大森町のみんな。愛しているよ……』


月子のテントも照明が消えていた。会場の人は彼女の姿は見えず、駅の方にいるのではないかと勘違いをし、早々と帰って行った。


「ふう?もう、いいかな」

「ああ……ほい、飲み物」

「ありがとう」


彼から飲み物を受け取った月子。帰る前にファンだという警官達と握手をして帰ろうとした。


「あれ?うちの父さん知らない?」

「お前の父さんなら組内の人と飲みに行ったぞ」

「はあ」

「俺が送るよ」


二人は暗い河川敷を歩いていた。


「寒くないか」

「うん。寒い」

「俺の上着着るか」

「いいよ。そっちが寒くなるでしょ」

「声優なんだから風邪とか引いたらダメだろう」


そう言って彼は上着を彼女に着せた。


「いつから知ってたの」

「……アニメで」


色んなアニメを見た彼は、好きなキャラクターがそれぞれいたが、気がつくとそれは全部声優がmoonだったと恥ずかしそうに話した。


「つうかさ。お前の声に似ているから好きになったのかもしれない」

「……たまたまじゃないの」

「あのな……」


陽平は月子の腕をぎゅうとつかんだ。

顔は真剣だった。



「俺は確かにお前の声が低いと言ったけど、嫌いだとは言ってないぞ」



◇◇◇


「月子。頼むからその……俺を許してくれ」


自分の言葉で彼女を傷付けてしまった陽平はそれからの日々、ずっと後悔していたと話した。


あの頃より背が伸びた彼。自分を掴む手が震えていた。月子も胸がズキとした。


「こっちこそ、ごめんね。そんなに傷つけていたなんて」

「いや。俺が悪かったから」

「あのね。私はもう……そこまで気にしてないよ?でも陽平は、私の声が嫌いなんだと思ってた」

「月子」


彼は彼女を抱きしめた。


「え」

「……んわけないだろう?こんなに好きなのに」

「ちょっと待って?あのね。陽平が好きなのって、私の声なの?それとも私なの……」

「決まってるだろう」


全部だよ、と彼は耳元でささやき軽く頬にキスをした。そして優しく頭を撫でた。夏の夜風は草の匂い。囁くように二人を静かに包んでいた。



「好きだよ。やっぱり忘れられないんだ」

「陽平……」

「今回お前に会えると思ってずっとドキドキしてだんだ」


そう言うと彼は彼女から離れ、ニコと白い歯を見せた。


「さ。帰ろう。続きは東京で」

「は?」


そう言って彼は月子の手を取り歩き出した。

彼女も慌てて歩いていた。


「ところでさ。お前は俺の事どう思ってるの」

「……さあ?」

「ちょっと!それはひどいと思うよ」


ここで月子は意地悪く微笑んだ。


「『好きだよ。陽平……愛してる』」

「う?マジですごい破壊力?」


月子の本気の甘ボイス。陽平は真っ赤になっていた。


「『……ね。僕の目を見て?愛してるって言ってごらん……』」

「つ、月子」

「『陽平。好き……だよ』」

「月子……俺もうダメ?」

「あ?もう、ちゃんと歩いて」



ヘナヘナの彼の腕を取って月子は笑顔で歩いて行った。

夏の夜、月が照らす土の道。河川敷の爽やかな風。その音は草の匂いと囁き。月を映す川面の優しい流れ。時折聞こえる車の音に負けない虫の音は恋人を誘うメロディ。


故郷の夏の夜は、二人を一つにし優しく包んでいた。


Fin




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